日誌 『彩夜』
これは、『俺』と『彩夜』のお話。
ピピピピ、と目覚ましの音が俺の部屋に鳴り響く。
寝ぼけ眼をこすりながら起き上がり、使い古されている目覚まし時計のボタンを叩く。
ボタンを叩くと同時に、鳴り響いていたピピピという音は止まり、部屋に静寂が訪れる。
カーテンを思いっきり開くと、太陽の光が部屋いっぱいに差し込まれる。
あまりの眩しさに顔を手で覆いながらも、起きたんだということを身体に実感させる。
「よし、今日もいい朝だ」
一人そう呟き、自分の部屋から出る。
自分がドアを開くと同時に、バンという音とともに正面の部屋から女の人が…
「…今日は彩夜、か」
俺はそのまま1階のリビングへと降りていった。
「おはよう、堂真」
「おはよう、母さん」
「…彩夜は、ダメみたい?」
「…そうだね」
「母さんは心配だわ」
「心配してるのは母さんだけじゃないよ、父さんだって心配してる」
「…そうね、さ、さっさと朝ごはん食べちゃいなさい。」
「頂きます」
俺は、椅子に座り、朝食を食べ始めた。
それは少し前のことだった。
赤信号で突っ切ってこようとした車に轢かれかけた俺を、彩夜が突き飛ばして助けてくれた。
だが、そのせいで代わりに彩夜が轢かれ、怪我を追った。
身体的に大きな怪我はなかったのだが、当たりどころが悪かったらしく、意識が戻らなかった。
そして、それから1週間。急に意識が戻ったと思ったら、自分のことを「彩夜音」だと言い出した。
最初は混乱しているのだろうと言う話だったが、その次の日には自分のことを「彩夜歌」だと言い出す。
しかも、完全に別人だった。彩夜の身体はそこにあるが、俺の知る「彩夜」では無かった。
そしてまた次の日。今度は自分のことを「彩夜乃」だと言い出した。
俺は怖かった。このまま一日ごとに彩夜の人格が変わっていくかもしれないという恐怖が。
「彩夜」という人格は二度と戻ってこないんじゃないかとさえ思った。
そして迎えた次の日。病室に入ると同時に、
「堂真!よく来たね、ねーちゃん寂しかったんだよ~!」
と声をかけられた。
それは、彩夜だった。いや、彩夜の身体を借りた誰かと言うべきか。
「彩夜…?」
「彩夜?誰?私は彩夜音だよ!」
「彩夜音…?」
「そう、彩夜音。彩夜音ねーちゃんでいいよ!」
「彩夜音…ねーちゃん」
「そうそう、いつもそうやって呼んでたじゃん!急によそよそしくなって…どうしたの?」
「…っ!」
俺は、その場から逃げるように走り出した。
「(ふざけんなっ、ふざけんなよっ!)」
病院の外へと出て、そのまま走る。とにかく走る。
外は大雨が降っており、前が見づらかった。
「(俺がっ…俺のせいでっ!)」
だが、関係なかった。ただひたすらに走った。
気がついたら、病院近くの芝生が広がる公園の中を走っていた。
「くそっ…くそっ…!うわっ!」
俺は抜けている芝生に足を取られ、盛大に転んだ。
走っていた勢いのまま濡れた芝生を転がる。
勢いがなくなり、止まった。この大雨に加え、
濡れた芝生の上を転がったせいで、服はもうドロドロに汚れていた。
だがもうそんなことは俺には関係なかった。というよりもどうでも良かった。
もう二度と彩夜が帰ってこないと思った。俺の知ってる彩夜は帰ってこないと感じた。
俺のせいだ。俺があそこを通らなければ。彩夜を連れていなければ。俺一人だったなら。
後悔と自責に襲われる。胸が苦しくなる。今にも張り裂けそうなくらいに。
「あああああああああああああああああ!!!」
全力で叫んだ。泣き叫んだ。声が枯れるまで。声が出なくなるまで。
「ああああああああああああああああっっっっ!!」
俺が。俺のせいで。すべて俺が悪い。ごめん。許してくれとは言わない。だけど俺は俺を許せない。
