第二十六話 浅草タワー
季節感なくてすみません……。
明るいエントランスに、少女の明るい声が響き渡る。
「やっほー、琴音!」
「おはよう、和花。朝から元気だねー」
「当たり前じゃん! 今日は琴音とデートだもん!」
「ばーか。デートじゃないっての」
ええー、と口を尖らせる和花のことを見つめる琴音の眼差しは優しい。
なんのかんの言っても、彼女が親友のことを大切に思っていることは間違いないだろう。
ここは琴音の住んでいるマンションである。
彼女は両親と別居しているため、このマンションには琴音しか暮らしていない。
エレベーター付きで25階建ての20階住まい、部屋は2LDK。
一人暮らしにはあまりに過分な部屋だが、これは彼女の父親が用意したものだ。
結局のところ父親の扶養にある境遇を琴音自身は嫌がっているが、合理的な性格である彼女は、わざわざ別の部屋に引っ越す必要性を感じていなかった。
それに、こうして和花が遊びに来る分には都合がいい。
実際のところ、気兼ねなく遊びにくるような友人など、和花ぐらいしかいなかったが。
「わざわざ悪いね、迎えに来てもらっちゃって」
「ううん! 別にどうって事ないよ! ……ひゃっ」
「……? どうしたの?」
いきなり小さく悲鳴を漏らした和花に、琴音は不思議そうな目をむける。
「(……ちょっと! 首筋でモゾモゾ動かないでよ!)」
『しょうがないじゃない! アンタちっちゃいんだから!』
誰と話しているかと言うと、もちろんルーナである。
琴音と二人でお出かけとはいえ、家にひとりぼっちでルーナを残してくるつもりもなかった和花は。彼女のこともしっかり連れてきていたのだった。
固有魔法【幻想】で姿を隠しているため、琴音にはルーナの存在は認識できていない。
そのため彼女からは、和花が独り言を言っているように聞こえるのだ。
「……ひとりでボソボソ喋ってるけど……本当に大丈夫?」
「べ、別になんでもない!」
「体調が悪いなら……」
「そんな事ないし! ……ほら、出かけるよ! 私が押すから!」
「はいはい。ぶつけないでよね」
元気よく車椅子を押しはじめる和花に、琴音は呆れたような笑みを向けた。
実のところ、態度には大きく出していないものの、琴音も今日を楽しみにしていた。
ひょっとすると、和花がはしゃいでいるのと同じくらい。
今日は、ちょっとだけ遠出して、琴音の退院をお祝いする日なのだ。
今日のために、琴音はいつも以上にリハビリを頑張っていたりする。
照れくさいので、和花には決して言わないが。
日常生活程度ならなんとかなるレベルとはいえ、琴音は今、移動に車椅子を要する状態である。
長距離を移動するのは体力的にも厳しいし、バリアフリーが普及したとはいえ、まだまだ車椅子でバスや車を利用するのはハードルが高い。
そのため、出かけるなら彼女にとってそれほど負担にならない場所に行こう、ということになった。
そうして駅員さんに手伝ってもらいながら、電車を乗り継いで二人がたどり着いたのは……。
「うわぁ……やっぱり、近くで見るとすごいね!」
「どっちも600m超えてるんだっけ? 確かに高いね」
それがここ……浅草スカイタワーである。
浅草スカイタワーは水族館や映画館、ショッピングモール、レストランや展望台などが積み重なった商業施設で、東京観光の目玉としても非常に有名だ。
『すっご……! ニ、ニンゲンもなかなかやるわね!』
和花の肩の上で、ルーナも驚きを隠せずにいるようだ。
日本で最も高いタワーの名は伊達ではないらしい。
大きく分けて四つの階層に分かれており。下から水族館を土台とする第一フロア、映画館を囲むように飲食店ゾーンが設営された第二フロア、ブティックやお土産物屋さんの集まった第三フロア。
そして一番上には、展望台を備えた第四フロアがある。
流石に土日は第一、第二フロアは混んでいることが予想されたため、今回2人が主に遊ぶのは第三フロアの方だ。普段なら人混みをあまり苦にしない2人だったが、流石に今回は琴音が車椅子での移動となるため、水族館や映画館の方を自粛した結果である。
とはいえ、第三フロアも不人気というわけではない。
カップルや家族の利用は、むしろこちらの方が多く、高級店や人気店もそこそこ入っている。
なぜこの場所を選んだかというと、実はふたりとも未だ行ったことがなかったからである。
琴音の両親は子どもをこんな場所に連れてくるような人種ではなかったし、和花の場合は、家族で出かける場合は都外を旅行先にする事が多かった。
都民は意外とスカイタワーに行かない、と言われる事があるが、二人はまさにその典型だろう。
また、バリアフリーがしっかりしている、というのも、この場所を選んだ理由の一つだ。
エレベーターはしっかり4列備えてあるし、それぞれがかなり広い作りになっている。
車椅子での移動となる今回の小旅行においては、かなりありがたい仕様だといえた。
「楽しみだね!」
「うん。そうだね」
ニコニコ顔の和花を見て、琴音のクールビューティが微かに和らぐ。
琴音は実のところスカイタワーに特段の興味があったわけではないが、和花と出かけられるなら、目的地はどこでも良かった。彼女が一緒なら、行き先がどんなに退屈なところでも、喜んで出かけただろう。
