06
走りてえ。
駄目だと思えば思う程、外に出て駆け出したくなる。
なかなかできることじゃねえぞ、そうでなくてもじっとしているのは嫌なのに。
「半場くん、おはよう」
「おはよう」
外に出たら瑶が立っていた。
本当にありがたい、あのままだったら走り出していたから。
「今日はどうしたの? 走っていなかったみたいだけど」
「当分走るのやめるわ」
「え……」
「母さんに走りすぎって言われてさ、言うこと聞いておかないと飯とかなくなるからな」
どうせ瑶とは走れないんだから関係はないが。
というか、これは本当に自分が悪いのだ。
「足とか大丈夫か?」
「うん……」
「本当に大丈夫か? お前、その顔――」
「え、ちょ、だ、大丈夫だから!」
彼女は走り去ってしまったので後を追うことにする。
くそぉ、俺も走りてぇ、あれぐらいのスピードだったら俺でも出せるのに。
「おい馬鹿」
「どうせ馬鹿だよ」
こいつも心配性なやつだ。
だったら蓬田とか瑶の心配をしてやってほしい。
学校にはどうせ行かなければならないから特になにも言わず歩いていく。
「お前、今日の体育休めよ?」
「今日は自由だろ? バスケがしてえ」
「ちっ」
不機嫌だな、問題ねえよなにも。
なかなか自由にできる時間なんてないから中学の時にやっていたバスケを久しぶりにしたいのだ。
しかも1時間目からなんてついてる、やはりじっとしていることは嫌いだった。
「高校のゴールは少し高いな」
同じような要領で打っても少し前に落ちてしまう。
いや、これは単純に衰えているのと、足を上手く使えてないからだと気づいた。
「謙輔!」
「は――」
大声で名前を呼ばれたら誰だって振り返るよな。
で、普通はなにかがあって呼んでいるわけで、このままなら顔面とか腹とかにぶつかって終わる。
――はずだったのに、なぜかピンポイントで足にぶつかるという逆神業を披露してくれたみたいだ。
別に幡中達がやっていたボールがこちらにぶつかったわけじゃない。
「おぅ……」
何度も謝らせたら申し訳ないから大丈夫だと説明してステージへ移動して転んだ。
バスケットボールというのはぶつかった時の衝撃が強いなと思い出していた。
中学生時代はたまに跳ねたボールが腹とかに当たって蹲ったことだってあったわけで。
「半場、大丈夫か?」
「はい……もう戻ります」
自由だが教師はいるから戻るか。
側面のゴールに完全に手投げでのシュートを繰り返す。
痛いと思っているから痛いんだ、我慢しろこれぐらい。
「馬鹿かお前は、休んでろ」
「おい幡中、お前もう3回も馬鹿って言ってるぞ」
「足は?」
「正直痛えから体育が終わったら休む」
そんなことってあるかよ。
故意に狙いでもしないとダイレクトとか有りえないぞ。
あいつらは教室でも静かに過ごすタイプだからそれはないだろうが。
「授業受けないってことか?」
「休ませるってことだ、仲間とやってこい」
幡中が行ったかと思えばバドミントンをやっていた瑶がやって来てしまった。
「ね、ねえ、足、痛いの?」
「なんにもいたくねえよ。瑶、怪我には気をつけろよ、楽しむのはいいことだけどな」
スタミナがあれば長期戦とかでも戦えそうだ。
だがまあ、スタミナだけでなんとかなるわけでもなく、みんな必死に努力をしている。
これだけは負けないって、同じようにやっている人間を倒すために。
「瑶、あんたが行っちゃったらできないじゃない」
「あ、ごめん……でも、半場くんのことが心配で」
「そいつなら大丈夫よ」
「なんで分かるの?」
「大丈夫って顔――あんた下手くそすぎ」
普通に痛え……正直、会話とかだってしないで寝転んでいたいぐらいだった。
自分からぶつかったうえに被害者みたいに振る舞って不安にさせるなどしたくないからと頑張っていたんだが……とりあえずそのまま床に座る。
「蓬田、先生に見学していいいかって聞いてきてくれないか」
「別にいいわよ、そのかわりに今度なにか奢りなさい」
「ああ、それでいいから」
壁まで足を使わずに移動して背を預けたらかなり楽になって息を吐く。
「おい瑶、そんな顔するなよ」
「……もしかしてさ、私のこと名前で呼んでる?」
「嫌ならやめるよ」
「嫌じゃないよ、でも……」
