日誌 『彩夜音ねーちゃん』
これは、とある日のオレと彩夜音ねーちゃんの話。
ピピピピ、と目覚ましの音が俺の部屋に鳴り響く。
寝ぼけ眼をこすりながら起き上がり、使い古されている目覚まし時計のボタンを叩く。
ボタンを叩くと同時に、鳴り響いていたピピピという音は止まり、部屋に静寂が訪れる。
カーテンを思いっきり開くと、太陽の光が部屋いっぱいに差し込まれる。
あまりの眩しさに顔を手で覆いながらも、起きたんだということを身体に実感させる。
「よし、今日もいい朝だ」
一人そう呟き、自分の部屋から出る。
自分がドアを開くと同時に、バンという音とともに正面の部屋から女の人がでてくる。
うちの家は個室のドアだけ引き戸になっているので、ドア同士がぶつかるということはない。
『おっ、堂真も起きたか!おはようっ!』
「ああ、おはようねーちゃん」
『どうしたどうした!今日はいつもより元気ないじゃん!』
「そうか?俺はいつもどおりだけど」
『ははっ、ねーちゃんには分かるんだよっ!さ、かーさん待ってるしさっさと行くよ!』
ねーちゃんは俺を置いてさっさとリビングのある1階へと降りていった。
「…彩夜音ねーちゃんか」
ふう、と一呼吸置いて俺はねーちゃんの後を追って1階へと降りていった。
「おはよう、堂真、彩夜音」
『おっはよう!』
「おはよう、母さん」
「まったく、彩夜音、本当にアンタは朝から元気ね」
『元気が私の取り柄だもん、仕方ないじゃん!』
「はいはいそうだねぇ、元気が一番よ」
『む~!』
「むくれないむくれない、さ、さっさと朝ごはん食べちゃいな!」
『はーい』「おう」
彩夜音ねーちゃんはそのまま椅子に座り、朝ごはんを食べ始めた。
「父さんは?」
さりげなく、母さんに聞いてみる。
「出張だそうよ?まぁ連絡すれば飛んで戻ってくるって言ってたし、大丈夫じゃない?」
母さんは全く心配してなさそうだった。
たしかに、父さんは出張が多く、家に居ない時間のほうが多いが約束を破ったことは殆どない。
連絡すればどこに居ても即座に帰ってくるし、記念日は必ず休みを取るようにしていた。
「大丈夫よ、お父さんを信じなさい?今までもそうだったじゃない」
「元より父さん本人の心配はしてないよ…悪運だけは強いからね」
「そうねぇ、家で危ないことが起きる時いっつも家にいるのよねぇ」
「悪運が強いって言うよりタイミングが悪いのかもしれないね」
「ま、お父さんのことだしいつも切り抜けてるじゃない」
「逆にうまく事が運びすぎて怖いくらいだけどね」
『ごちそうさまー!さ、行くよ堂真!』
朝ごはんを食べ終わった彩夜音ねーちゃんが俺の腕を掴んで玄関まで引っ張ろうとする。
「ちょっ、まっ、俺まだ着替えてないんだって!」
『んー?ああ、ごめんごめん』
パッと手を話すと、彩夜音ねーちゃんは玄関まで一人で行き靴を履き始める。
『ここで待ってるから、急いで!15分でね!』
「15分!?ちっくしょ、髪を整える時間も無いじゃねぇか!」
俺は急いで洗面台のところへ行き、最低限の髪のセットをして制服に着替えた。
15分位立っただろうか、慌てて玄関へ行くと腕組をして待っている彩夜音ねーちゃんが居た。
『遅い!』
「15分で終わらせろって方が無理だ!」
『男なら頑張りなよ!』
「俺だって頑張ったわ!」
『むぅ…まぁいいや、行くよ!』
俺は再び腕を掴まれ、外に引っ張られる。
「ちょっ…行ってきます!」
「いってらっしゃ~い」
ゆるーい返事が家の中から返ってくると同時に、玄関のドアがバタンと閉まる。
『やっば、あと少しで門がしまっちゃう!走るよ、堂真!』
「え、ちょっ、マジかよ!?」
『あんたがトロいのが悪いのよ!さ、ついてきなっ!』
