03
駄目だ、走っても走っても全然スッキリしない。
ごちゃごちゃ考えてしまっていて、走ることを楽しめていなかった。
それもこれもいま後ろを走っているあいつのせい。
蓬田に見ておいてくれと頼んだのになぜここにいる?
しかも結構遠くまで来ているというのに50メートルぐらいの間隔を保って走っているのがむかつく。
「はぁ……はぁ……」
俺が走るのをやめて振り返ったらやつもそこで足を止めた。
先程よりも距離が縮まっている、これがまた苛つかせた。
「先に行けよ、後ろで走られてると気になるんだ」
絶対に無理ではあるがひとりで走りたいのだ。
自分の行きたいところまで走って家に帰るという繰り返し。
なのに幸せだった、少なくとも今日以外はそうだと言える。
距離で言えば陸上選手とかには全然勝てないものの、その分楽しめているような気がした。
でも、誰かが後ろにいると急かされているみたいで嫌なんだ。
自分のペースを守れないのが駄目だ、ガチりたいわけではなく楽しみたいから。
「……なんで移動したと思う?」
「蓬田や幡中といるためだろ? それかもしくは俺に嫌がらせをしたいか、だな。あ、自意識過剰とか言わなくていいからな、それぐらいしか考えられないだろ。つまりお前は俺のことが嫌いってわけだ、安心しろ、別に仲良くやろうなんて思ってないからよ」
だから先に行けと口にしたら今度は従って走り去ってくれた。
由佳及びあいつらの応援だってしなければならない。
なにより頭を空っぽにして走りたいんだ俺は。
「半場くん!」
なんだと驚いていたらボトルを投げ渡された。
この前の礼とでも言いたいのだろうか、結局俺の横まで戻ってきてしまったが。
「頼むよ余宮……俺のことは放っておいてくれ」
「やだ、それはできない」
「……なら前を走ってくれ、手を抜かずな」
「いいよ、だけど付いてこられるの?」
無理だろうな、できればそのままちぎってくれた方がいい。
が、どうせやるなら楽しみ以外のなにかもほしかった。
役に立たないのは分かっている、披露することだってできないまま終わる能力。
それでも体力が増えれば走れる距離が増えるということに繋がるのだから無意味ではないだろう。
彼女は少しだけ歩いてこちらを振り向く。
俺が頷くと彼女も頷いてから走り出した。
「速え……」
そりゃそうだ、例え10000メートルだろうがタイムを競っていた連中だ。
しかも速かったくせに笑顔だった化け物でもある、付いていくことすら不可能のレベル。
怖えのはこれより上が沢山いることだ、やべえな、アマチュアでもそれなんだからな。
趣味でやっているからとか言い訳すらできないぐらいの差だった。
「はぁ……は、速えな」
「そう? 半場くんが遅いだけだよ」
だろうな、嫌というほどこの短時間で分かったわけだし。
先程貰っていたボトルの中身を半分ほど飲んで寝転がる。
これ以上は死ねる、ランナーズハイを体験したいわけではないから休憩がしたい。
「それちょうだい」
「いや、これ――知らねえぞ俺は……」
怖いとか言っておきながらそれを気にしないってどんな神経だ。
それとも走っている最中や休憩中は関係ないとでも言うのか?
「私、本当は陸上部に入りたかった」
だろうな、というかよく陸上部の連中が誘ってこないなと思う。
体育とかでだって異質さを出しているだろうに、自分達の立場が危うくなるからか?
