十六ページ目:力のままに
人影はいつの間にか一振りの剣を抜いていた。その刀身は紫色に妖しく輝いている。
それを見ると、ヴォルクは忌々しそうに舌打ちをして、それから全身に纏う炎の出力を上げた。絶えずヴォルクの周囲を駆け回る紅蓮の炎は少しずつ、ドス黒く染まっているように見える。
辺りに咲くペティラの花はヴォルクの炎に吸い込まれるように揺れ、徐々にその光を失っていく。俺の周囲に咲いていたペティラも光らなくなっていたが、ヴォルクの炎のお陰で暗くなることはなかった。
メキメキという音を立てて、ヴォルクの手足は次第に鈍色に光る大きな爪を生やしていく。それらが完全に大きくなると、ヴォルクは人影目掛けて一気に跳躍した。
「嗚呼、その爪だ! その爪が全てを引き裂いた!」
重力と跳躍の勢いを乗せたヴォルクの一振りは金属のぶつかり合うような音と共に止められた。ヴォルクの右手を左手に持った剣だけで受け止めたらしい人影の右手には、刀身と同じく紫色の光を放つ何かの塊のような物があった。
二人の力は拮抗しているのか、そのまましばらく動かない。人影は興奮したように叫んで、ヴォルクは歯を食いしばって黙り込んでいるのが対照的だ。
「ヴォルク!」
人影の右手が動くのが見えると、俺はほぼ反射的に叫んでいた。その直後、右手にあった球体から鋭く光線のようなものが放たれる。ヴォルクは間一髪上体を逸らして回避したようだ。
「ッぐ、」
いや、完全に回避できたわけじゃない。少し左肩に掠ったらしく、ヴォルクは呻きながら右手で左肩を庇いながら人影から距離を取っていた。
「無駄だ」
まだ体制の整っていないヴォルクに無慈悲な声が響く。ハッとした表情のヴォルクが動き出そうとするも遅く、ヴォルクは見えない力に押し潰されるように地面へ急降下し這いつくばった。メキメキという音を立ててその近くにあった木がひしゃげて、俺はその力の大きさを知る。
ヴォルクが立ち上がる気配はない。この力に抵抗することはできない、ということだ。
だが、次の瞬間空が真っ赤に染まった。
「吹っ飛べぇぇぇぇッ!」
力の限り叫びながらヴォルクが炎を放ったのだ。炎は巨大なドラゴンの頭のような形をしていて、人影を噛み殺そうとしていた。
「温い」
炎を向けられていない俺でもわかるほどの熱量が一瞬にして失われる。紫色の妖しい光が炎を切り裂いたのだ。これは、絶望的な力量差というやつなんじゃなかろうか。
「どうして……どうしてだ!」圧倒的な力を見せつけているというのに人影は不満を爆発させながら言う。どうやら俺の見立ては間違っていたらしい。「何故全力を出さない! 貴様の炎はこんなものでは無かったはずだ!」
人影は先ほどからそんな言葉を繰り返してばかりいる。ヴォルクの炎にでも焼き殺されたのか? とか、現実逃避気味な考えが脳裏をよぎる。そしてハッとした。もしかして、ヴォルクが本気の炎を出せないのは俺のせいなんじゃなかろうか、と。
ヴォルクの本気というものを俺は知らない。知る由もない。だが、ヴォルクが魔王であるのなら。知識として知っているヴォルケルド・レオマティアであるのなら、その実力はそれ相応のはずだ。あの人影が誰なのかは知らないが、ここまで苦戦することも無いはずだ。だとすれば、ヴォルクが弱いわけでもふざけているわけでもない。炎が出せない理由があるのだ。
ここは山の中だが、辺りには木が生い茂っている。ペティラ以外の木だってある。そんな場所で全力の炎を出せばどうなるだろうか。答えは明白だ。木が燃えて辺りは火の海になる。そして、その中にいる無力でか弱い少女、俺。辺りが火の海になれば、俺は間違いなく焼け死ぬだろう。鎮火した後で生き返ることは出来るだろうが、ヴォルクはそれを知らない。当然だ。そんな話は伏せてある。
嗚呼、嫌な話だ。
俺は漫画によくありがちな主人公の足を引っ張るモブかなんかだ!
「こりゃあもう、震えてる場合じゃないよなぁ!」
この状況を打破できるのは足を引っ張るモブこと俺だ。
考えろ、何をどうするのが状況として最善であるか。きっと、ヴォルクが全力を出せるようになって心置きなくあいつを倒すことだけが道じゃない。むしろ、国の象徴であるペティラもあるこの山をヴォルクの手で焼きつくすことは悪いことだ。だとすれば、この場からの離脱が最優先だ。あと不意打ちを喰らってヴォルクがダメージを受けているのも宜しくない。ならばここは、何とかしてあいつから逃げ切ることを考えたほうがよさそうだ。
まずはこの場を離脱する方法。何かあっただろうか……。魔法が使えれば瞬間移動とか考えたけど悲しいかな俺にはそんな芸当できない。ヴォルクにもそんな余裕はない。……いや、できるか?
一か八かだけど、魔方陣を用意しておいてそれが起動さえできれば瞬間移動ができるんじゃないか?