ついてきなといいつつ、腕をがっしりと掴まれている俺はねーちゃんに引きずられる形で走り出した。
『間に合った!』
ねーちゃんに引きずられる形でなんとか学校へと着いた。
しかし、ねーちゃんは平気な顔をしているが俺はもうヘトヘトだ…
まず身体的にスペックが違いすぎるのと、俺が運動音痴だということもあり体力にはかなりの差がある。
もちろん、体力があるねーちゃんに合わせて走れば、俺が先にバテるのは分かりきったことだ。
しかし、途中で倒れようものならば
『もー、だらしがないなぁ!』
と言われ、俺がお姫様抱っこされながら学校まで走られるという罰ゲームが待っている。
それだけは死んでも嫌なので、必ず走りきるようにしている。
「っはぁ…はぁ…っ、ねーちゃん…、先に…っはぁ、行っていいよ」
『なーにバカなこと言ってるの!アンタを教室まで連れて行くのが私の役目なんだから!』
「いつ決まったんだよそんな役目…」
『私が生まれたときから!さ、行くよ!』
「生まれたときから、か」
はぁとため息を付いて、ねーちゃんについていく形で教室へと向かう。
『おっはよー!』
「おいっす」
ドアを開けると同時に大声で挨拶するねーちゃん。
その声にかき消されることはわかっているのだが、一応挨拶をしておく。
「おっはー!今日も元気だねぇ、彩夜音は!」
『でしょー!私は元気が取り柄だからね!』
「あっはっは、いつも言ってるじゃーん!」
ねーちゃんは教室のいつも仲がいいグループの中へと入っていく。
「おっす、おはよう堂真。」
「おはようさん」
「はっはー元気ないな!さてはまた朝ダッシュか?」
「まぁいつものことだしいいんだけどな」
「というか、まだ授業始まるまで30分あるんだぜ?」
「マジか…ってことはねーちゃんの時計壊れたままか、今度直しに行かないとなぁ」
「おーおー家族が心配かぁ!?羨ましいよな、あんなに綺麗な人が家にいるだけで違うよな!」
「お前ぶっ飛ばすぞ」
「はは、冗談冗談。お前が大変なのはわかってるからな」
「…すまん」
「気にすんな、じゃあまた後でな!」
友人が俺の席から離れていく。
「大変なのはわかってるか、助けられてばっかりだな俺は」
一人で誰にも聞こえないような声でつぶやく。
「席つけー」
担任が教室の中へと入ってくる。
朝の挨拶が終わると、担任は名簿を開いて指でなぞり始める。
その指がピタリと止まると、名簿を閉じて顔をこちらに向けた。
「今日はそうだな、堂真!お前が日直をやれ」
「えぇっ、そりゃないっすよ…」
「はっはっは、自分の運を恨むんだな」
「先生…」
「じゃ、頼んだぞ!」
先生は俺に日誌を渡して教室から出ていった。
うちのクラスでは、誰か一人がその日に起きた出来事を書き綴り、帰りに担任に提出する
学級日誌という制度があった。誰が書くかはその日の担任次第である。
はぁ、とため息を付きながら日誌を睨みつけていると彩夜音ねーちゃんが近寄ってきた。
『堂真、やるじゃん!私も鼻が高いよ!』
「なんで彩夜音ねーちゃんが誇らしげなんだよ…俺は嬉しくねぇよ」
『まぁまぁ、そんな文句言うなって!堂真が選ばれたんだから、責任持ってやりなよ!』
「もう渡された以上、拒否権ないけどな…やるだけやる」
『おうおう、その意気その意気!じゃ、後でね!』
そういうと、ねーちゃんは自分の席に戻っていった。
「日誌か…帰ったら書かないとな」
俺は学級日誌を机の中にしまった。
そうして時間は立ち、気がついたら下校時間になっていた。
「先生、これを」
俺は学級日誌を担任に渡した。
「おう、お疲れさん。で、どうだ?様子は?」
「今のところは良くなりそうにはないですね…」
