08
「お、おはよ」
「は? お前、蓬田と遊びに行くんじゃなかったのか?」
思っていたのと全然違かった。
確かに遊びに行くと言ったのは私だ、知らせずに来たのだからこういう反応になるのも分かる。
けれど驚くというよりなにやってんだお前的な顔をされているのは納得がいかなかった。
「帰るっ」
「待て待て、こっちを優先してくれたのか? それならありがとな」
……あっという間に帰る気がなくなった。
当然、なにも準備ができていないみたいなので中に入らせてもらうことにする。
「ふふ、あなたが瑶さん、でしょう?」
「は、はい、余宮瑶と言います」
日曜日もお母さんは働いているから謙輔くんのお母さんがいたことにびっくりした。
うーん、稼ぎが多くても家にいてもらいたいなって考えてしまう。
違う違う、現実逃避している場合じゃない、こうしてお母さんに遭遇してしまったことは大きい。
簡単に言えば悪い方に大きい、だって私は今日告白する気でいるのだ。
家に他に誰かいたらしづらい、ならやっぱり外に出て走った先での方がいいだろうかと考える。
それでも特にこちらに言ってきたりはせずにリビングから出ていってしまった。
「どうする? 家でゆっくりするか?」
「走りたいかなって」
だってその方が私達らしい。
一緒にお出かけするのもいいけど、走っている時が1番楽しいから。
私と一緒に走ることを楽しいと言ってくれたわけだし、勘違いというわけでもないはずだ。
「なら行くか、ジャージに着替えてくる」
「私はもう着てるし待ってるね」
元々、で、デートに行けるような格好はしていなかった。
だからこそ彼はどこかに行くかではなく家でゆっくりするかと聞いてきてくれたんだと思う。
「あ、瑶さん」
「由佳ちゃん、おはよ!」
「お、おはようございます、なんか最近変わりましたね」
「そう?」
「はい、なんか凄く元気になりました!」
私は基本的にハイテンションなのだ。
恐らく謙輔くんは分かってないと思う、証拠がほしいなら珠姫ちゃんに聞けばいい。
走るのも食べるのも寝るのも大好きな私、実はお話しするのが好きだと言ったら驚くだろうか?
「待たせたな」
「私も行くー!」
「悪い、今日はふたりきりがいいんだ」
なっ!? いまそういうことを言ったりするのはやめてほしい……。
由佳ちゃんも「ちぇ、残念」と言いつつも、そこまで残念そうな顔はしていなかった。
とりあえず言ってみたというところだろうかと考えていたらウインクをされてしまう。
……まさかあの言葉を引き出すためにしてくれたということ!? 情けない、中学生の女の子にサポートしてもらうことになってしまうなんて。
「よし、ちょっと遠くまで行こう」
「いきなり大丈夫なの?」
「ゆっくり距離を伸ばしているんだ、限りなくスピードは下がるが我慢してくれ」
そんなことは気にならない。
というか、今日は走っていてもあることが気になって仕方がない。
遅い速度であれば頭の中がお花畑でもそこまで危険というわけではないだろう。
とはいえ、なるべく車とかがこない道を選ぶ。
今日も彼が走っているところを見ながら追っていく側。
何度も彼の隣に並ぶために努力した。
陸上はやっていなかったけど走ることは好きだったから負担もなかった。
でも、格好良かったと言ってくれた彼がなんでお前がって言ってきた時はちょっとショックだったな。
「瑶」
「はっ! な、なに?」
いけない、ここまでごちゃごちゃにしてしまうと危険だ。
……すごいな、その声が聞こえただけで戻ってこられるんだから。
「なにか考え事でもしているのか? 危ないから手を握っておくぞ」
「うん、ありがと」
この状況で考え事をできるようなメンタルはしていない。
走ることが好きなんだからいまはそれだけを楽しんでおけばいい。
どちらにしても走りながら告白することなど有りえないのだから。
「大丈夫だよもう」
「そうか、なら行こうぜ」
「うん」
遠くと言ってもたかだか10キロぐらいの距離。
それぐらいはなんてことはない、常に走ってきた距離だった。
問題があるとすればうきうきしすぎて彼を置き去りにしないかということ。
「え、そんなに急いだらだめだよ」
「合わせてもらうんじゃなくて合わせられるようになりたいんだ」
先に行こうとする彼。
だめだ、こんなのを見ていたら色々な意味で負けられなくなる。
が、そうでなくても必死に抑えているこれを開放しないと恐らく追いつけない。
なんで? ほぼ1ヶ月の間走れなかったようなものなのに。
私はその間、毎日走ってきた、距離がその度に違ったとしても。
走りながら見学してくれている彼を何度も見た、俺も走りたいって顔をしていた。
だから何度も言った、走っちゃだめだよって、焦ったらだめだって。
彼も「分かってる」と言って我慢していたはずなのに。
「ちょ、ま、待ってっ」
「悪い、いま足は止めたくないんだ」
――結果を言えば離すどころか離されたことになる。
彼と走って初めて呼吸が乱れた、それどころか大会後ぐらい疲れた。
「ほい、飲み物」
「な、なんで? なんで私より……」
「今日は負けるわけにはいかなかったんだ」
そんなこと言ったらこちらだってそうだった。
いや、仮に負けたくないと考えるだけで勝ててたらおかしい。
……私が勝手に彼には負けないと舐めてしまっていたから……なの?
