三十二ページ目:実験のままに
「ラーテって普段何を食べてるんだ? 好きな食べ物とか」
「緋は食べない。魔力摂取だけ」
「!?」
お腹も空いてきたしご飯の支度だな、とか思いながらラーテにそんな質問を振ってみると思いがけない答えが返ってきた。え? 何も食べないの? 魔力摂取だけするってどういうことだ?
驚愕のあまり口から言葉が出てこない俺をよそに、ラーテはリビングを物色し始めた。お目当てのものを見つけると、それを一つ手に取って俺のところへ持ってくる。まさか……。
「魔力摂取。緋食べる」
ラーテが持ってきたのは魔力の結晶だった。いやいやいや、確かに飴玉みたいにも見えて美味しそうではある。あるけども!
待て待て。冷静になろう、俺。人基準で物事を考えてはいけない。身体の構造が全く違う種族なのだから、人が絶対に食べないであろう物を竜が食べるのだとしてもそれはそういうものなのだ。だからここは、あのめちゃくちゃ硬そうな結晶を噛み砕ける竜族の顎ってすごいんだな、と思っておくだけに留めよう。
しかし、そうなると一緒にご飯を食べるのは難しいかもしれないな。俺は魔力の結晶を食べられないわけだし。魔力摂取という表現をしたということは、食を楽しむという感覚がないということだ。もしかしたら味覚も全く異なるのかもしれないな。味覚が無い可能性だってある。
「果物。他の竜食べる。肉。食べる竜いる。緋は食べたことない」
「そういうことかー!」
色々と難しく考えていたのにあっという間に覆された。ただ単にラーテが食に触れる機会がなかっただけだった。他の竜が果物やら肉やらを食べるということは、身体の構造上、消化器官がきちんと存在するということだな。いきなり固形物を食べられるかは微妙だが、ジュースとかそういう物だったら試しに口に含んでもらうことは出来るかもしれない。せっかくなら一緒に楽しみたいもんな。
初めての食事という記念すべき日を共にするのが俺でいいのかという疑問はあるけども。まあ、提案はしておこう。
「じゃあ試しに、何か食べてみないか? 俺、そろそろ何か食べるつもりでいたんだ」
「興味ある」
心なしかラーテの目が光ったような気がした。これはかなり興味があるやつだ。興味があるなら何故尚更今まで何も食べてこなかったのかという疑問はあるけども。まあ、置いておこう。
さて、それじゃあ早速何かを作ってみることにしよう。やっぱり最初は流動食から始めたほうが良いよな? となると俺が作れるものは限られてくる。前にクラレオが作ってくれたスムージーにしようかな。
ラーテと一緒にキッチンまで下りて食糧庫に入る。そこから林檎とバナナと葡萄とヨーグルトの実を持ってくる。それらを並べて包丁とまな板を用意していざ切ろうとしたところで俺ははたと気付いてしまった。
この家、そういえばミキサーが無い。
クラレオは魔法をミキサー代わりに使うという荒業でやってのけたけど俺にそんなことが出来るわけもない。どうしよう……。どろどろになるまで切り刻めばいいわけだからこの状態でもできなくはないけど汁が困るしな。本当にどうしよう。
「何する。緋も手伝う」
優しいラーテは困り果てた俺にそう申し出てくれる。一瞬、ラーテが竜になった状態でこれらを切り刻んでくれれば出来るかもしれないとか思ったけれど、器も一緒に木端微塵になりそうな気がしたのでやめた。何気にラーテに失礼な気もするし。だから俺は素直に状況を伝えた。
でも伝えたところで都合よく解決するわけもないし……。どうにか脳をフル回転させて解決する方法を考えよう。最悪の場合、スムージーを諦めて別のものにすればいいしな。
なんて頭を抱える俺に対し、ラーテは何でもないような顔で言うのだった。
「切り刻む魔法。緋使える」
「本当に!?」
そんな都合のいいことがあるのか!? これはもう、是非やってみてもらうしかない。
ラーテがやるなら外に出たいというので二人で裏庭に出る。するとラーテはいきなり自分の姿を元の竜の姿に戻した。背景が森になるとより一層映えるな……。良い。森の中のドラゴン。