「でも、タイムを競うだけが全てではないことを知ったの」
「でもさ、結局こうしてフリーで走っていても重要じゃないか?」
何時までには帰ってこようとか決めた場合にはそうだ。
つか、結局のところ長く走ることに専念してたって時間には縛られることになる。
「だって、これなら悪くも言われないでしょ?」
「まあ、そうだな」
自己責任ということで片付けられてしまうこと。
陸上競技は個々だけで頑張る種目が多いが、それでも仲間であることには変わらない。
で、そこが面倒くさいことでもあるのだ、1度外れると戻りにくくなる。
いつだってどこだって同調圧力というのもあるし、若ければ若いほど思ったことを口に吐いてしまうものだから。みんなが我慢できれば苛めなんて存在していない。
「私、走るのが好きなの、なのに……悪く言われて気になって……」
「あれだけ楽しそうに走っていたのにか?」
「……見たことあるの?」
「ああ、最後の大会な」
まあでも、見られて良かったと思っている。
中学の時から走ることだけは続けていたから参考になった。
ガチでやっているやつには追いつけないということが分かった。
自惚れずに済んだのは大きい、無自覚で調子に乗り出すと指摘されるまで気づけないからな。
「別クラスだったがお前のことは知っていたからな」
「ふーん」
さてと、そろそろ帰るか。
もう本格的に暗くなり始めているしこの訳の分からない人間を送ることにしようと思う。
「ボトル貸せよ、で、捨てたら帰ろうぜ」
「はい」
せめて蓬田が俺の横だったのならもう少しマシだったんだが。
幡中は前後左右に蓬田がいればいいみたいだしな。
そう考えたらあいつらが側にいるの嫌だな。
いちゃつかれると目の毒だ、特にいまの俺としては。
「半場くん、帰りも走って帰ろ」
「おう、手を抜かずな」
「うん、それは大丈夫、勝負だよっ」
いやいや、こちらはマイペースで走ればいい。
大体、無理して最初だけ追いつけてもなにも意味ないからだ。
おまけに途中からどうして普通に会話しているのか気になっていた、だから俺はゆっくり帰るだけ。
「いまからでも入部すりゃいいのに」
どう見たってもっと走りたいという気持ちが伝わってくる。
結局のところ速く走りたいとも伝わってくる。
それをするのならやはりそういう部などに所属するしかない。
専門のトラックと指導してくれるコーチとかがいるからな。
「遅いよ」
「手抜くなって言っただろ」
悪く言われるのが嫌で入部することをやめた余宮だ。
言ってもいいのかが分からない、言うだけなら怒られたりしないか?
「余宮、いまからでも部活やったらどうだ?」
「私には別の目標があるから」
「そうか、ならしょうがないな」
でも、勿体ねえ……。
陸上部顧問に見せてやろうぜマジで。
だがまあ、本人がこの調子なら結局駄目だろうからと諦めたのだった。
「お兄ちゃん付いてきて!」
これを言われたのが午前7時頃。
「おはようございます」
これを言われたのが午前10時頃だった。
約束をしていたくせに由佳がのんびりとやっていたせいで3時間も遅れたことになる。
なぜ俺は中学生同士のデートに同行しているのか。
いまこそいつもの努力を見せるべきではないのか? 颯爽と走り去るのが兄としての役目!
「さらばっ」
「あ、待ってくださいよ」
「おまっ――」
毎日あれだけ走っていても若さには勝てないと。
しかもにこにこ笑みを浮かべてやがる、もしかしてこれは威圧されているのか?