「ちょっとしゃがめ」
「う、うん――へっ?」
額を突っついておいた。
このままじゃ走ることだって楽しめないまま。
こちらだってそうだ、こいつが暗い顔をしていると嫌なんだ。
「俺はお前が走っているところを見るのと、一緒に走ってくれるのが好きだ、だからいつかまた一緒に走ってほしい。約束してくれ、そうすれば俺も頑張れるから」
見学してていいということだったので遠慮なくさせてもらう。
ぼうっとしていた瑶は蓬田に連れて行ってもらった。
額であっても触れていいわけではないのになにをやっているのか。
やはりまだ憧れがあるんだろうな、アニメの主人公などに。
落ち込んでいるヒロインに元気になってほしくて頭を撫でたりとかな。
ああ、逃げてえ、今度はそういう意味で走り出してえ。
穴があったら全力で、寧ろ既存の状態よりも深くしたいぐらいに。
「謙輔、支えてやるよ」
「やめろ、とにかく瑶が気になるようなことはしたくない」
「お前……気づけば余宮さんのこと滅茶苦茶大切にしているんだな」
仲良くなれなくていいとか考えていた自分もいたがな。
気づけばやはり一緒にいて、一緒に走ることも多かった。
先程なんか学校で話しかけてきてくれたわけだし、少しずつでも前に進めている気がする。
「は、半場くん、さっきのはごめん……」
「気にするなよ、故意じゃないんだろ?」
「うん、僕が取りそこねちゃって……」
「だったらしょうがないだろ、気にしなくていいからな」
完璧に守れる人間がいるならその能力を絶対運動部に所属して活かした方がいい。
で、完璧な人間なんてどこにもいないのだからこういうミスはしょうがない。
また、仮に故意であっても責めるつもりはない。
なにかいるだけで嫌な思いをさせてしまっているということだろうから。
もしくは瑶や蓬田といるのが気になっているとか? そういうのも0ではなさそうだな。
「ま、幡中が決めるだろ」
「私はそう簡単に靡かないわよ」
「ふっ、強がるなよ蓬田」
「つ、強がってないし……」
このツンツン少女を早く振り向かせろ幡中。
男子連中としょうもない話で盛り上がっている場合ではないぞ。
「嘘つき!」
翌々日、席に座ってのんびりしていたら急に瑶がそう耳元で叫んできた。
正直に言ってかなり驚いたし、鼓膜が破れるかと思ったぐらいだ。
「足っ、怪我してたんじゃんっ」
「お前にぶつかったのとは関係ねえ、一昨日の直撃でだよ」
痛くて母に説明したらその日の内に病院に連れて行かれた。
その結果、足を固定するために包帯を巻かれた。
昨日はなんとかバレずに済んだものの、結局何度も聞かれて困ったふたりが吐いたらしい。
責めるわけにもいかないからどうすればいいのかが分からなくなる。
「お前は気にせず怪我せず頑張れ」
「うぅ……」
「おい……」
だから正直に言うことはやめていたのだ。
絶対に自分のせいだって考えてしまうから。
仮に俺がぶつかられた側でも、相手が怪我したら自分が悪いってきっとそう思うだろう。
つかあれだな、こういうことがなければ学校では話せないということが俺は少し悲しかった。
「……おかしいと思ったんだよ、あれだけ走っていた半場くんが走っていないことが」
「悪い……お前が責任を感じたりしたら嫌だったんだ」
多分、勝手に友達認定している。
そして努力している子だ、だからこそ自分で良かったと思っている。
1度逃げたが、また向きなおれた瑶は格好いい。
「幡中、あんたは半場といなさい。あたしはちょっと瑶と話してくるから」
そりゃ親友が泣いていたら放っておけるわけがない。
女子とか関係なく泣かれていたら気になるからありがたい提案だ。
「馬鹿だな、余宮さんには言っておけよ」
「言えるか、自分のせいだって考えるだろうが」
嬉々として嘘なんかつきたいわけじゃない。
俺だって考えた、で、これが間違いなく正しいことだったのだ。
元はと言えばふたりが吐いてしまわなければ隠し通せていた可能性だってあったのによ。
「半場、瑶のこと頼むわ」
「それはいいが……」
席に座ったらそのまま突っ伏してしまった。
嗚咽が聞こえるからまだ泣いているということ。
「瑶、悪かったよ」
「嘘つき……」
