幼少期 3
その当時兄が何を思っていたのかは分からないが、私は食物アレルギーも動物アレルギーも喘息もない兄が羨ましくてしょうがなかった。
卵と牛乳にアレルギーがあったため、誕生日ケーキはおからケーキ、おやつもせんべいがほとんどでたまにおからドーナツ。
普通のケーキなんて夢でしか食べられない憧れの食べ物だった。
友達の家でも親戚の家でもおやつは自分だけ違うものだった。
父親に全ての決定権があった我が家では父親が食べたいと言ったメニューになることが多く、そのメニューによっては私だけが違うものになることもあった。
なんで自分だけが食べられないのか、食べたら呼吸困難をおこし最悪死に至ることを教えられていてもなんで!なんで!という感情に支配されることも度々あった。
なんで食べられないのか、なんでみんなと同じように外で遊べないのか、走れないのか、幼い子供の心ではとても処理しきれなかった。
その度に泣き叫び、物にあたり、母親と兄に当たっていた。
そんな時母親はいつも「そうだよね、食べたいよね、みんなと一緒に外で遊びたいよね、ごめんね、ごめんね、元気に産んであげられなくてごめんね」と泣きそうな表情で私を抱きしめていた。