「おい由佳、いつまで俺の後ろに隠れているつもりだ」
「だ、だって、恥ずかしくて……」
「恥ずかしいって普通の格好だろうが」
「そうじゃなくて!」
「お、落ち着け」
分かってるわそんなの、つまりふたりきりで行動するのが恥ずかしいってことだろ。
敢えてここでそれを言うと余計に恥ずかしくなるだろうからと配慮したというのに。
「謙輔さん、今日俺達は映画館に行こうと思っていたんですけど」
ああ、この前言っていたやつか。
金は持ってきていないから俺が見ることは不可能。
「悪い、金を持ってきてねえんだ」
「えっ、普通持ってくるところですよね?」
「悪い、というわけで行けねえから」
由佳の背中を押して俺は颯爽と去る。
ふっ、兄としていいことをしてしまったぜ。
「ぐぅ……幸せになれよ」
「誰と誰が?」
「由佳と三好だ」
「えっ、由佳ちゃんに好きな子ができたのか!?」
こいつは何度も由佳から聞き出そうとして失敗していたからな、驚きたくなるのも無理はない。
どうやら珍しく単独行動をしているようだ、こいつは基本的に誰かといるから本当に意外である。
「尾行だ!」
「映画館デートだぞ、尾行は無理だ」
「出口で待ち伏せしておけばいいだろ」
後で絶対に走らせようと決めた。
「ほら、付き合ってもらう礼だ」
「さんきゅ」
どうして律儀に俺は付き合っているのか。
しかも先程から蓬田と余宮も隣で楽しそうに話しているんだよなあと。
「あ、出てきたな――む、真面目そうでいい奴じゃないか」
「そうね、雰囲気だけでも幡中よりいいわね」
「幡中くんも悪くないよ」
「余宮さんは天使!」
「しっ、こっちに来るわよっ」
お、仲良く手まで握っちゃってまあ。
妹以外の異性と手を繋いだことがない自分としてはよく分からないまま。
「俺も蓬田さんの手を握ろうかな」
「影響されてるんじゃないわよ」
「いや、でも実際あれを見てると……蓬田さんともっと仲良くなりたいって思って」
「ちょ……ま、待ちなさいっ、ここには半場と瑶がいるのよ!?」
どうぞ自由にやってほしいと思う。
俺達にできることは空気を読んでどこかに行くことだから。
「こうしたらなにかいいの?」
「お前、自分がなにしているのか分かってるのか?」
「由佳ちゃんが嬉しそうにしていたから試してみたの、それに幡中くんも珠姫ちゃんとしたそうにしていたから。でも、よく分からない、走ることよりもいいことなの?」
「あー、人によってはそうなんじゃないのか? とりあえず離してくれ」
「うん」
どうやら由佳&三好及び幡中&蓬田は目の前のカフェに入るみたいだ。
本当に金を持っていない俺はどうしようもないから帰ることにする。
「やっぱり走っている時の方が嬉しいよ」
「ふっ、俺らにとってはそうかもな」
自然と走ってしまっていた。
俺はどちらかと言えば嬉しさより楽しさだが。
余宮は滅茶苦茶笑顔になるとかではないが確かに嬉しそう。
そういうのもあってすぐに自宅周辺まで戻ってこられた。
やはり速さは正義だ、競わないのだとしても速ければできることが増える。
例えば遅刻しそうになった時とか、頑張って走って向かっている連中を抜き去りにして。
いやまあ遅刻しないことが1番だ、もう少しマシなことに使いたいと思った。
「もっと、もっと半場くんと走りたい」
「なら着替えてくるわ」
上下ジャージ着用が最適だ。
本当に陸上部顧問に紹介したい中毒度だ。
上手く扱ってくれると思う、周りの生徒がどう思うのかは知らないが。
「よし、行くか」
「…………」
おいおい、ついに外でも黙りが発動するようになったか? と考えていたら寝ているだけだった。
立ちながら寝るとか器用すぎる、そういうスキルは俺も欲しい。
「余宮、起きろ」
「……眠たい」
「それなら家に帰るか? このまま走るのは危ないぞ」
「ここで寝る、お邪魔します」
まあいいか、家の中には母がいてくれているから適切に対応してくれるはず。
「母さん、余宮の対応頼むわ」
「分かったわ」
俺はその間にせっかくだからと走ってくることにした。
