第二十二話 思惑
「幸福なる光の奔流!!」
和花の掌に収束した桜色のエネルギーが、光のシャワーとなってオリヴィアに直撃した。
オリヴィアの黒い影が、光の奔流に飲まれて掻き消える。
廃工場全体を煌々と照らした和花の攻撃が終わった時、そこにはオリヴィアは影も形も残ってはいなかった。
「はぁ……はぁ……!」
エネルギーを使い切ってしまい、肩で息をつく和花。
「……ノドカ! ノドカ! しっかりして!」
朦朧とする意識の中、遠くからルーナが自分を呼ぶ声が聞こえた。
(……よかった。ルーナのことは、守れたみたい……)
全身から、ぐったりと力が抜けていき、視界が急激に色褪せていく。
和花は、そのまま意識を失った。
***
すっかり陽が落ちた、夜の闇の中。
そこには、一人の少女の影が佇んでいた。
漆黒のバトルドレスと、同色のバックル。
そして、エメラルドグリーンの装飾が入った、黒曜石のようなつるりとした仮面。
それは、先ほどまで和花と戦っていた、オリヴィアの姿だった。
ただし、その姿は無事とは言い難い。
艶やかなバトルドレスはところどころ焦げ付き、艶やかな表面がわずかに燻んでいる。
仮面の端にも、微かなひび割れが生じていた。
(……びっくりした。全く、ルーナめ……)
ルーナの結界術式によって拘束されていたオリヴィアであったが、彼女の固有魔法【空】によって、ギリギリのところで逃げ出すことに成功していた。とはいえ、少しだけ幸福なる奔流を喰らってしまい、少なからずダメージを負ってしまう羽目になったが。
そして、負担も大きかった。
オリヴィアの固有魔法【空】だが、実のところ、彼女の身体はこの魔法に適合できていない。
空間属性を司る強力な魔法ではあるが、オリヴィアは諸事情により、自分自身にしか使用することができないのだ。ルーナの術式を抜け出すために、少しだけ無理をして結界そのものに干渉したのだが、ほんの一瞬だけで、オリヴィアの魔素を半分以上持って行かれてしまった。
とは言え、継戦能力が失われたということではない。
魔素はまだ半分近く残っていたし、身体機能にも問題はなかった。
そして何より、オリヴィアはまだ【刀】を抜いていない。
彼女が軍規に違反してまでライト・ヴァースにやってきたのは、天導衞姫の実力を測るためだった。
本気で殺すつもりなら、わざわざ話しかけたりせず、最初から奇襲をかけていただろう。
だからこそ、彼女は自身の銘でもある【刀】を使用しなかったのだ。
そうして確認した天導衞姫の評価は……並。
スピードは自分と同程度。格闘能力とパワーはそこそこあるが、術式の組み方は雑だし、まだまだ戦いに無駄が多い。あれでは、まだまだ【魔導四妃】には愚か、【魔導十姫】の上位メンバーにも敵わないだろう。
(……ただ、最後の一撃は、結構危なかった。……あれなら、ひょっとすると、アイツを……!)
オリヴィアの本当の思惑。
それは、ライト・ヴァース陣営にも、リ・ヴァース陣営にも……まだ明らかになることはない。
***
「……ドカ! ノドカ!」
「うーん……もう食べられないよう……」
「……このっ! 起きろ、バカっ!」
「あいたぁ!?」
ぺちん! とルーナの肉球で額を叩かれ、和花は飛び起きた。
きょとんとして脇を見やると、そこには怒ったような、悲しんだような表情をしたルーナが座っていた。
「……おはよ、ルーナ。……ってあれ? ここ、私の部屋……?」
「全く! ……おはよう、ノドカ。……そうよ、ここはあなたの部屋。あの工場からここまで運ぶの、すっごく大変だったんだから! 感謝してよね! ……それと、さっきの戦いなんだけど……」
「……そうだったんだ。ありがと、ルーナ! んちゅちゅちゅちゅ!」
「ぎにゃーーーー!? は、話しなさいこのバカ!」
無理やり抱き寄せられたルーナが悲鳴をあげて逃げ出そうとするも、和花はしぶとい。
タコ口で迫る和花と逃げ出そうとするルーナの攻防は、5分以上続いた。
***
「アイタタタタ……。本気で殴るなんて、酷いよルーナぁ……」
「あ、アンタが無理やり抱きしめてくるのが悪いんでしょ!」
格闘の末、一人と一匹の攻防は、ひとまず落ち着きを見せていた。
と言っても、片方は息も絶え絶えで、もう片方は軽く負傷していたのだが。
その証拠に、和花のつるりとした額に、肉球パンチの跡がくっきりと残っている。
「バカなことしてないで、話の続きをするわよ!」
「えっと、話の続きって……?」
「さっきの戦闘のことに決まってるじゃない! ……さっきの幸福なる奔流、だっけ? あんな技があるんなら、教えなさいよね!」
「いや、私も知らなかったというか……」
「……あれ、どうやって発動したわけ? 私も見たことのない術式だったんだけど……」
「ぐわーってなって、なんか打てた」
「……アンタに聞いた私がバカだったわ。とりあえず、あの技はしばらく禁止ね」
「ええっ!? 折角の新技なのに!?」
「戦闘中に倒れてたら危なくってしょうがないわ。調整して、戦いに組み込めるようになっておかないと」
「そ、そうだよね! あの新技を使ったら、すごく疲れて、眠っちゃったんだった……。って、あっ! オリヴィアさん! オリヴィアさんは、どうなったの!? ……まさか、殺しちゃったなんてことないよね!?」
今更、先ほどの戦いを思い出したのか、真っ青になる和花。
