77 秋風ミンチェスティ
「トゥートゥートゥー」
さくらときなこが即席でこしらえた『カツ丼』を、エリックを含む三人で食べて一息ついた頃、とんかつさくら内に設置されている魔導ベルが着信の知らせを響かせた。現在の時刻は深夜11時前。通常であれば普段の営業時間からは遅く、この時間に魔導ベルでの予約や弁当の依頼が鳴ることはほとんどないため、三人は一瞬、不審な思いを覚えた。しかしエリックが即座にさくらときなこに向け、言葉を投げかけた。
「もしかしたら王宮からの報せかもしれません」
「なにか進展があったんでしょうか」
「そうですね、王様はすぐに会議を起こし、決断するとおっしゃっておりました。そのことかもしれません」
すぐに3人はその後に続く魔導ベルの着信パターンを聴き、解読に入った。
「トゥートゥートゥー…………」
「やはりそうですね、王宮からです。対話の準備が整ったのでしょう。向かいますか?」
「ええ、すぐに参りましょう」
さくらはその報せの内容や王宮の目的、そして彼らの思惑が何なのか、自分に対する要求などがあるだろうかと思案するよりもまず、フリーゼの容態やこれからの彼女の在り方の方が気がかりだった。自分のことは今はどうでもよかったし、王都ひいてはセンチュリオンが今どうなろうと知ったことではなかった。ただフリーゼが今どのような状況に置かれているのか、彼女の処遇はどうなるのか、そして何より、これからのフリーゼとの関わり方が、さくらときなこにとっては一番の懸念点だった。
エリックが「では行きましょう」と言い、きなこがさくらよりも先に腰を上げ、エリックの背中についていこうとするその姿を見た時、さくらの脳の内側からノックされるような、まるで釘を打つような妙なリズムの脈動が波のように押し寄せた。さくらは思わず、その息苦しく首筋まで到達した痛みに耐え切れず頭を両手で押さえた。片膝を立て、立ち上がるのにも苦労するその姿を、エリックときなこが心配そうに肩を支えた。無理に起こそうとせず、ただ身体を案じてくれた二人に、さくらは小さく礼を言った。
さくらがようやく重い身体を奮い立たせ、エリックときなこが両脇から支えながら階段を降り、火の元やランプの切り忘れなどを確認してから、3人は上着を着込み、とんかつさくらの扉に施錠をして店を後にした。
外に出ると、晩秋の乾風が三人の横顔をヒュウと撫でていった。思わず誰もがその木枯らしに瞼を閉じ、顔を背けた。上着の襟を立て、改めてメインストリートへと足を踏み出した。
煉瓦の石畳でできた一番街の道の先に、複数の魔導ランプに煌々と照らされている『ミンチェスティ大聖堂』が目の前に広がった。以前から続いていた修繕用のバリケードは外され、今はただ静かにその存在感を誇っている。左右に聳え立つ尖塔は天を穿つかのようにどこまでも高く、そして不気味なほどにこちらを睨みつけている。聖獣の角に似たその塔は、まるで龍の巣のようであった。その尖塔に挟まれる形で中心に存在する、この国の古い言い伝えにある象徴を映し出したモニュメントが施され、さらにその下には時計台があり、ちょうど11時を指し示し、内側のギミックが動き出したと同時に鐘を打ち鳴らした。
十一回の音が鳴り終わり、最後の鐘の音の余韻がまだ残っていたその時、さくらときなこ、そしてエリックに向けられた、明らかにこちらへと向けられた声が三人の耳に届いた。
「さくらちゃん」
「ハッ…………」
大聖堂の中心入り口にあるエントランスの暗闇の中からその姿は現れ、まだはっきりと映し出される姿を見る前に、三人はその声の主に心当たった。
「フリーゼ様……!」
センチュリオンの第一王女にして、機密組織SSSの一番隊長であるフリーゼマジカルスウォーデン・センチュリオンがそこにはいた。普段店に来る時の黒の衣装ではなく、先程父猫と対峙した時のような戦闘装束でもない、そこには王女然とした、美しくも儚く彩られるダークシルバーの軽甲冑を纏っていた。さくらはもう動いて平気なのだろうかと心配するよりも、すぐに治癒されたとはいえあれほどの致命傷を負い、そしてエリックが王宮の世話役にその後のケアを頼んだはずだった彼女が、今こうして外を出歩いていることに疑念を抱かざるを得なかった。
「姫様、まだ動いてはなりません」
「ふふ、エリック、手間をとらせてすまなかったな。そしてさくらちゃん、きなこ様、先程は申し訳なかった。私の不手際で随分迷惑をかけてしまった。この通りだ」
