26 家族愛
その日の営業中、少しだけ上の空だったきなこは、改めて再会した同じキャット・シーの末裔──『レオニウス・バーンスタイン』を前に、やはりどこか緊張した面持ちだった。
「おねえちゃん、まだ落ち着かないみたいだね」
「そ、それはそうだにゃ……やっぱり、同じ兄弟とはいまだに思えないにゃ」
つい本音を漏らしてしまったきなこ。しかしレオニウスはそういった反応も想定していたのだろう、特に動揺する様子はなかった。
営業終了後の『とんかつ さくら』にいるのは、さくらときなこ、そしてレオニウスの三人だけだった。いつもの仕事終わりにエールで乾杯するのを楽しみにしていたリゼロッテは、ほんの少し寂しげではあったが、兄弟の水入らずの席に加わるほど図々しい性格ではなかった。
「ふふ、でもあのこねこちゃんたちがねぇ……立派になったんだねぇ」
どこか遠い目の表情を浮かべるさくら。あの猫家族と過ごした日々を思い返しているのだろうか、胸にしみるものがあるのだろう。つい、地球にいた頃の“祖母”のような気持ちにひたってしまう。
「さくらさんは僕たちに、いろんなことを教えてくれましたね」
「私は私で、一生懸命生きていただけだよ。親猫さんたちのおこぼれに預かっていただけだし。でも楽しかったね、あの頃は」
「はい。さくらさんの歌や物語は、いまでも覚えていますよ」
レオニウスはあの頃、まだ幼い子猫だったはずだ。人間語どころか、自我すらあやふやな時期のはずなのに、歌や物語を覚えているものなのかと、さくらは少し驚きを浮かべる。
「レオくんは今どういう生活をしているの?」
「今は学生です。大学に通わせてもらっています」
「へぇ、すごいね。いろいろ大変だったでしょう?」
「ええ、それはもう。ついていくのに苦労しています。貴族様の家庭は覚えることもたくさんありまして」
ただでさえ言語習得だけでも難儀するはずなのに、さらに大学にまで通うとは、相当な努力をしてきたのだろう。さくらは自然とレオニウスへ温かい目を向けてしまう。
「…………」
「おねえちゃん」
「……なんだにゃ」
「僕、おねえちゃんに会いに来ないほうがよかったかな」
「…………そんなこと……ないにゃ……」
きなこは少し横を向き、レオニウスの視線から逃げてしまう。
さくらにはきなこの気持ちが少しわかる。貴族の家に引き取られ、豊かな生活をし、高等教育を受け、このように外国旅行までできてしまう優雅さに比べ、自分は言葉こそ話せるものの姿形は猫のまま。定食屋として生きるのが精一杯で、『魔獣』と胸を張るものの、思いどおりに力を発揮できるわけでもなく、自分は何者なのかと思う時もあるだろう。
しかしさくらは、そんなきなこを深く愛おしく思っている。いつも守ってくれる存在で、心強くて、もはやただの相棒ではなく、深い絆で結ばれ、心を寄せ合う大切な仲なのだ。
「きなこ」
「…………」
「きなこは、きなこだよ」
「…………」
「私と一緒にいてくれて、ありがとね」
「…………」
きなこはぽろぽろと涙をこぼした。レオニウスに会えた喜びや寂しさ、後ろめたさや引け目――胸の奥に渦巻いていた複雑な感情が一気にあふれ出し、さくらからの思いがけないほど温かな言葉に触れた瞬間、ついに堪えきれず心が崩れてしまった。
普段は強気にふるまい、懸命にさくらを支えているきなこの心は、意外なほど繊細で、そして誰よりも優しかった。椅子に座り、膝に手をのせているきなこに寄り添うように、さくらはそっと身体を寄せ、背中や頭を撫でてやり、その涙を静かに拭ってやるのだった。
レオニウスは今夜はここで引き上げることにした。また滞在中に寄らせてもらうとだけ言い残し、『とんかつ さくら』を後にした。
その夜、きなこは無言だった。さくらも無理に声をかけることはせず、いつものように一緒に風呂に入り、そして同じ布団で眠るのだった。
翌朝。
きなこは普段と変わらない調子に戻っていた。朝からマーケットに繰り出し、いつもどおり買い物をして、開店準備にはフリーゼも加わり、昨夜の出来事を詮索することもなかった。
忙しいランチタイムが始まり、変わらず慌ただしく働いていると、レオニウスの一家が家族を連れて『とんかつ さくら』に訪れた。一瞬、さくらときなこは目を見開いたが、すぐに笑顔で応対し、フリーゼも特に動揺を見せることなくバーンスタイン一家に接客した。
「いらっしゃいませ。ご注文のご説明をさせていただきたく存じます」
フリーゼはフリーゼらしく、笑顔で、はきはきと、とんかつの説明を続ける。
「ありがとう。では『日替わりランチ』をいただこう。みなもそれでよいかな?」
父親のバーンスタイン侯が家族の了承をとる。フリーゼはそれぞれにおすすめの内容を説明し、厨房へと下がっていった。
しばらくして、フリーゼとさくらが注文の品をテーブルに配膳した。
「まあ、なんて美味しそうな香りでしょう」
母親のバーンスタイン夫人が手を合わせ、顔を綻ばせながら言った。レオニウスの妹も嬉しそうにニコニコしながら幼児用のフォークを握る。父親は配膳内容の細やかな違いに気づき、「ほう」と感心した声を漏らした。
そしてレオニウスは、
「これがおねえちゃんが作った料理……」
目を輝かせ、しばし感動に浸っている。その横顔を眺め、バーンスタイン侯は穏やかに目を細めた。
サラダやフルーツなどの付け合わせ、そして少し変わった『スープ』も味わい深い。そこらではなかなか食べられないとんかつに、一家は舌鼓を打つ。
レオニウスは夢中で食べ、妹は色付きのご飯の上に刺さっていた『旗』に興味を奪われている。母親はさくらを呼び出し、野菜の下処理の仕方を教わり、バーンスタイン侯はついエールを飲んでしまう始末だった。
ここにはまさに家族団欒の光景があった。きなこはその様子を遠目に見ながら、なにか思う表情を浮かべるのだった。
「いやはや、なんともおいしい食事をありがとう」
バーンスタイン侯は、くるっとした髭の下の口元を上げながら言った。
「こちらこそお越しいただきありがとうございました。旅のご無事を祈っております」
さくらはぺこっと頭を下げる。そして下の妹には手作りの木のおもちゃを渡した。妹はニコニコと喜び、母親はその笑顔を見てさらに微笑む。
「おねえちゃん」
レオニウスは厨房の中にいるきなこに声をかけた。
「またくるね」
「にゃ。また来てほしいにゃ。レオも、頑張ってにゃ」
レオニウスは一瞬ハッとした顔をする。笑ってそう語りかけるきなこに対し、目を細め、微笑み返した。
「うん、ありがとう。頑張るよ。おねえちゃんもお店、頑張ってね!」
ふたりは頷き合い、バーンスタイン一家は『とんかつ さくら』を後にするのだった。




