第十三話 説明
「……知ってる天井だ」
和花が目覚めたのは、自分の部屋だった。
首を回せば、いつも通り淡いピンク色の壁紙とベッドとが、今朝家を出た時と同じように和花を出迎えていた。
ベッドの側に置いてあるミニサボテンの鉢植えも元気で、心なしか今朝よりも成長しているように見える。
時計の針は21時を指しており、一階からも物音がしないところを見ると、まだ両親ともに帰宅してはいないようだ。
そんな中、一箇所だけ、文字通り異なる色彩を放つ存在があった。
ルーナだった。
彼女は和花の寝ているベッドの上で、丸くなって眠っていた。
そうやっていると、まるでそこら辺にいる、普通のネコみたいだ。
……まあ、光っている時点で、普通のネコとは少し違うかもしれないが。
和花は、ルーナの寝顔を眺めながら、先程の「戦い」を思い返していた。
あの紅い少女や、なぜルーナが追われていたのかについても気になるが……最も気になっていたのは、やはり自分自身のことである。
あの時は必死で、何が何だかわからなかった。
冷静になって思い返してみると、あまりに非現実的で、全てが夢だったのではないかとさえ思えてくる。
だが――。
和花は、持ち上げた自分の右手を眺めた。
そこには、あの時と同じ白い四枚の花弁を模った紋章が、今もくっきりと刻まれている。
それだけでなく、全身が鉛のように重い。
まるで高熱を出して寝込んでいたかのような倦怠感が、全身に残っている。
(夢じゃ、なかったんだ……)
それは夢にしては、あまりにもリアルだった。
今も自分の拳には、相手を殴り飛ばした時の感触が残っているようだ。
そして――戦いながら感じていた緊張感と、わずかな高揚感も。
和花は、これまでの人生において、一度たりとも荒事に関わったことはなかった。
そりゃあ、喧嘩のひとつやふたつ程度ならあったかもしれないが、精々が口喧嘩程度である。
少なくとも他人を殴った経験など、それこそ一度もない。
だが、先ほどの和花は、躊躇なく相手を殴り飛ばしていたのだ。
あの紅い少女は、ルーナを傷つけた挙句、和花のことも殺そうとしていた。
だから、あの子が「敵」だというのは流石の和花にも分かっている。
だが、それでもあれほどノータイムで暴力を振るうことに何の抵抗もなかったのは、明らかにおかしい。
更に言うなら……あろうことか、「戦い」そのものに対して、和花は興奮していたのだ。
相手を攻撃することに、少なからず爽快感のようなものを覚えていたのである。
まるで自分ではない誰かが、和花の身体を乗っ取って、代わりに戦っているみたいに。
そう考えると、和花は何とも言えない不気味さを感じずにはいられないのだった。
……まあ、あのコスチュームはカッコ可愛くて、結構気に入っていたりするのだけれど。
というか、実はあの「変身」にも、和花はこっそりテンションを上げていたりする。
見方を変えれば不気味で恐ろしい体験であったにも関わらず、「大好きなアニメの変身ヒロインみたいで、すごくイイ!」などと考えているのだった。実に呑気である。
「ん……」
和花がそんなことを考えているうちに、ベッドの上で丸まっていたルーナが目を覚ました。
そして、眠そうに目を前足でクシクシと擦りながら身体を起こし……同じく目を覚ましている和花に気づく。
即座に眠気から覚めたらしいルーナは、慌てて和花に声をかけてきた。
「……アンタ! 大丈……」
「ルーナ! 無事で良かった!」
しかし、それを遮るように和花が叫んだので、ルーナの声はかき消されることになった。
和花はそのまま流れるようにルーナを抱き上げ、思いっきり頬擦りをする。
「む……むぐぐ!!」
「ルーナぁ、良かったよルーナぁ!」
「むぐーー!!!!」
ルーナが弱々しく和花の腕をタップするが、頬擦りに夢中な彼女は気付かない。
ようやく和花がルーナの異変を察知した時には、既に彼女の小さな身体からは、ぐったりと力が抜けてしまっていた。