「でもさ、お前のせいじゃないんだから嘘じゃないだろ? お前に関係ないことを言われても困るだろ」
頼むから泣かないでくれ。
不安にさせないために俺は言わなかったんだから。
「そのことが嫌なわけじゃないもん……」
「あ、じゃあなにが嫌なんだ?」
「なんでふたりには言って私には言ってくれなかったの!」
泣き顔は堪えるぞ。
見せたくないから戻ってきたところを悪いが廊下に連れ出した。
「……お前に傷ついてほしくなかったからだ、それしかないだろ?」
何度も言うがぶっ飛ばしたのは俺だ。
相手が女子だからとかじゃない、庇っているわけでもない。
ちょっと後ろを走っていることが分かってたのに確認しなかった俺への罰。
「頼むっ、泣かないでくれ」
彼女は涙をゴシゴシと拭って真っ直ぐこちらを見てきた。
勘弁してほしい、表情とかで揺さぶってこようとするのは卑怯だ。
「……け、けけ、け!」
「お、落ち着け」
今度はかなり怖い。
無表情で見つめられていた時よりもよっぽどだった。
「……謙輔くん」
「おう」
名前で呼びたかったのか。
「足が痛いの?」
「まあ、そこそこな、走るのは当分の間無理だ」
あんな嘘をついたからそれが現実のものになってしまった。
かなり辛い、じっとしていなければならないのが特に俺にとっては大きい。
「こうならないように気をつけろ」
「今日、部活が終わるまで待ってて、私が送っていくから」
「なら見学でもしてるかな、走りたくて仕方がないからかわりにな」
「うん」
家にいるよりかは外にいた方がマシだろう。
だから俺は滅茶苦茶必死に我慢しながら見学していた。
ただ闇雲に走ればいいわけではないことを知る。
休憩時間だってしっかり設けられているし、敢えてゆっくり走ることもあるんだなと学べた。
「お待たせ」
「帰るか」
逆に送られる側だと不思議な気分になるな。
切り替えも女子の方が上手いことを知った。
「そういえば今度ね、珠姫ちゃんと幡中くんがお出かけするんだって」
「へえ、あいつらもそろそろ決まるかもな」
「私、珠姫ちゃんは謙輔くんが好きだと思ってた」
「あくまで俺はおまけだ」
しかもあいつの想いは最近出てきたものではない。
中学生の時からずっとそうでいて、積極的ではなかったものの蓬田にもアピールをしていた。
ずっと一筋で頑張り続けてきたあいつだからこそ、蓬田だって応えようと考えたのかもしれない。
いいよな、そういうのって。
「ねえ」
「おう」
「好きな子って、いる?」
くぅ、走る食う寝るの瑶からこんなこと聞けるなんてっ。
出会いを探しても出会えなかった俺にとって、なんだかんだ言っても瑶が来てくれるのは嬉しかったといまなら素直に言える。誰かと走る楽しさというのを教えてくれたとも。
「いるって言ったらどうするんだ?」
「質問に質問で返さないで」
「いるともいないとも言えない」
「なにそれ……」
俺は彼女を気に入っている。
それだけは確かで、また一緒に走りたいとも考えている。
ただ、これが好きだからかは分からなかった。
走るのは好きだ、その走るのを好きな瑶も純粋に好きだ。
恋愛的な意味で好きかどうかは分からないだけ、すぐに答えを出せることではない。
「あの時も言ったが俺はお前と走るのが好きだ――というか好きになってた。行く先行く先にお前がいて嫌なはずだったんだがな、なんでだろうな」
それなのに教室では無反応、おまけに怖いなんて言ってくれる始末。
2度も一緒にいれなくていいと考えた、でも、なぜかこいつの方が俺といることを諦めなかった。
陸上部に入りたかったということも教えてくれて、本格的に応援したくなって。
いざ実際にひとりに戻ってみたら寂しくて驚いたぐらい。
非モテだからこいつが女子だったからというのもある。
純粋に嬉しかった、しかも一緒に走るのを嬉しいと言ってくれて。
こんなことは今後ないと本能が悟ったのかもしれない、母と同じように。
「珍しいな、手を繋いでなにが嬉しいのって聞いてきたお前が」
「……もしかしたらこれが恋愛感情かもしれない」
「分からないのか」
「謙輔くんもでしょ?」
「ああ、そうだな」
親でもねえ、高校入ってから関わりだしただけなのに涙が出そうだ。
