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第9話

第9話


 季乃はそもそも無意味に戦うことはしたくない。水泳では勝ち負けがあるが、それは相手ではなく自分に対しての勝ち負けで考えていた。大会で優勝しても自分に課したものがクリアしてないと負けなのである。


 まだ些細な違和感しか感じない状況で、襲われたらどうしようか。唐紅の人たちが季乃のことを百人一首の歌人・右近の襲名者であることを認識していて、まだ知らなかった唐紅陣営の人たちに知れ渡った。もしかしたら敏感な他陣営の襲名者もいるのかもしれない。善悪どんな異能力の使い方をする人たちがいるかわからない。そんな状況は不安だった。


 今の考えは、その不安に勝つために自分が何をするか、というのが季乃の思うところである。


「感覚を磨いて、異能力を自分のモノにするしかない……かな」


 覚悟を決めつつも、できるかどうかわからない不安が少し残る。


 先日その世に行ったとき、自分が水に対しての異能力を持っていることは理解した。幸いにして、水泳部であること、自宅近くに蹴上(けあげ)浄水場や琵琶湖疏水(そすい)という必要かもしれない水も豊富である。この環境は偶然なのか、だから季乃はここに生を受けたのかはわからない。


 入場無料で自由に入れる琵琶湖疏水記念館へ行き、噴水の前に出た。季乃は違和感を感じるために精神を研ぎ澄ませ、前と同じように空間の切れ目を探し、そして見つけた。


「配置」


 二度目、さらに今日は敵と戦うのではなく、自分の鍛錬のためという気持ちなので、落ち着いて扉を開くことができた。


 襲名者が怨霊になった詠み人知らずと戦う場・その世は、風景や場所はこの世のものが反映されている。色は欠けているが、それがわかっていて慣れれば酔うこともなさそうだった。


「私……右近が使える異能は、『満潮』と上の句から『忘らるる』、下の句の『惜しくもあるかな』の3つだって行平さんが言ってたっけ」


『満潮』は水を押し上げて上に移動できる能力。

『忘らるる』は一瞬だけ姿を消せて、『惜しくもあるかな』は再び能力を使うときにコストが軽減。


「コスト……」


 異能力を使うと、ゲームで言う体力ゲージではなく、精神ゲージみたいなものが削られている。通常、異能力を使えるようになるまで、上の句→下の句→総合(右近なら満潮の力を付けるらしいが、前回、唯一聞いてた満潮を使ってしまったために吐き気を催し、迷惑をかけてしまったことを季乃は後程聞いた。


 今日はしっかりとご飯も食べてるし、睡眠もとっているし、ランニングなど体力を消費する行動も控えていた。だから前よりも体調は良いという実感がある。


「だから、大丈夫……なはず」


 そう言い聞かせ、回りを確認し、大きく深呼吸し、異能を唱えてみた。



満潮(ハイタイド)!」


 何も出ない。


「? どういうこと?」


 その世は静かで、音が吸い込まれてしまうような空間。だからもっと大きな声じゃないとダメなのか、と思い、腹の底から、自慢の肺活量をマックスにして叫んだ。


満潮(ハイターーーーイド)!!!!!!!!!!!!」


 反響することもなく、スーン、と音がどこかに消えて行ってしまって、波どころか、何もおきない。噴水の音がシャバシャバ悲しく聞こえるだけだ。


「前は出たのに……」


 順序立てて異能が使えるようになる。と聞いて、自分が3つ目の異能をいきなり出せたことで、「他とは違うかも」「自分はできる子」と少し勘違いしてしまったのかもしれないと、季乃は思いあがってた考えを恥じた。


 他の異能も試してみたが、少し効果がありそうだったのは初歩の『忘らるる』だった。水面に映る姿で、気持ちコンマ何秒消えてるように見えた。

 自然に風も吹かない空間なので、水面に映る姿が消えたということは、おそらく消えてたんだろう、という自信なさげに認識する程度のコンマ何秒だった。


 ここまでかと、季乃も流石に凹んだ。何をきっかけに出せるのか、というのがわかりづらい。一瞬消えた時につかみかけたが、たぶん経験と集中力によるコツみたいなものがあるのかもしれない。前向きに考えると、一人で練習してその感覚を掴めただけでも「伸びしろがありますね」と言われる状態だろうと思うことにした。


「でもまだ少し違和感を感じるなぁ……」


 その世に入ってくる前に感じた違和感が、入った後も残っている。必死になって叫んでたさっきは気にならなかったが、階段に腰を掛けて休んでいると肌に触れる空気が気持ち悪い。


