第十七話 ルヴィアの怒り
果てしなく続く闇。
ここには、太陽が存在しないのだ。
それどころか、月や星といった、わずかな光源さえ見ることは叶わない。
見渡す限り黒く濁った雲が、まるで世界に蓋をしているかのように、ベッタリと空に塗りつけられていた。
存在しないのは、光だけではない。
安寧や秩序といった概念さえ、この世界には存在していなかった。
水や空気、土の一粒さえも汚染されきっており、まともな生物は生き残ることさえ難しい環境だろう。
わずかに地表に残っているのは、地表を覆う毒々しい色彩の植物や、その中を這い回るおぞましく巨大な生物といった程度。
暗く冷たい夜を延々と繰り返す世界。
そこは、【リ・ヴァース】と呼ばれていた。
そんな地獄と形容しても差し支えないような、荒廃しきった世界。
その片隅に、僅かな範囲ではあるが、整えられた区画がある。
周囲が強固な結界に覆われており、世界を犯す猛毒も、命を貪る猛獣も、その内側には入ってこられない。
毒された世界から隔離されたこの場所は、リ・ヴァースに唯一存在する都市国家であった。
その名は【魔都】。
魔神様によって創造され、魔皇陛下とその家臣たちが治めている街である。
その構造は、樹木のように円環状に様々な層が重なってできている。
まず、ドーム状に覆われた国土の外周には、痩せた畑や粗末な畜舎が広がっている。
生産地区と呼ばれ、この国の食糧や産業といった生産を司る階層である。
とはいえ、それほど広大な場所でもない。
実際、そこから少し内部に入れば、すぐに外住地区に入ることになる。
そこに立ち並ぶ住居は、いずれも立派なものとは言い難い。
切り崩した岩や丸太を組み合わせて作ったものはまだ良い方で、中には単なる洞窟や、内側をくり抜いた巨木を棲家にしている者もいるほどだ。
そんな状態だから、当然ながら治安も悪い。
窃盗や暴行ぐらいならば可愛いものだ。
互いに殺し合うことも少なからずあったし、時には共食いし合うことさえあった。
そんな貧しく風紀の乱れた居住区を抜けると、今度は少しだけ風景が洗練されてくるのが分かる。
ここは内居地区と呼ばれる階層で、外住地区よりも比較的整理されている。
魔都の中心部に極めて近く、言うなれば城下町のようなものだ。
この中に入ると、荒屋や岩を積み上げただけの住居はぐんと減り、代わりに煉瓦や木材といった加工された建材を用いて造られた家々が多く見られるようになってくる。中には、ちょっとしたお屋敷まである。
そして、それらの建物は、中央に進むに従って、より美しく、整ったものへと変化していく。
そして、リ・ヴァースの中心にして最奥。
そこには、多くの家々に取り囲まれるようにして、巨大な岩山が聳え立っていた。
否、一見すると単なる岩山であるが、その実態は単なる岩山ではない。
その証拠に、岩壁のあちこちに開いた穴から、ランタンの光が漏れ出しているのが分かる。
ここは岩山の内部を削り出して造られた、強固にして巨大な、要塞と城を兼ねた建造物なのだ。
魔皇陛下の座すこの場所は、シンプルに魔皇城と呼ばれていた。
魔皇陛下とそれを守護する配下の姫達は、このリ・ヴァースにおいて絶対的な権威を誇っている。
事実、彼女達には、その他の魔族達の生殺与奪権さえ与えられているのだ。
無意味な破壊や殺戮は御法度だが、逆にいえば意味があると認められた場合には、相手の命を奪おうが、建造物を破壊しようが、一切の誇張なく何の罪に問われることもない。
もちろん、彼女達は単に権力をひけらかしているだけの存在ではない。
魔族が実力を尊ぶ種族であることからも分かるように、彼女達は強い。
リ・ヴァースにおいて比肩する者なしと謳われた実力者のみが、その席に座ることが許される。
