四十ページ目:雨音のままに
「いやー、食べ過ぎたな」
朝食はバイキング形式だった。この世界にもバイキングという概念があるのが驚きだ。だけどやっぱり、あるもの全部食べてみることが出来る上に、好きなものを好きなだけ食べられるんだから最高だよな。ついつい食べ過ぎてしまった。
見たことも無いような料理ばかり並んでいたから、何て名前の料理なのかがさっぱり分からなかったのが唯一の心残りだ。真っ赤な炊き込みご飯みたいなものとか、青いグラタンの様なものとか。フルーツサラダみたいなのもあったな。あれはデザートの分類だったのだろうか。それともサラダとして鎮座していたのだろうか。料理名は一切書かれていなかったから永遠の謎だ。そうそう、漬物みたいなのも美味しかったけど、何の漬物だったか分からずじまいだったな。
なんて、朝食の余韻に浸りながら俺は宿を後にする。また来たいな。具体的には、街全体の工事が終わる直前ぐらいに。生きている街として誕生する直前、二度とないその瞬間をこの宿で眺められたら最高だろうな。
「ええと……『る』? じゃないな。『れ』じゃなくて……『るえ』? どう発音してるんだ、あれ」
土砂降りの雨を前に、八ダルで購入したアンクレットを早速使ってみようと思ったのだが、それを発動させる為の呪文が上手く発音できない。『雨』って頭の中では簡単に思い浮かぶけれど、どうやって言葉にすればいいのだろう。日常会話では発音することのない音だからどうしたらいいか全く分からないな。
「シキ、発音の仕方教えてくれないか?」
「ンー? 普通ニ 言エバ 良インダヨ! 『雨』! ホラ 簡単ダヨ!」
駄目だ、全く参考にならない。なんとなくそんな気はしていたけど、呪文は着用者本人が唱えなければいけないらしい。シキから正しい発音を引き出したけど、アンクレットは全く起動する気配を見せなかった。困ったな……
こうなったらダメ元で別の方法を試してみるしかないな。『雨』という言葉がキーになっているのなら、別の言語で唱えてみたら発動するだろうか。日常会話と言語を分けるぐらいだから、こっちの言葉ではダメだろう。でも、日本語とか英語とかだったらいけるかもしれないよな。
「『雨』!」
反応なし。日本語はダメみたいだ。
「『雨』!」
これも反応なし。俺の英語の発音が悪いのか?
ええっと……他の言語。他に雨ってなんて言うんだったかな……。他の言語に興味を持った時期もあったけど、真剣に学んだわけでも無いから覚えていない。これは使うのを諦めるしかないか? でもなぁ。
「この世界、『傘』が無いんだもんな……」
「カ? 要 今 ナンテ言ッタノ?」
「『傘』だよ。手で持てる屋根みたいなのがあって、雨に濡れずに歩ける道具なんだよ」
「ヘェ 面白イネ」
面白い、と口では言いながらもシキは殆ど興味を持っていないようだった。それもそのはず。魔法や魔法道具で雨に濡れない手段があるのだから、ある程度は雨を防げるけど手がふさがるちょっと不便な道具なんて必要が無いのだ。興味よりも不便さが目立ってしまうのだろう。横雨は何も防げないし、視界は悪くなるし、何より荷物になるので、俺としても他に便利な手段があるのなら傘なんて要らないと思う。まあ、その便利な手段が使えなくて、今とても困っているわけなのだけれども。
雨は止みそうにもない。少なくとも、今日一日は振り続けるだろう。
仕方ない、濡れていくしかないか。
意を決して一歩、屋根のない場所へと踏み出していく。ぐちゃり、と地面がぬかるんだ。走れば跳ねた泥で服が汚れるだろうなぁ。その後のことを考えるとかなり憂鬱だ。
「……あれ?」
嫌だなぁ。嫌だなぁ。と思いながら歩き始めた俺だったが、十歩程進んでから違和感に気付いた。
そういえば全く濡れていない。何故だろう、アンクレットを起動させるための呪文は唱えられなかったというのに。
「エエト 『カ? サー?』ッテ 要ガ言ッタラ 動イタヨ」
「え? そうだったのか?」
「ウン 気ヅイテルト 思ッテタヨ」
