十ページ目:思いつくままに
「……んぁ?」
見慣れない天井。窓から差し込む光。天井まで伸びる大きな本棚にポツポツと隙間を開けて本が仕舞われてるのが目に入る。
起き上がってみると、どうやら俺はソファーで寝ていたことが分かった。何故俺はこんなところで、などと思いながら重たい目を擦る。
「……ああ、思い出した。俺の家だ」
ようやく頭も起きてきたところで俺はやっと思い出した。ここは昨日から俺の家になったところで、俺は昨日早速買った本を読んでいて、読んでいる最中に寝落ちしたんだった。
せっかく買ったベッドを一日目から使わないという贅沢をしている。今日の夜からは気をつけよう。
目の前にあるローテーブルの上には植物図鑑が四冊置かれている。そのうち三冊は積み重なっていて、もう一冊はその隣に無造作に置かれている。三冊は読みきって、残りの一冊を読んでいる最中に寝落ちした、ということだ。
三冊を読み終えて何となく理解したのは、この世界では地球上に存在する一般的な植物が存在しない、ということだ。なので、慣れ親しんだ植物の見た目で、面白そうな効能を追加していけば十分数は稼げる気がする。ネタ切れを起こしたらこの方法を使わせてもらうとしよう。
「んー……腹減ったな」
完全に目が覚めると、次第に空腹感を意識するようになる。そういえば喉も渇いた。植物図鑑のことは後で考えるとして、先に朝飯を食べることにしよう。
ソファーから降りると、俺は扉を開けて書斎から出た。
書斎は一階にある。短い廊下を通って扉を開けば広いリビングだ。キッチンもここにある。
リビングに入ると、真っ先に目に入るのがダークブラウンのリビングボードの上に置かれた大きめのガラスの瓶だ。ガラスの瓶の中には色鮮やかなビー玉のような球体がいくつも詰められている。球体は窓から差し込む光に照らされてキラキラと輝いていて、とても綺麗だ。
「これがエネルギー源っていうんだから不思議だよな」
なんでもこのビー玉みたいな球体は魔力の結晶らしい。これがこの家の照明や水道、コンロの炎などなどを使うときに必要になる。元いた世界でいう電気のようなものだ。
照明のスイッチや水道の蛇口などには全て魔法陣が組み込まれていて、魔力を流すと作動するようになっている。勿論自分の魔力を使って作動させてもいいが、そうすると家にいるだけでゴッソリ魔力を消費してしまうことになる。その解決法として生み出されたのがこの魔力の結晶というわけだ。
目に見える形の方がどのくらい消費したか、次の補充がいつなのかタイミングが測りやすいからこうしているらしい。魔力の結晶は自分で作ってもいいし、街に行けば売っているという話も聞いた。つまり、魔力の扱い方が全くわからない俺でも安心して生活できるというわけだ。
「さて、飯はどうするかな」
昨日ヴォルクにもらったパンとジャムがあるけどそれだけじゃ物足りない気もする。ここはスープでも作りたいところだが、馴染みの調味料がない状態で簡単に作れるスープを俺は知らない。出汁から取るにしても、この国の出汁に使える食材も分からんし。宿暮らしをし続けて自炊をしてこなかったのが仇になったな。
仕方ない。とりあえず今日はパンとジャムで済ませよう。
この国では食材は全て食糧庫に入れておくのが常識らしい。食糧庫と言っても部屋一つ分の大きさがあるわけではなくて、ちょっと大きめの箱程度。冷たくない冷蔵庫と考えればいいだろう。冷たくはないのだが、野菜もパンも肉も鮮度がキチンと保たれるそうなので不思議だ。さすが魔法の力。
食糧庫を開くとど真ん中に直径三十センチほどの丸いパンが鎮座している。俺はそれを取り出すと、包丁でザクザクと今食べる分だけを切った。厚みは二センチ。一切れもあれば十分だ。
悲しいかな、この世界にはトースターというものがない。オーブンはあるが、パン一枚のためにオーブンを使うのは面倒だ。という考えで生み出されたのが折り畳み式プレート。プレートにパンを挟んで加熱するとパンが焼けるというものだ。これの名称を俺は聞いてこなかったので、今日から俺はこいつのことをホットサンドメーカーと呼ぼうと思う。ちょっとオシャレな朝を演出してくれる調理器具に瓜二つなのがいけない。
パンにいい感じの焼き目がついたら皿に乗せる。それからジャムを取り出して焼けたパンに塗る。
「ブルーベリーか?」
パンに塗ってみたジャムは紫色をしていた。この世界の果物はよく分かっていないのでなんのジャムなのかは分からない。ただ紫のジャム、という情報だと俺の脳は完全にブルーベリーを想像していた。
飲み物はこれまたヴォルクにもらった瓶に入れられた謎のジュース。グラスに注いでみるとどす黒い茶色をしていた。アイスコーヒーを思わせる色合いだ。恐る恐る匂いを嗅いでみるとそれらしい匂いがした。まあ、ヤバいものを渡す男ではないから大丈夫だろう。
「じゃあ早速。いただきます」
グラスと皿をテーブルに運んだら椅子に座って手を合わせる。まずは飲み物からだな。カラカラの喉にパンを通すのはつらいものがある。