「多分、似たようなことはもうできないだろうな」
「あ、当たり前だよ、私は何度も負けたくはないし」
「ははっ、だろうな」
恐らく次はない。
つまり帰るまではもうフリーということだ。
言う、私から、初恋なんだから言われたいーなんて乙女ぶっている場合じゃない。
ずっと待っていたんだ、私は好きだって言いたかった。
「少し歩くか、流石に飛ばしすぎたからな」
「そうだね」
緊張はいらない。
ただ一言、たったそれだけでいい。
お腹から声を出してしっかり言えるように、両手を握って。
言えっ、今日ほど最適な日はない。
そして晴れてお付き合いを始められたら2度と負けないように努力するつもりだ、怪我しないようにしつつではあるけれど。
「謙輔くん、私、あなたのことが好きなの!」
疲れているのもあって言えた瞬間に体から力が抜けてしまったのだった。
慌てて彼女を支える。
どこかに出かけるという話がいつの間にかこんなことになっていることに不思議な気分だった。
でも、ジャージ姿で彼女が来た時点でこれしかないと思えたのだから俺達らしいと思う。
「今日勝たなければならなかったのは蓬田が出した条件と一緒だ」
「だ、だからって実際に勝っちゃうなんておかしいよ……」
「言っただろ、お前と走るのは好きだって」
手を抜いている状態じゃなくて本気を出してほしかった。
勿論、部活をやる際に支障をきたさないようなレベルで、ではあるが。
「瑶、俺もお前のことが好きだ」
「うん……でも、負けたのが凄く悔しい!」
「安心しろ、もう2度と勝てねえよ」
また1週間ぐらい足を休ませなければならないようだ。
それでもこれは必要なことだった、それぐらいのを見せないと駄目だと思ったのだ。
一緒にいるように、話すようになったとはいえ、ほぼ最近なことには変わらない。
なんなら仲良くなれなくてもいいとすら思った、他を探そうともした。
なのに気づけば俺は一緒にいてくれるこいつを好きになっていたわけだが、そのまま好きだと言っても説得力がないと感じたから今回の方法を選んだことになる。
もし負けるようならそれ程度だと判断して延期にするつもりだったぐらいだ。
「悔しいぃ……三好先輩にも勝ててないままだしぃ!」
「まあまあ、いつまでもできるんだからさ」
やろうと思えば社会人になってからもできる。
やる気があれば上だって狙えるだろう、まあ体力とかはどうしたって厳しくなるけど。
「というわけで勝負だよっ、謙輔くんのお家まで、スタート!」
無理に決まっているだろ。
告白するために頑張っていただけだ。
俺は最大限ゆっくり走って帰ることにした。
それで少しでも気分がマシになるのならそれでいい。
おまけに目的は達成されたのだから焦る必要はないだろう。
「遅いよっ」
「しょうがない、お前は速いからな」
「速い? 私が速い!?」
「ああ、速えよ」
よくできたと褒めてやりたかった。
「お前の背中を見てると元気になるよ」
「でも、かなり離れてたから見れてないでしょ?」
「ナチュラルに煽るな、結構意地が悪いなお前……」
もう頭の中は恋とかそういうのじゃないんだろうな。
しっかりするために勝ったが、やるべきではなかったかもしれない。
先程のあれが嘘みたいだ、つか、まさか向こうからしてくるなんて思っていなかったぜ。
じゃあ無理して勝った意味もないのでは? と、どんどん不安になっていく。
「ふぅ、今日はたくさん走れて嬉しかったな」
「オーバーワークにならないようにな」
家まで戻ってきたが解散にはならなかった。
だから床に寝転んでゆっくりすることに。
「疲れた……もう2度とあんな速度で走りたくねえ」
