第二十七話 タワージャック
「ーー我こそは、魔導十姫がひとり、魔道毒姫さまの忠実なる僕! 毒糸のパウーク様なるぞ!
天導衞姫よ! 姿を現せ!」
パウークと名乗った怪物は、浅草スカイタワーの展望台の上でがなりたてた。
その声量は、数百m以上離れた場所にいる和花たちのところにまで、不思議なことにしっかりと届いた。
「ーーーこのタワーは我が乗っ取った! 各階層に魔獣兵を配置してある! 1時間が経過するたびに、人質を殺していくぞ! 人質の命が惜しくば、我が元まで来い、マギア・ローズ!」
見るからに悍ましい怪物が現れたことで、群衆が一斉に悲鳴をあげて逃げ惑い、走り去っていく。
そんなパニックの中、和花は動けずにいた。
異形の怪物。
マギア・ローズを名指ししてくるということは、敵は間違いなくリ・ヴァースの刺客だろう。
これまで夕方から夜にかけて魔獣兵が出現したことはあったものの、こんな昼間から敵が現れることはなかった。
混乱している和花の服の裾を、琴音がぐいと引っ張った。
「和花! 逃げるよ!」
「逃げることは……できないよ」
「ーーはぁ!? ばか! 何言ってんの!? 私を置いて行ってもいいから、早く逃げて!」
人質を助けなければ。
そう考えて駆け出そうとするも、その足はぴたりと止まる。
和花の視線の先には、必死に叫んでいる琴音の姿があった。
車椅子に乗ったままの琴音を放置していくわけにはいかない。
彼女は一人で逃げられないのだ。
今ここで琴音と一緒に逃げれば、彼女を守ることはできるだろう。
しかし、怪物は、和花のことを……天導衞姫のことを呼んでいる。
もし今逃げたら、人質の命が危ないかもしれない。
パウークは1時間待つと言っているが、相手が約束を守る保証はない。
琴音と人質、両方を同時に守るには……。
逡巡は、ほんの一瞬。
和花は、大きく息を吸った。
「……ルーナ」
『……私に話しかけて良かったの?』
「大丈夫。ルーナには、ここで琴音を守っていて欲しいから」
『本当にいいのね?』
「うん。……琴音を、お願いね」
「……和花。いったい、誰と喋ってるの?」
ルーナに話しかける和花をみて、琴音は戸惑ったような声を上げた。
それも当然だ。【幻想】で自身の存在を隠蔽しているルーナの姿は、琴音には見えていないのだから。
「後で、全部説明するから。今は、私を信じて。……ルーナ、お願い」
「わかったわ」
「……は? ネコ? しかも喋って……」
【幻想】を部分的に解除したことで、ルーナの姿が琴音にも見えるようになる。
現実主義者の琴音は、突如として和花の肩に出現したルーナの存在を見て、目を瞬かせた。
聡明な彼女は、すぐにそれがネコなどではないことに気づいた。
見た目はネコに近いが、うっすらと光っているネコなど存在するはずがない。
しかも、琴音の目の錯覚でなければ……人間の言葉を話していたように見えた。
スカイタワーのてっぺんに怪物が現れたかと思えば、人語を話す光るネコが出てきて……。
琴音が、自分は変な夢でも見ているのではないかと思い始めた矢先、和花が口を開いた。
「私、行かなきゃ」
「……和花!? どこに行くの!?」
「大丈夫。待ってて。……ルーナ、私たちを隠して」
「全く、人使いが粗いんだから……。はい、隠したわ」
「ありがと、ルーナ」
覚悟を決めた様子で塔の天辺を睨む和花。
その手の甲は、既に白い四葉の紋章……【聖痕】がクッキリと浮かび上がっている。
【聖痕】から、光が溢れ出す。
瞬く間に、彼女の手には【姫装神機】が握られていた。
そのまま和花が【姫装神機】を腰に押し当てると、桜色の光がベルトを構成する。
「ーー機構:認識!」
和花は叫んだ。
「光よ!」
ローズピンクの光の奔流が、和花の周囲で渦を巻く。
「魔素:収束!」
そして、そのエネルギーはヴェールのように、彼女のほっそりとした身体に纏わりついた。
「装束:展開!」
収束した光は、彼女の身体に合わせてバトルドレスを構成していく。
「変 身!」
和花が、手にしたプラチナピンクのカードを、腰のバックルに装填した。
カシュン!! という音と共に、ピンクのベルトが激しく発光する。
光が晴れると、そこにはドレスを身に纏ったローズピンクの戦士が顕現していた。
「…………はっ? えっ、和花……えっ?」
「ごめんね、琴音。……すぐに戻るから」
クールビューティで有名な琴音が目を白黒させている様子はなかなかレアだったが、その姿をいつまでも鑑賞しているわけにも行かない。
和花は、大きく息を吐くと、勢いよくスカイタワーに飛び込んで行った。
***
「……うう……おかあさぁん……」
「大丈夫、大丈夫よ。きっと助けが来るからね」
スカイタワー、第一フロア。
水族館の受付エントランスの中央に、50人ほどの群衆が集められていた。
年齢、性別、いずれもバラバラ。中には、まだ年端も行かない幼児までいる。
身を寄せ合う母娘を見て、魔獣兵が邪悪に嗤う。
「ゲッ!ゲッ! ゲッ! ……オマエラ、ウルサイゾ」
人質の周囲を、複数の魔獣兵が取り囲んでいるため、誰も逃げ出すことはできない。
その中心になっているのは、一際大きい魔獣兵だ。
他の魔獣兵が緑色の目を持っているのに対し、この個体はオレンジ色の目をしている。
オレンジ色の目をもつ魔獣兵は、知性を備えた上位個体だ。
簡単ではあるが、言葉を理解し、会話を行うこともできる。
緑目の魔獣兵は簡単な命令にしか従わないが、橙目の魔獣兵はある程度は自立して行動することができた。
「……ううー! おかあさーん! うううーー!」
「しーっ! 静かにして、お願いだから……!」
「……ウルサイナ」
魔獣兵に凄まれたことで、まだ幼い女の子が泣き出してしまった。
母親が必死に宥めているが、泣き止む様子はない。
その様子を、周囲の人質となっている他の観光客も、不安げに見つめている。
橙目の上位個体は、泣き喚く女の子をサディスティックな目つきで見つめた。
歪な脳改造を施されている魔獣兵は、弱者をなぶることを本能的に好んでいる。
目の前で泣いている幼児は、まさに邪悪な欲望を満たすのに打ってつけだった。
しかし、殺したいから殺す、というわけにはいかない。
もしそんな事をしでかせば、パウークによる粛清が待っているだろう。
魔獣兵程度の知能でさえ、そうなったらまずいということは、本能的に理解できていた。
上位個体は、足りない頭で必死に考えた。
彼がパウークに命じられた指令は3つ。
ひとつ、人質となる人間を集めておくこと。
ふたつ、抵抗できないよう、人質を見張っておくこと。
そして……みっつ、抵抗したら、人質を殺すこと。
泣いて、大声を出す。
これは立派な、「抵抗」に含まれるのではなかろうか?