そんな彼女達は、魔皇陛下を主軸とした15名によって構成されている。
魔皇陛下は、世界を創造したとされる魔神様から直接【神託】を受け取ることを許された存在であると同時に、賜った【神託】を民衆に伝えるという崇高なる使命を担っている。
時には、限定的にではあるが、依代として魔神様をその身に宿すことすらあった。
魔神様のお言葉は絶対であり、何人たりともそれに異を唱えたり、疑ったりすることすら許されない。
魔皇という存在とは即ち、リ・ヴァースの巫女であり、指導者であり、権威そのものだと言えた。
魔神様から直接お言葉を賜ることができるこの役目は、魔族にとって最高の誉である。
しかしながら、今のところ【神託】は魔皇の固有能力であり、他の者には真似することができないのだった。
そのため、魔皇というポジションだけは代替不可能であり、その地位は不動のものとなっていた。
その魔皇を支えるのは、【魔導四妃】と呼ばれ、強大な権威を誇る4人の幹部たち。
この4人は魔皇直属の家臣として絶対的な権力と圧倒的な戦闘能力を持ち、実質的な国の中枢として君臨していた。巫女たる魔皇がリ・ヴァースにおける絶対的な指針であるなら、彼女たちはそれぞれ行政・軍事・司法・宗教を司る存在だと言える。
彼女たちの下には、【神託】によって選別された10名の英傑が集う。
【魔導十姫】と呼ばれる彼女たちは、魔族の中でも特に武に秀でた強者の集団であり、単純な戦闘能力だけならば【魔導四妃】にも勝るとも劣らない実力を持つ。
4人が対等な存在である【魔導四妃】とは違い、明確な序列が定められているのが特徴だが、その位は必ずしも絶対的なものではない。むしろ、実力次第でいくらでも変動し得る順位制によって、互いに競い合い、成果を上げ続けることが推奨されていた。
主な役割は魔皇陛下やその臣下の守護であるが、前線でその強大な戦闘能力を振るうこともあった。
魔神様の【神託】を聞く巫女たる魔皇陛下。
リ・ヴァースを実務面から支配する魔導三妃。
彼女らを守護する盾であり、外敵を切り払う剣でもある魔導十姫。
そんな者たちが集う魔皇城は、神殿であり、官邸であり、砦でもある。
そのため、無骨な岩山そのものの外観からは想像もつかないほど、内部は洗練された造りになっている。
そんな魔皇城の廊下で、苛立ちも露わに怒声をあげている人物がいた。
リ・ヴァースの中枢を担うメンバーの一柱にして、【焔】の銘を与えられた魔導十姫が一人。
つい先ほど和花に撃退され、敗走を余儀なくされた魔族、ルヴィア・マルストゥルムであった。
「――くそぉッ!!」
ドゴン! という轟音が廊下を震わせる。
彼女が怒りに任せて、魔皇城の岩壁を殴りつけたのだ。
美しく研磨された岩壁にビシリと無数のクラックが走り、彼女の拳が壁に食い込む。
魔皇城を構成する一部であるということは、無論、単なる岩などではない。
表面に特殊な金属を塗布してある上に、上から硬化魔法を重ねがけすることで、鋼鉄よりも頑丈で高い耐久性を誇っている。
そんな岩壁が、ルヴィアの素の腕力だけで粉砕されていた。
「許さん……許さんぞ……! この屈辱、万倍にして返してくれる……ッ!」
頑丈な壁を素手で破壊してもなお、ルヴィアの苛立ちが治まる様子はない。
そんな彼女に向かって、背後から声をかける者がいた。
「おーや、おや……。随分と、ご機嫌斜めじゃのう?」
反射的に焔を拳に纏わせ、素早く背後を振り返ったルヴィアを見て、どこか小馬鹿にしたように口元を歪ませたのは、一人の少女であった。
小学生高学年程度の体躯ではあるが、その小さな身体に内包された魔素は膨大。
彼女の焦茶色の髪から突き出しているのは、獣の耳。