 季乃は琵琶湖疎水記念館を出て、その気配を感じる京都市動物園に近づき、入園した。その世では入園料を取られることはない。この世では日中なのでシャッターが下りていることもない。ただ、生き物はいないので、動物園としての体裁は成り立っていない。


 動物はいないはず……それなのに、


「――……っ……ァ」


 音が響かないこの空間に聞こえる自分以外の声を拾ったことで、季乃の緊張感は一気に増した。


 その世で練習することって誰かに伝えるべきだったのか。勝手に練習して良かったのか。唐紅陣営の誰がいるんだろうか。


 バレて怒られる前に、その世の空間から抜け出てしまおうと、来た道を戻ろうとした。が、もう一つの考えも思った。


 もしくは、敵?


 その考えに至ることで、逃げようとしていた足が止まってしまい、気づかれるのではないかと、唾も飲み込めない。


「あんた……、初めましてやね?」


 気配も何もなく、季乃は後ろに何か立っていることが、喋りかけられることで認識した。やんわりと、やさしい口調で言われることが、益々恐怖を持ってしまう。この空間で人に会って余裕を持てる人物……。しかし、それが敵なのかそうじゃないのかというのは、わからない。人の言葉を発していることで、詠み人知らずではないはずだと季乃は落ち着かせた。


 硬直する体を無理やり振り返らせた。


「どうもぉ」


 ニヤリとして笑みを作っているが、その細い目からは好意的な感情は一切受け取ることはできない。


 季乃は口内に溜まっていた唾液を飲み込んだ。


「だれ……ですか?」


 なんとも間の抜けた質問だが、この場所は唐紅陣営が確保している地域である。可能性としては、同じ陣営で、昨日の吹田一夜(元良親王)のように連絡網で伝わっている可能性もある。


 だが、その一縷の望みも散ってしまう。


「黄檗陣営の喜撰法師、って名乗らせてもらってます」


 季乃は記憶を辿って、すぐに危険な存在であることを思いだした。天音から「京都を混乱させる」と言われていた陣営の襲名者だと。


「わっ……わ、わ……」


 季乃は逃げるための時間を得るために、唯一使える『忘らるる』を唱えようとしたが、恐怖で言葉が続けられない。


「あら~、こまりましたなぁ。緊張されてはるんか?」


 その世にいるということで、季乃のことは襲名者だとわかったようだが、何か唱えようとしているが緊張でできず、それを見て可愛く感じてしまっている。そしてこのあとどうやって弄って遊ぼうか、と考えてたところ、季乃が二文字目から三文字目を唱えた時、喜撰の表情が変わった。


「わ……わす……わすら」


「お嬢さん、それ以上口を開くと、私も少しだけ頑張らんとあかんようになるから、大人しくしといた方がええと思うよ」


 喜撰は季乃の後ろに回り、手で口を塞ぎ、耳元でささやいた。季乃は塞がれた手の力の強さと言葉で、抵抗できない力の差を感じた。大人しくなるしかなかった。


「右近さん、あんたはええ子やなぁ」


 どうして自分が右近であることが気づかれたのかわからなかった。百人一首の決まり字により喜撰法師は気が付いたのだが、授業をちゃんと聞いてなかったため、季乃にはわからなかった。この身バレしたことがさらに恐怖に陥った。


「あんた……まだ唐紅に入ったばっかりのヒヨッ子やなかったか? あ、何で知ってるかって思いはるかもしらんけど、我々みたいな陣営は情報持っててなんぼやから許してな~」


 力が強く、振り返って表情を見ることもできず、季乃はもしかしたら普段の情報も漏れてるんじゃないかと不安が重なり、震えるように頷くくらいしができなかった。


「そうかぁ、いやぁ、私が言うのもなんやけど、初心者がいきなりこの空間に来るのは危険やから止めといた方がええよ」


 早く解放してもらいたい焦る気持ちから、頷きも小刻みになっている。何か感じたことがないプレッシャーに包まれている。


「喜撰さ~ん、ここはやっぱり反響とか難しから、あっちが良いんじゃないですかね~」


 後ろから声をかけられた喜撰法師が振り返った。瞬間に手が緩められたが、硬直した体を季乃はすぐに動かすことはできなかった。捻られたことで、近寄ってきている人物を見ることはできた。


「あんた~、アホやろ、私の状況見て喋りかけなアカンやろ」


「……すみません……って誰ですか? それ」


 その声の主に季乃は見覚えがあった。サーフショップに来ていたヤバい客だった。ビクっと体を反応させ目が開いたところを喜撰法師は見逃してなかった。


「なんや、お嬢さん、あんたはこいつを知ってるんか?」


<第9話了>

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