ヤンデレの総括
ヤンデレの魅力は絶対的な愛と献身である。人は愛に対して懐疑的な場合も多いが、ことヤンデレに限ってそれはない。全幅の信頼を置くことができる。その揺らぐことのない安心感こそが、ヤンデレをここまで盛行させた近因であると推察される。
そしてヤンデレを語る上で欠かすことのできない要素は、その悲劇性である。
人が群れをなす生き物である以上、ヤンデレと二人きりで生活することはおそらく不可能である。学生のうちはまだいいかもしれないが、やがて社会人となれば働かなければならない。友人や隣人との付き合いもある。往々にしてヤンデレは、それらの関係を排しようとする。二人だけの楽園を求めている。
些細なすれ違いや勘違いが悲劇を生む。悪意と嫉妬が情動を高ぶらせ、避けられない破滅へと突き進む。その不可避の終焉が名状し難いカタルシスを生むとしたら、ある意味ヤンデレは最も文学的な属性なのかもしれない。
次いで、ヤンデレは他の属性と違って連続性を持っている。いかにして病んだのかという経緯と過程、そして病むことになった背景こそが、ヤンデレを極上のエンターテイメント足らしめているのである。
逆に言えば、ヤンデレの創作には綿密に計算されたプロットが必要になるのではないか。病みが一過性であってはならない。理由と動機、背景と結末をよく練っておかなければ、上質なヤンデレは誕生し得ないだろう。かくいう作者も、全然その域には達しておらず、せいぜい下の中である。
再度申し上げるが、これらの文章は筆者の独断と偏見で記述されている。嘘やごまかしも多々含まれているだろう。それでもヤンデレに対する思いは伝わったものと思う。
最後に述べたいことは、「ヤンデレは刃物を持ってて、目がイってて、鮮血が散っていて」と安易に理解するのは愚の骨頂であるという一事のみである。真に刮目すべきはその過程にある。そうした簡単な理解にとどめるのではなく、ヤンデレが徐々に病み、壊れ、狂っていく様を楽しんでほしいし、また拙作を通じてヤンデレに関する理解が深まったのだとしたら、これほど喜ばしいことはない。
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