4 星降る夜に願う
夏になり、アリーは十三歳になった。
生まれた正確な日にちがわからないから、孤児院に預けられた日が誕生日ということになっている。そういう子は何人もいた。
世間では特別な日だけれど、アリーからすれば単に年齢を数えるためだけに存在する、なんの感慨も湧かない一日だ。
バースデーパーティ、プレゼントにケーキ。そういうものを期待して裏切られる時期は、とうに過ぎた。別れが辛くなるから、誰かと仲良くなりすぎないように心がけてもいた。手に入らないものを数えても不幸なだけだ。
だけど、この年はいつもと違った。
「今夜、星を見ようぜ。工場の爺さんが言うには、毎年この時期に流れ星が見れるんだってさ」
レオンに誘われて、夜中にこっそりと屋根に登った。
屋根裏は子どもたちの秘密の遊び場となっていて、窓から外に出られる。暑くて眠れないときは、シスターの目を盗み夜風にあたって涼むこともあった。
二人並んで屋根に座り、黙って空を仰ぐ。
この国の夏は昼が長く、就寝時間になる頃にやっと日が沈む。残照の影響で、夜らしい闇になるのは午前零時近くになってから。それでも満点の星空とは言い難く、滅多に見られない夏の流れ星は、幸運を呼ぶと伝えられている。
「レオンは、何を願うの?」
待ちくたびれたようなアリーの囁きが、しんとした空気を破った。
レオンが身じろぎをする。
「いくつかあるけど、まだ決まらない。アリーは?」
「う~ん、何も思い浮かばない」
「一つも?」
「うん、一つも……そうだ! レオンの願いが叶うように、って願うことにする」
「なんだよ、それ。自分のことを願えよ。『幸せ』とか『結婚』とかさ」
「幸せって何だろうね。結婚はしたいよ? 家族が欲しいもの。でもさ、いずれここを出たら、刺繍工房で『食うためだけ』に一日中働くことになるよね。そのうち結婚して子どもが生まれたら、今度は『食わすためだけ』のギリギリの生活になる。それって、幸せ? いつかは子どもや夫を恨んだり、恨まれたりするんじゃないのかな。絶対、上手くいきっこないよ。誰かと家庭を築くなんて想像できない」
家族で団らんすること、お腹を空かせない生活、ボロではないキレイな衣服。どれも経験がない。
アリーは、普通の生活というものを知らない。
胸の内を吐露すると、レオンにぐいっと肩を抱き寄せられた。
「アリーは心配しすぎなんだよ。二年後には、ほかの仕事をしているかもしれないし、この町にいるとは限らないだろ。未来なんて、まだ何も決まっちゃいないさ」
レオンが肩に置いた手をアリーの頭の上に移動させて、安心させるようにポンポンとなでる。
「そうかな」
「そうだよ。それに……もし知らない誰かと結婚するのが不安だったら、オレと一緒になればいい。たとえ貧乏でもさ、いや、そうならないようにするつもりだけど、オレ、アリーとだったら楽しく暮らせる自信があるんだ」
「あたしもレオンとだったら、ずっと楽しく暮らせると思う」
「そっか。じゃあ、そうしよう」
「うん。そうする」
「それまでは、これで我慢な」
レオンがいつものようにズボンのポケットから赤い包み紙のキャンディを取り出して、アリーの口のなかに入れた。
「……甘い」
「だろ? これが幸せなんだってさ。飴玉が口のなかに転がっている間は、嫌なことも忘れられる。工場の爺さんの受け売りだけど」
そう言われれば、そんな気もする。
幸せは、甘い。
レオンが自分の口にもキャンディを放り込んで、はにかむよう笑った。
「あっ、流れ星!」
一瞬、遠くでキラッと瞬く光があった。
「願いごとしなきゃ」
(レオンが……えっと、レオンと幸せになりますように?)
慌てて祈るけれど、咄嗟のことなのでうまく言葉にならない。
少し間を置いて、再び一筋の光が流れた。
レオンと幸せになれますように。
レオンと幸せになれますように。
レオンと幸せになれますように。
アリーは流れ星に向かって、今度は、はっきりと祈った。
「ちゃんと願いごと、できたか?」
「うん、できた」
お互いに微笑み合った。
将来の約束を星に願う特別な夜。思い出に残る初めての誕生日である。
アリーは幸せだった。それに気づくのは、もっとずっと先のことだけれども、確かに幸せだったのだ。
急にレオンが孤児院を出ることになったのは、その二週間後のことだった。
「本当なの? レオン」
「本当だ。さっき院長に呼ばれた」
「でも、ブルール領だなんて」
ブルール領は辺境領の近くにあり、この町からは遠く離れている。その領主に仕える家の養子として引き取られることになったのだ。
レオンの誕生まであと二か月。紡績工場の住み込みになるのだと信じて疑わなかっただけに、アリーは驚きを隠せなかった。
「今、ブルール領は兵力を増強していて、将来、兵士となる少年を集めているそうだ。それでこの領からも何名かって話らしい。院長は断ってくれようとしたけど、領主様たっての頼みじゃ無理だろうな」
「だからって、レオンが行かなくても……」
「オレが行かなきゃ、ジャックかリュカが行くことになる」
二人ともまだ十一歳になったばかりだ。
ほかの年長の男子はとっくに余所に引き取られ、勤め先が決まっているレオンだけが残っていた。
「ただの見習いだよ。そのうち辞めるさ。だからそんな顔するな、手紙書くから」
アリーは泣いていた。平然と見送るには、レオンとの距離が近すぎたのだ。
あと二か月――――。
やりきれなさが心を抉った。
レオンが旅立ち、何度かの手紙のやり取りのあと、パタリと返信が途絶えた。
不安な気持ちで待ちに待った便りは、院長宛てに届いた訃報であった。