56 天然要害への道
ある月曜日のとんかつさくら、定休日前日のディナータイム、エリックとライテスが店を訪れた時のことだった。
「私のウイスキーの大量注文ですか?」
「ええ、ライテス様のご友人で、ぜひ飲んでみたいという方がおられまして」
エリックはライテスの付き添いとして、店の二階でこっそりとさくらと交渉していた。
「さくらさんや、申し訳ないが少し樽を分けてくれんかの?」
「それは構いませんけど……その方はお店に来てくださるわけにはいかないんですか?」
「そいつはな、ここ最近足を悪くしてしまっての。思い通りに歩けんのじゃよ」
ライテスは相変わらずエールをゴキュゴキュと飲み、きなこの揚げた料理をサクサクと平らげている。
「なるほど、それは大変ですね。いいですよ、最近は多めに仕込んでいますので、二つくらいなら営業に差し支えありません」
「それは助かる。奴も喜ぶじゃろうて」
さくらのウイスキー需要は以前にも増していた。来店客だけでなく、最近はバレットが手配した鉄鋼商会のガラス職人に専用の瓶を作らせている。その瓶に『さくらウイスキー』の銘を入れ、店頭販売まで始めていた。
「ありがとうございます、さくらさん。では早速いただいていってもよろしいですか?」
エリックはすぐにでも運び出し、その友人の元へ届けるという。
「いいですけど、どこまで行くんですか?」
「グラン・パレスじゃよ。ここからは結構遠いでの」
ライテスは身振り手振りで地図を描くように、目的地までの道のりを説明した。
「そうなんですか。グラン・パレスかぁ、行ったことないです」
「さくらさんは、ちょっと興味があるかもしれんぞ?」
「えっ、たとえばどういうことですか?」
「珍しい植物がたくさん自生しとるんじゃ」
「行きます行きます! 明日はお店がお休みですので、ご一緒します」
「ほほほ、やっぱりそうじゃろ」
ライテスはさくらと旅がしたいだけのようだが、さくらの目には探究心の炎が宿り、期待に体が震えていた。彼女は一階に降りてきなこに予定を伝えると、すぐに座敷へ戻ってきた。
「ただ、道が険しいでの」
「もしかして、馬車が通れないとか?」
「ようわかるのう。途中からは荷車で運ぶことになるんじゃが、ええかの?」
「大丈夫ですよ。こう見えても力は結構ありますので!」
さくらは袖をまくり上腕二頭筋にぐっと力を込めるが、それほど力こぶは出なかった。
「さくらさん、大丈夫ですよ。ジェイムズさんにも同行してもらいますから」
エリックはその力こぶは必要ないと優しく制した。
「随分大勢になりますね」
「ええ、過酷な道のりですので。念には念を入れましょう」
どんな道なのだろう、とさくらは想像する。
「私も行きたいのです」
階段からリゼロッテが顔を覗かせて、少し恨み節の混じった声で言った。
「リロちゃんは明日学校でしょう?」
「むぅ……ぜひ皆さんとご一緒したかったのです……」
残念そうに頭を垂れ、トストスと階段を降りていくリゼロッテだった。
「私は同行するぞ」
同じ座敷で他の客の対応をしていたフリーゼが、腰に手を当てながら言った。
「ずるいのです!」
それを聞いたリゼロッテがまた階段から顔を覗かせる。
「リロちゃん、それは私も経験したのだ。今回は私の番である」
以前ドア・フィールドの漁場に行けなかったフリーゼは、仕返しだと言わんばかりの様子だ。
「ああぁあぁあああぁ……はぁあぁああ!!」
リゼロッテは大袈裟に泣き真似をしながら、またトストスと階段を降りていった。
「かわいそうだけど……学業は優先してほしいな」
大事なものは何かを諭すように、さくらは小声でリゼロッテの背中に言葉を投げかけた。
「では明朝五時にこちらへ伺います。よろしいですか?」
少し時間感覚に不具合が起きているエリックだったが、さくらに異存はなかった。その後は詳細を打ち合わせ、約束を取り付けた。この日、ライテスは心ゆくまで飲み食いし、一日は終わりを告げた。
「おはようございます、さくらさん。きなこさん……は、まだ眠っているようですね」
「おはようございます、エリックさん。うふふ、そうなんです」
「ちゅるるるるる…………」
早朝に訪れたエリックに呼ばれ、店の前に出てきたさくらは、スヤスヤと眠るきなこを抱きかかえていた。
「さあさあ、では出発しようかの」
朝早いのはお手の物なのか、ライテスは元気よく声を上げ、皆で馬車に乗り込んだ。
今日のメンバーは、さくらときなこ、ライテスにエリック、フリーゼとジェイムズ。それに魔導科学教育長のロベルト、そしてなぜかバレットも帯同していた。
「バレットさんはどうして来られたんですか?」
