三十五ページ目:名前のままに
結論から言うと、謎の物体は妖精だった。
お互いにパニックに陥り訳もわからず感情のまま叫び散らす状態から冷静に言葉を交わせるようになるまで随分と時間がかかってしまったが、それでも言語で意思の疎通が図れるというのは幸いだった。少しずつお互いの持つ情報を組み合わせていったら状況を理解するところまで来れたのだから。
どうやら、魅力的なくらい魔力の密度の高い場所を見つけ、誘われるがままにその方向へ向かったところ俺の噂箱の中に辿り着いたらしい。妖精たちは魔力の流れに乗って移動することができるらしい。俺が噂箱を使ったから、噂箱への魔力の流れができて辿り着くことが出来たんだろうな。それ以上のことは理解できなかった。
「その……魔力に乗って移動するっていうのは誰でも出来るものなのか?」
「ンー? 妖精ナラ皆デキルヨ!」
「精霊は? 炎の精霊とか」
「? 精霊様ハ ドコニデモ イルヨ? 炎ノ精霊様ナラ 炎ガ 精霊様ソノモノ ナンダカラ」
「炎が精霊そのもの……」
っていうことは火を起こしたら何処にでもヴォルクは出現できるってことか? 火さえ無ければどうにかなるけど、火を起こさずに生活なんてかなり難しいぞ……だって、まず夜にランプが使えなくなる。今はここにいるからいいけど、この後アイシムリアに移動する時にはランプがないと絶対に無理だ。
参ったな、せめてこの世界の海だけでも一目見たいところなんだが……。
なんて、俺がうんうんと唸っていると妖精が「アア デモ」と思い出したように言った。
「黒焔様ハ 違ウヨ」
「黒焔様?」
「黒焔様ハ 特別ダカラネ! 簡単ニ 喚ベル存在ジャ無インダヨ」
ただの炎とは違うから、炎があるところなら何処でも出現するわけではないということは分かった。分かったが……そもそも、黒焔様って誰だ?
聞いてみようと思ったのだが、妖精はもうこの会話に飽きてしまって、部屋の中を飛び回っては至る所で笑い声を響かせている。多分この和室が珍しいのだろう。
「草? 草ノ床ダ! ボコボコ! デコボコ! カナメ カナメ コレハ何?」
「コッチハ 紙ノ窓ダ! 窓ノ後ロニ マタ窓ガアル! ナンデ!?」
「オモシロイ! オモシロイ! 見タコトナイモノ イッパイ!」
「ネエネエ コレハ何?」
「カナメ カナメ」
「コノ床トレル! 全部トレル!」
「ヘンナイス! ヘンナカタチ!」
「フシギナ扉 絵ガ描イテアル」
「ミタコトナイ花! 知ラナイ花!」
部屋を縦横無尽に物凄い速度で飛び回っているものだから、四方八方から妖精の楽し気な声が聞こえてくる。相槌もままならないし、その動きは最早目で追えていない。うーん、どうしたもんかな。
楽しそうにしている姿は微笑ましいのだが、そこかしこから決して小さくはない声が響き続けている状況というのもそこそこ疲れるものがある。旅先で精神を擦切らせたくはない。あと出来ればもう少し静かにこの和室を堪能したい。
……あ、そうだ。
「なあ、煎餅があるんけど俺と一緒に食わないか? 俺が作ったので良ければ茶もあるぞ」
「食ベル!」
都合のいいことに二つずつ用意されていた煎餅の片方をちらつかせると、現金な妖精は動きをピタッと止めて俺の目の前に現れた。そして俺から煎餅を受け取る。相変わらず溶けた球体みたいな形をしているのでどんな表情を浮かべているのかは分からないけど、声から察するに上機嫌なんじゃないだろうか。
湯呑を二つ持ってきてそれぞれに雑草茶を注ぐ。片方を妖精に渡して、もう片方は自分で一口。さっきまで水筒で飲んでいたけど、こういうのは雰囲気が大切だからな。
妖精の身体より湯呑も煎餅も一回り程大きいけど、そこは器用に食べて飲んでいる。このサイズの食事に慣れているのだろう。心配することは無さそうだ。さて、俺も煎餅を食べよう。
手のひらサイズの煎餅はやや厚みがあって濃い茶色をしている。かじってみればパリッと乾いた気持ちのいい音がして、口の中には甘じょっぱい醤油の味が広がった。饅頭に続いて煎餅にも泣かされそうだ。
「ネエネエ!」
なんて余韻に浸る間も無く、煎餅も雑草茶もすっかり平らげた妖精が元気な声を上げた。
「カナメハ ドコカラキタノ?」
どこから、と問われると一瞬言葉に詰まってしまう。シンティセルに住み始めたのは最近のことだから、予め用意しておかないとまだまだ咄嗟に出てこない。
だが、「シンティセルだよ」と答えても妖精は「ソウジャナイヨ」と身体を横に震わせるのだった。
さて、困ったことになった。この妖精、無邪気な装いをしているがその実かなり聡明と見た。その声色は俺に質問を投げかけつつも、俺が異国の者であるという確信を持っている。だが、だからといって簡単に異世界から来たなんて話を出来るわけもない。噂箱から出てきた妖精だ。きっと、噂箱で噂を流すことだって出来るだろう。異世界から来た者がいる、なんて噂を流されたらたまったものではない。ここはどう切り抜けるべきだろうか。
「ンー……ソウダ! 名前! 名前ヲ ツケテヨ!」
「名前?」
