親父が犬になっちゃったけど無問題です。
朝起きたら親父が犬になっていた。
こんなことってあるんだろうか?
少なくとも、私が生きてきた十六年間では、こんな現象皆無だった。
中学生の頃、「お願いですから、僕をあなたの犬にして下さい!」なんて変な告白を受けたことが一度だけあったけれど。
あれはカウントに入れなくてもいいだろう。比喩だし。それに比べて、こっちは本物のワンコだ。
「なに、お父さん、スマホのCMにでも出るの?」
そんな犬をテレビで見た気がする。
でも、親父はダメだろうなあ。なんせ今の見た目、ブルドッグ。
全国のイケメンブルドックの皆さんには申し訳ないけれど、あまりテレビ受けがよろしくなさそう。眼鏡とかかけてもずり落ちそうだし。
こっちが話しかけているのに、親父は知らんぷりだ。
へっへっへっへっと舌を出して、笑うばかり。犬って笑うよね。多分、そう見えるだけなんだろうけれど。
私は無闇に悲しくなった。
そういえば、最近、親父疲れていた。
「俺なんて企業の犬なんだよぉ」とか、そんなふてくされた台詞をシニカルに呟いては、トマトジュースをかっくらっていた(酒は医者に止められている)。
ああ、もう、親父ったら!
なんかトンチを利かせたかんじで、うまい具合に犬にならないでよ!
あなたの娘は現在進行形で、なんだか悲しい気分だよ!
ちなみに、何故「喋らない」「へっへっへっへっと笑う」「ブルドッグの」ワンコがうちの親父とわかったかというと、足元に親父のパジャマが巻き付いていたからだ。
で、なんか溶解液っぽい残骸が床に飛び散っている(多分、変身した時の残りカスだろう)。
テーブルの上には、「父さん、もうホンマもんの犬になります」の書き置きつき。
「どうしたの、カズコ。何をそんなに悲しそうにしているの?」
お母さんが登場した。
白いエプロンにいつもの髪型。よかった。少なくとも人型を保っている。
こっそり心配していたんだ。この人も、昨日、なんか歌謡曲特集をテレビで見ながら「母さん、生まれ変わったら、鳥になりたいわあ」なんて言っていたから。
「お母さん、聞いてよ。お父さんったら、犬になっちゃったんだよ」
「ええ?」
そして、お母さんは一通り現場検証を始める。
でも、そこは親子、辿り着く結論はどうやら一緒らしい。
「まあ、お父さん、そんな恰好でスマホのCMにでも出るの?」
「そこまで合わせなくってもいいんだよ、お母さん」
「あら、私ったら」
こののんき者め。
「でも、困ったわ」
そうだよね。私もすごく困ってる。
親父が、なんか期待する目でこっちを見てくる。
「お母さん、どうしよう。お父さんが犬で……何か困ることってあるのかな」
「何もないのよねえ」
親父、がっくりずっこけ。
どうやら「一家の大黒柱、犬になっちゃって一大事!」みたいなシチュエーションを想像していたらしい。
「当然今日も仕事に行ってくれるんですよね、あなた?」
にこにこ笑うお母さんに、親父は耳を伏せて無言の抵抗。
でも、それも空しく、間もなく、のそのそとビジネスバッグをとりに部屋を出ていった。
ああ、なんかその背中は……哀愁を誘うかもしれない。