75 不器用な決意
ミンチェスティの街路樹が美しく色づく季節、歩くたびに心地よい音で楽しませてくれる色とりどりの枯れ葉が道に折り重なり、風が吹くたびに葉は流れ、また新たな葉がそこへ舞い降りる。
まるで我々刑事のように、毎日事件が起きては消え、また発生し、その都度解決に向けて奔走しては、再び次の事件が起きる。そんな浮世の人間模様を映し出しているかのようだった。
近頃は特に冷え込みが厳しくなり、警視庁の建つ王都メインストリートに、各省庁が林立する建物の隙間から吹き抜ける激しい木枯らしが不意に身に染みた。
私といえば、近頃は王家とのやり取りも少なくなっており、せいぜい前王ライテスイーボーン・センチュリオンとの会食という名の晩酌に付き合う程度になっていた。それというのも、例の彼女たちは件の監視対象から外れ、私と前王の会食で顔を合わせるくらいの機会に限られていたからだ。
あの『樽爆弾』騒ぎから一転、彼女に負担が及ばぬようにとの前王の計らいにより、彼女はほぼ制約のない立場となっていた。
私も私で、上司である『シド・トゥルーガー警部』へいくつかの提案をしていた。一つは、できる限り彼女を私の庇護下に置くこと。二つ目は、前王の見込みから大きく外れぬよう細心の注意を怠らないこと。三つ目は、いずれ彼女が研究対象となったとき、私がその後見人となること、といったところだ。
これだけを並べれば、何かを疑われても致し方ないとは思う。実際、私が彼女に『惹かれている』事実は否めないし、彼女に危害が及ぶことはもとより、変な輩がつかぬようにしたいとは考えている。
それが恋心であるのか、私には判然としない。何しろこのような経験がなかった。あるいは過去にあったのかもしれないが、よほど意識して思い出そうとしない限り、相手の顔すら浮かんでこなかった。
しかし、やはり以前の感情とは違う気がする。彼女に対して抱く安心するような、温かく包み込まれるような、すべてを許してくれそうな感覚。
そして、たとえばこちらがどれほど憤っていても最後には頭を撫でて懐柔されてしまうような、そんな穏やかな空気が彼女にはあった。手垢の付いた表現だが、彼女には不思議な魅力が満ちていた。
今、私は通常の勤務に戻りつつある。彼女への接近に関する私の提案は、残念ながら上司のシド警部には受け入れられなかった。どうやら、機密組織『SSS』が再び不穏な動きを見せていることが関係しているらしい。もともと彼女への接近は、私が配属されて二年目の春に命じられたもので、それはSSSからの依頼と王家の思惑が合致した結果でもあった。
それ以来、私は彼女との関わりを持つようになったのだが、ここへ来てあえなくお役御免となったのだ。理由は、SSSが新たな任務に移行したためだという。
SSSのナンバーツーであり実権を握っている『コードネーム:CL【鴉】』から、強制的な命令が下されたとのことだった。どうにもきな臭いとは感じていたが、その者が何かを掴んだらしい。
そして、SSSの一番隊長『コードネーム:FMS【吹雪】』に異変が生じたようだ。その情報を、私は第二会議室の外で聞き耳を立てて知ることとなった。これといった特殊能力を持たぬ平凡な私の、唯一の技能である『察知能力』が、その内容を辛うじて掬い取ったのだ。
室内では警部と王家の一部、そしてSSS幹部による会合が行われているようだった。内容を把握した私はすぐさま駆け出した。
行き先は、いつもの馴染みの店だ。走りながら思考を巡らせる。何かが起きている。そして、彼女の身に危険が及ぶかもしれない。そう直感した私は、警部の忠告すら無視して彼女の元へと急いだ。
以前から彼女は、王家とSSSによる監視と保護、そして囲い込みの対象となっていた。その役割の一部を私が担っていたが、役目を終えたことで公的な繋がりは断たれた。
しかし、私は彼女から『頼られる』という信頼に値する関係を築いていたため、形を変えながらも交流は続いていた。
大抵の出来事は、彼女の独特な発想や発明が中心で、それは常に彼女の商売に関することばかりであったが、時に意図せぬ形で利用されることも増えていた。
そしてついに、SSSが本格的に彼女を利権として食い物にしようと動き出したのだから、もはや見過ごせる事態ではない。
折に触れて違和感は覚えていた。彼女の特殊能力だけでなく、それを都合よく利用せんとする動きだ。
特に『コードネーム:CL【鴉】』から発せられる『ヒュー』という呼吸器疾患特有の音が、彼女の周辺で度々察知されることがあり、執拗に監視されている形跡は幾つもあった。
が、しかし、私一人が目を光らせていても、限界はあるのだ。
懸念を抱えながらいつもの店に到着したが、遅かった。店はもぬけの殻であった。引き戸を開けようとしたが、鍵はかかったままだ。照明が点いている様子もなく、あの二人の物音や気配も一切しない。