「名前! 名前ハ 約束ニ ナルヨ! ダカラネ ダカラネ 名前ヲ ツケテヨ!」
それまで少しばかり悩む素振りを見せていた妖精は、名案だと言わんばかりに底抜けに明るい声で言った。俺の考えるものが正しければ、そんな軽々しく口に出来るような提案ではないというのに。
どの世界でも大体そうだと思うのだが、名付けというのは特別な意味合いを持つ。名を付けたものを僕にする。名付け親を主とする契約を結ぶ。名付けによって所有を明らかにする。名前で縛るってのもよく聞くな。
名前を得ることで力を得るみたいなこともあるけど、それは多分名付ける側の力を与えられて云々とかそんなのだ。魔力欠乏症と言われた魔力を持たないこの身体から与えられる力があるとは到底思えない。
だというのに、この妖精は何を目論んで名付けなんてものを持ち出しているのだろう。この世界で名付けを行なった場合何が起こるのかは知らないが、妖精が『約束』と口にした以上、何らかの契約が生じる筈だ。名前で縛られて、何らかの制約がかけられて、それで得るものが俺の個人情報というのはなんというか……かなり割に合わないのではないだろうか。自らそう申し出ている以上俺が気にする必要は無いのかもしれないが、何というか罪悪感が募る。
「難シク考エナクテ 大丈夫ダヨ カナメト 一緒ニ イラレルヨウニ ナルンダカラ 一緒ニ イラレルナラ 嬉シイヨ」
悩みに悩んだ末、妖精に本当に名前をつけてまでしたいことなのか確認してみると、妖精はあっけらかんと答えた。裏表なく放たれた素直すぎるその言葉は、聞いているこっちが照れてしまう。
そうか。そうだな。
友人の呼び名が無いのは不便だよな。
「──シキ。俺は、これからお前のことをシキと呼ぶよ」
友人に名前なんて付けない。友人に付けるのはあだ名だ。俺だけが呼ぶ、呼び名。そう受け取ってほしい。そんな思いを込めながら、俺はシキに手を差し出した。
この世界に握手という文化はないだろうが、シキは俺の意図を汲んでくれたらしい。俺の手にピタリと小さな身体を寄せて、嬉しそうに全身を震わせた。
「【チキュウ】ッテトコロハ 面白インダネェ」
噂に流すことは絶対にないというので、俺はシキに地球で死んでこの世界に転生したこと、神と名乗る者にこの身体を与えられたこと、能力のこと、この世界に来てからのこと、その全てを話した。シキになら全部話してしまっても構わないと、何故かそう思えたのだ。ヴォルクにすら出会ったばかりの頃は全てを話そうとは思わなかったというのに不思議なものだ。
「ネェネェ」
好奇心旺盛なシキは地球に興味を持ったらしい。飛んだり跳ねたりしながら幼い子どものように気になったものを片っ端から質問してきた。俺はそれらの質問に、時折頭を悩ませながらもなんとか答えていった。五年以上離れていると、記憶が曖昧になっているものもある。だけど、前世の思い出に少し触れることが出来て楽しくもあった。
そんな質問の中でも特に印象深かったのがこれだ。
「『シキ』ッテ ドウ書クノ?」
勿論、この世界の文字の話ではない。
さて、五年も書いていない字を果たして思い出せるだろうかと不安になりつつも、俺は紙とペンを取り出すと手を動かした。
なんとか記憶をたぐり寄せて書いたのは『しき』と『シキ』と『四季』。シキはその三つを不思議そうに眺めていた。
「コレデ 『シキ』ッテ 読ムノ?」
「いや、三つ合わせてじゃないよ。三つとも『シキ』って読むんだ。俺の国では文字が三種類あって、これは『ひらがな』と『カタカナ』と『漢字』っていうんだ」
「文字ガ違ウト 何ガ違ウノ?」
「何が違うの、か……なんだろう、雰囲気かな……。あとはそうだな、漢字だと言葉の意味が変わることがあるな。同じ漢字でも読み方が変わるときもあるし、違う漢字でも読み方が同じ時もある」
日本語のあれこれに詳しいわけでは無いので、それぞれの意味合いを問われてしまうと答えに困ってしまう。だから俺は、それよりも簡単に興味を引けそうな漢字の話題にすり替えてみることにした。
『四季』と書いた隣に『式』や『死期』といった『シキ』と読む漢字を書いていく。頭の中にぼんやりと言葉は浮かんでも漢字が中々思い出せないので、書けたのは四つ程度だ。
「コレ全部 『シキ』ッテ 読ムノ?」
「そうだよ。こっちの『四季』は四つの季節って意味で、こっちの『死期』は命が尽きる時って意味。シキの名前は……『四季』が良いなって思ってるよ」
一緒にいてくれるのだと言ってくれた友人と四季を共に過ごすことが出来たなら。そんな願いが脳裏を過ってそう呼ぶことにした。この世界に春夏秋冬というものは無いけれど、それに近しいものを感じられる景色を一緒に見に行きたいとも、そう思った。
「シキも『四季』ガイイ!」
俺のそんな願いを知ってか知らないでか、小さな友人はそう元気よく肯定してくれたのだった。
四季って「いちとせ」って読まなかったっけ……とか思って調べてましたが、とうとうそれに行き着かなかったので私の記憶違いということになりました。
四季をいちとせって読むの好きだったんですけどね




