25 エピローグ ~王太子妃の反撃
――リオネル王太子、フェレリ男爵夫人と心中か?
衝撃のニュースが世界を駆け巡り、アリーの評判は地に落ちた。
王太子を誑し込んだ稀代の悪女として社交界で口撃される一方で、民衆の間では真実の愛を貫いたのだとか、王家の陰謀なのだとか、興味本位な噂さがいくつも流れた。
アリーの悪評とともに父であるボージェ男爵は信用を失い、ボージェ社の取引中止が相次いだ。
会社が傾き始めると、ジェラルドは責任を問われ社長を辞任。当主の座も分家に譲って隠居した。妻とも離婚し、ポリーヌはミシェルを連れて実家に戻った。当然、王宮のデビュタントどころではない。
新体制で立て直しを図ったボージェ社は、全盛期よりもかなり規模が小さくなったものの、なんとか持ちこたえている。
アリーの死によってボージェ家と縁の切れたフォルジェ家は、経済的な援助を受けられなくなった。
ブルール侯爵領では増税の噂が飛び交い、再び大きな暴動が起きるのではないかと、日に日に不穏さが増している。
ただし、自然災害により致し方なく借金を負ったフェレリ男爵領だけは、ダヤンの機転とアリーの温情によって多額の持参金がラピザリ寺院の修繕に充てられ、順調に復興が進んでいる。
お飾りの領主だったローランは、リオネルと別れた直後、領主代理を追い出しフェレリの実権を奪取した。それはブラン伯爵への宣戦布告であったが、ブルール領民を警戒しなければならない彼には、ローランを相手にする余裕はない。
よもや、増税の噂を流し暴動の扇動をしているのがローランとダヤンだとは知る由もないだろう。
さらにダヤンは、ローランを旗印にブルール侯爵領の騎士たちやフォルジェ一族の有力者を味方につけた。妻に浮気された被害者であるローランには、アリーの醜聞は足枷にならなかったのだ。
いずれ、ローランはブラン伯爵から当主の座を奪うことになるはずだ。それがローランの考えた復讐であり、その後押しをアリーがダヤンに望んだのだから。
だが、ブラン伯爵を蹴落としたとしても、ブルールの財政はひっ迫していて、この先も苦労がつきまとう。
一体どうするつもりなのか……は、もはやアリーの知ったことではない。
リオネルに浮気相手を斡旋していたアルエ公爵夫人は、おおっぴらにボージェ社の製品を喧伝していたため、社交界での面目を失くした。
しかし、それは一時のことで息子のジェロームが王太子に内定すると、擦り寄る貴族が後を絶たなかった。
王妹である公爵夫人への意趣返しとしては、それが精いっぱいだろうとアリーは予想していた。
だが、一つだけ誤算があった。
アリーは、リオネルの死でジャクリーヌが念願の自由を手に入れると単純に考えていて、心中によって女のプライドが傷つけられることを失念していたのだ。
ジャクリーヌは、夫に心中された妻であるという屈辱を黙って受け入れる女ではなかった。
リオネル亡きあと、国民は三十日、王族は百日間の喪に服した。妻のジャクリーヌはさらに三十日間の喪に服してから祖国に帰ることが決定したので、その準備が進められている。
この日、王家とアルエ公爵家の人々による今後の打ち合わせを兼ねた、ごく私的な食事会が開かれていた。
パシャッ。
ジャクリーヌの手にしたワイングラスの中身がぶちまけられ、アルエ公爵夫人のドレスに赤い染みを作った。
生まれてこの方、粗雑に扱われたことがない王妹は、驚きのあまり何が起こったのか理解できないようだった。
「本当に反吐が出る。イデン王国は、モルーノ帝国皇女であるこのわたくしを、どこまで愚弄すれば気がすむのですか」
ジャクリーヌの怒りも無理からぬことだった。アルエ公爵夫人が、酒に酔ったふりをしてわざと嫌味を言ったのだから。
「ジャクリーヌ様がいなくなると寂しくなりますわね。もし御子がいらしたら、ずっとこの国で暮らせましたのに残念ですわ」