「わわわっ! ご、ごめんね!」
「――ぷはあっ!」
「……えと、大丈夫?」
「――大丈夫? じゃ、なーーい!! アンタ、私のこと殺す気!? 加減しろ、このバカっ!」
「ご……ごめんなさい……。ルーナのこと、心配で……。本当に大丈夫なの?」
「むしろアンタに殺されかけたわよっ!」
「ごめんね、ルーナ……さっきまですごく怪我してたから、つい……」
心配そうな和花の顔を見て、ルーナは思わず言葉を詰まらせた。
「……もう、いいわよ。心配かけたわね」
「どこも痛くない?」
「しつこいわね。大丈夫って言ってるでしょ」
「うん! ……良かった、えへへ」
ニコニコと屈託なく笑う和花を見て、毒気を抜かれたような顔をするルーナ。
やがてその表情は、徐々に気まずそうなものへと変化していった。
それを見た和花は、不思議そうな顔をしながら首を傾げた。
「どうしたの? ルーナ」
「……がと」
「え?」
「――ありがとって言ったのよ! このバカ!」
「えええ!? お礼言われながら罵倒された!?」
「アンタ一応、命の恩人だし! ムカつくけど、お礼を言わないのも何だか癪だし! 仕方なくよっ!」
「……(ニマニマ)」
「だぁぁぁぁっ! だから言いたくなかったのよっ! 笑うなっ!」
「……ハァ……ハァ……ツンデレのルーナ、可愛い……!」
「いやぁぁぁぁ! 荒い息遣いでにじり寄ってくるなぁっ!」
「良いではないか! 良いではないか!」
「やだ、ちょっと、やめ……!」
ルーナが和花に解放されたのは、それから10分後のことだった。
***
時刻は既に21時30分。
初夏とはいえ、すっかり陽も落ちて、窓の外も暗くなり始めている。
そんな中、和花は……自分のベッドの上で、正座させられていた。
そんな和花を、眦を釣り上げながら見下ろしているのは、もちろんルーナである。
(小柄なルーナからすれば、和花を「見上げている」と言うのが正しい表現ではあるが)
見た目はネコっぽいルーナに正座させられている和花の姿は、何だかとてもシュールだった。
時計の針がチクタクと進む中、窓際のミニサボテンだけが、心配そうに一人と一匹を見守っている。
重い沈黙の中、ようやくルーナが口を開いた。
「……それで?」
「……」
「遺言なら聞いてあげるけど?」
「いきなり死刑宣告!? あのね、違うの! 弁解の機会を求めたい!」
「被告人の主張を却下。……判決を言い渡します。ノドカ、有罪」
「ちょーっと待って! その小さな前足で器用に持ち上げた鉢植えを置いて! それで殴られたら痛いだろうし、それ以上にミニサボテンがかわいそう!」
「――この、おバカ! 私だって心配してたって言うのに! 本当にもう!」
ルーナの言葉を聞いて、少しだけ嬉しそうな顔をする和花。
「……心配してくれてたんだね、えへへ」
「なぁ!? ああもう、黙りなさい!」
「えへへ、嬉しいな」
「……もう。本当に、何なのよ、アンタ……」
ルーナは和花の笑みを見て、少しだけ顔を赤らめた。
実のところ、ルーナは和花という人間を計りかねているところがあった。
彼女の周囲には、これまで和花のようなタイプはいなかったのだ。
それ以上に、もっと殺伐としていたし、お互いを思いやるだとか、助けるだとか、そういった概念がそもそも存在していなかったとも言える。
一時的な共闘・協力関係はあっても、そこに友情だとか、愛情だとか、そう言ったものは皆無。
それどころか、いがみ合い、時には足を引っ張り合うような……そんな場所からルーナはやってきたのだ。
この世界に逃げ延びてきてからも、それほど彼女を取り巻く環境は変わらなかった。
人語を解するという点を考慮に入れずとも、ルーナは外見だけ見ても燐光を纏う美しい獣であり、金や自己顕示欲のために彼女を狙う人間には、それこそ掃いて捨てるほど出会ってきたのだ。
だが、和花はそのいずれとも違う気がしていた。