「そうか…俺もなんだかんだで心配なんだ、年齢が近いってのもあるからな…」
俺と彩夜音ねーちゃんは歳が同じだ。しかし誕生日の関係があり、どちらが年上か決まってしまっている。
「ま、何かあったら俺に言え。力になれそうなら協力はするさ。」
「ありがとうございます。それじゃ、俺はこの後があるんで…」
「おう、頑張れよ。また明日。」
その言葉を背に、俺は教室を出た。
『ま~た~わ~た~し~を~待~た~せ~た~な~!』
門の所で彩夜音ねーちゃんが待っていた。
「ごめんごめん、ちょっと話があってさ」
『むー、問答無用!私だって寂しいんだからな~!』
そういうと、ねーちゃんは俺のほっぺたを右手でぐにぐにと潰してきた。
『うりうり~!どうだ~!』
「やめ、むぎゅぅ」
『むぎゅうじゃない、ほれほれ~!』
「うぐっ、こんっにょ…」
逃げようとはしているのだが、いつのまにかねーちゃんの左腕で俺の身体が固定されていて逃げられない。
『はぅ、満足満足。さ、帰るよ!』
「ちっくしょ、覚えとけ!」
『あはは、ねーちゃんに勝とうなんて、100年早いよ!』
「ぐぬぬ…」
悔しい気持ちを抑えて、しかたなく帰ることにした。
なんだかんだで、家に入るその瞬間まで、ねーちゃんは俺の腕を離さなかった。
「おかえりなさい」
玄関を開けると、母さんが洗濯物を持ったままリビングに向かおうしているところとばったり合った。
『ただいまー!』
「ただいま、母さん」
ねーちゃんは靴を脱ぎ捨て、母さんの元へ。
俺はやれやれと思いつつも、ねーちゃんの靴を揃えておいておく。
そういえば、彩夜音ねーちゃんはなぜかいつも俺の前を歩くようにしている。
はっきりと理由はわからないが、ねーちゃんなりの優しさなのだろう…といつも思っている。
家に帰ってきて、いつもどおりぐだぐだと時間を過ごし、気がついたら寝る時間になっていた。
「明日も早いし、さっさと寝なさい」
『はーい』
「そうするか」
リビングを離れ、俺とねーちゃんは各々の部屋へと戻っていく。
「じゃ、おやすみねーちゃん」
そう言って、俺は部屋に入り、ドアを閉めようとした。
しかし、ドアにねーちゃんの手がかかり、止められた。
『堂真』
彩夜音ねーちゃんはいつになく真剣な顔をしていた。
「なんだよ、あらたまって。寝る寸前までちょっかいか?」
少しふざけた感じで言ったが、ねーちゃんは真剣な顔を崩さなかった。
次の言葉を言うまでは。
『いつも、ありがとね。』
そういうと、ねーちゃんはにっこりと笑い、部屋へと戻っていった。
俺はねーちゃんが部屋のドアを閉めるのを確認し、自分の部屋のドアを閉めた。
「ずるいんだよ、そういうのが…っ」
俺は、ドアに背を向け、そのままもたれかかりながら座る。
「…っ…俺が、俺が必ず…っ…うぁぁっ…」
目から自然と涙が出ていた。口から嗚咽が漏れる。しかし、ねーちゃんには聞こえないように、
なんとか大声にならないように抑える。
「うぁああ…あぁぁっ…」
俺は、10分ほど泣き続けた。悔しさと、悲しさと、嬉しさと、とにかく色々混ざっていた。
心がグチャにグチャに混ざってもうなんだかよくわからなかったが、泣いた。泣き続けた。
泣き止み、少し心が落ち着いた所で、俺は机に隠してあった日誌を出し、書き綴った。
(今日は、彩夜音ねーちゃんだった。)と始まる文から。今日の出来事を、鮮明に。
※注意書き
どーも、作者です。
このお話は、最後の「日誌 『彩夜』」に続くお話です。
ですので、できれば「日誌 『彩夜』」を読んでいただく前に、
他の2つの話を読んでいただくと話が分かりやすいかと思います。
このお話の後にそのまま読んでいただいても構いませんが、面白さが少し減ってしまうかと思われます。