04
「珠姫ちゃんと100メートル走勝負?」
「ああ、それで勝たないと告白させないんだってさ」
余宮を選んだ奴も「10000メートル走で勝ったら」とか言われかねない。
走ることを生き甲斐としてきたやつらだ、少しはそれ相応でいてほしいんだろうな。
「私でも勝てないよ、短距離だったら」
「だから難しいだろうなって話だ」
「ん、勝負前に思い切り照れさせればいけるかも」
「駄目だろ、そもそも幡中がそんな卑怯な方法は選ばない」
ズルを使って勝手告白したってスッキリしない。
男側にだってプライドがある、それだけは分かっていてほしかった。
「休憩だ」
「うん」
にしても、急にあいつは動かしてきたな。
蓬田の反応も悪くはない、そもそも受け入れる気がなければ勝負すら挑ませないと思う。
このままじゃ駄目だと判断したのだろうか、それほど急いでいるということでもあるのか?
「半場くんも結構走れるようになったね」
「走っている時が好きなんだ、距離も増えればより楽しくなっていいだろ」
そりゃ少し前に目標がずっとちらついているんだからな。
俺の目標は勝つことではなく余宮に置いていかれないようにすることだった。
その方が俺に合ってていい、で、いま口にした通りより楽しくなっていいと。
甘えと捉えられてしまいそうだがなんでも厳しくやればいいわけじゃないのだ。
それでもいつかはこいつをもっと驚かせるようになりたいと願っていた。
「そういえば今日、教室の外に小さい女の子がいたよ」
「へえ、どれぐらいだ?」
「私の腰ぐらいかな」
俺が関わっている中で1番大きいのが幡中で、最小が蓬田だった。
が、その蓬田より低いとなると、かなり低いことになるが。
高校にいるということは高校生だろうし、病気かなにかならあれだな、特に触れるべきではないな。
「あ、いた」
彼女が指を差した方を見ると確かに小さく、だがうちの制服を着た少女がいた。
しかもこちらにやって来るという不思議さ、目撃されたから発見して近づいたとか?
「半場謙輔」
「お、おう」
どうやら俺のことを知っているらしい。
少女は隣にいる余宮を見ると、「誰?」と聞いてきた。
クラスメイトだということを説明しておく、最近妹に説明したばかりだなとか考えつつ。
「わたしのことは三好と呼んでくれればいい」
「三好って三好知秀の?」
「ん? 弟のこと知ってるの?」
「ああ、俺の妹の友達なんだ」
「ま、知ってる、だから話しかけた」
家族全員が低いのかもしれないと勝手に失礼な想像をさせてもらう。
だがあれだな、この人のリボンの色で分かったが先輩だ。
つまり最上級生ということになるが、……この人はあまりにも小さすぎた。
小脇に抱えて持ち帰ることが実際にできてしまうというレベルで。
「なるほど、最近よく一緒にいる女の子は半場の妹だったと」
「……そ、そういうことになりますね」
「「なんで敬語?」」
「え、そりゃあなたが先輩だからですよ」
一応最低限の常識はあるつもりだった。
というか、そういうところで問題になる方が面倒くさいからでもある。
なんなら知らない人間には初手で敬語という方法を使うことも多い。
大抵の人間なら「敬語じゃなくていい」と言ってくれるから判断もしやすいからな。
「半場、君はいい子だね」
「なんでですか?」
「わたしが先輩だと分かっていても舐めた態度で来る人間が多いから」
「苦労しているんですね……」
まあ、思わず持ち上げたくなる魅力がある。
菓子とかやったら滅茶苦茶食いついてくれそう。
つまり俺でもこの人を可愛がりたいと思うぐらいだから女子とかにとっては尚更ということだ。
「ふむ、特別に敬語じゃなくても許そう」
「いえ、別にいいですよこのままで」
常時関わるのは疲れそうだから。
できれば月に1度ぐらいは会って話すぐらいに留めておきたい。
不思議ちゃんは横にいる余宮だけで十分、休憩も終わりだからそろそろ走ろう。
「なんとっ、半場のこと気に入った」
「ちょ、そんなに簡単に他人を気に入っては駄目ですよ」
やめてくれ、これ以上はいらないから。
だから無理やり挨拶をして去ることにした。
流石に三好先輩も俺達のスピードに付いてくることは――できるようだ。
なんでだっ、俺はこれだけ毎日走っているのになぜ!
