五十ページ目:儀式のままに
お久しぶりです。生きてます
相変わらずノリは緩いです
旅行から帰ってきた後というのは、いつだって思い出に浸り、度々感じてきたものに思いを馳せる。気付けば儚く溶けてしまった時間を愛おしく思いながら、「もしかしたらあれは夢だったんじゃないか」なんて考えながら、少しずつ現実に帰っていく。
帰宅するなり旅行での疲れを一気に自覚して、座るだけで沈んでいくような体を休めて、「なんだかんだ我が家が一番」とは思うものの、旅行が終わってしまったことがどうしようもなく寂しい。
そうしてまた少しして、『次はどこに行こうか』なんていつになるかもわからない次の予定を考え始める。
こういった感情も含めて旅の醍醐味なんだろうなと、前世では知ることのできなかった感覚を俺はそれなりに満喫していた。
自由に動ける弱すぎない身体というのは素晴らしい。確かに大変な目には遭ったけれど、それでも無事に帰ってこれたのだ。時間が経てばいい思い出の一つにもなる。
そんなことを考えながら、そんな感情を楽しみながら、俺はスパイスカレーを作ろうとしていた。
そう、スパイスカレー。
この世界では未だお目にかかれていないカレー。
シチューはあるのに何故かカレーは存在しないという理不尽に見舞われ一時は絶望したものの、ここにきて救世主が現れたのだ。
「せっかくだから、見た目も限りなく近づけたいよな!」
トルーペルで購入した、ただの白湯でもサンドの味と食感と香りを完全に再現できるというとんでもない代物を横目に、俺は食材の準備を始める。こんなに心躍るカレー作りは初めてだ。前世では『みんなで和気藹々としながら外でカレーを作る』なんていう素敵イベントには参加できなかったからな。
正直に言おう。旅行の余韻とかそっちのけで、今は頭の中がカレーでいっぱいである。
青人参、赤玉ねぎ、ジャガイモ。
ああ、このジャガイモはヴェネズィオンのものだから、一緒にプワ草を入れておいた方がいいか。自分で自分に毒を盛る趣味は無いからな。
肉は紅猪を採用する。どこの部位かは分からないけど、食糧庫にあった塊肉を使おう。肉は多い方が好きだ。せっかくのカレーだし、食材はたっぷりあるし、ここは豪華にしてしまいたい。
さて、具材の用意はできた。
次は何よりも重要と言っていいスパイスだ。
「……まあ、鍋の力で味はどうとでもなるんだけど」
つい最近買い漁った瓶たちを並べながらうっかり本音が漏れた。
いけない、いけない。ここで急に現実を直視してはいけない。
大事なのは雰囲気だ。
それっぽいものをそれらしく作っているという雰囲気だ。その雰囲気こそが完成品の味を左右すると言っても過言ではないのだ。だからこそ、夏祭りの縁日で売っている焼きそばがおいしく感じるのだと俺は思っている。
尚、前世で一度もスパイスカレーを作ったことがあるはずもない俺には、カレーにどんなものを使うのかよくわかっていないし、その分量もわからない。とりあえず雰囲気の為だけにこれらの瓶を購入してきたので、これらがどういうものかすら分かっていない。一応、二つだけ香りがそれっぽいものを選んではいるけども。
左から順にレリカカ、リツトルト、クェッチェ、ルググムスリ、グムラマ。
前世でも思っていたが、スパイスの名前ってどうしてこうも呪文っぽい響きなのだろう。多分馴染みのない単語だからだと思うが。
この五種類の内、それっぽい香りだったのがレリカカとリツトルトだ。余談だが、これらを買う時に出会ったユユシオというスパイスは醤油っぽい香りがしたので思わずついでに購入した。今回は使わないけれども。
親切にもこれらは全部粉末状にされているので、特別手を加えることなく使うことができる。とはいえ、カレールゥを投入したい段階でこいつらを適当に入れていくのはそれなりに不安があるので、一応先に混ぜておくかな。
レリカカとリツトルトはスプーン一杯分。その他はスプーンの半分の量で混ぜておく。この時点でもうそれっぽい雰囲気が出ているからワクワクするな。