『ちょ、ちょっとだけ楽しみね』
ルーナも澄まし顔をしているが、その目は期待にキラキラと輝いている。
それに微笑ましい気持ちになりながら、和花は琴音の車椅子を押すのだった。
スカイタワーの第三フロアに上がったふたり(と一匹)がまず入ったのは、カジュアルな雰囲気のレディースファッションのお店だった。服なんてどこでも買える、などというのは野暮というもの。
既に初夏は過ぎ去り、真夏といえる気候になってきている。入院していた琴音はもちろん、お見舞いに放課後を費やしていた和花も、今年の夏服をきちんと買えていなかった。
琴音は有り余っている自身の生活費を下ろすだけだったし、和花も母親に事情を説明して特別にお小遣いを支給してもらっているため、比較的、懐は暖かい。
ふたりは、仲睦まじく買い物を楽しんだ。
ルーナは姿を隠しているため会話には参加できなかったが、彼女も興味深そうにあちこち視線をやっていた。
そろそろお昼、という時間になり、二人はスカイタワーの第二フロアへ降り、飲食店が立ち並ぶゾーンへと向かった。第三階層や第四階層にもレストランはあるのだが、いずれも高級店か大手の人気チェーンで、非常に混雑していたためである。二人は、飲食店ゾーンの片隅にある、個人経営のイタリアンに入店した。
琴音はともかく、和花は高級店になど入る勇気はなかったので、二人が入ったのはかつお手頃価格のお店である。
観光地区ということもあって、店内はバリアフリーもしっかりしていたので、車椅子の琴音も苦労せずに済んだ。
琴音は辛口のアラビアータを注文し、和花はビスマルク・ピッツァとチーズドリアをルーナと分け合った。
リーズナブルな値段の割に料理は美味で、二人(と一匹)は舌鼓を打ちながら食事を楽しんだ。もちろん、ルーナは自身の姿を【幻想】で隠したまま食べていたので、2人分の料理を注文した和花は、琴音に「お腹が空いてたんだね」と笑われる事になり、少しだけ恥ずかしい思いをする羽目になった。
とはいえ、ルーナが終始、目をキラキラさせて料理を食べていたので、喜んでもらえたならいいかと思った和花は、それほど気にしてはいなかったが。
食事を終えると、ふたりは再び第三フロアに上がり、ショッピングを楽しんだ。
今度はファッション関係のお店ではなく、小物やお土産のお店を中心に見て回る。
散々あちこち見回って、時刻が15時に差し掛かったあたりで、琴音はちらりと腕時計に目をやった。
「今日はありがとう、和花。……そろそろ帰ろっか」
「えーっ! もう!?」
「帰るのにも時間がかかるし……今日は泊まっていってくれるんでしょ? 夕飯の買い出しにも行かなきゃ」
「そっか、そうだよね! お泊まり久しぶりじゃん! 楽しみ!」
普段なら夕方まで遊び呆けるところだが、琴音は病み上がりで、車椅子での移動にも時間がかかる。
それに今日は土曜日だ。お泊まりで映画でも見ながら琴音と過ごせると言うのは、和花にとっても幸せなひと時である。必然的にルーナもついていく事になるが、問題ないだろう。
夕飯は何を食べようか。
映画を借りるなら何にしようか……。
そんなことを話しながら、帰路に着くふたり。
スカイタワーのエレベーターを降り、第一階層から外に出た途端。
琴音の隣を歩いていた女性が、ふわりと浮き上がった。
そして、まるで釣り上げられた魚のように、ぐんぐん空に向かって引き上げられていく。
「……へっ? い、いやぁぁぁぁ!」
「な、なんだこれ!?」
「いやぁぁぁぁ! 私の赤ちゃん!」
それをきっかけに、電話をしていたサラリーマンが、ベビーカーの中の赤ん坊が、ベンチで談笑していた老夫婦が、次々と空中へと浮かび上がっていった。
その場にいた全員が、呆然と空中を見上げた。
スカイタワーの第四フロア、第展望台の上に、巨大な影がへばりついていた。
和花と琴音がいる地上から400m以上も離れているのに、その姿がしっかりと視認できるほど大きい。
そこにいたのは、まさに怪物だった。
外見はかなり蜘蛛に近い。ただし、その大きさが異常だった。
全長は3mほどで、黒と紅の剛毛に覆われており、外見は毒々しく、そしてグロテスクだ。
しかも、単なる巨大蜘蛛ではないことは明白だった。
なぜなら、そいつは昆虫と人間が入り混じったような、奇怪な姿をしていたからだ。
胴体は巨大な蜘蛛。
そして、本来なら頭部があるべき場所からは、人間のような上半身が生えていた。
筋骨隆々の肉体は、胴体と同じく黒と紅の配色で、人間の男性のものに近い。
毛むくじゃらの頭部から、2本の短い角がニョッキリと生え、真っ赤な八つの複眼が周囲を睥睨している。
そして、そいつが立っている展望台の下には、何人もの人間が糸で吊り下げられていた。
まるで、蜘蛛の巣にかかった哀れな昆虫のように。
怪物は、濁った声で叫んだ。
拡声器も使っていないのに、その声は数百m以上離れた場所にいる和花と琴音の耳にも、しっかりと届いた。
「ーー我こそは、魔導十姫がひとり、魔道毒姫さまの忠実なる僕! 毒糸のパウーク様なるぞ!
天導衞姫よ! 姿を現せ!」
最初の敵といえば、やっぱり蜘蛛怪人ですよね。