しかもちぎるように頼んだ余宮も簡単に追いつかれてる、化け物より化け物だった。
「な、なんで……私が追いつかれるなんて……」
「ふっ、もう引退しているけどわたしも陸上部に所属していたからね」
「で、でも、私は毎日半場くんと走っていたのに……」
「甘いね、競ってないからだと思うよ」
逃げた、という見方もできてしまうか。
相手は恐らく中学、高校と6年間戦い続けた人。
やはり重要なのはそこか、長距離を走れても勝てなければ意味ないということか。
「寧ろ半場と走ったことでレベルが下がっているまであるよ」
「……私は半場くんと走るのが好きなんです」
「それはあれだよ、必ず勝てるからでしょ? 半場は陸上経験者じゃないし決して速いわけじゃない、そういう相手と走っていたら気が楽だよね」
厳しいねえ、俺は楽しければいいと考えてしまっているからなにも言えないが。
勝負をしてきた人間にとってはそれだけでは駄目なんだろう。
確かにそうだ、俺が走れるようになっているのではなくとことん合わせてくれているだけ。
本当は陸上部に入りたかったと口にした彼女にとっては良くないことだ。
誰かに合わせて走るなんてことは求められない、とことんひとりで前へと突き進まなければならない。
リレーとかでなければ常にひとりだ、一緒に練習していても本番では敵同士。
「余宮は逃げてるんだよ」
「…………」
「試合に出れても上にはいけないね」
「……そ、そういうあなたはどうなんですか?」
「わたし? わたしは怪我で去年まで走れなかったよ」
三好先輩は自嘲気味な表情を浮かべて「上にはいけなかったよ」と呟いた。
走れないことがなによりも辛そうだ、焦れば確実に悪化させる。
なのに仲間は普通に走ってて楽しそうにしていたら気になるだろうな。
「余宮、君はまだ時間があるから入部してみたらどうかな」
「私が……ですか? でも、また中学生の時みたいになったら……」
「ならない、邪魔だろうけどその場合はわたしがずっといてあげるから」
余宮は不安そうな顔でこちらを見てくる。
「いいじゃねえか、ずっとずっと走りたいって気持ちが伝わってきていたからな」
なにより事故のリスクは減るのではないだろうか。
専用に作られた場所なら走りやすいだろうし、それだけに集中できるから。
こうして外を走っているとどうしても歩行者だの自転車だの自動車だのって気にしなければならないことが増えるからな。ま、入部できるかは分からないものの、挑戦してみる価値は確実に存在している。
「そう、半場なんかに合わせてレベルを下げるのはもったいないから」
「別にそんなことは……」
「ならこうしよ、半場もいいけど余宮だったらもっと上を目指せる、それでいい?」
「……私、もっと走りたいです」
「うん、それじゃあいまから行こ」
「い、いまからですか?」
「早い方がいいよ、というわけだから半場はひとりで走って」
元々そのつもりだ。
気づけば余宮と走ることが増えていたというだけで。
一緒に走る相手がいなくなっても俺は続ける、多分死ぬまでずっと。
速さで勝てないならとことん楽しんでそこだけは勝ってやろうと決めていた。
いやまあ、勝ち負けはどうでもいいな、つい勝負なんだとかって意識してしまうけれど。
「はは、背中がもうウキウキしてやがんな」
頑張れよと応援して、俺はひとり逆方向に走り始めたのだった。
放課後になると余宮はすぐに出ていくようになった。
たまに蓬田なんかは応援に行っているらしい、一緒にやればいいのにと思うのは勝手だろうか。
こっちは特に変わらない生活を送っていた、あ、変わったこともあるか。
「謙輔さんっ、これどうですか?」
「また高そうな靴だな」
なぜか知秀と一緒に走るようになったのだ。
これのおかげで由佳の参加率も高くなり運動不足も解消された、というのはあるのだが。
「高校でも陸上部に入るつもりですからね、受験勉強をしながらでも走っておかないといけません」
「でも、身長が高くないと不利じゃないか?」
「それで文句を言っていても身長は変わりませんから」
そりゃそうだ、気にせず走ろう。
問題なのはこいつが全く手加減してくれないこと。
だからいつもかなりの距離ができる、俺の周りには陸上馬鹿しかいねえのかよ。
「はぁ……お前って優しさが微塵もねえな、由佳には優しくしろよこら」
「しますよ、でもそれとこれとは話が別です、流石に手加減なんてできませんよ」
こいつも下である俺に合わせたら下がってしまうということか。
それなのによく一緒に走ってくれるな、や、一緒にとは言いづらい差ではあるが。
由佳が一緒にいてもこれだから徹底できていることは素晴らしいことではあった。
「それにしても余宮先輩、また始めたんですね」
「ああ、そうだな」
「俺、凄く嬉しいです」
「喜んでいる場合か? お前は早く由佳を振り向かせろよ」
「簡単に言わないでくださいよ……由佳ちゃんに変なこと言わないでくださいよ?」
言えねえだろそんなこと。
口にしたら兄妹仲が悪くなって終わるだけだ。
せっかくいい兄だと言ってくれたのだから信じて見るだけにする。
ま、こいつにはどんどんと言っていくがな。
「それにしても寂しいですね、余宮先輩と一緒に走れなくなって」
目標にしていたから確かに寂しさはあった。
あれからこちらに興味を抱くことすら失くなってしまったし、蓬田と幡中はそれぞれと仲良くしているし、近くにいるのにひとりぼっちなのが現状だ。
