四十三ページ目:足の向くままに
おお……我が愛しの大地よ。こうして生きて再会できて本当に嬉しく思うぞ……うっぷ。
「要 イツマデ寝テルノ?」
アイシムリアまであと少しでたどり着けるという地点で降ろしてもらうと、俺は地面との再会を心の底から喜び、全身でハグをしていた。うつ伏せに倒れている、ともいう。
そんな状態でしばらく身体を休めていたのだが、飽きてしまったらしくシキが俺の身体を揺らしながら問い掛けてくる。まだ回復しきっていないからやめてほしい。これ以上揺らされると内臓が口から出そうだ。
よく考えてみたら、帰りはこの倍の距離を飛ぶってことになるんだよな。ラーテとこの後別行動をとる予定は無いから、可能性は高い。この倍の距離、果たして耐えられるだろうか。絶対に無理な気がする。慣れていればもしかしたら耐えられるかもしれないが、たった一回経験しただけで慣れるわけがない。精々、ラーテの上で嘔吐してしまわないよう根性でどうにかするぐらいだ。頑張ろう、俺。
ヴォルクはどうやって俺のことを保護しながら飛んでくれていたのだろう。きっと、何かそういう魔法を使ってくれたんだろうな。俺にそれが再現できたらいいけれど、再現できたとしても魔力の調達が難しい。このアンクレットみたいな特殊な素材でも使わない限り、俺には扱えないだろうな。
そうやって色んなことをポツリポツリと考えていたらかなり体調が回復した。もう起き上がれるし歩くこともできる。もう一回飛べと言われたらちょっと厳しいけど、アイシムリアはもう目の前だしそんなことは起こらない。よし、行こう!
「待チクタビレタヨ」
「ごめんごめん。ラーテもごめんな。あと、乗せてくれてありがとう」
シキとラーテに謝罪しつつ、そういえばラーテにお礼を言っていないなと思い出した。お礼が後付けみたいになってしまったのはちょっと申し訳ないな。本当は降ろしてもらった時に言えれば良かったけれど、正直それどころじゃなかった。
ラーテは感情の読めない目を俺に向けているが、特に気分を害したわけではなさそうだ。それならよかった、かな? アイシムリアでラーテが好きそうなものがあったら思う存分食べさせてあげよう。海鮮目当てで来たけど、甘いものもあるといいな。
さて。
トルーペルとは違って、アイシムリアには検問が無い。一応街に入る為には門をくぐらないといけないが、門は大きく開け放たれている。検問が無いから検問待ちの列は出来ていないけど、出入りする人の数が多いから、人の流れに乗らないと入ることは出来なさそうだ。
はぐれてしまいそうなのでシキにはまたピアスの様な形になって俺の耳にくっついてもらった。噂を聞きたいわけではないから魔力の結晶は渡していない。
ラーテとは手を繋いで歩くことも考えたけど、ちょっと恥ずかしかったのでそのまま歩くことにした。お互いがお互いのことを気にしていればそうそうはぐれることも無いだろう。
などと、浅はかな考え方をする俺が悪いんだろうな。
「……っ!? ゲェーッ!」
ラーテを見失わないよう、緋色の髪を眺めていたら目に入ってしまった。
鮮やかで苛烈な真っ赤な髪と、見覚えのある綺麗な横顔。その美しい顔には、道行く人の何人かが見とれている。俺もついつい見とれてしまうところだった。正しくは、見とれる前にそれが誰なのか脳が理解して反射的に目をそらしたのだが。そして、女性にはあるまじき声を出してしまった。
レオマティア・ヴォルケルド。今一番会いたくない人物が俺の目に映る範囲に居た。
「ヤバいヤバいヤバいヤバいヤバいヤバいヤバいヤバいヤバいヤバいヤバい!」
「要!? ドウシタノ!?」
「逃げるぞ!」
「エ!? エェッ!?」
絶ッ対に怒られる。物凄く怒られる。しばらく家に閉じ込められる程度には怒られる! だって、ヴォルクのことを騙して出掛けて来ているんだ。駄目だと言われているのを振り切ってここに来ているんだ。怒られるに決まっている。まだ海も海産物も堪能していないのにこんなところで連れ戻されるわけにはいかない。
幸いにして向こうはこちらの存在に気付いていないようだ。なら、この人込みに紛れ込んでさっさと逃げるに限る!
それにしても、どうして俺がここに来るってバレたんだろう。行き先は誰にも告げていないのに、バレるのが早すぎる。いや……待てよ? 俺は、この旅行中に一度だけ行き先を他人に話したんじゃないか? トルーペルでの検問。トルーペルの訪問理由を答えた時に、俺は何と答えた?
「……『観光に来ました。この街を見た後はアイシムリアに行くつもりです』」
ああ、記憶力のお陰で一字一句違わず思い出すことが出来る。
ヴォルクはこの国の王だ。検問の情報が耳に入ったとしても不思議ではない。それどころか、あの検問がヴォルクの指示によるものだった可能性だってある。
ああ、クソ! してやられた!