ちなみに、後で何故魔法を使うときに竜の姿に戻ったのか聞いてみると、人の姿だと魔法が上手く使えないからだと言われた。人の姿になる時点で魔法を一つ使っているので、もう一つ別の魔法というのが難しいそうだ。確かに、同時に二つのことをやるのって難しいもんな。
大きめのボウルに包丁で程よい大きさに切った果物たちと氷を入れてラーテの前に差し出す。少し離れるよう言われたので、言われた通り距離を取るとラーテが天に向かって咆えた。周辺住民に配慮したのか音量は控えめだ。それでもビリビリと空気が揺れて、竜と人という存在の違いを思い知らされた気分だった。控えめに言って興奮する。
「うお、おぉ、おおおおッ!!」
やがてボウルのやや上を中心に渦を巻くように風が吹き荒れた。といってもボウルの大きさの範囲内なので俺や建物、庭の植物に大きな影響はない。ちょっと強めに風が吹きつけてくる程度だ。
風の動きが目に見えるというのは中々に新鮮だ。竜巻とも違うそれは、淡い緋色の光を纏っているようにも見えた。あの光がもしかしたらラーテの魔力なのかもしれない。
ボウルの中の果物たちは風に巻き上げられ、風の中で切り刻まれていく。見る見るうちに小さくなっていく果肉はすぐにどれがどの果物だったか分からなくなった。もうそろそろ完成だろう。
そうして風が吹きつける中様子を見守っていると、頬に冷たいものがかかったような気がした。雨だろうか。そう思って空を見上げたが、晴れ渡る青空はとても雨が降るようには見えなかった。
「……気のせいか?」
何だったのだろう。と思った矢先にまた一粒、冷たいものを感じた。まさか。これは、もしかして……
「待った!」
何となく嫌な予感がしたので声を張り上げつつラーテの方へ駆け寄る。しかしこれが悪手だった。
「ラーテ! 一回スト──寒うぅぅぅぅッ!?」
寒い! 凍えそうなくらい寒い! 吹き付ける風が物凄く冷たいからか何なのか分からないけどとにかくめちゃくちゃ寒い!
だが身を挺してラーテの近くに行ったお陰で、俺の声に気付いたラーテが魔法をやめた。すると風に巻き上げれれていた果物の残骸たちが重力に従ってボウルの中へ落ちるはずなのだが……。
「……何もないな」
「…………」
何も落ちてこなかった。それどころかボウルすらなかった。近くにかつてボウルだったであろうものの残骸が落ちているのが見えたので、まあ、お察しだ。肝心の果物たちがどこに消えてしまったかという話だが、俺もラーテも全身がぐっしょりと濡れているのでそういうことである。魔法で細かな作業をすることの難しさを身に染みて勉強することになってしまった。勉強って大事だな。あとクラレオってすごいんだな。
全身果汁まみれになった俺たちはシャワーで全身を洗い流した後、気を取り直して普通に料理をしてみることにした。ラーテには申し訳ないが、この際ラーテの消化器官への負担は深く考えずに作れるものを作っていこうと思う。とはいえ、俺が作れるものは限られてくるので探り探りにはなるけども。
悩んだ末に俺が食糧庫から持ってきたのはパンと牛乳と卵。パンケーキを作った時に牛乳と卵の味の相性が良かったのでフレンチトーストもいけるんじゃないかと思ったのだ。
パンはそのままだと丸いので二センチぐらいの幅で切る。卵は膜を破って中身を出して、牛乳はコップ半分ぐらいの量をボウルの中に入れて混ぜ合わせる。フレンチトーストってそのままでも何となく甘いイメージがあるから砂糖も足しておこう。
液が出来上がったら切ったパンを浸していく。しっかり漬けた方が好きなのでそのまま放置。その間にフレンチトーストにかけるものについて思いを馳せるけど、ヴェズィの蜜以外の選択肢がないな。フルーツソースなんて高度なものは俺には作れないし。
フレンチトーストだけじゃ多分足りないから二品目のことを考えよう。甘いものがあるからしょっぱいものにするか? ソーセージを焼いて食べたい気分だけど、この世界ではまだ一度も見たことがないしな……となると何がいいだろう。
どうしたものかと考えながら食糧庫の中を物色する。ラーテも俺の後をついてまわって、興味深そうに食材たちを眺めていた。