しかも誰かと走れることの楽しさを知ってしまった後だから余計に響いている、というところか。
それでもいいことだ、よく分からないあいつがよく分かるに変わっているのだから。
あいつは走ることが好きでにやけてしまうぐらいの人間だということが強く分かった。
あんなのが側にいたら逆にこちらも楽しくなるけどな、なんで悪口なんか言ったんだろうな。
「お前は由佳がいればいいんだろ」
「ですね、なるべく時間を増やしたいです」
「しょうがねえから兄として連れてきてやるよ、勿論お前のことは知らせずにな」
「いえ、自分で誘います、謙輔さんに頼っていても本当の意味で一緒にいられているわけではないですからね」
そうかい、強えなこいつらは。
そしてもどかしくもある、さっさと付き合えよもう。
何メートルでもいいから勝負仕掛けて勝って告白すればいい。
だが、それは幡中の場合はとことん大変になるというわけだ。
つか、なんでもそれで告白に繋げようとするのがおかしいな。
仮に選ばれても蓬田なんかはウズウズして難易度を下げるだろうし。
早速誘うとなった知秀と別れてずっと走っていた。
気づけば学校近くまで着ていてなんとなく覗こうとしたのが悪かったのだと思う。
「半場くん?」
「よう、お疲れさん」
なんだかこうして外で話すのは久しぶりだ。
まだ学校敷地内ではあるが、こういうのを毎日していたのになと懐かしさが俺を襲う。
「学校になにか用があったの?」
「たまたま通りかかっただけだよ、それじゃあな」
なんか猛烈に恥ずかしい。
だって俺が余宮のことを気になって来たみたいじゃねえかよ。
本当にただの偶然だ、勘違いしないでいただきたい。
どういう理由でかは分からないが余宮も別に追ってこなかった。
当たり前だ、一緒に走ったらまたレベルが下がってしまうからな。
それに練習でアホ程走っているんだろう、オーバーワークはいけない。
こちらも適当なところで切り上げて家に帰った。
「おかえり」
「……お前、さっさと家に帰って休めよ」
「話したいことがあったの」
振られる前の男みたいな気分になった、幸いまだ振られたことはないけれども。
「もしかしていままでずっと走ってたの?」
「ああ、特にやることもないからな」
「走り過ぎだと思う、気をつけないと危ないよ」
「速さを競ってるわけじゃない、怪我なんかしねえよ」
俺の何倍も走っているお前が言うな。
自分達のことは棚に上げて言うからな、勘弁してほしい。
「で、それだけか?」
「……今度、一緒に行きたいところがあるの」
「スポーツ用品店か?」
「えっ、な、なんで分かったの?」
「いや、適当に言っただけだ」
金がないからなにも買えないが付いていくぐらいなら別にいいか。
了承して送っていくことにする。
こいつをひとりで帰らせると走り出しそうだし。
「連絡先交換しよ」
「余宮がいいならいいぞ」
いまさらな話だが、ジャージ姿の女子ってなんかいいな。
交換しながらそう思っていた、できるだけ見ないようにしたが……。
「連絡するね」
「おう、それじゃあな」
「あ……」
「どうした?」
「気をつけてね、怪我しないように」
「そっちもな、せっかく走れてるんだから」
なんだかむず痒かった。
色々と影響を受けやすい年頃のようだ。
俺と余宮はこのまま関わり続けたらどうなるのか。
片方は走るのが1番の少女だから恋愛とか興味なさそう。
逆に積極的にこられても調子が狂うからいまのままが楽でいいかもな。
でも、もしそういう可能性が出てきたら。
「……なに妄想してんだ」
ただの荷物持ちとかそういうので呼ばれているだけだろうに。
一応気にしてくれているのかもしれない、急に抜けてしまったから。
だからそこにあるのはそういう申し訳なさとかそういうのだけ、勘違いするなよ俺。
「ただいま」
「おかえりなさい」
走って食って寝る、俺の生活スタイルでもあった。
文句を言わずにいてくれている母に感謝したい。
「最近走りすぎじゃないかしら」
「体を動かすのが好きだって母さんは分かっているだろ?」
「でも、怪我をしたら走ることすらできなくなるのよ? 程々にしておきなさい」
ぐぅ、流石にふたりから言われればそうするしかなくなる。
確かにそうだ、怪我して走れなくなったら意味がない。
人はあっという間に衰えるものだ、ゆっくりでもいいから積み上げていくのが大切で。
「今度母さんも走ろうぜ」
「む、無理よ、あなたみたいな体力がないわ」
「合わせるからさ、俺は楽しく走れればいいんだ」
「なるほど、それなら無茶させなくて済むわよね」
「信用ねえな俺」
「当たり前じゃない、あなたは走りすぎ」
余宮とかを見たら腰抜かしそう。
大会とかがあったら連れてってみるのもいいだろう。
俺が純粋に見たいし、あいつの走っているところを見るのは好きだから。
「あ、余宮からだ」
送ってくれてありがとうっていまさらかよ。
もう暗いんだ、あれぐらいは好意とか抱いてなくても普通にやる。
それともおかしいことなのか? 狙っているとか思われてるんじゃねえだろうな?
「謙輔、あなたにもついに――」
「ないぞ」
「残念ね、由佳だって仲良くしている男の子がいるのに」
「恋に生きることが全てではない!」
「では興味ないの?」
「……縁がないだけです、はい」
なかなか酷いことをしてくれる母だった。