ちなみに、忘れちゃいけない重要な存在こと米の準備は抜かりない。慣れたもので、炊飯器がなくとも白米ぐらいだったら鍋でどうにかできるようになった。常時誰かが俺のためにご飯を作ってくれるわけではないし、唐突に白米が食べたくなることもあったからやっている内に慣れていったのだ。料理ってこうやって出来ていくようになるものなんだと実感した次第だ。
「さて──」
やるか、と袖を捲って気合を示したところで玄関のベルが鳴った。なんとタイミングの悪い。いや、ある意味ではタイミングがいいのか。作っている最中で誰かが来るよりも、作る前に来てくれた方がいいもんな。
誰だろうか。ヴォルクかな、ラーテかな。それとも勇者御一行の誰かかな。
ヴォルクは多分勝手に入ってくるだろうから、可能性の高さ的にはラーテだ。
さてさて……
「渡すものある」
「やあ、ラーテ。とりあえず入ったら?」
「ん」
扉を開けるなり本題に入ったせっかちさんことラーテを家の中に迎え入れる。いつもよりも表情が硬い気がするのは気のせいだろうか。それに、渡すものって一体何なのだろう。記憶にある限り、ラーテに何かを頼んだ覚えはない。
「……ラーテ?」
中に入って一呼吸ついたらまたすぐに本題に入ろうとするのだろうな、なんて思っていたらラーテの動きが急にピタリと止まった。視線がこちらに向いているわけではなく、どこか一点をじっと見つめている。
はてはて、一体何が気になったのだろうかとラーテの視線を追ってみると、そこにはテーブルの上に鎮座する肉の塊があった。カレーを作るために俺がいそいそと用意していたものだ。
「食べるのか」
「ああ、カレーを作ろうと思って」
「かれ……?」
聞きなれない単語だからかラーテの視線が肉から俺の方へ移動した。吸い込まれそうな真っ黒な瞳は好奇心に輝いている。丁度いい、完成したら一緒に食べてもらおうかな。あの味がこの世界でも受け入れられる味なのかどうかも知りたいところではあるし。
さて、そうと決まれば早速カレーを作っていきたいところではあるけれど、その前にラーテの要件を聞かないとだよな。
「それで、渡したいものって?」
「料理が先。邪魔になる」
「邪魔になる?」
「後で渡す。緋も手伝う」
「ありがとう。でも今回は俺一人で試してみたいんだ」
料理の邪魔になるから渡せないということだろうか。それとも、料理の邪魔をしたくないから後回しにしたいということだろうか。どういう意味なのか分からないけれど、後で渡してくれるというのならカレーを優先しようかな。
ラーテのせっかくの申し出を今回はお断りして、俺はもう一度気合を入れなおす。
ここからは初の試みだ。
スパイスカレーを作ることもそうだが、呪文を唱えながら料理をするなんて経験、これまであるはずもない。それどころか、自分でそれらしい呪文を作ること自体が初めてだ。上手くいくかどうか分からない不安と、オリジナルの呪文を唱えなければならないという謎の羞恥心があるが、それでも食欲には代えられない。成功するか否かも、恥ずかしいかどうかも、やってみなきゃ始まらない。
吸って、吐いて、吸って、吐いて。
息を整えたら、この為だけに考えた呪文を記憶の中から引っ張り出しつつ手を動かし始める。
『憐れなる生贄の肉を捧げよう』
『大地の恵み草木と共に』
『白銀の刃は闇をも切り裂く』
『宵闇の中で煌めき揺らめく焔よ』
『捧げし生贄の罪を焼き尽くせ』
『夕闇の中 雨の如く降り注ぎ』
『清らかな流れは空白を埋める』
『黎明の時水泡は煮え立ち歌う』
『踊れ踊れ生贄よ』
『草木と共に遊べや遊べ』
『罪の味も不幸の味も溶け合い混じり合い一つとなれ』
『夢も現もかき乱せ』
『誘い導け祈りのままに』
『魅了し誘惑し手の鳴る方へ』
『一晩の宴 星を呼び覚まし新たな罪が廻りゆく』
『穢れを知らぬ純白を染め上げよ』
『晴れを知らぬ漆黒を塗りつぶせ』
『全てを忘れ そこに残るは己が本能』
『歓喜を』
『慟哭を』
『咆哮を』
『そして嗤え』
『ここから先は不退転』
「【悪夢と祝福の宴】!」
やりきったぞ!