和花の最後の一撃に飲み込まれ、オリヴィアの姿は消滅してしまった。
彼女は確かに敵だったが、どこか憎めない性格だった。
そんなオリヴィアのことを消しとばしてしまったのではないか、と和花は心配しているのだった。
「アンタねぇ……。アイツは敵よ? アンタのことを、殺しにきた相手なのよ? そんな相手のことを心配するなんて、どうかしてるわよ」
「そ、そうだけど……」
うっすらと涙目になってきた和花のことを見たルーナは、深々とため息をつく。
「安心……していいのかは分からないけど、安心しなさい。まだオリヴィアは生きてるわ」
「ーーえっ!? 本当!?」
「なんで喜んでるのよ……。ええ、間違いなく、アイツは生きてる。結界で足止めしたんだけど、無理やりこじ開けられた感覚があったから」
「そうなんだ、よかったぁ……」
「ホントにお人好しね、アンタ。こんな調子で世界を守るなんてこと、できるのかしら……」
ため息まじりのルーナの言葉に、困ったように笑う和花。
この世界の侵略しようという敵に対して、彼女も我ながら甘いことだとは思っている。
ただ、こればっかりは彼女の性分だから仕方ない。
それに、和花の優しさや穏やかさは短所ではなく、本来なら長所と呼ばれるべきものだ。
ルーナもそれが分かっているのか、それ以上は何も言わなかった。
そもそも彼女自身も、和花の優しさに救われた者の一人なのだ。
「……それより、今後はいっそう気をつけなきゃダメよ! 今後はリ・ヴァースからの刺客もどんどん増えてくるに違いないわ」
「大丈夫! またやっつけちゃうから!」
「あのねぇ……少なくとも、アイツは全然本気じゃなかったわよ。まさか、気付いてなかったの? アイツが魔皇陛下から与えられた銘は【刀】。なのに、一度も腰の刀を使ってなかったでしょ」
「そういえば……」
戦っている間は、意識が戦闘モードに切り替わるのか、普段よりも細かなことに気付きやすい。
だから和花も、相手の意図はともかく、オリヴィアが敢えて刀を使わず戦っていることに気付いていた。
「今回の襲撃は様子見、ってところかしら? 相手の目的はわからないけど、注意しておいて損はないわ」
「……そうだね。ありがとう、ルーナ。……んちゅちゅちゅちゅちゅ!」
「ちょっと!? 何でそうなるのよ!? ぎ、ぎにゃーーーー!?」
***
ゴツゴツとした冷たい岩肌の廊下と、それを照らす松明の炎。
その揺らめく光源に照らされ、オリヴィアのほっそりとした影が魔皇城の岸壁を踊る。
オリヴィアの固有魔法は【空】。
自分自身にしか干渉できないが、空間を自在に操作できる強力な魔法だ。
彼女だけは、誰にも気づかれることなくライト・ヴァースとリ・ヴァースを行き来できる。
だからこそ、軍規に違反することを承知の上で、ルヴィが天導衞姫と交戦したエリアまで向かうことができたのだ。ゆえに、ひっそりと帰還した彼女のことを察知できる人物など、存在しないはずだった。
しかし、彼女の背後から、待ち伏せでもしていたかのように声をかける人物がいた。
「おーほほほ! ようやくお帰りですか、オリヴィアさん?」
「ーーッ!? チッ、道化師か……!」
「おほほほ! これはご挨拶ですね!」
何が面白いのか、いつまでも甲高い声で笑い転げている、この人物。
オーバーサイズのケバケバしい服装で、体つきや、性別すらパッと見では判別できない。
それどころか、ピエロのような化粧をしているせいで、表情すら読み取ることが難しい。
種族、戦闘能力、固有魔法、その全てが不明。
本当の名前すらも不明のため、魔導四妃や魔導十姫のメンバーは、その外見から【道化師】とだけ呼んでいた。
この怪人物は、当然、魔導四妃や魔導十姫のメンバーではない。
それどころか、リ・ヴァースにおいて、何の称号も与えられていなかった。
身分だけで言えば、道化師は単なる一兵卒に過ぎない。
もちろん、末席とはいえ、魔導十姫における序列九位のオリヴィアに気軽に話しかけて良いような人物でもない。
しかし、道化師だけは、例外的にそれが許されていた。
これは、実力主義のリ・ヴァースにおいては、実に驚くべきことだと言える。
それが許されているのは、道化師の役割が理由だった。
「そんな態度で良いのですか〜? 魔皇陛下に告げ口しちゃいますよ〜?」
そう、道化師は、魔皇陛下のメッセンジャーなのだ。
それも単なる伝令ではなく、魔皇陛下の腹心とも言える立ち位置で、時には魔神様に関する【神託】を運んでくることさえあった。【魔導四妃】最古のメンバーであるエルフューザでさえ、道化師の扱いには慎重だった。そのため、どんな振る舞いも許容されており、リ・ヴァースにおいては例外的な人物だと言える。
「……好きにすればいい」
「おーほっほ! 冗談ですよ〜! ワタクシがそんなことするはずないでしょう?」
「……それで、要件は?」
「おほほ! 単なるご挨拶ですよ! おほほほほほ!」
「……そう。それじゃ」
踵を返すオリヴィアの背中に向けて、道化師はそっと囁いた。
「……あの子、そんなに保ちませんよ?」
「ーーッ!?」
「急ぎませんと……ね? おーほっほ!」
バッ! とオリヴィアは振り返るも、そこには既に誰もいなかった。
黒い仮面の奥から、ギリリと歯を食いしばる音が聞こえる。
その仮面の紋様は、揺らめく松明の火に照らされ、どこか泣いているようだった。




