17 初めての舞踏会
アルエ公爵家の夜会には、女性は白を基調としたローブ・デコルテという暗黙のドレスコードが存在する。
ボージェ家の店にドレスを発注したあとに、マナー教師から指摘されてそのことを知ったアリーは、改めてブラン伯爵夫人が懇意にしている店に注文し直していた。お陰で、ミシェルにドレスを切り裂かれても大事に至ることはない。
仕上がってきたドレスは、文句のつけようもないほど素晴らしいものだった。
アリーの華奢な体型でも貧相にならないように、全体的にふんわりとボリュームを持たせている。ハイウエストの切り替え部分には、夫ローランの瞳と同じスカイブルーのリボンがあしらわれていた。ミリ単位でサイズ調整し、上等なレースで華やかさが加えられた上質なシルクのドレスは、ピタリと肌に馴染んだ。
このクオリティは、小金持ちばかりを顧客にしているボージェ家の店では出せないものである。やはり貴族は格が違う。
アリーは、なぜジェラルドが宮廷の伝手を欲しているのか、わかるような気がした。
「ボージェ家のドレスは、なぜキャンセルしなかったんです?」
ダヤンの問いに、アリーは肩をすくめた。
「もう一枚くらいドレスがあってもいいと思ったのよ。ボージェ家の店なら無料でしょう? どうせお父様が支払うのだもの」
あのあと、フェレリ男爵家から正式な抗議を受けたジェラルドから、すぐに代わりのドレスが届けられた。
ミシェルは部屋で謹慎している。本人は、やっていないと無実を訴えて騒いだが、ジェラルドには通用しなかった。
楽しみにしていた観劇が中止になって落ち込んでいると、新しいドレスを届けに来たギヨームから報告を受けて、アリーはほくそ笑んだ。
当日。
夜会の衣装ごときにそんな一悶着があったとは知らないローランは、アリーを見て「美しいドレスだ」と素直に褒めた。
(その言い方! そりゃ、ドレスの中身には興味ないんでしょうけど)
アリーは夫にエスコートされながら、やっぱり嫌な奴だと思うのだった。
会場に到着して、主催者のアルエ公爵夫妻に挨拶したときは、さすがに緊張で足が震えた。
王妹であるアルエ公爵夫人は、アリーにとって雲の上の人なのだ。
五十歳くらいだろうか。金髪を結い上げてあらわになった首元に、瞳と同じ緑のエメラルドが煌めいている。豪華な首飾りに負けない貫禄があった。
「まあ、なんて可愛らしい方なの! ぜひ仲良くしてくださいな。フェレリ男爵夫人、いえ、アリアンヌさんとお呼びしてもよろしくて?」
アルエ公爵夫人は嬉しそうにアリーの手を取る。
初対面でここまでの社交辞令が言えるのは一種の才能なのか、それとも高位貴族の常識なのか。
「光栄です」
どちらにせよ、アリーにできるのは愛想笑いだけだった。
それから、夫婦で一曲踊って、やっと肩の荷が下りる。
ぶどうジュースで喉を潤す傍らで、ローランはやたらとソワソワしている。
「わたくしのことは気にしないで、愛人さんのところへ行ってらしたら?」
アリーは、親切心で声をかけた。
「いや、いい。公の場で堂々とできる関係じゃないし、向こうも話しかけてはこないだろう」
「わたくしの顔が見たいとおっしゃったのに?」
「だから、見るだけだよ」
遠目からということらしい。
その『見るだけ』のために、こちらは準備が大変だったのだ。このドレス一枚に、どれだけのお金をかけたことか。
「なんだか贅沢ですね」
わけがわからないのだろう。アリーの呟きに、ローランはポカンとした表情で首を傾げていた。
とりあえず顔も出したし、することもないので帰ろうとしていたところへ一人の男が近づいてきた。
アルエ公爵の嫡男、ジェローム。普段は、自身の持つ爵位であるドゥフェ伯爵を名乗っている。王太子の従弟で、王太子より一つ下の二十七歳だ。
すれ違う人たちと挨拶を交わしながら上品な物腰で歩く姿は、さすがともいえる存在感がある。
「やあ、フォルジェ卿。結婚したんだって? 麗しの奥方を私にも紹介してくれないか」
ジェロームは母親譲りの緑の瞳を細め、人懐っこい笑顔を浮かべた。
「お久しぶりです、ドゥフェ伯爵。妻のアリアンヌです」
ローランに紹介されて、アリーは淑女の礼をする。優雅とは言い難いが、これが元平民だった男爵夫人の精いっぱいだ。
そんなぎこちない挨拶を新鮮に感じたのか、ジェロームがアリーに手を差し出した。
「ちょっと奥方をお借りするよ。妻が身重でね、今夜は欠席しているからパートナーがいないんだ。一曲くらいいいだろう?」と、アリーではなくローランに了承を得る。
「彼女が嫌でなければ」
夫にそう言われては、断ることなどできない。
「わたくしでよければ、喜んで」
仕方なくアリーは、ジェロームの手を取った。
ローランよりもずっと巧みなリードであるにもかかわらず、アリーは何度か足を踏みそうになった。それほど緊張してたのだ。
「ダンス、うまいじゃない。初めての夜会だったんでしょ?」
「は、はい」
初めての夜会だなどと、どこから聞きつけてきたのか。だが、今はそれを問う余裕すらない。
「さて、フェレリ男爵夫人。君は、母上に気に入られたからね。忠告だよ」
「忠告、ですか」
優雅に微笑んだまま物騒なことを告げられ、アリーは面食らう。
「母上は君を逃しはしないだろう。なんせ、『傾国のレオニー』と同じピンクの髪だ。無理かもしれないが厄介ごとに巻き込まれる前に、なるべく距離を取れ。あの笑顔に騙されて近づきすぎてはいけないよ。母上は、何も知らない。そのくせ、動けばその影響力は大きいのさ。気をつけたほうがいい」
「傾国のレオニー……」
伝説の悪女の名前が出てきてドキッとする。アリーがその娘だと知ったら、ジェロームはどんな顔をするのだろうか。
この日、また一つ、運命の輪がくるりと回った。