「うわっ……なんだ、これ」
食材たちを流し見していたが、禍々しい赤色の物体が視界に飛び込んできて思わず足を止めた。生肉たちの隣に鎮座するそれは卵の形をしている。殻が全体的に赤黒く、なんだか呪われそうな雰囲気すらある。サイズもなかなかの大きさだ。昔動物園で見たダチョウの卵より一回り程大きい印象を受ける。ヴォルクが用意したのだから食べられるもので、恐らく美味しいのだろうけどこれに手を出すのは勇気がいるな。
「ラーテ、これが何なのか知ってる?」
「紅猪の卵。食べる種族多い」
「へー、紅猪の……えっ!?」
猪の!?
まだまだ地球の常識に囚われている俺には衝撃的なことが多いな。そうか、この世界は猪が卵を産むんだな……。
食べる種族が多いのなら間違いなく美味しいんだろうな。それならここは試しに一つ食べてみることにしよう。植物の卵との違いも気になるところだし、出来るだけシンプルに食べてみたいな。目玉焼き……は、厳しいだろうからゆで卵にしよう。大鍋だったら入るはずだ。半熟が好きだけど、生食がいけるか分からないから固ゆでにして、余った分はたまごサラダだな。幸い、この世界にもマヨネーズに似た調味料があることは確認済みだ。
大鍋にたっぷりの湯を沸かして紅猪の卵をそっと入れる。肝心なゆで時間がさっぱり分からないので、とりあえず三点ぐらいはやっておこう。
なんてことをしている内にフレンチトーストの方がいい感じになってきたので、液に浸したパンをフライパンで焼いていく。本当はバターで焼きたいけど、バターに似た存在を知らないので今回は普通の油を使う。そういえばこの油の原料ってなんなんだろう。
片面ずつ焼いて、いい感じの焼き目がついたら完成だ。皿に盛ってヴェズィの蜜を掛ける。うんうん、見た目は完璧だな。
それでは実食。
「……うっっっっま」
思い描いていた通りのフレンチトーストの味がする。だがそれを遥かに上回るくらい美味いと感じる。なんだろう。分からないけど思わずにやけるくらいには美味い。食感もしっとりしていてとても良い。長めに液に漬けておいて正解だったな。
ラーテは最初、フォークとナイフの使い方に困惑していたようだったけど、軽くレクチャーするとすぐに覚えて、今では無言でフレンチトーストを口へ運び続けている。美味しかったのだと判断していいのだろうか。
しばらくラーテを観察していると、ラーテの皿はあっという間に空になった。そしてラーテは、その空になった皿をとても切ない目で見つめている。
「もう無い」
どうやら随分とお気に召したようだ。何なら空になった皿を俺の方に向けて無言でお代わりの催促をしている。『お代わり』という概念を知らないからなんていうべきか分からないんだろうな。そして残念ながらフレンチトーストのお代わりはない。試しで作っただけだからあんまり作らなかったんだよな。美味しくなかったらその後の処理が大変になるし。
なのでフレンチトーストは諦めてもらって、そろそろ茹で上がったであろう紅猪の卵を一緒に食べてもらうことにしよう。さて、どんな様子かな。
鍋の様子を見に行くと、赤黒かった卵は茹で上がって鮮やかな紅色に変化していた。なんだかタコを連想してしまう。
中の様子は分からないけど、火が通ったと信じて殻を割ってみることにしよう。火から下して水に晒して、触れるぐらいの温度になったら殻にひびを……
「堅ッ!」
嘘みたいに堅い。両手で持ってシンクの淵に打ち付けてもびくともしない。試しに殴ってみたら手がものすごく痛かった。こんなもんどうやって割るんだ? ハンマーか? ハンマーなんて持ってないぞ。
まさかのここで詰むとは。さてどうしようかと困り果てていると、ラーテが卵に手を出した。
「割るのか。緋がやる」
「殻だけ割ってくれよ。中身は食べるんだ」
「任せろ」
何故か自信満々のラーテは卵を持ち上げるとまな板の上に置いた。多分シンクだと低すぎて力が入りにくいのだろう。両手で抑えるように卵を持つと深呼吸を一つ。狙いを定めるような目つきで卵を睨みつけ、呼吸が整うと頭を一気に振りかぶった。なんで!?
