10 目覚め
本日7回目の投稿です。
アリーは部屋に戻るなり布団にもぐりこんだ。
――あれも文句は言うまい。
あれ、だ。
名前ではなく、あれ。
まるで道具のようではないか。
ここでは誰も自分のことを愛してはくれないし、誰も守ってはくれない。
家族の団らん? 誕生日パーティ? 夢物語だ。
二度と――もう二度と、誰にも、何も期待したりなんかするものか。
強くならなければ。
もう誰も自分を傷つけたりできないように。
そしていつか、下賤と見下し、利用しようとしたことを後悔させてやろう。
(しっかりしなきゃ。頼りになるのは自分だけだわ)
アリーは涙を拭い、もう泣かないと誓った。
それからも勉強に励む日々が続いた。
学ぶ機会あるのは素晴らしいことだ。
今なら、レオンの手紙にもっといろいろなことを書けたのに、とアリーは残念に思う。
いちじくのタルトの美味しさや庭に咲く薄紅のバラの優美さ。読書の楽しさ。
田舎育ちの孤児には、知らないことが多すぎた。
それは騎士の家に引き取られていったレオンも同じだったことだろう。
けれども二人は、何気ない日常を情感豊かに伝え合うには、読み書きが十分ではなかった。『元気です』『また手紙を書きます』と、つたない文章を綴るので精いっぱいだった。
無知は損だ。
ジェラルドやポリーヌ、ボージェ一族の鼻を明かすアイディアの一つも浮かばないのだから。
※※
アリーの十五歳の誕生日が目前に迫った夏の日、突然『目覚め』は訪れた。
おそらくこの日が、本当に生まれた日だったのだろう。
夢を見た。長い夢だ。
アリーは、虹色の光のなかをふわふわと漂っていた。
右も左も、上も下もない、不思議な空間だ。
(ここはどこ?)
どのくらい時間がたったのか。いや、時間すら存在していないのかもしれない。
ただ、ここにいる。それだけだ。
虹をじっと見つめる。
赤、橙、黄、緑、青、藍、紫。
見つめていると、不意に完璧な弧を描いていた光線がぐにゃりと歪んだ。
来る――とアリーは感じた。
歪んだ光線のなかから球体の虹が現れ、くるくると回った。
回っているうちに、色が混じり合った。
黄緑、赤紫、深緑……さらに溶け合い純然たる光に変わった。
光は回転速度を増した。
四方八方に放たれる光線が、いつの間にか薄ピンクをおびている。
そのうちに薄ピンクの光線が波打ち、髪の毛となってふわりと広がった。
次に球体の光が回転を止めて、人の顔を形成し始めた。
長いまつ毛。整った鼻筋の両側にあるふっくらとした頬に、だんだんと赤みがさしてゆく。
瞳が開いた。ダークブルーの瞳だ。
アリーにそっくりなその顔は、アリーであり、アリーではなかった。
互いに見つめ合い、微笑んだ。
(始祖だ……)
言葉を交わさなくとも、アリーにはそれが何者なのかわかっていた。
魅了の魔女の始祖であり、力の根源そのものなのだ、と。
始祖は再び人の顔から光の玉に戻った。
そして、アリーのなかに入ってきた。ゆっくりと、染み込むように。
とたんに、身体が熱くなる。
ふつふつと煮えたぎるように熱い。
熱い。
――――茹るっ!
次の瞬間、アリーはパチッと目を覚ました。
窓の外で小鳥がさえずっている。レースのカーテンの隙間から、日が差し込んでいた。
「あ……朝?」
のそりと身体を起こすと、額からぽとりと濡れた布が落ちた。
体温でぬるくなった布を拾ってから、全身汗だくなことに気づいた。喉が渇いている。
サイドテーブルに置いてあるコップの水を手に取った直後、部屋の扉が開いた。洗面器を抱えたメイドだった。
「アリアンヌお嬢様、意識が戻ったのですね。もう二日間も熱が下がらなかったのですよ」
そう言われて、二日も眠っていたのかと驚く。
身体はまだ熱いけれど、病気ではないとアリーにはわかった。
『魅了の魔女』の力が覚醒したのだ。
――――術の施し方は、力が目覚めれば自然とわかるだろう。魔女の力とはそういうものだ。誰かに教わるものじゃない。
アリーは『先見の魔女』に告げられた言葉の意味がやっとわかった。
人を虜にするにはどうすればいいのか。たとえば、ほんの少し惑わすだけなのか、それとも深く洗脳するのか。一時的なものか、死ぬまでそのままにするのか。アリーは、もう知っていた。
「新しい水をお持ちします。それからお医者様を」
アリーは、試してみたくなった。
部屋を出ようとするメイドを「待ちなさい」とわざと高飛車に引き止めた。
「ジュースがいいわ。搾りたてじゃなきゃダメよ。それから、すぐにお風呂の用意をしてちょうだい」
アリーはいつも控えめだった。毎日決まった時刻に起床し、掃除の間は図書室の片隅で静かに本を読み、山羊乳のチーズが食べたいのにベーコンエッグを出されても黙ってそれを食べるような……つまり、使用人にとって手間のかからないお嬢様だったのである。
急に態度が変わったことに驚いたのか、メイドは目を見開いた。
「ですが、まずはお医者様をお呼びするようにと、旦那様に命じられていますので」
「お願い」
僅かな魅了を込めて言葉を発した。
効果はてきめんだった。
メイドは「かしこまりました」と深く一礼すると、優先すべき当主の命令を反故にして、忠実にアリーの『願い』を遂行したのだった。
(ほんの少しですごい威力だわ。本格的な魅了をかけたらどうなることやら)
過去にレオニーが国を傾けて処刑されたというのも頷ける。
高圧的に接したにもかかわらず、うっとりとした表情でストロベリーブロンドの髪を洗うメイドの姿が、浴室の鏡に映っている。
アリーはそれを見て、手に入れた力の大きさにゾクゾクした。




