父猫との対話5:慟哭の果てに
さくらはフリーゼに近づいて、掠れるような声で問いかけた。
「あなたも運命に翻弄されていたんでしょう。王女として生まれ、いずれなる一国の為政者として、そして自らの手を汚してまで復讐の連鎖を選んだ悲しき愛国者として。あなたはそれを望んだ。でももうそれも決して長くは続かないと分かっていた。諦めていた。でも抜け出せずにいた本当の理由はそこではなく、本当はあなた自身が選びたかった。でも選べなかった。そうなんですよね?」
さくらの言葉に対し、フリーゼは改めてさくらに向き直り、静かに頷いた。
「ああ、まさにその通りだ。私の身体にツルを巻いた時に気づいたのだな」
フリーゼはそう言うと、黒い装束の胸の辺りをビリッとおもむろに破き、心臓のあたりを開いてさくらときなこに見せつけた。二人は一瞬眉をひそめた。さくらは顔を背け、思わず瞼を伏せた。それでもきなこは目を細め、まじまじとその『紋様』を見つめ続けた。
「私の身体には『魔導』が埋め込まれている。これで私の自由は奪われているのだ。これだけではないんだ。我が夫となるものは、さらに醜いものを見ることになるのだろう。私はいくら自分で選ぼうにも、この魔導が働き続ける限り、その運命からはもう抜け出せないのだ」
さくらはいままでのフリーゼの言動を思い起こしていた。初めて会った当初からのこと、店以外での服装や、いつもどういった用事があるのか聞いてもすぐに別の話題へと流されることなど、フリーゼがどこか空々しい態度をとることもあった。
「私はもうこの手を汚したくない。すでに何人もの敵をこの手にかけておいて、今更何を虫のいい話を言っているのだと思うが、つくづく私は気づくのが遅すぎた。いつからかは気づいていたんだ。だが、その思考にいつも待ったをかけられたのだ。その度にまた復讐の念へと切り替えられた。しかし、もうこんなことは無意味なことなんだと、このところはそう思えるようになった。もう何をしたっておばあさまは帰って来ないんだと。それどころか私が復讐に燃えれば燃えるほど、敵国もまた復讐に燃えるのだと。お祖父様も言っていた。『あやつにもし会えるのだとして、自分は会わす顔はあるのか』と。もうこの果てなき運命から逃れたい。私はもう何もかもやめて捨て去ってしまいたい」
フリーゼの、王女たる面影はすでに消えていた。幼いながらに人を殺め続け、そしてまたその応酬が続き、さらにまた人を手にかける。それが当たり前の報復なのだとコントロールされ続けてきた王女という立場に、どれほどの価値があるのだろうか。フリーゼは口惜しそうに悔し涙を流しつづけた。
「しかし私は自我を保てる瞬間がいくつかあった。その時に何度も自分を立て直そうと試みていた。何度か上手くいきそうな時もあったが、やはり葛藤はあったのだ。お婆様を殺した敵が憎い。全員叩っ斬ってやりたい。そんな思いとは裏腹に、リロちゃんやミーシャくん、あの男子学生たちを見ていると普通の娘になってみたい。そう思う苦悩から、自分を再構築する術を探し続けていた。しかし上手くいかなかったのだ」
フリーゼはそうして言い終えると、精魂尽き果てたのか、手を横につき、体をがくりとさせた。そんなフリーゼをさくらは優しく見つめ、開いた胸元をそっと閉じてやった。そしてフリーゼに語りかけた。
「変えたい。そんな思いは伝わってきていましたよ。私のところで働いている間は危ういそぶり一切みせませんでしたよね。その時だけは自分が自分らしくいられたんじゃないんですか?」
「そうだと思う。私はさくらちゃんのそばにいる時だけは、なぜか安心できた。もっとそばにいたいと思った。たくさんの教えを乞いたいと思った。あなたの話す言葉ひとつひとつを、愛らしいその姿を、いちいち目に耳に、焼き付けていた。しかしその謎がようやく解けた。あなたはもともと、『おばあちゃん』だったのだな」