俺が止める間もなく、ラーテ渾身の頭突きが卵に炸裂する。とても卵を割っているとは思えない轟音が鳴り響きしばらくすると、ピシピシとひびの入るような音が聞こえてきた。どうやら成功したらしい。
あれだけの力をもってしてでもひびしか入らないというのは驚きだが、普通のゆで卵のように手で剥けるようになったから良しとしよう。紅色の殻を剥いていくと赤黒い身が出てきてちょっと手が止まったけど、ラーテと一緒に剥いていたらあっという間に終わった。赤身──普通の卵でいうところの白身──はプルプルしている。まあ、よくある普通の卵と変わらない触り心地と柔らかさだ。殻があまりにも堅かったので身も堅いんじゃないかと危惧したが、決してそんなことはなく手で簡単に潰せそうな柔らかさをしている。さて、黄身の部分はどうなっているかな。
包丁を入れてみると何の抵抗もなく刃が通っていく。回転させながらぐるりと一周切っていくと、やがて卵は真っ二つになった。転がしながら茹でられなかったから下に寄ってしまったいわゆる黄身の部分はうっすらピンク色に染まっているがほぼ白かった。ちょっと脳が混乱しそうだ。想定通りの固ゆでで、色以外は普通の卵と変わりない。黄身の部分だけでお椀ぐらいの大きさがあるのは笑ってしまうけれども。
気になるのはその味だ。
「さて、どんな味かな」
「緋も食べる」
それぞれスプーンを手に取って、一口分すくってみる。口に入れた途端、肉を食べたような旨味が口いっぱいに広がった。味付けも何もしていないが程よい塩気もある。甘いものを食べた後のしょっぱいものを食べたいという欲望を見事に満たしてくれた。しかも肉っぽいし。うーん、物凄く美味い。気づけばもう一口、もう一口と食べる手が止まらない。魔性の食べ物だな、こりゃあ。
「ラーテはどうだ?」
俺同様に食べる手が止まっていないのを見る限り、こちらも気に入っているのだと思う。でも言葉で感想を聞いてみたいよな。今日初めて食べ物を口にしているわけだし。
「口の中楽しい。さっきと違う。不思議。気に入った」
「そっかそっか。その口の中が楽しいってときは、『美味しい』って言うんだぜ」
「……おいしい」
「そ。美味しい」
思わず顔が綻んでしまうな。よく見てみればラーテの目が爛々と輝いている。多分、美味しいと感じている表情だ。見ているだけで嬉しくなってしまう。
俺たちはこの後夢中でゆで卵を食べ終えて、全部終わってしまった後でたまごサラダのことを思い出した。また今度、ラーテが家に来た時に作ってみることにしよう。俺一人じゃ作れそうにないしな。
ちなみに、後から聞いてみるとラーテはゆで卵よりもフレンチトーストの方が好きみたいだった。甘いものが好きってことだろう。だから今度二人で甘いものを食べに出かけようなんて約束もしてこの日は別れた。




