16 燃え上がる復讐心
本日4回目の投稿です。
ぐらりと身体が傾き、アリーは思わずソファの肘掛けに手をついた。
「大丈夫ですか?!」
ダヤンが素早く立ち上がった。
手を貸そうとするのを「大丈夫よ」と制して、アリーはゆっくりと姿勢を正した。
「でもなぜ、そのときに限って……」
「王妃の暗殺事件で、辺境周辺が緊張していたことが影響したようですね。敵国にブルール領のゴタゴタを知られたら、つけ入る隙になると警戒したんです」
大した騒ぎではないと示す必要があった。そのためには可能な限り少ない兵力で、犠牲を出さずに速やかに暴動を鎮めなくてはならない。
実際に、現場で指揮を執っていたブルールの常備兵たちが軽い怪我を負った程度ですんだのに対し、鎮圧に当たった見習い兵には多くの重傷者が出た。なかには死に至った者もいる。
ブルールの領兵としてまだ正式な登録がない彼らは、公式な記録には残らない。つまり表面上は、一人の犠牲もないことになる。
それが狙いだったとダヤンは断言した。
「そう……そうやってレオンの存在はなかったことにされたのね」
現在では、辺境周辺の厳戒態勢は解かれて平常に戻っている。ブルール領も、以前ほど積極的に見習い兵を集めることはしていない。
それがせめてもの救いだった。
「アリアンヌ奥様は、レオンさんを愛しておられたのですか?」
唐突に尋ねられ、アリーの胸に心臓を一突きされたような衝撃が走った。
そんなこと、考えたこともなかった。
レオンの死が悲しくて、思い出すたびに苦しくて、でも忘れたくないこの感情が愛なのか。
「愛、なのかしら。よくわからないわ。でも、レオンがいなくなってから、心にぽっかりと穴が開いたままなの。美しいドレスや宝石を手に入れても、心ゆくまで白パンを食べても埋まらないのよ。ボロを着て、レオンがくれたキャンディで空腹を凌いでいたときのほうが、ずっとずっと満たされていたわ」
アリーは正直に答えた。
すると、ダヤンは「それが愛なのではないですか」と指摘する。
「私は、アリアンヌ奥様が復讐で身を滅ぼすのではないかと、それだけが心配なのです」
「復讐で身を滅ぼす、ですって? それもいいわね」
アリーはくすくすと笑った。
この肉体が滅んでも、魔女は死なないのだ。
自分たちを蔑み、道具のように扱った奴らに一矢報いてやりたい。そのためならば、今世の我が身を差し出すくらいのことはしてみせよう。
孤児院にいた頃は見ることすら敵わなかった復讐の相手に、今なら手が届くかもしれない。
そう思ったとたん、アリーは、胸の奥で悶々とくすぶり続けていた小さな炎が、大きく燃え上がるのを感じた。
「アリアンヌ奥様?」
ダヤンが、可笑しそうに笑うアリーを呆然と見つめた。
アリーはそれを無視して、ローテーブル越しに身を乗り出す。
「さあ、教えてちょうだい。彼らを捨て駒にするように『助言』したのは誰?」
ダヤンの瞳がトロンと蕩けた。そして、可能性のある人物を一人一人挙げていった。
「次期当主のカミーユ様に助言できた人物となると、数人に絞られます。まず、ご当主のブラン伯爵とブラン伯爵夫人、そして――――」
※※
翌日。
アリーが舞踏会に備えてダンスのレッスンをしていると、ミシェルがやってきた。
同じ王都に住んでいるというのに、結婚式以来、二人の交流はまったくと言っていいほどなかった。
「どうしたの? めずらしいわね」
「ドレスを届けにきたのよ」
ミシェルの後ろをドレスの入った箱を持った使用人たちが続いた。
アリーはボージェ家の店に夜会の衣装を依頼していたが、よもやミシェルが届けにくるとは思っていなかった。
「ふうん、こんなところに住んでいるのね。うちより狭いわ」
応接間へ向かう廊下を歩きながら、ミシェルは品定めをするようにキョロキョロと視線を動かした。
「そうね。でも、家具調度は歴史ある素晴らしいものばかりよ。飾ってある絵もね」
「あの薄紅のバラの絵も?」
ミシェルが廊下の突き当りに掛けてある一枚の絵を指さした。
それはかつてこの家の庭にあったバラを模したものだった。ローランの母親が育てていたのだ。
「あれは昔、ローラン様が描いたの。絵が趣味なのですって」
今は愛人が所有する別宅をアトリエ代わりに借りているのだと、ダヤンが言っていた。結婚後にローランが寝泊まりしているのもその別宅である。
パトロンみたいなものかと思ったが、絵描きを目指している様子はなく、ローランの絵が上手いのかどうかも審美眼のないアリーにはわからない。
「へえ……」
屋敷の面積しかケチをつけるところがなかったのか、ミシェルがつまらなそうな顔になった。
お金に窮していたこと以外、ブラン伯爵を筆頭とする由緒正しいフォルジェ家に、ボージェ家よりも劣る部分があるとは思えない。
(一体、何をしに来たのかしら?)
アリーの疑問はすぐに明らかとなった。
ミシェルとチョコレートケーキを食べている最中に、血相を変えたダヤンがやって来て耳打ちした。
「何ですって?」
納品されたドレスがズタズタに切り裂かれていたのである。使用人たちが最後に確認したときは異常なかったという。
ミシェルがにやりと笑った。
「ミシェル、あなたがやったの?」
「お義姉様が悪いのよ。お義姉様のせいで、わたくしはマルクなんかと結婚することになったわ。自分だけ男爵家に嫁いで、公爵家の舞踏会に招待されるだなんて生意気なのよっ!」
義妹の言い分に、アリーは呆れた。
ミシェルは魅了の力のことを知るはずもないから、勝手に逆恨みをしているだけ。しかも、このドレスを着て夜会に出席すればボージェ家の店の宣伝になるのに、そんな知恵すら回らないのだ。
(やっぱり、あなたには優秀なマルクがお似合いよ)
この件はあとで厳重に抗議するとして、ひとまずアリーは、ミシェルを家から追い出すことにしたのだった。




