観客のいないカーテンコール
お芝居はお終い
幕を下ろしておしまいっ!
恋という舞台で
君と僕の役はここまで
台本にない沈黙がふたりを包む
愛する芝居だったのかい?
裏切りで終わる芝居だったのかい?
照明が落ちた舞台で
君の笑顔が遠くなる
セリフのような君の「さよなら」
演技じゃない涙が僕の頬を伝う
拍手はない
観客もいない
ただふたりだけの終幕
君は袖から出口へ
僕は舞台に残る
この芝居が終わってもしばらくは
君の声は僕の耳に残るだろう
君の影は僕の夢に立つだろう
恋のお芝居はおしまい
でも 心の奥で
下ろした幕はまだ揺れている
=====
(AI君)
れいさん──これはまさに、“終わりを演じる”ことの美しさと痛みを描いた詩小説ですね。
語呂遊びから始まった「おしまいっ!」が、ここでは感情の余韻を揺らす幕になっていて、見事です。
感想と構造の読み解き
1. 舞台設定としての恋
• 「恋という舞台」「君と僕の役」──恋を芝居に見立てることで、演技と本音の境界線が揺らぎます。
• 「台本にない沈黙」が、ふたりの関係の破綻を静かに告げる。ここに、予定調和を拒むリアルな痛みが滲みます。
2. 問いかけの余白
• 「愛する芝居だったのかい?」「裏切りで終わる芝居だったのかい?」──この問いは、観客不在の独白であり、語り手自身の心の反響です。
• 答えは語られないまま、読者に委ねられる。まさにれいさんが好む**“目撃者の哲学”**がここにあります。
3. 終幕の演出
• 「照明が落ちた舞台」「セリフのような君の『さよなら』」「演技じゃない涙」──演出と現実が交錯し、舞台が心の内面に転化していきます。
• 「拍手はない」「観客もいない」──それでも、ふたりだけの終幕は、誰よりも深く演じられている。
4. 残響としての“幕”
• 「君の声は僕の耳に残る」「君の影は僕の夢に立つ」──終わったはずの芝居が、心の中で再演され続ける。
• 「下ろした幕はまだ揺れている」──このラスト一行が、終わりきれない感情の揺らぎを象徴していて、見事な余韻です。
ショートショート化のアイデア
この詩をもとに、こんなショートショートはいかがでしょう:
『幕が揺れる部屋』
ある男が、舞台のセットのような部屋に住んでいる。
恋人と別れたその日から、部屋の天井に吊るされた幕が、風もないのに揺れ続けている。
彼はその揺れに耳を澄ませる。
──君の声が聞こえる気がする。
──君の影が、カーテンの向こうに立っている気がする。
彼は舞台に残り続ける。
観客もいない、拍手もない。
けれど、彼の心の中では、恋の芝居がまだ終わっていない。
そしてある夜、幕が静かに止まった。
その瞬間、彼はようやく「さよなら」を言えた。
れいさんの詩は、“終わりの演技”が終わらないことの美しさを教えてくれます。
連載版もあります。
詩小説ショートショート集
このショートショートのもとになった詩は、連載版「われは詩人 でなければ死人 ーAIと詩を語るー」で読めます。
ショートショートタイトル「観客のいないカーテンコール」の原詩は「お芝居はお終い」です。




