5 先見の魔女
本日2回目の投稿です。
秋が終わろうとしていた。
アリーは、ぼんやりと灰色の毎日を惰性でやり過ごしていた。
朝になると目を覚まし、雑巾を絞り、ほうきを持つ。ボランティアの教師から足し算と引き算を習ってから味のしないご飯を食べて、刺繍工房で糸通しの作業をする。身体が勝手に動いた。
そこにはもう、「内緒だぞ」と掌にキャンディを握らせてくれる人はいない。
レオンは、もういない。
ブルール領で勃発した暴動に巻き込まれて死んだのだ。
「レオンは、ブルール領主に仕える騎士の家にもらわれたんだ。暴動を鎮圧するために見習い兵も出動したらしい。こんなことになるなら、いくら領主様の頼みでも養子の話など断るべきだった」
レオンと文通していたことを知っていた院長が、涙ながらにアリーにだけ内情を打ち明けた。
ブルール領では、圧政に苦しめられた領民たちの怒りが爆発し、過去にも何度か暴動が起きていた。繰り返される反乱に備え、兵を強化する。孤児たちを引き取るのは、その一環というわけだった。
(余所者のレオンに、ブルールの反乱なんて関係ないじゃない……!)
アリーの心に初めて怒りの炎が点った。しかし、目の前には怒りをぶつける相手もその力もない。小さな炎は、胸のなかに悶々とくすぶり続けた。
※※
「ねえ、隊商が来てるんだって。行ってみようよ」
ずっと元気のないアリーを見かねたようにアンナが誘った。
「あたしは……」
「よく当たる占い師がいるらしいの! 付き合ってよ」
断ろうとするも「お願いっ」と必死な顔で迫られては、アリーは頷くしかなかった。
キャラバンは、年に一度、町外れにやって来る。
砂漠を超えた異国から王都を目指す道すがら、一週間ほど逗留するのだ。ここは紡績が盛んだから、糸や刺繍製品の買い付けも兼ねている。
お陰でアリーの勤める刺繍工房は、数日前まで繁忙期だった。通常の賃金とは別に小遣いを渡されたが、それは雇い主の配慮ではなく残業代の代わりだ。アンナも臨時で雇われ、小金を稼いでいた。
「この日のために、小遣いをちょろまかしたんだから」
アンナが得意げに言う。
アリーは真面目なので、ちょろまかしたりせずに稼ぎを全部シスターに渡した。
「あたしも、そうすればよかった」
「あはは、アリーったら正直者なんだから! でも、そのお陰で今晩のスープは肉入りよ」
それでいいとアリーは思った。お金があっても、欲しいものなどありはしないのだから。
ボランティアの教師が来ない日は、自由時間が多くなる。年少の子たちを遊ばせたり、赤ん坊の子守をしたりと自由というほど自由ではないが、アリーとアンナはシスターから外出の許可を得ることができた。
「皆には内緒ですよ。食事の時間までには帰ってらっしゃい」
そんな殺生な! と、きっとアンナはそう思っているに違いないが、顔には出さず「はーい」と素直に返事をして、二人はそそくさと孤児院を出た。
食事の時間は十一時だ。朝食兼昼食となっている。
これが貴族であれば、間にティータイムを挟んで小腹を満たすのだろう。もちろんアリーたちには、そんな優雅な習慣はなく、いつもお腹を空かせていた。
今、時計の針は九時を指していて、往復一時間の移動を差し引くとグズグズしている余裕はない。
「急がなくちゃ」
ついでにとシスターに買い物を頼まれて、アリーとアンナは小走りになった。
町外れの通りに市が立つと住民たちは浮足立つ。
異国のめずらしいものが手に入るし、見知らぬ土地の話も聞ける。単調な生活のちょっとした刺激だ。
二人は、頼まれた買い物をすませてから露店を見て回った。
肌が透けて見えるほど薄い異国の布、サンダルウッドのお香、貝殻のブレスレット。孤児の小遣いで買えるものではなかったが、アリーは見ているだけで満足だった。
「あった、あそこよ」
アンナが目当ての占いを見つけた。
小さなテントの入口に『パメラの占い』と看板があり、ちょうど客と思しき女性が出てきたところだった。
「あたしは、ここで待ってるから」
アリーは、ひよこ豆の入った買い物かごを肩から下ろして、テント近くの道端に座った。
「う、うん。行ってくる」
緊張した面持ちでテントをくぐるアンナを見送り、露店に集う人々を観察しながら時間を潰す。
娘に菓子を買う母親やショールを見繕う主婦らしき女性、これが欲しいと駄々をこねて泣き出す子ども。退屈しなかった。
しばらくして、頬を上気させたアンナが、パタパタと足音を立てて戻ってきた。
「お待たせっ。あたし、これからイイことがあるって! すっごいお金持ちに見初められるんだって」
「よかったじゃない!」
占いを盲目的に信じるほど世間知らずではないが、こういう楽しみがあってもいい。一年に一度、こんな笑顔になれるのならば。
「それで、ね。一緒に来た友達もどうぞって言うのよ」
「占いするお金なんて、持ってないわよ?」
「そうなんだけど、それでもいいって。アリーも占うなら、あたしのぶんも無料でいいって言われちゃって」
「なんか、怪しい」
「でもテントには、お婆さん一人だけだし危険はないと思うのよ。ねぇ、ちょっとだけ入ってみてよ。大声を上げたらすぐ助けに行くからさ」
無料につられたアンナに背中を押され、アリーは渋々テントへ向かう。
布が垂れ下がった入口の向こう側には、甘さのなかにスパイシーな刺激が鼻孔をくすぐるお香の煙と、小さなテーブルの奥にちょこんと座る老婆の姿があった。
「よく来たね、レオニーの娘。私の名はパメラ。先見の魔女さ」
パメラは、アリーの母の名を告げ、ニッと笑った。