第5話
第5話
溺れている夢。
岸から勢いよく流されて、そのまま沖へ。抵抗を試みた体から力が失われて、水中。
これは海だ。
どこまでも深く、沈んでいく。見上げると、徐々に光が狭まっていく。
「怖い、助けて」
叫びたくても、口からは残り少ない空気が泡になって漏れていく。
苦しい。気が遠くなっていく。
◇◇◇
幼い頃の嫌な思い出を見ていた季乃が目を覚ましたのは、畳の上。そして知らない天井。埋め込まれた業務用のエアコンと間接照明。よく見ると畳があるのは小上がりになっているところ。
水泳をした後の様なだるさを抱えながら、身体を起こすと、周りには天音と、他に畳の上、カウンターと二人の男性が居た。
「ここは……?」
酔いが残っているのか、胃の辺りをさすりながら天音に尋ねた。
天音はカウンターに座っている男性を見て、了承を得てから
「ここは俺が所属する唐紅陣営の仮の詰め所だよ」
ふて腐れつつ、そう答えた。
どうしてふて腐れているのか。季乃は天音のジャージ姿ですぐ理解した。
「あ、そう……ごめん」
おそらく、不機嫌なのは詠み人知らずと会った空間での、口から出たキラキラが天音にもかかったからだと推測できた。そして少し恥ずかしくなって、頭をかいたところ濡れている。よく見ると季乃も同じジャージ姿である。
それらから再び推測するに、季乃もキラキラが付いた服装から着替えさせられたようである。……でも、誰が着替えさせたの?
周りを見渡しても、男性が三人。急に顔が火照ってきた。急ぎ下着を確認するが、これは自分のもである。服装を見て周りをきょろきょろ、下着を見て周りをきょろきょろ、顔を赤く染めていき周りをきょろきょろ。カウンターに座っている男性がくすくす笑いをこらえている。
「天音っ! まさかあんたが――」
――脱がしたの? という前に、天音はすかさず突っ込む。
「やってねぇよ!」
「え? え? じゃあ? なんで?」
困り果てた季乃の姿を見て、カウンターの男は我慢できず声を上げて笑った。
「いやぁ……面白い! 実に面白い」
その男は立ち上がって、不機嫌な天音をあやすように肩を叩き、畳に腰をかけた。
「そのジャージ、唐紅陣営で作ったオリジナルジャージなんだ。カッコイイでしょ?」
この男は、飄々とした感じで、気がつけば距離を詰めてきて、でもイタズラっぽさがあり、発した言葉が嫌に感じない。ジャージがカッコイイ? そんなのはどうでも良いくらい良い匂いも嫌じゃなかった。
「え? あの……は……ぃ」
返事し終えるのも待たず、その男は季乃の髪の毛を手のひらで確かめた。
「髪の毛も濡れたままでゴメン。乾かしてあげればよかったね。」
手の上で髪の毛を転がして遊ばれている。いま見たばかりの人。まだ酔っていて冷静な判断ができてないのかもしれないが、スっと懐に入られている。
「え? じゃあ、あなたが」
「だったらどうなのかな?」
その男は、ちらっと天音に目線をやると、面白く無さそうな表情をしていた。それでますます調子に乗ろうとしたが、畳に座っていた男が軽く頭を叩いた。
「業平、いい加減にしろ」
「痛っ……わかってるってば」
叩かれた男も、このツッコミを待っていたのかもしれない。季乃は頭が叩かれた音で我に返った。
とはいえ、この叩いた男は味方という分けでも無さそうで、少し見下したような感じで季乃に向けて言葉を続けた。
「すぐに女の子の気が緩んでしまうのは、こいつの異能のせいでもあるから、自分をしっかり持っておこうね」
ため息混じりに言われたことで、馬鹿にされていることは季乃も理解した。男性に色っぽく言い寄られる経験をしたことがなかったが、これからはこれ以外でも気をつけようと決めた。
「改めまして、俺は唐紅陣営の陣営長をしている在原業平。よろしくね」
本人は丁寧に挨拶しているようだが、最後の一言で軽薄さを感じざるを得ない。「これで陣営長?」と季乃が不思議に思うのも仕方がない。
「私は業平の兄という立場で行動させてもらっている、在原行平です」
畳の上で、畏まって正座をして丁寧に挨拶をされている。が、目は季乃を品定めするように見ている。裏でこの人物が陣営を支えているのはすぐにわかる。
「私は、栗山季乃です。そちらの坂本天音の友人です。助けてくださりありがとうございました」
このあたりは部活もやっていて上下関係も叩き込まれていることで、威圧感を感じるが、しっかりとやれる。着替えさせたのもここにいる男性陣ではないとわかり、一息入れられたことで落ち着いた状態で冷静に対応できた。
天音がつれて帰ってくることは想定してなかったので、業平が付き合いのある女性の歌人で近くにいた小野小町に連絡を取り、小町の陣営・月白の歌人達がいる学校の保険医を勤めている藤原道綱母に来てもらい、季乃の身体に異常はなかったので、着替えさせてもらったとのこと。
ちなみに着せてもらっている唐紅オリジナルジャージは、陣営で得たお金を、勝手に業平が「チームユニフォームカッコイイ」「まず見た目でしょ」とかいう安易な理由で作ったもの。それなりに余ってしまっているとのことで、季乃が着ているのは持って帰っても良いと言われた。
業平はカウンターにある椅子に跨いで座り、尋ねた。
「君が右近の襲名者なんだよね?」
知られているのは、助けられている時点で当然わかっていることで、陣営に所属している天音が言っていただろうと予想はできた。それで、ズバリ右近の襲名者であることを言われると、知られて良いこともないので季乃はドキドキした。
「は、はい、そうです」
身体を強張らせるような反応だったので、緊張させまいと業平は行平に睨まないように目配せし、自身はさらに表情を和らげた。
「緊張しなくて良いよ。敦忠から事情は聞いているから。まだどこの陣営にも属してない子を、取って食おうとかしないから」
「は、はぁ……」
言い方から考えると、敵対する陣営なら取って食おうってことなのかというようにもとれる。そして、天音のことを敦忠と自然に言っているのも不思議な感じであった。
それに気がついたのか、業平は説明する。
「陣営で活動していると、歌人の襲名者として行動することがほとんどだから、だいたいどの陣営でも、歌人の名前で呼ぶことが多いよ。とはいえ、俺と行平は歴史と同じで兄弟だったりするけど、陣営での活動は歌人の名前で呼ぶとか。他には、昔から友人だったら、元の名前で呼び合うってのもあるかもね」
「へぇ、そうなんですね」
いまさら天音のことを敦忠と呼ぶのは、どこかくすぐったい気持ちになるので、できれば天音と呼ぶ方向にしたかった。しかし、それはあまりよろしくなさそうだった。
「ただ、この元の名前で呼ぶのは、実生活で危険が及ぶことがあるかもしれないから、歌人の名前をコードネーム的に使うことをおすすめするよ」
異能を持っているということは、それを悪用する者がいるのは常であり、また、異能があるから普段の生活に下駄を履いていると思われ、冷静に判断してもらえないことも多いそうだ。つまり、天音の言っていた「無意識に底上げ」ということはそういうことらしい。実際に影響があるのは事実のようだった。
「あと、コードネームって考えると、何かカッコ良くない?」
業平は最後に一言いうことで、しまりのない感じになってしまう人のようだった。
<第5話了>