気付くわけがない。何か保護膜みたいなものが展開されたわけでも無いし、アンクレットが光を放ったわけでも無い。もしかしたら魔力で全身が覆われているとかそういうのかもしれないけれど、俺には魔力なんて感知できない。
だがまあ、『傘』と呟けばこのアンクレットを使えるってことが分かったのだし良しとしておこう。日本語でも問題なく呪文として反応するということは、多分言葉よりも言葉の持つ意味の方が大事なんだろうな。『雨』も直訳すれば『雨』という意味になるのかもしれないけど、本質はどちらかといえば『傘』の方が近いのだろう。もしかしたら、『雨が降っているから膜を展開して濡れないように保護しろ』というのを一言にまとめて『雨』だったのかもしれない。よく使う道具の呪文が長かったら不便だもんな。
さて、濡れないことも分かったことだし、雨の日のトルーペルを思い切り楽しむことにしよう。
「──すっげぇな、やっぱり」
宿へと続いていた坂と階段をひたすら下り続けていると、遠くから見えていた景色が目の前に現れる。町全体を覆う水溜まりはただただ美しく、空の上に浮かんでいるような錯覚を覚える。地球で言うウユニ塩湖がこういう景色になるんだったか。実際に行ったことは無く、テレビやらネットやらで見ただけだからそれに近しいのかは分からない。ただ、一生のうちにこの景色を見ることが出来て良かったと思えたのは確かだった。
そんな景色を見ている内に、今更ながら一つ、気付いたことがある。
これだけの雨が降り注いでいるのだから、全てをかき消さんばかりの雨音がしているのだろうと思っていたのだが、予想に反して雨音が一切聞こえない。宿にいた時はあんなにも激しい雨音がしていたと言うのに、だ。聞こえてくるのは複雑で繊細なピアノの旋律と凛とした鈴の音や細かに刻む乾いた太鼓の音。めちゃくちゃに鳴らしているようにも聞こえるけど決して耳障りな音ではない。むしろ心地良い。一体どこで鳴らしているのだろうか。
「コレハ 雨ノ音ダヨ」
疑問を口にしたわけではないのだが、キョロキョロと辺りを見回す不審な俺にシキが何かを察したらしい。この音の正体について、シキはそう教えてくれた。
だがあまりにも信じられない答えに俺は思わず立ち止まった。確かに雨の音で癒されることもあるし、場合によっては音楽として聞けなくもない。が、それはもっと可愛らしい程度の雨での話だ。今のような土砂降りではドドドドと轟音が響いている。宿にいた時は少なくともそうだったのだから、これは地球だけでなくこの世界でも共通の認識のはずだ。
「雨ノ音ガ コウナノハ コノ町ダケダヨ」
「それは流石に知ってるよ」
「ソノ内 コノ国 全部デ コレヲ ヤルミタイダヨ」
「それは初耳だ。出来るのか?」
「イツカ デキルヨ」
『いつか』ということは、少なくとも今は難しいんだろうな。どういう仕組みでこんなことになっているのかはさっぱりわからないけど、地面にうっすら光る魔法陣が関係しているのだとしたら消費する魔力量が尋常では無さそうだ。
階段と坂を下りきると深い水溜まりの中に足を踏み入れることになった。水はだいたい足首ぐらいまで溜まっているが、不思議と歩き難さは無かった。もっと水の抵抗を感じるものだと思っていたけど、普通の地面を歩いているのと何ら変わりはない。当然のことながら、アンクレットの効果で靴の中がぐちゃぐちゃになるということも無かった。
…………。
ふむ。
「ワッ!? 急ニ ドウシタノ?」
「んー? いやぁ、どうなってんのかなぁって」
アンクレットの効果で濡れないのは分かったが、どういう仕組みで濡れないのか、どうやって水をはじいているのか、歩いていても水の抵抗が感じられないのはアンクレットの効果によるものなのか、色んなことが気になってしまったのでとりあえずしゃがんでみた俺に、シキが怪訝な表情を浮かべた。
キュートな妖精ボディでもそんな表情が出来るらしい。邪悪な笑顔と併せて二度としてほしくないな。