やってやったぞ!
まだ食べてもいないし、カレーが上手く出来上がったのかも分からないけれど、謎の達成感が凄い。何かを成し遂げたという気持ちでいっぱいだ。
文字に起こせば数行で終わる呪文だけど、実際は工程の前に一行分ずつ唱えてから手を動かすということを繰り返していたので相当な時間がかかった。ついでに、どこからどこまでが呪文として鍋がカウントするのかも分からなかったので、呪文を唱える以外の時はずっと無言を貫いていた。これを何も言わずにじっと見守っていたラーテは一体何を思ったのだろうか。ちょっと怖くて聞けない。
とはいえ。とはいえ、だ。
終わりよければ全てよし。カレーが完成さえすればなんでもよし。早速食べてみるとしようじゃないか。
「へぇ、また面白いものを作ったんだな。なんて料理だ?」
「ん? ああ、カレーって言うんだ。食べてみるか?」
「ああ、いただこうか」
じゃあ人数分の皿を用意して──と、食器棚に手を伸ばしたところではたと気づいた。
特に何の違和感もなく会話をしてしまったけれど、俺は今、誰と言葉を交わした?
「どうしたんだ、カナメ?」
現実を直視したくなくてあえて振り返らなかったのに、それを許さんと言わんばかりに声がかけられる。あと多分声の主は絶対に分かっていて状況を楽しみながらやっている。
「……ヴォルク、いつからそこに」
「そうだなぁ……確か、カナメが黙って赤玉ねぎを切りながら涙を流してるところからだな。目、大丈夫か?」
「かなり最初の方だな! 結構目に染みたよ!」
ああああ! 俺はずっと、もたつきながら呪文を唱えつつカレーを作る様子をラーテだけじゃなくヴォルクにも見守られていたんだな!
自覚した途端にどっと変な汗が出てきた。体が熱い。おかしいな、まだカレー食べてないのにな。なんなんだ、この懐かしさすら感じる焦りと戸惑いとその他諸々が入り混じったやたらと忙しいこの感情は。恐らく前世でいう中学生ぐらいの時に誰もが一度は経験したであろう親に何かしらバレた瞬間のようなこの感覚は。
発狂しそうだ。
なんて、俺が羞恥に悶えていることなど気にも留めないヴォルクはひょいと深皿を四枚取り出すと、「どうやって盛るんだ?」なんて呑気に聞いてくる。皿が四枚……ということは、シキもいるんだな。
「それはな、皿の半分に米を盛って、もう半分にカレーを盛るんだよ。ほら、こんな風に」
慌ただしい感情の処理を諦めた俺は、一つため息をついて少しだけ落ち着きを取り戻した後で、ヴォルクから皿を一枚受け取るとカレーを盛って見せた。外見は完璧なカレーライスだ。よくある、ご家庭で作られるシンプルなカレーライスが俺の目の前にある。欲を言えば福神漬けがほしかったところだけど、それは次の課題にしよう。
福神漬け以外にも色々とトッピングしたりアレンジしたりして楽しみたいところではあるけれど、ここはシンプルなそのままのカレーを楽しむことにしよう。まずはこの世界で初めてのカレーを楽しんでから。一度作れたら、食べたくなった時に何度でも作れるからな。
じゃあ、早速。
「……ッ!」
「どうした? 大丈夫か?」
「あ、ああ、なんでもない。大丈夫だ」
いただきます。と手を合わせようとしたところで唐突に鋭い痛みが肺のあたりを襲った。なんだろう、感情を大きく動かしすぎた反動だろうか。せわしないな、俺の身体。
ヴォルクに心配されてしまったが、気を取り直して。
「いただきます!」
お久しぶりがカレーを作るだけの話という