喉をかきむしりたくなるほどの罪悪感に襲われた。
「うあああああああ、あああああああっ!!」
なんどもなんども後悔した。罪悪感に襲われた。自責の念に襲われた。許せない。許すな。
何度も手を地面に叩きつける。痛い。だが彩夜はこれ以上に痛かった。
「俺の…っ!俺なんかのせいで…!」
両手を地面に打ち付ける。悔しい。だがもう遅い。彩夜は帰ってこない。
「ふざけるな…っ…頼むよ…彩夜を…妹を返してくれよ…っ」
ふいに立ち上がり、空を眺めて消え入りそうなか細い声で願う。もう体の感覚は無かった。
もう身体は限界だった。だけど、願うくらいは許してくれ。それが現在の俺にできる唯一の――
ふいに、後ろから誰かに抱きしめられる。それと同時に、身体の力が抜け、倒れ込みそうになる。
しかし、後ろから抱きしめたその人物が俺の体を支えた。倒れさせまいと、その細い腕で。
『ダメだよ、まだ倒れちゃいけない』
「…彩夜…?」
『私は彩夜じゃない。だけど、私には分かる。この体は、生きたいと願ってる。』
「…生きたい…のか」
『この体を動かそうと、生きようとしてるのは間違いなくこの子。』
「…」
『だから、堂真が先に諦めないで。この子が諦めるより先に諦めたら、おしまいだよ。』
「…でも」
『でもじゃない。堂真が今この子の為にできることを探すの!』
彩夜のためにできること。今の俺が、彩夜のために。
「…そうだよな、何考えてたんだろうな俺は」
いま、できること。
「諦めたら、負けだよな」
しっかりと地面を踏む。足腰に力を入れて。自分の足で立つ。
「…ありがとう」
『その意気。私も陰ながらサポートするから!私のことは本当のねーちゃんだと思っていいんだよ!』
「本当にねーちゃんか、それはおいおいと言うことで」
『あっ、なんかその答え方ずるいな~!』
「お互い様だろ?」
『む~!ま、そんなことより早く病院へ戻ろう!ここじゃ風邪引いちゃう!』
そうして、俺とねーちゃんは病院へ戻ることにした。
その時、ふいに足元を見たらねーちゃんは裸足で走ってきていた。
俺が出ていった瞬間から追いかけてくれたのだろうか。
今となってはわからないが、心配してくれたんだな、と心からそう感じた。
そんな事があり、今では1日ごとに3人のねーちゃん達が彩夜の身体を入れ替わりで管理している。
だが、たまに彩夜の意識が表面上に現れるのか、一日起きてこない日がある。
その日は俺一人で学校へ行き、生活している。
「ごちそうさま」
俺は制服に着替え、彩夜の部屋に寄る。
「行ってくるよ、彩夜」
そう声を掛け、俺は部屋を出ようとした。
その時、後ろから声がした。
はっと、その声に反応して振り返ると彩夜が笑顔を浮かべていた。
そして、声にならない声で言った。
いつもありがとう、お兄ちゃん
「…兄として、当たり前だよ」
少し涙声になりながら、俺は部屋を出た。
「いってきま~す」
「いってらっしゃ~い」
母のゆるい声を聞き、俺は家を出た。
「もう冬も終わりだな」
少し暖かくなってきたのを肌で感じた。
「次は、春か」
その言葉とともに、風が強く吹く。
「うおっ」
ぶわっと巻き上がった落ち葉の先に、普段見慣れた、姉の姿が見えた。
『堂真』
落ち葉が地面に落ちていくと同時に、その姿は消えてしまった。
「…分かってる、今迎えに行くよ」
俺は再び足を前に出し、あるき出した。
俺は、明日からまた姉に振り回されるだろうな、などと考えながら通学路を歩いていた。
いかがだったでしょうか。
ちょっとした短編を書くということで書いてみました。
ちょっと小説でしかできないような書き方をしたいな、と試行錯誤した結果です。
満足していただけたのなら嬉しいです。では、またいずれお会いできる日があれば。