さて、その場にしゃがんでみた結果だが、どうやら俺の身体が目には見えない膜のようなものを纏っているらしいことに気付いた。膜は俺の身体から数センチ外側にあり、そこから内側には水が浸入してこない。もし、顔を水につけてみたらどうなるんだろう。水は通さず、空気があるのなら水の中でも難なく呼吸が出来そうだ。好奇心がかなり疼くけど、流石に水溜まりに顔を突っ込むわけにもいかないからグッと堪える。いつか風呂とかで試してみることにしよう。
もし水の中でも呼吸が出来そうなら、俺の活動範囲がぐっと広がるな。世の中には水の中に潜らないと見られないような絶景が当然存在する。前世の貧弱な俺では絶対に見ることの出来なかった景色が見られるかもしれないと思うと心が躍る。ああ、楽しみだ。
「要 コノ後ハ ドコニ 行クノ?」
のんびりと雨のトルーペルを眺めながら歩いていると、シキがそう問いかけてきた。そういえばシキにこの後の予定とか何にも話していなかったことを今更思い出した。
「今日はウィリゼをもう少し買ったらここを出て、アイシムリアに向かうつもりだ。ここからアイシムリアまで歩くとどのくらいか分かるか?」
「アイシムリア? ウーン……要ノ 足ダト 十日ハ カカルヨ?」
「十日かぁ……」
その間にヴォルクに見つからないことを祈るしかないな。それとももう、俺を探すことは諦めているか? どちらにせよ帰ってきたときに怒られそうな気がしてならないが、今の俺は立派な大人なのだから大目に見てほしいところだ。
なんて、いつ来るかも分からないヴォルクのことは忘れて、今は旅行に専念しよう。昨日行ったウィリゼの店は確かこっちだったか?
「あ。シキはウィリゼ食べられるか?」
「分カラナイ 食ベタコト無イ デモ 人ノ 食ベ物美味シイカラ 好キ」
「そっか。じゃあウィリゼも食べられるかもしれないな」
ウィリゼは昨日十本買ったわけだが、シキが一緒に行動するのならそれだけじゃ足りないことに気付いたのだ。しかもアイシムリアまで歩いて十日かかるなら、俺一人でも足りない。この先の食糧の確保は出来るだけしておいた方が良い。幸いにしてウィリゼはかなり日持ちするそうだから、多少多めに買っておいても大丈夫だろう。美味しいから家に帰った後でも食べたいし。
記憶を頼りに歩いていると、ほとんど迷うことなくウィリゼの店にたどり着いた。
「すみま──」
早速ウィリゼを買おうと、店の中を覗きつつ声を掛けようとしたのだが、その途中で思わず止まってしまった。目の前の光景に釘付けになってしまったのだ。
「ほい、お待たせ。いつもありがとうな」
「……こちらこそ」
木で作られているであろうお面をつけた店主らしき人物と、今にも消えてしまいそうな儚さの頭の天辺から爪先まで真っ白な少女。その隣の台にこれでもかという程積まれた大量のウィリゼ。
真っ白な少女は無表情のまま、その大量に積まれたウィリゼを一つ一つ丁寧に手に取っては宙に置くような仕草を見せた。置かれたウィリゼは少女の手を離れた瞬間に消えてなくなっていく。これは恐らく空間魔法だろう。ポーチなどではなく、空間そのものに収納するタイプのものを実際に見たのは初めてだ。
驚くべきはその量だけではない。普通のウィリゼは試験官のような器に入っているのだが、彼女に用意されたものは大きめのビーカーぐらいのサイズの器に並々と入れられていた。確かにウィリゼは美味しいけれど、そこまで大量に食べる物だろうか……? そんなに食べるぐらいなら他の物もいっぱい食べてほしいところだ。
大量のウィリゼを全て収納し終えると、真っ白な少女は「また来ます……」と消え入りそうな声で店主に告げ、店を後にした。振り返った瞬間、棒立ちの俺と目が合ったがお互いに会釈もせず、にこりともせずすれ違って終わった。
後に残ったのは、『世界にはいろんな人がいるんだなぁ』という、漠然としてありきたりな感想だけだった。
2月ですって。早いものです……
雨の音で曲を作ってる人、世界のどこかには居そうだなって思いました