ピンと張った三角形のそれは、狐のそれに酷似している。
容貌は幼いながらも、どこか妖艶な雰囲気を漂わせている彼女の名は、レイナ・ジーン。
彼女はルヴィアと同じく魔導十姫の一員ながら、遥か格上の第三席に君臨する、【妖】の銘を授かった魔族である。
「何の用だ、レイナ……ッ!」
ルヴィアの周囲の空間が、ゆらゆらと揺らめいている。
抑えきれない彼女の憤怒が、物理的な熱を持って陽炎を発生させているのだ。
爆発寸前の彼女の気迫に怯むどころか、ことさら嬉しそうに嗤うレイナは、揶揄うように言葉を続けた。
「いやなに、ルーナごときを相手におめおめと逃げ帰ってきた、無様な童の顔を見ておこうと思っての? ほほっ」
「――貴様……ッ!」
強く噛み締められた奥歯が、ギリギリと耳障りな音を立てる。
既に爆発寸前だったルヴィアに冷や水を浴びせたのは、ぬるりとレイナの背後から現れた、3人目の少女だった。
「……【魔導四妃】が呼んでいる」
「――何だと!?」
つるりとした黒い仮面をつけたその少女の名は、オリヴィア・ユースティティア。
スレンダーな身体に張り付くような黒装束に細く鋭い刀を佩く彼女もまた、魔皇直々に【刀】の銘を与えられた、魔導十姫の一人である。新顔ではあるが、既にその序列を九位にまで上げており、第七席に座るレヴィアにしてみれば、序列を争うライバルでもある。
しかし、目の前に突如として現れた序列九位の猛者の存在よりも、レヴィアはオリヴィアの発した言葉に意識が向いていた。爆発寸前だった赫怒が急速に冷え、喉から這い上がるような緊張感が迫り上がってくるのを感じる。
【魔導四妃】。
それは魔皇陛下直属の、4人の魔族を指す言葉である。
彼女たちは魔導十姫とは違い、滅多に交代することがない。
戦闘力だけでなく、魔都の内政にも直接的に携わる彼女たちの権力は、単純な戦闘力により選抜された魔導十姫のそれを遥かに上回る。
当然その権能は、魔導十姫の序列七位たるレヴィアのことを断罪することすら容易い。
ここにきてようやくレヴィアは、序列三位のレイナがわざわざ姿を現した理由を察した。
要するに、ルーナを取り逃がすという失態を犯したレヴィアに対し、【魔導四妃】から直々に沙汰が下されることになったのを嘲笑いにきたのだ。
おそらく、本来のメッセンジャーは序列九位のオリヴィアだったのだろうが、それをどこからか聞きつけてきたレイナが、無理やり着いてきたに違いない。その証拠に彼女は、強張るレヴィアの顔を見て、ニヤニヤと嫌らしい笑みを浮かべている。
それを見たレヴィアは、再び怒りが再燃してきたのを感じるが、さらに続くオリヴィアの言葉に、再度自らの感情を腹の底に押し込めねばならなかった。
「既に御四方は揃っておられる。後はレヴィアだけ」
「……分かった。直ぐに伺うと伝えろ」
「承知した。場所は第1号査問室」
「……チッ」
屈辱を噛み殺すようにしてレヴィアがそう言うと同時、オリヴィアの姿が掻き消える。
まるで、初めからそこに存在しなかったように。
しかし、レヴィアは動じずに、ニヤニヤ笑いを浮かべ続けているレイナのことを睨みつけると、そのまま踵を返し、【魔導四妃】の待つ場所へと向かう。
「ほほっ! では、気をつけての」
(――チッ! 覚えておけ!)
背後から聞こえてきたレイナの声色から、どんな表情を浮かべているかは想像がつく。
憤懣やるかたないレヴィであったが、既にメッセンジャーであるオリヴィアに、「すぐに行く」と伝えたばかりである。ここで余計な時間を使えば、これ幸いとレイナは時間を引き延ばしにかかるだろう。
そうなれば、ただでさえ悪い自身の心象がさらに悪くなる。
怒りを押し殺すと、レヴィアは第1号査問室へと向かうのであった。




