12 アリー、男爵夫人になる
本日8回目の投稿です。次回は明朝になります。
アリーは十六歳になると同時に、男爵のローラン・フォルジェと結婚した。
ブラン伯爵の甥にあたるローランは、同じ男爵でも領地のない新興のボージェ家とは違い、れっきとした貴族だ。歴史あるフェレリの地を治めている。
父親の決めた縁談に唯々諾々と従ったのは、居心地の悪いボージェ家から出たかったからである。あの家には、最後まで馴染めなかったのだ。
少なくともここにいるよりはマシだとアリーは考えていた。しかし、思うようにはいかなかった。
「悪いが、君を愛せない」
結婚式の夜にローランはそう宣言した。
神の前で愛を誓ったあとに「愛せない」とは、呆れるほどの不誠実さである。しかし、厳寒の湖に張る氷のような、冷え冷えとした青い瞳で見つめられると、まるでそれが正しいことのような気がしてくるから不思議だ。
「理由を伺ってもいいですか?」
アリーとて夫を愛しているわけではない。かといって、歩み寄る努力もせずに拒絶するつもりはなかったので、十も年上であるローランの大人げない態度には驚くしかなかった。
「実はボージェ男爵からの援助を条件に、ブラン伯爵が勝手に決めた縁談なんだ。僕は断りたかったが、平民との間にできた庶子の令嬢だから籍を入れるだけでいい、子もいらないと押し切られた」
「籍を入れるだけでいい……」
「そうだ。僕には、ほかに愛する人がいる。わけあって婚姻は無理だから、一生独身でいるつもりだった。だけど、伯父上には逆らえないし、借金の返済期限が迫っていて背に腹は代えられなくてね」
邸宅が担保になっており、差し押さえられる直前のところを助けたのがジェラルドだった。
「君の義妹、ミシェル嬢だっけ? 彼女を王宮のデビュタントボールに参加させたいのだそうだ。その招待状の手配と君を引き取るだけで我が家は借金がなくなり、定期的な援助をしてもらえる」
(そんなことのために……)
担保になっていたこの邸宅は、ボージェ本家の半分にも満たない小さな屋敷だった。使用人も最小限で、家を管理する執事と料理人、掃除洗濯から給仕まで何でもこなす通いのメイドが二人だけだ。
経済的に困窮している貴族のなかには王都に屋敷を持てない者もいるので、それと比べればこの男爵家はまだいいほうである。
しかし、この家のために、そしてミシェルのために我が身が犠牲になるのだと思うと、アリーはどこか釈然としなかった。
王宮のデビュタントボールどころか、アリーは社交デビューさえしていない。
「そういうわけだから、君は好きに暮らしなよ。僕は愛人の家に行くから」
そう告げると、ローランは寝室を出ていった。
「承知しました……」
アリーは見えなくなった夫の背中に向かって唖然と呟いた。
それから広いベッドに腰かけ、まんじりともせずに朝を迎えた。
――――平民との間にできた庶子の令嬢だから。
ローランの言葉がぐさりと胸に突き刺さった。
だから何だというのか。
ぞんざいに扱い、人として尊重しなくてもいいとでもいうのか。
ふわりと柔らかな白いネグリジェの裾を握るアリーの拳に力がこもった。
「昨夜は、ローラン様が失礼しました」
翌日、身支度をして食堂へ向かうと、朝食の用意をしていた執事のダヤンが儀礼的に謝罪した。
その碧眼のすまし顔からは、夫の寵を得られない新妻に対する侮蔑と哀れみがにじみ出ていた。
「構わないわ。ローラン様は、わたくしの好きにするようにと仰せなの。わかったわね?」
次の瞬間、ダヤンの表情から嘲りが消え、心酔するように恭しく跪いた。
「もちろんでございます、アリアンヌ奥様。何でもこのダヤンにお申しつけくださいませ」
「従順なる我がしもべよ――――」
アリーがダヤンに右手を差し出して甲にキスさせると隷属の術が完成した。
冷遇されないために致し方なく施したのだが、三十半ばだというダヤンは存外に役立つ男であった。
護衛として腕が立つ上、男爵家の一切を任されており、貴族たちの事情にも精通していた。それもそのはずで、両親を亡くし若くして爵位を継いだローランのために、ブラン伯爵が連れてきた優秀な補佐だったのだ。
アリーは、ダヤンの采配で何不自由なく男爵家に腰を落ち着けることができた。
しかし、たった二年の淑女教育では男爵夫人として到底足りず、ダヤンから学んでいる。
「この国で一番名誉があるのは、モンタランベール家当主が持つドレ伯爵の称号です」
ダヤンから講義を受けながら、アリーはのんびりと紅茶を啜る。
「伯爵? 公爵ではないの?」
「建国当時のイデン王国には、伯爵と男爵しか爵位が存在しなかったのはご存じですか? そのなかでもドレ伯爵は、一番最初に叙爵された栄誉ある称号なのです。現在のドレ伯爵は、ファロ公爵、グラニエ子爵、アウイ男爵など複数の爵位をお持ちですが、わざと伯爵を名乗っておられるのですよ」
「序列がすべてではないということね」
「同じようにフォルジェ家当主のブラン伯爵も由緒ある称号ですので、侯爵位もお持ちですがこちらが通称です。近年では、そういうことを知らずに晩餐会の席次を間違えたり、失礼な態度をとる新興貴族が増えました。ブラン伯爵は、彼らを快く思っていません」
「お金で爵位を買っても中身が伴わないのでは意味がないわね。わたくしを娶るなんて、フォルジェ家は、本当に切羽詰まっていたのだわ」
「それもありますが、ローラン様にも事情がございまして」
事有り顔でダヤンが苦笑した。