瞬間移動をするとして、次に問題になるのが飛ぶ場所だ。下手に飛んだところで、あいつに追跡されてしまえば何の意味もない。追跡できないように、なんて器用な真似はきっとできない。……そういえば、この世界では街での戦闘を全面的に禁止していたな。だからこそ、街でも何でもないこの山でヴォルクは襲われたのだろう。魔王であるヴォルクが首都を離れることは中々ない。これはあいつにとってまたとない機会だったのかもしれない。
さて、行先は決まった。あとはどう魔方陣を用意するかだ。魔法陣の描き方について、残念ながら俺はまだその勉強をしていない。だから描けるものは限られてくる。パッと思い浮かべられるのは、荷物を転送させる用の魔法陣。俺の家にはその片割れが設置された状態だから、転送元の陣さえ描けばいい。うん、都合が良いな。
記憶の中にある魔法陣を絵だと思えば俺の力で描き上げられるはず。ついでにこの世界に来てからというものの、絵ばかり描いているから俺は速筆だ!
景色を描くよりもずっとシンプルなので魔方陣はすぐに書きあがった。あとはヴォルクと一緒に人影の隙をついてこの魔法陣を使い逃げるだけ。方法は……まあ、ヴォルクさえ動いてくれれば何とかなるはずだよな。
「ヴォルク!」何度か爪と刃が交わった後にヴォルクが下がったタイミングを見計らって俺は声を張り上げつつヴォルクの元へ駆け寄った。そして言う。「今からあいつの隙を作るから手伝ってくれ!」
俺が接近したことには気付いていたらしい。ヴォルクは俺を小脇に抱えると、炎をまき散らしながら時間を稼ぐように走り始める。会話の必要性をすぐに察知してくれたんだな。素晴らしい。
ヴォルクの纏っている炎が熱いんじゃないかとひそかに心配をしていたが、それは杞憂だった。全然熱くない。ヴォルクがそう調節してくれてるだけかもしれないけど。
「方法は?」
「もしできるなら、俺を炎で包んだ状態であいつ目掛けてぶん投げてほしい。大丈夫、炎の対策とかも考えてあるから焼き殺すつもりの炎でいい。で、そのあと隙が出来るはずだから、爆発なりなんなりで更に隙を作ってくれ。ヴォルクが俺を回収してそこにある魔方陣を起動させられる程度の隙で大丈夫だから」
「いろいろと突っ込みどころはあるが……信じるぞ」
「おう、任しとけ。ああ、そうだ、何が起こったとしても、あいつに隙が出来たらやってくれよな?」
時間がないことをよくわかっているヴォルクは必要以上の質問をしてこなかった。よかった、これ以上聞かれてたら止められるところだったからな。
走った勢いを利用して、急停止したヴォルクの身体がくるりと回る。その遠心力を加えた状態で、俺は人影目掛けてぶん投げられた。俺の注文通り、たっぷりの炎とともにだ。だから多分、あいつからはヴォルクがでかい火の玉をぶん投げたようにしか見えていないはず。
身を焼く炎の熱に叫んでしまわないよう唇を噛んでなんとか耐えていると、唐突に俺の口から何かが零れた。
「ぐ、っぷ……」
「……は?」
それはヴォルクの声だったのか、それとも人影の声だったのか分からない。身を焼き尽くそうとする炎はいつの間にか消えていて熱くなかったけど、代わりに鋭い刃が俺の身体を思い切り貫いていて、その部分がやたらと熱かった。結局熱いな。でも焼かれたおかげで感覚がマヒしているのかそこまでの痛みはない。もう死にかけだからだろうか。
「……づが、ま……え、だ……」
おっといけない、生きている間にやることはやらないとな。見たところ、俺をぶっ刺しているこの剣がヴォルクの炎をことごとく無効化していたので、こいつさえ使えなければヴォルクの攻撃が通ると考えていたのだ。という俺の思惑をきっちり相手にも伝えたかったので俺はどうにか頑張って笑みを浮かべてみる。にっこり。果たして笑えているかどうかは分からない。
「あ、ああ、ああああ! あ!」
多分人影はびっくりしたような表情を浮かべていたと思う。もう視界がぼやけ始めていてよく分からなかったが、多分ビックリしてくれたと思う。その直後で爆発が起こったのでそこから先は分からないが。
爆発によって再び吹っ飛ばされた俺はヴォルクの腕の中に戻る。流石に詳細を言わずにこの状態なので、何の心配もいらないことだけは伝えておかないといけないな。
「……ヴォル、……お、れ……だいじょ、ぶ……しな……な、い……」
思考はまだまだ健在で良く回るから大丈夫な気がしていたけど、身体はそうでもなかったらしい。俺の意に反してかっすかすの今にも死にそうな声しか出なかった。まあ、死なないって伝えたから大丈夫だろう。
約束通りヴォルクは魔方陣を起動してくれたようだ。辺りが白い光に包まれたので、間もなく俺の家に到着するだろう。そう思うと強烈な眠気が襲ってきたので、多分そろそろ死ぬだろう。生き返ったときにどれだけ若返っているかは考えたくないな。
……ああ、そういえばヴォルクの姿をちゃんと確認してなかったな。めちゃくちゃ格好良かったし、あとでじっくり見せてもらうようにしよう。お互いに話すことが山ほどあるし……。
…………。