「おう、この酒を安易に手に入れさせるわけにはいかねえからな。どんな奴か拝ませてもらうぜ」
「ええと……ライテス様のご友人なんですけど」
さくらはライテスとバレットの関係性をいまだ推し量れずにいたが、バレットの言い分も理解できた。実際、酒を造っているのはさくらだが、その成分解明に挑んでいるのはバレット、ジェイムズ、ロベルトの三人がメインなのだ。正体不明のこの酒を、タダで渡すわけにはいかないらしい。
センチュリオン北部、王都ミンチェスティの北西側に位置する「グラン・パレス」は、この国において今、最も緊迫した防衛の要となっている。隣接するベルガード王国のみならず、北方の大国やその間に横たわる暫定紛争地域を睨むこの地は、まさに国を守る盾そのものであった。
地形は険しく、未開拓の岩石地帯や深い山林がどこまでも続く自然豊かな土地だが、盆地特有の気候がその表情を複雑にしている。普段は穏やかな風が吹くものの、春の終わりから初夏にかけては、山々に囲まれた地形に熱が籠もり、肌を刺すような暑さが訪れるのだ。
王都から馬車に揺られ、街道を進むと、やがて活気ある馬車駅が見えてくる。そのほど近くに、国防の未来を担う若者たちが集う「グラン・パレス防衛大付属高校」が、威容を誇るように建っていた。
「しかし本当に道が悪いのう」
グラン・パレスに入り、ライテスの友人宅への道のりを、今は馬車で進んでいる。ガタガタと揺れる悪路をどうにか進み続けていた。
「なぜ舗装しないのですか?」
当然の疑問が湧く。
「うむ。ここは重要な防衛拠点なんじゃ。まあ、そのあたりはおいおい話すことにするわい。そろそろ馬車から降りて荷車で移動するぞい」
ライテスの言葉通り、ほどなくして馬車は馬車駅に停まった。
ここからは、さくらとフリーゼで一台、ジェイムズが一人で一台、エリックとロベルトでもう一台、合計三台の荷車を引く。二台には酒の入った樽を一つずつ載せ、最後の一台にはたくさんの荷物、そしてライテスとバレットが乗り込んだ。
「ボクも後ろから押すにゃ」
「ありがとね。でもフリーゼ様がぐいぐい引いてくれてるよ」
「うむ。こんな力仕事は私に任せておけ!」
フリーゼが先導し、駅から友人宅まで一路歩み続ける。
「ふう……それにしても暑いねえ」
「そろそろ季節も夏だにゃあ」
道なき道を進み続け、三十分ほど経っただろうか。切り立った山や森林の道なき道、少々険しい道のりになってきた。
「おーい、そろそろ休憩しようぜ」
ジェイムズの声で皆が荷車を止め、木陰に入る。さくらが取り出した大きい弁当箱には大量のおむすびと、さらに大きな水筒を取り出し、煮出して冷やしておいた麦茶を分け合って飲んだ。
「はい、エリックさん」
「ありがとうございます。おや、なぜこの茶はこんなに冷たいのですか?」
「えへへ、少し工夫した水筒を作ったんです。氷がまだ残っていますよね」
以前アオとカナタに頼んで、魔導の力を注ぎ込んでもらった保冷付きの水筒だった。
「ひー、こりゃうめえ!」
「まったく、この娘はいろんなもんを注文しやがる」
ジェイムズは一気に飲み干し、今は酒が飲めないバレットも、この暑さの中での冷たい麦茶には格別な様子だった。塩気の強いおむすびは、皆のミネラル源となり、この後の道のりのエネルギーとなった。
「私は水を汲み直してくるぞ」
そう言ってフリーゼが駆け出した。彼女は疾風のように山の上まで往復し、水を満たして戻ってきた。
「ありがとうございます、フリーゼ様。それではまた出発しましょうか」
一休みを終え、一行は再び歩き出した。
「にゃんだか変な匂いがするにゃね」
「うん、これはあれだね」
「うん、あれだにゃ」
「あれとは何だ?」
前を引くフリーゼが、後ろで話すさくらときなこの会話に首を傾げる。
「フリーゼ様、もしかしたらこの辺り一帯、『お宝』が眠っているかもしれませんよ?」
ちょうど切り立った山の尾根を歩いており、その下には煙の湧き上がる岩石地帯が広がっていた。
「なに!? お宝だと!」
さくらが思わせぶりなことを言ったため、フリーゼは思わず身体を揺らし、体勢を崩してしまった。
「うわわっ」
「にゃにゃにゃ」
フリーゼの揺らぎがそのまま荷車に伝わり、後ろの二人もバランスを崩してしまう。
「いかん。さくらちゃん、きなこ様!」
フリーゼが咄嗟に二人を庇い、なんとか持ち堪えたため二人は無事だった。しかし、運んでいた大切なウイスキーの樽が荷台から転がり落ちてしまう。樽はコロコロと斜面を転がり、煙がモクモクと湧き出る岩石地帯へと向かっていった。
「ああああ、お酒が!」
「にゃにゃああああ!」
さくらときなこが転がる酒樽に手を伸ばしたその瞬間
『ピカーン』