私は思わず舌打ちし、地面を強く蹴った。しまった、迂闊だった。こんなことになるなら、上の命令など初めから無視すればよかった。件の者に拉致されたのか。
だが、争ったような物々しい跡はなく、家屋も荒らされた様子はない。一瞬の安堵を覚え、心を落ち着かせようと、普段は滅多に吸わない煙草を口にした。
このような時に悔やんでいても始まらない。私は即座に彼女の居場所を特定しようと動くと同時に、上官への『辞表』をしたためた。警部補という立場だけでなく、刑事としての職務そのものを辞すること。それは私の人生における初めての大きな決断だった。これで私の行動を縛る制約は消えた。
安直な決断だろうか。いや、決して場当たり的なものではない。この事態に、なりふり構っている余裕などなかった。私はすぐさま当庁して辞表を差し出し、次なる行動へと移った。
街の探偵であり、かつてシド警部の上司でもあった当時の警部が営む『ノベル探偵事務所』に依頼し、情報を求めた。
流石は私の尊敬する元警部だ、たった数時間で情報を探り出してみせた。彼女は今日の夕方にブルーウッド郊外の丘にある森林へ向かったという。
私は事務所を飛び出し、その丘へと向かった。深夜にもかかわらず対応してくれたノベル元警部には、後日何かしらの特別報酬を届けたい。酒と煙草と缶詰しか好まず、偏った嗜好を持つ人物なので、贈り物に悩む必要がないのは幸いだった。
辿り着いた『丘の森』には、複数の影があった。お馴染みの彼女と付き添いの魔獣。そしてその両親だろうか、いつもの魔獣よりも巨大な猫型魔獣の姿があった。
そして私を驚愕させたのは、他でもない。そこにいたのは私のよく知る王家の最重要人物であり、一時期私が勉強を教えていた、猫のような獣に目がない人物。
すなわちSSSの一番隊長、『コードネーム:FMS【吹雪】』であった。私が到着した時には既に事態は収束していたようで、皆が一様に、いや三者三様の複雑な表情を浮かべていた。
当の彼女は私の顔を見るなり驚いたようだったが、察しの良い彼女のことだ、私がここへ来た理由をすぐに見抜いたようだった。
『コードネーム:FMS【吹雪】』は負傷しており、やり取りも深刻なものであったことは、その表情から十分に汲み取れた。
私は彼女たちに駆け寄り、まずは『コードネーム:FMS【吹雪】』の容態を確認した。店主の彼女の説明によれば、混乱はしているが命に別状はないとのことだ。
それよりも、言伝を頼みたいという。彼女から王家に対する、一つの提案であった。内容を託された私は、すぐさま『コードネーム:FMS【吹雪】』を抱え、王都ミンチェスティへと戻り王宮を目指した。
王宮に到着し、まずは『コードネーム:FMS【吹雪】』を世話役に引き渡し、安静にするよう手配した。その後、私は国王パルデスブレイディオ・センチュリオンと謁見し、店主である彼女から預かった言葉を、恐れながらも上申した。
パルデス国王は意外にもそれを快諾し、直ちに会議を開くと言い出した。私は会議には加わらず、彼女をこの場へ連れてくる任務を帯び、あの丘の森から店へ戻ると言っていた彼女の元へと再び足早に向かった。
この時の役目が、その後のセンチュリオンの未来を決定づけるものになるとは、確信には至っていなかった。しかし、これこそが私にとって最重要の課題であった。
彼女のために、私は走り続けた。既に辞表は受理され、私はもう刑事ではないのかもしれない。しかし、これが刑事としての最後の仕事であるならば、完遂しなければならない。
国家のためなどではなく、私自身のため、そして彼女たちの未来のために、私は走り続けた。
店に戻っていた彼女に、預かった言葉は正確に伝えたと報告した。彼女は安堵の色を見せたが、すぐに不安げな表情を浮かべた。すべてを聞かずとも、私は大方のことを察知できる。彼女のことなら、今は何でも感じ取れる気がした。
「さくらさん、一つ大切なお話があります」
「はい、何でしょうか」
「私は、あなたを完璧に守ってあげることはできないかもしれません。ですが、きっと良い方向へ導くことはできると信じています。訳がわからないでしょうし、私自身もまだ整理がついていません。しかし、あなたのなすべきこと、そして向き合うべきこと、それらを私に預けてはもらえませんか。そして私と同じ道を歩んでいただけないでしょうか。きっと、私はあなたと……何と言いますか、穏やかな日々を過ごせる気がするんです。勝手な言い分で申し訳ありません」
「うふふ、急にどうしたのですか。でも分かりますよ、エリックさん。あなたは私の信頼できる方ですもの。どうか、よろしくお願いしますわね」
私は彼女の手を取り、祈りを捧げた。それは紛れもなく、真実の誓いであった。




