四十六ページ目:怒りのままに
「……は?」
「──やっぱり、貴様の仕業だったんだな」
誰からともなく間抜けな声が漏れ、少し間を開けてから憎しみの篭った声が静かに響いた。
次から次へと何なんだよ。やっとメンタルが落ち着いてきたところなんだから、これ以上波風を立てないでほしい。正直に言ってうんざりだ。
苛立ちを隠せないまま出入口の方に目をやってみれば、そこには真っ黒なローブに身を包み、黒い仮面で顔の上半分を覆った人物がずぶ濡れの状態で立っていた。ローブのフードをしっかり被っているから髪の毛は全く見えない。ローブは足首まである長いものなので、体型すら分からなかった。人族かどうかも怪しい。パッと見た感じは人だけれども。そして声は男っぽい。
状況から察するに、あの連中の仲間だろうか。例えば、『素材集め』が終わったら連絡する手筈だったのに、一向に連絡が来ないから様子を見に来てみればこうなっていた、とか。でもそれだと『やっぱり』という発言と嚙み合わないか。ここに来るよりも前に『素材集め』が潰されたと知っていないと出ない発言だもんな。
「なぁ、ヴォルケルド・レオマティア……教えてくれよ。誰かの命を踏みにじることがそんなに愉快か?」
絞り出すように吐き出された問いは呪詛のようだった。そこに込められた感情にどんな意味があるのか俺には分からない。もしかしたら、本人以外には誰にも分からないのかもしれない。
ちらりとヴォルクの表情を窺ってみたら、ヴォルクは怪訝なそうな面持ちでジッと謎の人物を見つめていた。
「ほんの遊びのつもりなんだろうな。ふざけんなよ……貴様の暇潰しのために生きてるわけじゃ無いんだ」
「……さっきからなんの話だ?」
「分からないだろうな。分かるはずも無いだろうな。他者を玩具の様に扱う貴様に、貴様の様な化け物に、理解出来るはずがない!」
「人のことをとやかく言う前にだな──」
「貴様には償きれないほどの罪があるが……今はいい。まずはその子たちを解放しろ」
「…………」
びっくりするほど会話が成り立たない。話が噛み合わないとかそう言う次元じゃない。もしかしてこちらの声が全く聞こえてないのだろうか? それとも、俺たちには認識できない第三者と会話をしているのだろうか?
その仮面の奥にある瞳が見つめているのは、今ここにいるヴォルクではない様な気がした。ヴォルクを見ている様で、全く別の何かを見ている。そんな気がする。
「今回は間に合ったんだ……やっとたどり着いたんだ。ここで貴様と刺し違えてでも、俺はその子たちを絶対に、守る」
一人で勝手に盛り上がっている謎の人物は、思い込みを暴走させたまま剣を抜いた。
ふざけんなよ、こいつの沸点どうなってんだ。
そもそも、守るって言ってる『その子たち』って誰のことだ? まさかとは思うが、俺やラーテのことじゃないだろうな。そうだったとしたら勘違いも甚だしい。まずは人の話を聞いてほしい。人の話を全く聞かないから突然キレて剣まで抜いてるんだけれども。
それと、『今回は』って表現がなんだか気になる。これまでの失踪も全部追ってたのか? でも、それにしては失踪事件の真相を知らなさ過ぎる。そもそも間に合ってもいない。
なんだろう、何か違和感がある。ここに来たのも偶然ではなく、『ここで何かが起こる』ことだけが分かっていて来ているような……いや、流石にそれは考えすぎか。
「…………」
ヴォルクは何も言わず、向けられた剣の切っ先をじっと見つめていた。なんだか俺もつられて同じものを見てしまう。そうしてしばらくの間、白く光る刀身を見つめていると、妙な既視感があることに気付いた。
当然のことながら、俺は武具の類に明るいわけではない。ラーテのように様々なものに触れているわけでも無い。確かに戦闘に何度も巻き込まれたことはあるが、こうしてじっくりと剣を見つめたことは一度だってない。なのに、どうして。
「……あ」
違う。そうではない。既視感などではない。
俺は、あの剣を知っている。見たことがある。この身体に受けたことが──
「カナメ?」
気付くとヒュッと喉が鳴っていた。視界は段々と狭くなって、傷痕も何も無いはずの腹がじくじくと疼いた。ひたひたとすり寄ってくる『死』の記憶が、鮮明に蘇ろうとしている。
俺はまたアイツに殺されるのか?