フリーゼはそう言うと腰から上の体を前に曲げ、三人に詫びるような態度をとった。そうは言ってもフリーゼの表情は普段の調子にも見え、詫びる殊勝なその姿も、誰が見ても叱られた子供が自分の働いた悪事や落ち度を素直に謝罪しているかのように見える。
しかし
エリックの目にも、きなこの目にも、そして誰よりもお人好しであり誰も彼も疑うことのない性格のさくらの目にも、そのフリーゼの態度には疑問符を浮かべるしかなかった。
違う。彼女の言葉は不自然だ。
さくらはそう思った。
三人は自然とやや頭を下げて眉間に力が入った。そしてすぐに身構えるようにやや腰を落とす。エリックは不慣れな手つきで魔導ハンドガンに手をかけ、きなこは小さくオーラを放ち四つ足で大地を踏んだ。そしてそんな二人を横に携え、さくらはフリーゼに近づくように一歩前に出た。
「さくらさん、お待ちください」
エリックは構えた右手の魔導ハンドガンを一旦上に向け、左手でさくらの前進する身体の前に手をかざした。きなこも少しオーラを弱め、さくらのスカートの裾を掴んだ。
「さくら、まだだにゃ」
「うん。わかってる」
三人はたった一言ずつ言葉を交わした。それだけで意思は互いに通じ合ったようだった。
そしてフリーゼはゆっくりと上半身を起こしていき、サイドに結んだ美しい白銀の髪はまだ垂れ下がったままに、ようやくフリーゼの顔が三人の前に現れる頃、さくらの鼻先にチラリと小さな花びらのような冷たい何かが舞い降りた。
「…………雪…………?」
さくらは一瞬、その目の前に降った冷たい物体に意識を奪われた。さくらの視界は急激な速度で近距離にフォーカスされ、遠くに映るもの全てがぼやけていった。
その瞬間
猛吹雪が吹き荒れたと同時に、二本の刃が鈍い光と共にさくらの目の前の空を切り裂いた。きなこのとっさの体当たりが間に合っていなければ、今頃さくらの顔面は真っ二つだっただろう。
「エリック!」
きなこはエリックの名を叫び、それに対しエリックもきなこの思惑を無言のままにすぐ察知した。きなこに体当たりされたさくらのグラついた華奢な身体を片手で受け止め、回転させるようにしてその体当たりの勢いを殺した。エリックはそのまま腰を落とし、さくらの身体を両腕で受け止めた。さくらは思わず苦悶の表情で両手で顔を覆ったが、どうやら事なきを得たようだった。
「さくらさん、ご無事ですか」
「……は、はい……!大丈夫です、ありがとう」
少し擦り傷を負い、動転しているさくらをエリックは強く抱きしめ、ほんの一秒、その無事を噛み締めた。
「フリーゼ、どこだ!」
きなこはすぐに辺りを見渡し、隼のように飛翔したフリーゼの姿を目で追いながら、自身の身体を巨大化させ始めた。しかしフリーゼの姿はどこにも見当たらず、その隙を見たきなこはエリックとさくらの元へと一歩下がった。
「さくら、お前は足手纏いだ。頼むからエリックと共に下がっていてくれ」
きなこがそう言うや否や、始まっていた巨大化はついに最大値まで完了した。先ほどよりも強いオーラを放ちながら姿を変えていき、そのきなこの表情は、これまで見たことのないような鬼の形相へと変貌していた。
「きなこ…………お願い、命だけは助けてあげて……」
「…………わかっておる」
ほんの少し躊躇いがちに返事をしたきなこは、さくらを横目で見たが、さくらの心から願うような眼差しは、きなこの視界には入っていないようだった。まるで自信などこれっぽっちも感じられないほどの、空虚な声だった。
そしてそのやり取りの隙を突き、フリーゼによる闇からの攻撃が次いだ。数本の苦無が、さくらを後ろに庇うきなこを襲った。きなこはすぐにオーラを展開し、鋼鉄の苦無は弾かれて派手な金属音を鳴らしながら石畳の道に転がった。
「フリーゼ!なにゆえさくらの命を狙う!」
きなこは叫んだ。その声は静まり返った深夜のミンチェスティ大聖堂広場に響き渡った。その時、噴水の水飛沫が止まった。静寂の中にたった一つの騒めきだった水の音が止み、その後カツンと乾いた革靴の音が一つ、二つとこちらへ向かうように響いてきた。
「いや……フリーゼの精神を操りし卑劣な影の者」
「ははは」
きなこの熱い怒気を含んだ低い声が牙を剥いた。そしてそれを意に介さず、まるで飛んでいる蚊を散らすような鬱陶しい表情で、その者は輝く月光の下へと現れた。