フリーゼはさくらの問いに対し、真剣な眼差しをむけながらまっすぐに言葉をぶつけた。さくらのその姿にかつての幻影を重ねたのだ。
「私は前の記憶以外はありません。でも私が一番好きだった『咲良』、そして決して失ってはならないと思っていた『静川咲良』は今ここにいます。今もこうしてこの世界で『さくら』として生きています。他の誰でもありません。フリーゼ様からの慈しみはどこか感じていました。立場を超えた愛情や友達としての思い以上のなにかを。もっと気にかけてあげればよかったですね」
さくらは「ごめんなさい」と言ってフリーゼの頭を撫でてやった。フリーゼは首を振り、そのさくらの手をとった。
「私は王女なのだ。そう容易く人に甘えるわけにはいかない」
フリーゼはそのさくらの手をぎゅっと握りしめた。
「ふふ、そういうことも含めてもっと頼ってくれて良かったんですよ?あの店では私の方が偉いんです。店主さんなんですから」
さくらはフリーゼの手を温めてやった。
「そうだな。私は従業員なのだからな」
二人は笑顔をかわした。それはまるで悠久の刻を経て、ようやく再会した家族のようだった。
「きなこ様」
ほんの少しだけ心の安静を取り戻したフリーゼは、きなこに向き合った。
「なんにゃ」
「きなこ様は全てわかっておられたのですか」
「我は神聖なる魔獣である、といっても誰も信じてくれなかったにゃ。けどそれはそれでまあ都合がいい部分もあったにゃ。さくらは全部わかっていたんだと思うんにゃけど、決してボクからは伝えることはなかったにゃ。さくらの判断と解釈に任せていたにゃ。ただ、確信を得たのはさっきだったみたいにゃけどにゃ」
きなこはそういって腕を組んだ。あくまで魔獣であることを強調した。きなこはまた言葉を続けた。
「ただ、さくらの『魂の分身』であることはボクも半信半疑だったにゃ。今でもそれは思うにゃ。ただいつも思っていたにゃ。さくらにはボクが必要で、ボクにはさくらが必要にゃ」
きなこはさくらを見つめた。
「私も難しいことはわからないし、もう色々と面倒なことは考えたくもないけど」
さくらはそんなきなこの見つめる眼差しを笑顔で受け止めながら、きなこを抱き上げた。
「私にはこの子が必要だし、もう手放す気もないよ」
さくらは目を閉じて、柔らかにきなこに頬擦りした。きなこはされるがまま、さくらのその愛情を静かにうけとるのだった。
「さくら」
それまで一歩離れた場所で静観していた父猫が口を開いた。それに続く言葉はなかったが、さくらは父猫から発せられた強き眼差しから、何を言いたいのかをある程度は読み取れた。
そしてさくらは一度は瞼を伏せたが、すぐに瞳を明るくさせ、父猫に応える。
「私は見守るしかないかな。始まってしまったものはもう止められないし、私がいまさらどうこうしようとどうにかなるものではないと思う。無責任な気もするけど……」
さくらはそこまでいって言葉が続かなかった。『無責任』それは本当にそうなのか自問自答していた。
「さくらがこの世の理を司ることはできぬ」
父猫はさくらの気持ちを庇うようにそう言った。そしてまた続けた。
「そして我にできることは魂を還すこと。『魂送』という。未練や残した悔いがある者の魂は彷徨い続け、現世と冥土の狭間に『生き残る』ことになる」
「私のように……か」
さくらは無念を感じつつも、それで良かったのかもしれないと心に思う。
「さくらの場合」
父猫は瞼を閉じ、トーンを落として続けた。
「冥土にはいけぬ」
フリーゼ、きなこ、母猫はハッとした。