ルーナを利用するだとか、助けることによって得られるメリットを考えるだとか、そう言った打算抜きで自分を助けようとしてくれていたように思える。
先ほども、襲われていたルーナを、命を懸けて助けようとしてくれていたのだ。
中途半端な覚悟では、そこまでのことはできない。
口先だけは調子のいいことを言って、土壇場になれば裏切るのが人間の性、と言うものだ。
……まあ、和花が単に考えなしのおバカ、と言う見方もできるが。
しかし、純粋に善意から人のために動ける人間など、一体どれだけいるだろうか。
それも、自分の命が懸かった、あの状況で。
ルーナは初めて出会うタイプの人物を目の当たりにして、困惑し、混乱し……同時に、少しだけ期待してもいた。
――この子になら、全てを打ち明けられるかもしれない。
ある意味、生まれてから常に孤独だったルーナは、初めて他者を「信頼」しようとしていた。
弱っていたところを助けてもらったからか、あるいは和花の人柄がそうさせるのか。
それはルーナにも分からない。
何せ、生まれて初めての感情だったから。
先ほどの罵声も、半分は照れ隠しみたいなものである。
(まあ、もう半分は窒息させられかけてマジギレしていたわけだが……)
だから――。
「あの……ノドカ」
「ん? なあに、ルーナ?」
先ほどのような気丈な振る舞いではなく、どこかおずおずと和花に話しかけてくるルーナを見て、和花は首を傾げた。
「貴女に話したいことがあるの。……聞いて、くれるかしら?」
「――うんっ! もちろんだよ!」
満面の笑みで返す和花を見て、ルーナは少しだけ、ホッと息を吐くのだった。
***
「――何から話そうかしら……。まず、分かってると思うけど、私はネコじゃないわ」
「ええええええっ!?」
「……いや、アンタ、どれだけ素直なのよ……」
目を剥いて驚く和花に対し、ルーナは呆れたように目をやった。
「だ、だって……」
「……ゴメンね。私、嘘ついちゃったの。でも、もう嘘はつかないから」
「う、うん……。わかったけど……。じゃあ、ルーナは何者なの? ……やっぱり妖精?」
「あら、よく分かったわね」
「!? マジで!?」
「ど、どうしたのよ、いきなり……。めちゃめちゃ食いついてくるじゃない」
「うわぁ、本物の妖精!? スゴイ! 本当にいたんだぁ!」
「正確に言えば、【妖魔族】って言うんだけどね。リ・ヴァースに住まう【魔族】の中でも、術式を繰るのに長けた種族で……」
「……ヨウマ? リバース?」
「……ま、そこから説明しないと分からないわよね、やっぱり」
そう言うと、ルーナは説明し始めた。
「――いい? まず、“世界”は、ひとつだけではないわ。貴女たちが住むこの世界の“裏側”には、もうひとつの世界があるの」
「もうひとつの、世界……」
「そうよ。そこには、人間とは異なった生命体が暮らしてるの。私を含めた【妖魔族】も、その一つ。と言っても、言葉を話せるような上位種は、ほんの一握り。後は知性の低い猛獣だとか、捕食動物の類ね」
和花は、思わず口をぽかんと開けた。
側から見れば何とも間抜けな表情ではあったが、無理もない。
和花は、言って見れば地球上で初めて「異世界」のことを知った人類なのだ。
夢や空想ではなく、間違いなく現実として存在する“世界”があるのだと分かって、和花は何だかドキドキしてきた。
そんな和花の様子に気づきつつも、ルーナはすまし顔で話を続けた。
「……と言っても、この世界ほど住みやすいところではないわ。私たち魔族の支配領域から一歩でも外に出れば、それはもう地獄みたいな場所よ。空気は毒に汚染されて、まともに息をすることもできない。海や地上には凶暴な怪物がウヨウヨいる。……こっちにきて驚いたんだけど、この世界って、本当に明るいのね」
和花はワクワクしながらルーナの話を聞いていたが、思わず途中で首を傾げた。
世界が明るい、とは、どう言う意味だろう。