強引にそう判断した上位個体は、ニヤニヤと笑いながら、幼女の近くにいた緑目の魔獣兵に命令した。
「……ソコノ、ナイテイルガキ、クッテイイゾ」
「いやぁぁぁぁ! やめて! 許してください!」
泣き叫ぶ母親は、必死に抵抗して娘を離すまいとする。
しかし、人間の数倍の腕力をもつ魔獣兵の剛力には抵抗できず、娘を取り上げられてしまった。
「ゲッ! ゲッ! ゲッ!」
「うわぁぁん! おかあさぁぁん!」
「やめて! お願いです、娘を返して!」
足元に縋り付く母親を蹴り飛ばし、魔獣兵はその大きな口をガパッと広げた。
そして、思い切り歯を剥き出し、幼い娘にかぶりつこうとする。
誰もが顔を背け、目の前で起こるであろう惨劇を視界に入れまいとした。
だからこそ、人々は気付くのが遅れた。
ローズピンクの戦乙女が、流星の如く飛び込んできたことに。
「ーーおりゃぁぁぁ!」
「グギャァァァ!」
可愛らしい掛け声と共に放たれた剛拳が、幼い娘に食いつこうとしていた魔獣兵の脇腹に突き刺さった。
ドゴン! という轟音がフロア全体に鳴り響き、魔獣兵の3mもある巨体がくの字に折れ曲がる。
汚らしい絶叫と共に魔獣兵は吹き飛ばされ、スカイタワーの壁に叩きつけられた。
そのままドロドロと融解し始め、文字通り壁のシミとなる。
放り出されてしまった女の子のことも、きちんと空中で柔らかくキャッチしている。
もちろん、女の子にはかすり傷ひとつない。
あまりに一瞬の出来事だったので、人質となっている人々は、唖然としてドレス姿の少女を見つめた。
否、きっと一瞬の出来事でなくとも、きっと人々は唖然としていたに違いない。
颯爽と現れたドレス姿のヒロインが、巨大な敵を一瞬でやっつけた。
言葉にすればそれだけだが、それがどれほど非現実的なことか。
「ーーはい、捕まえた! もう大丈夫だよ!」
空中で受け止めた女の子をそっと床に下ろすと、その子は泣くことも忘れたかのように、きょとんとして少女のことを見上げた。
「……おねえちゃん、だぁれ?」
「私? 私は……マギア・ローズ。キミのことを、助けに来たんだ!」
「まぎあ・ろーず……!」
目をキラキラさせながら見上げる女の子に向かって、少女はにっこりと微笑んで見せた。
「グギギ……! オマエラ、コロシ……!」
「ーーさせない!」
その様子を見た橙色の上位個体が慌てて指示を出そうとするが、ローズピンクの少女が、それを遮った。
そのまま目にも止まらぬスピードで空中を駆け抜け、人質に一番近かった魔獣兵を殴り飛ばす。
ドゴン! という音と共に吹き飛ばされた魔獣兵は、再び壁のシミとなった。
「まだまだぁ!」
「グゲェーーッ!?」
ドレス姿の少女は、可憐に、そして優雅に宙を舞った。
そしてその度に、巨大な魔獣兵が次々と打ち倒されていく。
わずか数秒で、あれだけいた魔獣兵は、橙目の上位個体を残して全滅していた。
どこか呆然としていた上位個体が、ふと我に返ったかのように、少女のことを睨みつける。
そして、目をぎらつかせながら叫び、宙を舞っている少女めがけて飛びかかった。
「グゥゥゥ……! マギア・ローズゥ!!」
「おりゃぁぁぁぁ!」
「グギャァァァ!」
勝負は一瞬だった。
少女のパンチを受けた橙目の上位個体は、フロアを何度もバウンドした挙句、壁にめり込んだ。
そして、即座にドロドロに溶けて消滅してしまった。
夢でも見ているのだろうか。
人質となっていた人々は、どこか呆然としながら少女の活躍を眺めていた。
それに気づいたローズピンクの少女は、人々に向かって、にっこりと笑った。
あの恐ろしい怪物を倒してしまった人物と同じとは思えない、可憐な笑顔で。
「もう、大丈夫! 今のうちに避難してください!」
我に返った人々は、口々にお礼を言いながらフロアから逃げ出していく。
それを見送った少女……和花は、次の敵を倒すため、上層階へと急ぐのだった。