先程のあれはウオーミングアップみたいなもの、あれだけで終わらすことはできない。
「で、なんとなく気になって4人を見に来たわけだが」
同じテーブルを囲んで盛り上がっているようだった。
蓬田の横には由佳、幡中の横には三好という構図になっている。
1番はしゃいでいるのは意外にも蓬田で、2番目にはしゃいでいるのは三好と。
「お客さん、そんなに注目して気になる子でもいるんです?」
「お前いいのかよ、蓬田取られるぞ」
「ないない、三好は由佳ちゃん一筋だって分かったからな」
こいつもこいつで要所で遠慮してしまうんだよなあと。
油断しているとあっという間にいなくなってしまうというのに。
「ささ、行きましょう」
「金がねえんだ」
「俺が奢ってやるからさ」
なら遠慮なく行くか。
腹も減っていたから飯だって注文してひとりで食べてた。
うむ、やっぱりやつらを見ていると羨ましくなってくる。
先程の余宮も少しは良く見えたということなのだろうか。
「で、なんで俺がこっち側なんだよ」
「細かいことは気にしない、あんたはそういうことを気にしてしまうから瑶にも話してもらえないのよ」
「それとこれとは関係ないだろ? ほら、幡中と三好が睨んできているんだが?」
「「別に睨んでないですよー」」
気になるのは由佳だ、先程から全く言葉を発していない。
この高校生組がなにか余計なことをしたのか? ああ、それか単純にふたりきりが良かったと。
「お、お兄ちゃん」
「なんだ?」
「私……三好くんとふたりでいたい」
その小さい声を蓬田と幡中が聞き逃さなかった。
席から立って移動できるようにする。
「えっ」と困惑しているふたりを通路まで引き出して座り直す俺達。
「ここは出してあげるから行きなさい」
「え、でも……」
「いいから、年上としてたまには格好つけさせなさいよ」
このふたりはあんまり接点もないんだがな。
格好つけているところ水を差すのは悪いからなにも言わずに見ておくことにした。
ふたりは申し訳無さそうな表情を浮かべながらも店から出ていく。
「まったく、世話が焼けるふたりね」
「俺らのせいでもあるけどね」
「由佳も問題よ、あんな感じだと前に進みようがないわ」
「それは俺らもだけどね」
「……余計なこと言わなくていいのよ」
やべえ、このままここにいてはいけない気がする!
「ねえ蓬田さん、真剣に考えてくれないかな」
「だからいまは半場だっているし……」
「半分退場しているようなものだから大丈夫だ」
「上手いこと言えてないからね?」
「俺、中学の時から蓬田――珠姫さんのことが好きなんだよ」
おぉ、珍しく積極的だな!
俺がいないところであればもっと良かったがな!
「いい加減にしなさい、場所とか……タイミングを考えなさいよ」
「ごめん……ずっと抱えてきたことだからさ」
「それに、あたしに告白したいなら勝負で勝ってからにしなさい」
「勝負?」
「100メートル走勝負」
「「いや、それ無理だろ……」」
彼女は「な、なによ、やる前から諦めるって言うの?」と困ったような顔で言っているが無理だ。
幡中もそこそこ足が速いがあくまでそれは塁間だけの話。
塁間勝負であれば勝てる可能性はあるかもしれないが……。
「それぐらいは頑張りなさいよ!」
素直じゃねえ、これはもう受け入れると言っているようなものだ。
幡中も真剣な顔で「分かった」とか言っちゃってるし。
「ごちそうさまでした、帰るわ」
「は? 変な遠慮するなよ」
「いや、家で余宮が寝ててさ」
「「その話もっと詳しく」」
こいつらは他のことを気にしている場合じゃないだろうに。
この食いつきようをお互いにとって目の前の相手に見せてやってほしかった。
「なんにもねえよ、ただ寝不足だったみたいだな」
「ああ、確かに余宮さんは最近眠そうにしてたな」
「なんなら目の下にクマも作っていたぐらいね」
走る食う寝るで生活が成り立っている余宮にしては珍しい。
「ああ、これは謙輔のせいだな」
「そうね、半場のせいでしかないわね」
「あんまり否定できないんだよな」
それのせいでこちらも苦労しているから責めるのは勘弁してほしかった。