「え、やだよ、追いつこうと努力して」
「無茶言うなよ、陸上選手じゃねえんだぞ」
今日だからこそできたことだからだ。
そもそもそのやる気だけで置いてけぼりにできたのがおかしい。
後がどうなろうと関係ないと考えたからかもしれない。
その結果、足に違和感を感じていたらなにも意味ないが。
「悪い、当分休むわ」
「え、またなにかあったの?」
「ちょっとな、無理しすぎたのは確かだ」
ふぅ、せっかく1ヶ月近く休んだのにこれか。
あまり効果もなかったっぽいし、また再発なんかしたら最悪だぞ。
そういう条件を出されたわけじゃないのになにやってるんだ。
「お兄ちゃん!」
「ただいま」
「ねえねえ、ねえねえねえ!」
やたらとハイテンションな受験生。
「落ち着け、告白ならしたぞ」
「きゃー!」
きゃー、じゃねえだろ。
人の心配をしている場合ではない。
知秀とはどうなったんだって聞いていいのか?
いやでもな、そういうのをいちいち聞かれるのは嫌だろうし……。
「でもな、瑶にとって重要なのは走ることなんだ」
「そうだよっ、走ることが1番だよ!」
「ほらな、俺らの間にそういうのはねえんだよ」
そのため、結構虚しい。
寝転んでいるのはそういう理由でもある。
由佳がいてくれているからこの場の雰囲気が悪くなっていないというのもあった。
「謙輔くんが悪いんだよ、私に簡単に勝ったりするから」
簡単なわけないだろ、どれだけ頑張ったと思っているんだ。
ま、意味のない頑張りであったわけだが、由佳だったら褒めてくれるかもな。
「で、へ、返事は?」
「というか、私から告白したんだよ」
「えぇ、お兄ちゃんの意気地なしぃ」
「頑張った後にしようと思ったのに瑶が先にしてしまったんだよ」
「で、返事は?」
「そんなことより私は悔しい! バテた後じゃ勝てて当然だから」
何度でも挑戦しようという気持ちが伝わってくる。
不可能だ、もう2度とあんな速度では走れない。
本当に後ろを走られるのが嫌いなんだろうな俺は。
足音がすると逃げたくなる、その繰り返しで今日は勝てたのかもな。
「あはは、本当に走るのが好きなんですね」
「好きだよ、どんなことよりも」
「ここにいるお兄ちゃんよりもですか?」
「当たり前だよ、走ることよりも好きなんてことはないよ」
「……そうですか、それじゃ私は戻りますね」
あからさまに残念な顔のままリビングから出ていってしまった。
そこまで残念がることじゃない、蓬田や幡中じゃないんだ、同じように好きになってもらえるわけではないだろう。それぐらいは分かっている、そもそも俺が言ってないんだから気にしなくていい。
「ふぅ……でも、これ以上言っても仕方がないよね」
「そうだ、あんなことはもうできない」
「舐めているとかではなく、簡単に負けるわけにはいかないから」
無茶してくれなければそれで良かった。
いまでもまだ走ることが1番ということでいいじゃないか。
「お前はそのままでいてくれればいい」
「え? うん、元からそのつもりだけど」
「また当分の間は見に行くわ」
俺はこいつのことをもっと理解しなければならない。
負けず嫌いだとかそういうの、だが、手加減なんかしたらそれもそれで怒りそう。
「謙輔くん、ありがとね」
「思ってもいないことを言うな」
「思ってるよ、ちょっとハイテンションで誤魔化しているのもあったんだから」
「ふっ、そうかい、ならいいかな」
無意味ではないことを知れてほっとしている自分がいて。
なんとも言えない表情を浮かべて「あ、当たり前だよ」と呟いた彼女を見て笑ったのだった。
本編はここで終わり。
読んでくれてありがとう。