19 アルエ公爵夫人の企み
「それで君は、ローランから直接私たちの関係のことを聞いたの?」
リオネルは、アリーの腰を抱いたまま耳に口を寄せた。
傍目には仲睦まじく愛を囁き合っているように見えるだろう。
「いいえ、夫はわたくしが知っていることを知りません。偶然、教えてくれた者がいたのです」
「それは喜ばしくないね。誰だろう? このことを知るのは、ほんの一握りのはずなのに」
リオネルはサッと顔を曇らせる。側近として身近に置くこともしていないのに、とボソッと漏らした。
「フォルジェ家当主のブラン伯爵がご存じなのですから、別に妻のわたくしが知っていても不思議はないのでは?」
「ブラン伯が?!」
初耳であったらしい。リオネルが素っ頓狂な声を上げ、慌てて声を落とした。
ダヤンは男爵家の監視だ――はたとアリーの脳裏にローランの言葉が甦った。
(もしかして、ブラン伯爵がご存じであることをローラン様は知らないの? そういえば、彼は、お金のために籍を入れるだけでいいと言われただけなのよね)
醜聞になる前にブラン伯爵が縁談を決めたと言ったのは、ダヤンだ。
彼は、アリーにかけられた魅了ゆえに、通常では話さないフォルジェ家の機密事項までもを包み隠さず語ったのだ……。
しまった! と気づいても、後の祭りだ。術を使い始めたばかりの己の未熟さが招いたこと。
「彼が知っているなら、かなり広まってしまっていると考えるべきなのか……」
リオネルが悩みながらブツブツ呟き始めたので、アリーは慌てて取り繕う。
「ブ、ブラン伯爵は夫の後見人でしたし、身内ですので知っていても不思議はないかと……。それに二人の関係を黙認する意向だと聞いていますので、心配は無用だと思います。ですから殿下、ここで聞いた話はどうか他言無用に願います」
失態を補うべく、魅了を込めて上目遣いでリオネルを見つめると緑の瞳が蕩けた。
「そう……だね。君がそう言うなら誰にも話さないよ。ともかく、このことは隠し通さねばならないんだ。でないとジャクリーヌに迷惑がかかることになる。これ以上、彼女の顔を潰すわけにはいかない」
「ジャクリーヌ妃はご存じなのですか?」
「初夜があるから、さすがに隠せなかった。彼女は自分の恋を諦めてこの国に嫁いできてくれたんだ。それなのに妃としての義務である世継ぎが産めないことを黙っているほうが不誠実だと思って話した」
結婚初日に突拍子もない告白をされたジャクリーヌの驚きと落胆は、アリーの比ではないだろう。
覚悟を決めて祖国のために嫁してみれば、自分は悪くないのに石女の烙印を押され、口さがない連中から夫婦の不仲を噂される未来がありありと想像できるのだから。現に、そうなりつつある。
その『口さがない連中』の筆頭がアルエ公爵夫人だとリオネルは言う。
「叔母上は最初からこの結婚に反対だった。自分の娘を王太子妃にしたがっていたからね。娘が他国に嫁いだ後も、あの手この手で夫婦仲を引き裂こうとしていて、私に浮気相手を紹介するのもその策略の一つなんだ。そんなことをしなくても、子どもなんてできやしないのにね。滑稽なことだよ」
「誰も公爵夫人を止めないのですか?」
「止められないんだ。王妹だし、社交界は叔母上が牛耳っている。さすがに不倫の噂を流されたときは叔母上に抗議したけど、相手の女性の子爵家が潰されてしまったんだ。男一人、誘惑できない役立たずはいらないというわけだね。そういう女なんだよ、叔母上は。それ以来、こうして火遊びごっこをしている」
一歩間違えれば、ボージェ家も子爵家のように潰されるのだろう。
アルエ公爵夫人がフォルジェ家ではなくボージェ家を取引材料に出したのは、ブラン伯爵に対する打算が働いているからなのか。
(ブルールは国の要所だもの。フォルジェ家に手を出すわけにはいかない……)
ボージェ社が潰れれば父親への意趣返しになるのではないかと考えるアリーだったが、既にリオネルの善意で火遊びごっこに乗ってしまっているのでもう遅い。
ともあれ、アルエ公爵夫人の暴走により一番被害を受けるのは社交に疎い男爵夫人のアリーではなく、王太子妃のジャクリーヌだ。
「ありもしない醜聞で名誉を傷つけられるなんて、妃殿下がお気の毒です」
離婚できればいいのだろうが、簡単にはいかない。政略結婚なので外交の問題があるし、この国の王族の離婚には貴族院と法王の許可が要る。今までに不貞での離婚は認められた例はなく、世継ぎを理由にするにしてもジャクリーヌはまだ二十四歳。子どもが望める年齢である以上、認められるのはもっと先になるはずだ。
アリーが同情するとリオネルがクスッと笑う。
「呑気だね。その醜聞には君も含まれるんだよ?」
「わたくしは、社交界には興味がないので気にしません。でも、王太子妃ともなればそういうわけにはいかないでしょう。陛下を頼ることはできないのですか?」
「生憎、私と父は折り合いが悪いんだ。母上の暗殺事件やブルール領のことで意見が食い違ってしまって、最近ではあまり顔を合わせることもない。だから、叔母上も調子に乗っているのだ。次の王太子に自分の孫を据えたくて必死だよ」
ここでもまたブルールの名が出てくるのか、とアリーは目を見張った。
親子の溝を生んだきっかけ。
詳しく話を聞きたいが、アルエ公爵夫人と侍女がこちらに向かって歩いてくる姿が目に入る。時間切れだった。
「殿下、また会ってください。お願いします」
魅了が解けないようにするためにもう一度、縋るようにじっと見つめれば、熱を帯びた緑の瞳が潤む。
逃さない――――。
「ああ、もちろん。近いうちに必ず……」
リオネルがアリーの手に落ちた瞬間だった。