この程度、いつもなら笑ってやり過ごしていたはずだった。だが、さしもの王太子妃も堪忍袋の緒が切れたのだ。
モルーノ帝国は、イデン王国よりもはるかに大国だ。無碍にできないからこそ、マリウスもリオネルに対してジャクリーヌを大切にするように口を酸っぱくして言い聞かせていたのであって、決して公爵夫人がバカにしていい相手ではない。
同席しているアルエ公爵もドゥフェ伯爵夫妻も、ジャクリーヌの怒気に当てられたように唖然として微動だにしない。
唯一、マリウスだけが「まあ、まあ」と仲裁に入った。
「妹も少し酔っているんだ。大目に見てやってくれないか」
そう言ってかばう姿を見て、ジャクリーヌはキッと目を吊り上げる。
「これでも、ずっと大目に見てきたつもりですのよ。貴国にも面子があると思えばこそ、リオネル様が男色であったことを黙秘してきました。さらには、アルエ公爵夫人がリオネル様に浮気相手を無理やりあてがったせいで、わたくしたちの不仲の噂が広まることになっても我慢しましたわ。そして此度は、夫に心中された妻の汚名を着たまま帰国させられるのです。これ以上、何を耐えろと?」
「な、なんだと? そんな、バカな……リオネルが男色だなんて……!」
寝耳に水の訴えにマリウスは驚愕し、動揺のあまりチキンテリーヌを切り分けていたフォークを床に落とした。
「そうよっ、む、無理やりだろうがなんだろうが、浮気していたじゃありませんかっ。男色だなんて嘘だわ」
呆然としていたアルエ公爵夫人も、我に返って反論する。
「本当ですわ。それについては、結婚初日に契約書を交わしました。アルエ公爵夫人が、男爵家や子爵家の立場の弱いご婦人方にリオネルとの関係を強制して、断れば制裁していたという証拠もあります。皆さん口が堅くて、集めるのに苦労しましたのよ? リオネル様は、彼女たちの家が被る不利益を慮って、女遊びをするふりをしていたのです。フェレリ男爵夫人も巻き添えを食ってあんなことになったのでしょう。かわいそうに」
「ねぇ?」とドゥフェ伯爵夫妻に矛先が向けば、誤魔化しきれないと悟ったのか、二人は素直に真実を語った。男色であることを口止めされたうえで、次代の王太子への教育をぬかりなくするように命じられていた、と。
「そんな……では、私がリオネルを追い詰めたのか……」
死ぬ前日に息子と言い争ったことを思い出したように、マリウスの口から後悔の言葉が漏れた。
そしてジャクリーヌがすべてを公表して国際問題にすると脅した結果、この場で密約が交わされた。
まず、国王自ら今までの非礼について詫び、嫌がらせをしたアルエ公爵夫人には生涯にわたり王都への出入りを禁じた。
夫のアルエ公爵も「領地の別邸から一歩も出さない」と片田舎にある湖畔の小さな別荘への蟄居を約束した。
さらに、男色のことを伏せてリオネルの名誉を守る代わりに、ジャクリーヌの希望する相手と再婚できるよう王家が力添えすることが決められた。
リオネルの数々の火遊びについては、後日、悪意によって作られた偽りであることと、王太子夫妻が良好な関係だったことが世間に明かされた。実際に、ジャクリーヌ宛の遺書には『君の幸せを祈る』と綴られており、同情の声が集まった。
また、王宮内で『リオネル殿下が廃太子されるのでは』との憶測が駆け巡っていたことから、王家は、リオネルの死を「将来を悲観したゆえの自殺」と結論づけた。それにより、フェレリ男爵夫人は巻き込まれただけなのだという見方が、徐々にではあるがされるようになっていった。
こうして自身の悪い評判を払拭した元王太子妃は、人々の噂が鎮まった頃にひっそりと帰国した。馬車に乗り込む悲しげな顔の口元には、うっすらと笑みが浮かんでいたとかいないとか。
ともあれ、ジャクリーヌの「あの女」への痛烈な反撃をもって、アリーの復讐はようやく終わりを迎えたのだった。
次の番外編で最後です。




