②欠けなき望月
近頃は、何が夢で何がうつつだったかも曖昧だけれど、詮子おばあさまのあの眼を忘れることは、きっと死ぬまでないだろうと思える。
鈍く赤く落ちくぼんだ望月のような、満ち満ちていながらも餓えた眼。「権力欲に濁った眼」だと、言ったのは誰だったか。わたくしも幼いころは、彼女のその眼がおそろしくてならなかった。けれど、今ならば、痛いほどに分かる。権力欲などではない。
わたくしも、おばあさまと同じ。この世の女では並び立つもののない栄華を手中におさめたかわりに、世のなかの、どれほど卑しい女たちでも得る、たったひとつの尊いもの。それを得られぬ定めだったのだ。
あれは、そう、十二のとき、わたくしはあの方の後宮へと入内した。あの方の御歳は二十。妹背というより兄と妹のようだと、女房たちがうわさしていたのが聞こえた。そのころはまだ、紫式部や和泉式部、赤染衛門などはいなかった。
「だって、あんまりにも御歳の違いが、ねぇ……」
「お殿様は、梅壺の御方に成り替わって寵愛を、なんてお思いなのでしょうね。そうでなくとも、御歳よりもずっといとけなくいらっしゃる御姫様だというのに」
「あら、でもまさか帝だって、お殿様をないがしろにするわけにはまいりませんでしょう。それなりに大切に遇しつづけていただけるんじゃないかしら」
帝は、いとど優しきお方。そのお美しいお顔を眺めながら、柔らかなお声を聴いているだけで、わたくしは満たされた。でも、女房たちにしてみればそんなわたくしの幸いは、何かが違っているのだろうか。
その疑問を、わたくしはお父様に話した。お父様はしかとわたくしの目を見すえた。
「よろしいですか、中宮様。女としての至上の幸いは、帝の後宮に入り、深く愛され、国母となることなのですよ。あなたのおばあさま、東三条院詮子様のように」
深く愛される。その意味がよくわからなかったわたくしは、それでもお父様の眼を見つめかえして、「はい」とこたえた。お父様の眼は好きだった。藤原の男の眼はみな一様に、表面上は快濶なようで、必ずちらと翳りが見えた。それに対してお父様の眼は、いつも真っすぐに前を向いて、黄金の望月のように、一点の曇りもなかった。
それが、藤原の氏の長者の栄華と、蹴落とされ、凋落した者たちの散華とは知らずに。