不幸中の幸いなのが、俺がもうアイシムリアに到着しているってことは恐らくまだバレていないということだ。俺に魔法は使えない。それらしき道具を持っていないのもヴォルクはよく知っている。そして、トルーペルにはそんなありきたりな道具は売っていなかった。調達する手段が無いのなら、普通に考えれば俺には歩くという手段しかない。ラーテという裏技を使っているということは流石にバレていないはずだ。トルーペルにいるときはラーテと一緒では無かったのだし。
出来るだけ存在が目に触れないように、身を屈めて人の隙間を縫うように歩く。様々な種族が居るお陰で俺の髪色はそこまで目立っていない。有難いことだ。
手のひらがじっとりと嫌な汗をかいているのが分かる。心臓は五月蠅いほど鳴り響いている。そんなに響いていたらヴォルクに気付かれてしまう。嗚呼、もっと急がないと。早く、早く、ヴォルクから遠くへ。
早く逃げたいという気持ちを抱えたまま、どれだけ歩いただろうか。街の様子を眺める余裕もなく、気づけば俺は大通りを外れて路地裏のような場所に迷い込んでいた。ここまで来た道順は全く覚えていない。さて、困った。
「……あれ」
更に困ったことに、近くにはラーテが居ない。逃げることに必死になりすぎて、ラーテとはぐれてしまったようだ。それどころかシキすらいない。耳にくっついてもらっていた筈だが、何かの拍子に離れてしまったらしい。
さて、どうしたものか。
二人を探したいのは山々だけど、土地勘も無いからどこに歩けばいいのか分からない。それに、無暗に歩けばヴォルクに見つかる危険性もある。この世界に存在するのかは知らないが、俺に探査魔法みたいなものが使えればすぐに合流できたかもしれないのに。
ラーテだけなら、もしかしたらあの羽飾りで俺の居場所を伝えられるかもしれないけれど、ラーテをドラゴンの姿で召喚してしまう可能性もある。なによりラーテに要らぬ心配をかけてしまうし、あれを使うのは最終手段ということにしよう。
嗚呼、本当に困ったぞ。
留まるか、動くか。究極の二択だ。
「……よし、行こう」
悩みに悩んだ末、俺が選んだのは『動く』という選択肢だった。
確かに動いた方がヴォルクに見つかる危険性は高まる。だが、ここに留まっていても、ヴォルクに見つからない訳ではない。それならば、いざというときに逃げられるようこの辺りの道は知っていた方がいい。
さて、まずは人の居るところまで戻ろう。こう人気の無い場所では分かりやすく見つかってしまう。子供の頃に見た絵本と同じだ。人混みの中に紛れていた方が探すのに苦労する。
気が動転していた俺は本当に路地の奥へ奥へと入り込んでしまったらしい。細く入り組んだ路地裏はどこも同じような景色に見えてしまって困る。何度曲がってみても、道の先に大通りらしきものは見えない。
だが、同じ場所をずっとぐるぐると歩いている訳でも無いらしく、しばらくすると階段が目につくようになった。路地裏に入り込んだときに階段を昇ったかどうか記憶には無い。ただ、来た道を戻るよりはいいだろうと思って俺はそのまま進んでみることにした。
「……いやー、完ッ全に道を間違えたな」
それからしばらく歩き続けた俺は、思い切り道を間違えたということを思い知ってから足を止めた。でもまあ、道を間違えて良かったのかもしれない。
青く、蒼く、どこまでも続く海と、その海が透けて見える透明の砂浜。相変わらず雨が降り続いていてどんよりとした厚い雲が空を覆っているというのに、それに構うことなく鮮やかで美しく、キラキラと輝く海が目の前にあった。俺がどうしても見たくて仕方の無かった海だ。
「……はは、すっげーな……」
自称神に願ってる文才を手に入れたというのに、この感動を表す言葉は何も出てこなかった。言葉にすること自体が無粋なのかもしれない。絵にすることさえ烏滸がましいと感じてしまうほどだ。
感動のあまりしばらくそこから動けなくなってしまった俺は、感動の渦から心が戻って欲が芽生えたところでゆっくりと足を動かし始める。
もっと近くで。もっと、もっと。
その透明な砂浜を自分の足で踏み締めて、自分の手でとって、じっくりと観察したい。空の暗さに影響されることなく、打ちつける雨を吸い込みながら尚も青く澄み渡っている水の温度を知りたい。
止めどなく溢れる好奇心が俺の身体を突き動かした。
砂浜に足を踏み入れると、シャリシャリと小気味良い音がした。足元を見てみれば、砂浜の上に立っている筈なのに、海の上に立っているような錯覚に陥り不思議な気分になった。
しゃがんでその砂に手を触れてみると、ひんやりとした気持ちのいい温度が伝わった。冷たくて、気持ちよくて、美しい。少しずつ体温が奪われていく感覚が、吸い込まれそうで癖になりそうだ。
砂を少し掬ってみる。ひんやりとした温度は相変わらずだ。手を傾けてみると、砂は一粒として手に残ることはなく全てが落ちていった。スルリと手から零れ落ちて消えていく姿がどうしようも無く切なくて儚い。
「……ああ、」
しゃがんでいたはずの俺は、気付けば膝をついていた。これまで何をしていたのか、何をしようとしていたのか、その全てが何もかも分からなくなってしまうほどに、俺の心はこの海に囚われてしまっていた。
……困ったな、動けそうにない。でも、動かなくて良いのかもしれない。心が洗われて、穏やかな気持ちで居られるなら、ずっとここに居たって……
「……え?」
何だ、急に。
視界から突然海が消えた。手のひらから砂の温度が消えた。誰だ、俺からあの海を奪ったのは。
「────」
声が出ない。身体も動かない。
そうなってようやく思い出した。俺は見つからない為に逃げながら、道を覚えようと歩き回っていたんだった。
俺は、一体、何に見つかった?
山の民なので海を見ると興奮してしまいます。