せっかくヴォルクたちに助けて貰ったのに、また喧しく心臓が鳴り響いている。怖くて怖くて、逃げ出したくてたまらない。死にたくないという気持ちが溢れて、零れ出して、頬を伝っていくのがわかる。
ダメだ、精神が弱っている。堪えないと、明るい気持ちを保っていないと、と分かっているのに思考がマイナス方向へ沈んでいってしまう。
「──大丈夫」
「……へ?」
ズブズブと思考の沼に落ちている最中、温かいものが顔に触れた。温かいものは優しく、俺の顔を撫でている──否、撫でているのとは少し違う、なんだか不思議な感覚だ。そうされているとなんだか心が落ち着いて、狭くなっていた視野が段々と元に戻ってくる。
一体何だったのだろうかと視線を彷徨わせてみると、すぐ近くにラーテの顔があった。ラーテが自分の顔を俺の顔にすり寄せていたのだ。その恐ろしく整った顔が、とてつもなく優しい眼差しで自分のことを見守っているのだと自覚すると、今度は別の意味で心臓が早鐘を打った。ときめいている場合では無いのに。
「もう一度だけ問おう──」
慌てるようにラーテから視線を外すと、謎の人物と対峙しているヴォルクが丁度口を開いたところだった。その声は低く、どこまでも冷たい。
ヴォルクは、目の前の人物があの時と同じ奴だと気づいているだろうか。
あの時は、背後に俺がいたということもあってか、ヴォルクはかなり苦戦を強いられていた。今も、場所は違えどヴォルクの後ろに俺がいることに変わりはない。ヴォルクはまた、本気を出すことが出来ず苦戦する羽目になるのではないだろうか。
「──何の話だ? お前は今、誰と話しているつもりだ?」
そして、恐らく『お前は誰だ?』と言おうとしたところで、謎の人物の姿が消えた。
「ヴォルケルド・レオマティアァァァァッ!」
ガキィンと何かと何かがぶつかり合う音が響いたのと、激昂した謎の人物がヴォルクのフルネームを叫んだのはほぼ同時のことだったと思う。
気付けば謎の人物はヴォルク目掛けて刃を振り下ろしていた。だが、刃は見えない何かに遮られヴォルクに触れることは無い。それを見越していたのかヴォルクは一歩も動いていないようだった。
「貴様がこれからやろうとしていることは全て知っている! 俺は、その全てを止めてみせる!」
謎の人物はヴォルクの問いに答えない。ヴォルクの名を叫んだから一応相手を間違えているわけではないようだったが、これ以上の意思の疎通は難しいように思えた。ヴォルクの何を知っているのかは知らないが、ヴォルクを最初から『そういうもの』として決めつけているのだ。その先入観をどうにかしてもらわない限りは、意思の疎通なんて出来る筈もない。
それにしても……なんだろう。言葉の端々が引っ掛かることばかりだ。
何度も繰り返し口から出る、『未来』を知っているかのような発言。それを受けた想像力豊かな俺の頭が、一つの仮説を立てようとしている。そんな馬鹿な、と何度も否定しかけるが、否定しきることは出来ない。更に不思議なことに、その仮説を明確な言葉にすることも出来なかった。まるで、何かに制限を受けているかのようだ。
「貴様に奪われる命がこれ以上増えないよう、俺は──!」
「これ以上は時間の無駄だ」
まるで悪に立ち向かう主人公のように叫びながら、謎の人物は攻撃を続ける。勿論、その全てが見えない何かによって防がれており、ヴォルクは微動だにしていなかったのだが、やがて深いため息を吐くと右手を謎の人物に向けて口を開いた。
何かを仕掛けてくる。当然そう考えたであろう謎の人物は後ろ向きに跳んで回避行動を見せる。だが、ヴォルクが行ったのは攻撃などではなかった。
「しまっ──」
己の失態を悟った声が聞こえた頃には、俺たちは足下に現れた魔法陣の放つ白い光に包まれていた。
白い光が消えると、目の前の景色はガラリと変わっていた。
神殿だろうか。白と黒の柱が規則正しく並ぶ部屋の中央に、黒い祭壇が鎮座している。祭壇の周囲は赤黒い炎を灯す松明によって照らされている。ここはどこだろうか。
「ここは俺の神殿だ。アイシムリアに来てたのが幸いだったな」
ため息混じりに言うヴォルクは髪の毛先や指先など身体の末端が黒く変色し、ユラユラと炎のように揺らいでいた。本来の姿が滲み出ている、と言えばいいのだろうか。こういう姿を見ると、改めてヴォルクが人間ではない存在だということを知る。よくよく考えてみれば、この場には俺以外に人間なんていないわけだけれど。
で、だ。
俺の神殿ってどういうことだ? あまりにも自然に出てくる単語だからついつい聞き流しそうになってしまったが、分からないにも程があるぞ?
「ッ!」
「うおッ!? ど、どうしたんだラーテ?」
俺は相変わらずラーテにお姫様抱っこをされたままなので、ラーテが動くと必然的に俺の身体も振り回される。何かに気付いたのか、ラーテは弾かれるように動き出し、仕舞いには走り始めた。
待て待て待て、視界が揺れるしそこそこ速度が出てて怖いんだが!? せめて俺を下ろしてからにしてくれないか!?
「ッ、入ってはいけない場所」
「え?」
「早く出る。今すぐ」
ラーテの顔色は悪い。血の気が失せているようにも見える。
入ってはいけない場所。ラーテは確かにそう言った。言われてみれば確かに、という気持ちも湧いてくる。炎に照らされた祭壇しかない部屋なんて、神殿の最深部に決まっている。
「まあ待て。俺が連れて来たんだから何の問題も無いぞ。それよりも、まずはじっくりと話をしような。なぁ、カナメ?」
ヒェッ!
ヴォルクの口調は穏やかだけど確実に怒っている気がしてならない。名前を呼ばれると背筋がゾッとした。怖い、怖すぎる。
「お前は、俺に言うべきことがあるんじゃないか?」
走るのをやめたラーテの目の前に、ニコニコと笑みを浮かべたヴォルクがやって来る。そして、覗き込むように強制的に俺と目を合わせて来る。
その威圧感に、なるほどこれが魔王か、と妙な納得をしてしまったのだった。
ヴォルクの口調がわからなくなって来ました




