いつか読まれる日を
やあやあ読書諸兄、私はとある小学校の図書室に置かれた一冊の本である。
その属性は——小説だ。ハードカバーだ。ミステリ小説だ。名作だ。洋の東西で100冊ずつミステリの名作を選ぶような企画があれば必ずや私はその末席ぐらいには入ることだろう。諸兄もこんな文章を読んでいるぐらいなら私を読みたまえ。
ミステリの名作にはしばしばあることだが、私は読みやすい本とは言えない。むしろ読みづらい。もちろん読み終えたあとの感動も一入だがね。
そんな私が小学校の図書室の本として入荷されることによってどのような悲劇が起こるか、聡明な読者であればもう想像が着くだろう。
私はこの図書室に配架されて以来、より正確にはこの世に生れ落ちて以来一度も読まれたことがないのである。これが本である私たちにとってどれほど屈辱的なことか諸兄はわかってくれるだろうか。
同時に生まれた兄弟たちのなかでも個人に買われた兄弟は幸福だ。公立図書館に買われたものも幸福だ。しかし小学校の図書室に買われ、配架された私たちは——。
一度も読まれたことがないというのは大袈裟ではないか、と思った読者もいるかもしれない。
実際入荷当時の司書は私がこの図書室に相応しいか、私を図書室のどこに配架すべきか判断するためにパラパラと最初の方をめくっていた。
しかし辞書のような「使う本」ならいざ知れず私のような小説にとっては読まれるということは読破されることなのだ。
こんな私だが長年「図書館落ち」の憂き目にあっていないのは、私を借りていく生徒がたまにいるということだ。
しかし借りていく生徒は不届きにも私を押し花を作るときの重しにしたりと、その全てが物体としての私に価値を見出している。
さてこのたまに読みもしない生徒に借りられるということが私がこの図書室の本として首の皮一枚生き残っている理由であり、読まれる充てもないこの図書室で年のほとんどをただただ天に降り積もる埃を集める理由なのである。これが世に言う飼い殺しである。
もっとも私は図書館落ちしたいわけではない。確かに図書館落ちすれば、心ある誰かに拾われ、私は読破という望外の喜びにありつけるかもしれない。
しかしそれはこの状況への敗北にほかならないからだ。図書館落ちして何度も読み返すようなマニアのところに引き取られるにしても、せめて一度読まれたからにしたい。そう思うのが人情、いや本情というものではないだろうか。
ある日、返却棚で『生き物図鑑』君と一緒になった。この図書室では私の2つばかり後輩だが、彼はこの図書室におけるスーパースターだ。私より彼のほうがよほど重しに向いているはずだが、彼は図書室にいないことが多いから私が駆り出される。
久しぶりだね、という私に彼は浮かない顔だった。
「先輩、俺今度除籍本になるかもしれないんです」
「馬鹿な。君ほどの本がどうして」
「俺らみたいな専門書、実用書は内容が古くなっちまえばお役御免なんです。実際俺結構間違ったこと書いてあるし」
私は返す言葉がなかった。私は彼らを羨んでいたが、彼らには彼らなりの悲劇があるのだ。と同時に自分もそろそろ危ないかもしれない、そんな不安が脳裏を過ぎった。
私に残されている時間はもう少ないかもしれない、そんな風に思うと途端に図書室を利用する子どもたちのことが気になった。
一番見込みがあるのは4年3組の津山泰正君だろう。最近シャーロック・ホームズシリーズに嵌ったらしく、子ども向けにリライトされたものを順番に読んでいる。なかなか利発そうな子どもだ。
あれらを軒並み読み終えたあとは大人向けのミステリ小説に手を伸ばすのが自然な流れではなかろうか。
そんな首の皮一枚で繋がった私にとどめを刺すような出来事が起こるのはこの翌日のことである。
私と同じ内容の文庫本が図書室にやってきたのだ。どうやら往年の名作を読みやすい形で再版するという企画で生まれた者たちらしい。
「今日からお世話になります」
そいつらは上下巻だった。
「なかなか気持ちのいい奴らじゃねえか」
『ホームズ対ルパン』先輩が言う。いやそいつら私と内容同じなんだが。
そいつらは字のサイズも私のそれより大きくて、読むにあたって目が疲れにくいだろうと思った。
そいつらの表紙は登場人物のイラストなんかが描かれていて、おどろおどろしさの欠片もなかった。上下巻を左右に並べると一枚の絵になるようになっていて、その仕掛けはかっこよくて羨ましかった。
いよいよ私が読まれることはないかもしれない。
そんなことを考えていると、私の目の前に白く細い指先が伸びてきた。なんだこれは。美しい手だ。大人の女性の手だ。
これは司書の手だ。司書の川田乃波の手だ。
しかしなぜだ。俺を書架に返すならともかく、なぜ川田乃波が俺を書架から取り出す。一体何の用だ。
彼女は私を書架から取り出し、どこかへと連れて行くのであった。
私はカウンターの机の上に連れてこられた。そこには黴臭い本や日焼けした本、水濡れした本なんかが沢山並んでいた。
『生き物図鑑』君もそこにいた!
「おい、なんだこれは」
「先輩も来ちゃったんですね。俺たちはこれから除籍されるんですよ。あそこにある除籍印を天や地、前小口に押されるんです」
「なんだって。そんな屈辱ってあるか」
「そうしてご自由にお持ち帰りくださいと書いてある。あのラックに陳列されるんです。生徒たちが取らなければ一般にも引き取り希望者を募ります。
でも俺は満足ですよ。こうして沢山の人に読まれて」
そりゃ君は満足だろうが。私は全然満足してないぞ。
不安になってきた。もうこの際誰にも読まれないまま除籍されることは免れないとしても天や地に除籍印が押されたような本を、私のような小説を読むマニアが持ち帰るのだろうか。新品を買うのではないか。しかも文庫本を。
次々と本たちに除籍印が押されていく。
そして白磁のような手が私を手に取った。川田乃波は刷毛で私の天を、地を、小口を、各頁の喉を払う。埃を取ってくれているのだ。
ふと真横を見てみると、カウンターに積み上げられた除籍印を押された本たちはさっきより綺麗になっていた。
最後に綺麗にしてくれているのだ。少しでも引き取り手がいるように。途端に彼女の刷毛捌きにどこか慈愛のようなものを感じた。
一通り身綺麗にされた私の天に彼女は除籍印を押した。
彼女の指先が背表紙に刻印されたタイトルを一画一画なぞり始めた。
私はなんとなく悟った。
彼女は私を一度も読んでくれなかったが、彼女にとって私は——私という個ではなく、私がほかの幾冊もの個やあの新参者の文庫本と共有するタイトルの話だ——思い出深い本なのだ。
最後の一画を撫で終わった川田乃波は私を積み上がった除籍本の一番上に重ねた。
私を引き取ったのは件の津山泰正君であった。津山君の部屋の本棚に並べられてから半年ほど経つがまだ私が読まれる気配はない。
まあ小学生なんだから仕方ない。彼がこのままミステリ読みとして成長すればいつかは私を手に取ることだろう。
いつの日か、そんな日が訪れることを——。