「そんな……!まさか!それではただの生殺しではないか!人間というのは一思いに死ねるものではないのか!」
フリーゼは思い余って激昂した。そんなことがあるはずがない、それはもはや生ける屍ではないか、と。
さくらは目をひそめ、唇を噛み締めていた。
「さくらが今自身でできることは何もない。ただただ、輪廻を繰り返すのみ」
冷徹に聞こえたのだろうか、母猫はそう語る父猫の横顔を睨んだ。フリーゼは今にも父猫に再び斬りかかろうとしそうな勢いをみせていた。
「さくらはわかっているようだが」
さくらは頷いた。静かに目を閉じ、しかしかぶりを振った。
「そんなことわからない」
さくらは目をあけ、空を見上げた。
「私にとってはこの魂すら尊い命だと思ってるよ。何度繰り返したって、何度同じ過ちを繰り返したって、私は私でいたい。こうして生きていられるだけでもありがたいよ」
さくらはにっと笑ってフリーゼに振り返った。そんなさくらをみたフリーゼの心は喜びと悲しみが交互に混じり合った。
「ボクは」
きなこが間に入って話を割った。
「ボクはどうなるにゃ」
父に対し、初めて意見するような目つきと言葉を発したきなこだった。
「おまえはキャット・シーとして生きるのみ。さくらの死後はこの地でその天命を全うするのだ」
「そんなのいやにゃ」
「なんだと」
「ボクはさくらと共に生きるにゃ。そしてさくらと共に死ぬ。ボクにもそのくらいの能力はあるはずにゃ。何ができるかわからにゃいけど、さくらと一緒にいられるようにボクはこの命を捧げるにゃ」
そう言って胸を叩くきなこの姿に父猫はそれ以上言葉を続けず、母猫は目を潤ませ、フリーゼは目を細めて口元を緩ませた。
そして少しの間があって、さくらは父猫に向き合った。
「戦争は止められるかな」
「さくらもわかっているだろうが、動き出したものは止まらぬ。そこの姫が引き起こしている事象に対し、さくらの影響はそれに付随するもの。要するにさくらがいなければ、事はこれ以上甚大にはならん」
父猫はあえてそう抽象的に言ったのか、いまひとつピンとは来ていないさくらとフリーゼだった。しかしそれでもなにか察したのか、さくらは拳をぐっと握りしめてこう言った。
「わかった。もしこれから私がこのセンチュリオンを去れば、これ以上は開発は進まないかもしれないってこと?」
「さくらの与えるもの、それはただの『衝動』に過ぎん。最終的に『地球の大戦』の最後のようになりたくなければ、その衝動を与えなければいいだけのこと」
父猫は淡々とそう言った。さくらから好き好んで聞いていた地球の歴史。主に近代について。その中で出てきた大きな戦争は、父猫にとっても印象深いものであったようだ。
「いや待ってくれ」
フリーゼが何かに勘付いたようで、目を見開いてそう言った。
「それではさくらちゃんがこの国からいなくなればいいってことか。その存在が無かったことにすることはできなくても、今からさくらちゃんが遠くに行って仕舞えば今以上に事を進めたり大きくしなくて済むってことか?そんなことはさせない!いやだ!私はさくらちゃんと離れたくない!」
フリーゼはまるで駄々っ子のように首を振り、目の前にある事実を認めず、現実から目を背けるように目を閉じた。それはかつて子供の頃の幻影を、さくらに重ねるかのように。
さくらはもうそれ以上、フリーゼにかける言葉はみつからなかった。悲しみにくれるフリーゼを見つめ、そのフリーゼにとってようやく見つけた一つの希望であるさくらが、すぐそばにあると思っていたものがなくなってしまうという切ない思いは、さくらには痛いほどよくわかるものだった。そんなフリーゼを眼下におき、自分は今何をすべきなのか、何を決断すべきなのか、わからずにただ佇むさくらときなこだった。