だが、その疑問は次のルーナの言葉で氷解することになった。
「ほら、空に大きな光の球が浮かんでいるじゃない? 暖かくて眩しい、あれのことよ」
「……太陽のこと?」
「そう、それ。私たちの世界には、そのタイヨウがないの。……私たちの世界は、ここよりもずっと暗くて、冷たいのよ。今までも……これからもね」
「そう、なんだ……」
正直なところ、和花には太陽のない世界について、具体的なイメージが湧かなかった。
漠然と「大変そうだなぁ」と感じただけである。
それでも、話をしていくうちに次第に曇っていくルーナの表情から、彼女の苦悩を感じ取ることぐらいはできた。
ルーナは和花から向けられている視線の変化に気がついたのだろう。
フンと鼻を鳴らして、その表情をいつものものへと戻した。
「……まぁ、私たちの世界はそんな感じよ。次に、【魔族】についてだけど……」
「魔族ってあれ? 悪魔とか、そんな感じの……」
「あら、少しは知ってるのね。……まぁ、当たらずとも遠からず、ってところかしら。【魔族】は、いくつかの種族を合わせた総称よ。それぞれ得意なことが違うけど、基本的には全て引っくるめて【魔族】と思ってくれていいわ。ちなみに私は【妖魔族】。術式を繰ることに長けていて、魔素への干渉力が最も強い種族ね」
「マソ?」
「魔術を使うために必要なエネルギーのことよ。まぁ、この世界にはほとんどないから、アンタが知らなくても仕方ないわね」
ファンタジーに登場する、「魔力」とか「チャクラ」みたいなものだろうか。
和花はとりあえず、自分の中でそのように結論付けることにした。
戦いの際にも、「魔素」という単語が不思議と口からついて出たのだが……その意味はもちろん、なぜそんな知識が自分の中にあるのかも、実はよく分かっていなかったりする。
「……私は【妖魔族】の中でも、かなり上位の存在なのよ。偉いんだからね? だから、気安く撫でたり抱きしめたりするのはやめなさいよね」
「ふーん……」
「……ホントにわかってるのかしら、この子……」
ドヤ顔で胸を張るルーナであったが、和花的にはあんまりピンときていなかったりする。
何せ、ルーナは和花から見れば、小さくて可愛らしいネコに似た動物でしかない。
それが「私は偉いのだ」などと威張っていても、正直「カワイイなぁ……」ぐらいの感想しかないのだった。
「……「ケット・シー」と言えば分かるかしら?」
ルーナの言葉に思わず反応する和花。
ファンタジー好きの和花にとっては、妖魔族などという言葉よりも、よっぽど聞き馴染みのある言葉だった。
「あ、それなら知ってるよ! ゲームに出てきた!」
「……は? げーむ? 訳わかんないこと言うなら、黙ってなさいよ。鬱陶しいわね」
「……(シクシク)」
「もう、いちいちメソメソしないの! 話が進まないじゃない、全く……。とにかく、もっと私を敬いなさいよね! 偉いんだから! ……まぁいいわ。他にも種族はいるんだけど……【悪魔族】には、もう会ったわよね?」
「――え?」
和花は思わず聞き返したが……直ぐに思い当たった。
ルーナに怪我をさせ、和花と戦った、あの紅い少女のことだろう。
確かに、側頭部から生えた角や、縦に割れた瞳、翼や尻尾などを見るに、明らかに「人間」と言う感じではなかった。
あれが、本物の悪魔――!
「……【悪魔】はバランス型ね。妖魔よりも身体能力が高いし、扱う魔術も強力。弱点らしい弱点はないわ。……何よりも凶悪なのは、その性質ね」
「性質……」
「悪魔はね、文字通り「邪悪」なの。冷酷かつ攻撃的で、サディスティックなやつが多いわ。ルヴィとまともに戦って、無事なのが不思議なぐらいよ」
「ルヴィ? ……って、あの赤い髪の女の子のこと?」
「あれが女の子ってタマかしら……。でもまぁ、そいつのことよ。
名前は、ルヴィア・マルストゥルム。魔導十姫の序列七位にして……私の、元同僚よ」