「……ん、コーヒーだな」
口に含んだ途端広がる苦味と甘味。鼻へ抜けていく芳ばしい香り。特に違和感なく飲めるこれはコーヒーと断定していいだろう。ただ、ブラックじゃなくて甘くしてあるけど。ミルクを入れてもかなり美味しくいただけそうだ。
喉が潤ったので次はパンだ。かじってみると、パリッという気持ちのいい音が響いた。そのままパンをかじるとジャムを塗った部分に差し掛かる。ブルーベリージャムを想像していた俺は、ここでかなり驚かされることになる。
「ッ、なんだこれ、マーマレード?」
口に広がる爽やかな香りと酸味。これはどう考えてもブルーベリーではなく、ましてやベリーでもなく柑橘系のものだった。だがマーマレード特有の苦味は全くない。処理が上手いのか、それともこれの材料になった果物の皮に苦味が少ないのかは分からないが、クセがなくてめちゃくちゃ食べやすい。オレンジというよりも柚子に近い味だ。だがパンによく合う。
それにしても、紫色の柑橘系果物なんて不思議な感じだ。……いや、これがこの世界での常識なんだよな。こういう違いを知ると、改めて異世界に来たんだと痛感する。
「……そうか、そういう違いを図鑑に載せていけばいいのか」
オレンジ色をした柑橘系の果物が無いことを確認しなきゃいけないが、存在しないならいける。ついでに紫色のこの果物との比較を載せて、木で見分ける方法なんかがあれば信憑性が増しそうだ。どうせだったらオレンジ色の方は毒性があったらいいな。それも実じゃなくて葉とか枝とか。実は食べたら美味しいけど、収穫の際毒にやられるケースを注釈しておくとか。
考え始めるとすぐに描きたくなってくる。こうしちゃいらんない、皿洗いは後回しにしてさっさと歯を磨いてとりかかろう。そう考えたときには俺はすでに歯を磨き終わっていて顔を洗っていた。どうやら考えながら身体が勝手に動いていたらしい。すごいな、俺。
「紫の果物……お、あった。へぇ、『ルプァ』っていうのか」
オレンジって名前ですらないのも新鮮だ。でもオレンジ色じゃないのにオレンジっていうのも変な話だよな。みたところ、形はオレンジと同じような感じだけど、皮の色が鮮やかな紫色をしているのがなんとも不気味だ。
いやはや、この世界にきてからもう五年も経つというのにまだまだ知らないことだらけだ。今まで果物なんて食べてこなかったから仕方がないわけだけど、小腹が空いたら屋台で売ってる肉串を買って食べるという生活はこれを機に改めたほうが良さそうだ。
さて、本を棚に戻すと、俺はさっさと書斎を出て階段を上る。二階には作業場と寝室がある。バルコニーがある部屋が寝室で、城が見える方の部屋を作業場にした。今俺が向かうのは作業場だ。もちろん、図鑑を描き始めるためである。
描くための紙はヴォルクが用意してくれた。大体B5ぐらいのサイズの紙をとりあえず五百枚。コピー用紙かよ、と思わず突っ込みたくなったが通じないのでグッと堪えた。
クラフト紙に似た紙は前世で俺が愛用していたスケッチブックによく似ている。描き心地が最高だ。まさかまたこの紙に出会える日が来ると思わなかったな。
まずはオレンジを思い出しながらその絵を描いていく。オレンジの花ってどうだったかな。白い花ってのは覚えてるけど、どんな形をしていたかなんて忘れてしまった。葉もどうだったかな。適当でいいか。どうせこの世界じゃ誰もオレンジなんて知らないし、そもそもオレンジなんて存在していないんだから。
次にさっき見たルプァとオレンジを並べて描く。どこがどう似てるのか。花の色がどう違っていて、オレンジはどう危ないのか。読んでいて物語に引き込まれるような文章を考えつつ、図鑑らしい説明文を入れる。うん、中々いい出来だ。
「んー……次は何を描こうかな」
なんて言いつつも頭の中にはいくつかのアイディアがある。
魔力を結晶化させてエネルギーとして使っているのであれば、最初から結晶化されてる魔力の塊があってもいいよな。植物にするとしたらやっぱり花だ。樹でもいいけど、特定の地にしか咲かない花の方が好みだ。ネーミングはうまく思いつかないから後でまとめて考えるとして、デザインと説明文だけ完成させてしまうとしよう。
それからアサガオをモチーフにした植物も作ろう。朝にしか咲かない花で、花弁を使った色水が薬になる、とか。色によって効能が変わった方が面白いな。子どもの頃によく遊んだが、アサガオで色水を作るとかなり綺麗な色が出るんだよな。種の出来方も面白いし。
面白い種といえばフウセンカズラは外せない。形が似てるホオズキもいいけど、俺としては身近だったフウセンカズラを推したい。種にハートの模様があるし、すり潰すと媚薬の材料になるってことにしとこう。
描けば描くほど筆が乗っていく。自分が思った通りの絵が描けるっていうのはやっぱり最高だな。風景画だけじゃ今までピンときてなかったけど、想像だけでこうして描いてみると実感できる。最高だ。
こうして俺は図鑑作りにのめり込み、この日作業場から離れたのは陽が沈んでからのことだった。