あの瑶がって、きっと蓬田が聞いても同じようなリアクションを取ると思う。
「……あの時ぼうっとしていたは、前日に謙輔くんが名前で呼んできたからだよ」
そうだったのか、許可を貰ってからにすれば良かったな。
つまりそれは、彼女を動揺させられたということだ。
勿論、怪我のリスクとかもあったわけだから手放しで喜べるわけではない。
でも、これが怪我の功名というやつではないだろうか。
少なくとも瑶は怪我をせず、元気に走れているのだから。
「気づいたら落ち着かなくて、お風呂でもベッドの上でもずっとばたばたしてた」
「翌日まで響いたってことだよな?」
「勘違いかと思ったら普通に呼んでくるんだもん……」
やべえ、可愛いなこいつ。
走れないことは確かに残念ではあるが、これを見られただけでうずうずがどこかに飛んだ。
「瑶、あんまり無理するなよ?」
「そっちこそ無理しないで」
「瑶に言われたのなら守らなければな」
泣かれると厄介だ。
俺が泣かせたとか言われても嫌だった。
なにより幡中蓬田のふたりにによによされるのが我慢ならない。
「怪我するよって言ってたのに『怪我しねえ』って言うこと聞いてくれなかったのに」
「だからこれからは守るよ」
「へ……?」
意外と想像力が豊かなのかもしれないな。
興味のないフリをしておきながら本当は興味津々みたいな。
「とりあえず俺はさっさと足を治すわ」
「あ、うん……」
「それで好きなお前とまた走る」
「うん――え?」
もう家の近くだったから礼を言って別れた。
ひとりで帰らすのは不安になるが、流石にいまは何度も行ったり来たりをしたくない。
メールでも改めて礼を送っておいて、週1の母親代わりを務めることにする。
「これ味濃い」
「まだ駄目なのか?」
「うん、もっとばーっと薄めてもいいと思う」
由佳や母親の味覚が年寄化しているだけのようにも感じるが。
父は丁度いい味付けだと言ってくれるから、男女差があるということだろうか。
色々な人間がいるからな、辛味が好きだったり無理だったりとか。
このままではまた母にネチネチと小言を言われてしまう、立場が上の女子さん達に会わせないと。
「これは駄目ね、まあ食べてあげるけれど」
「ありがとうございます」
「それよりあなた、走ってないわよね?」
「走らねえよ、歩くだけでもちょっと痛むんだぜ?」
それにあいつと走れるのが楽しみなんだ、いまは余計なことをしているわけにはいかない。
頑張れると言ったのは本当だ、あいつの笑顔を見ていると色々なものを吹き飛ばせるから。
「言っておくけれどね、治っても走るのは朝だけよ」
「最初からそのつもりだよ」
朝じゃないとあいつと走れない。
流石に部活の後に付き合わせられるわけないからだ。
おまけにあいつが無茶しないように監視するという理由もある。
なにも楽しさや嬉しさだけを追求して生きているわけではない。
三好先輩を無理やり連れてきてもいいかもな、あの人の方が詳しいし。
「それで、いつあなたは瑶さんを連れてきてくれるの?」
「え、その名前はどこで知ったんだ?」
「由佳から聞いたわよ、連絡先を交換していることもね」
母が暴走する前に連れてくることに決めた。
由佳だって瑶と仲良くしているから悪いことばかりではない。
仮に部屋に連れてきた時なんかに不意に突撃されるなんてことにもならなくて済むだろう。
「由佳からとても可愛らしい子だとも聞いたわよ」
「ああ、そうだな」
「きたー!」
「おま……」
1番止めておかなければならないのは由佳ではないだろうか。
「ふふふ、お兄ちゃんっ」
「な、なんだよ?」
「ここにね? スマートフォンがあります」
「ああ、だな」
「でね? ここでディスプレイを点けると、通話中なんです!」
「おう――おう……」
そのやらしい笑みはそういうことだったのか。
通話相手は瑶だった、ハイテンションな理由は俺が可愛いと認めたから。
「お前なあ……」
「てへへっ、私なりにサポートしてあげたのです」
「まあいいや、可愛いのは事実だからな」
妹は「おぉ」と驚いているが驚くことではない。
容姿が整っている、だからこそ近くにいてくれて嬉しいというのがある!
非モテだからこう考えてしまうのは許してほしかった。