妹があまりにも欲しがりすぎて手が付けられません
「セシリア・リンドベル。私は君との婚約を破棄する」
夜会の広間に、エドガーの声が響き渡った。
貴族たちの視線が一斉に中央へ集まる。
「理由を伺っても?」
「よくもそんな事が言えるな」
エドガーは苛立ったように言った。隣ではメリッサが彼の腕に縋っている。
「君はメリッサに嫌がらせを繰り返していた。私はもう見過ごせないのだ」
セシリアは妹を見る。メリッサは目を伏せ、小さく肩を震わせていた。
「……私はしていません」
「まだ否定するのか!」
「していないものを認めるつもりはありませんから」
エドガーは露骨に顔をしかめた。昔から、彼はセシリアのこういうところを嫌っていた。
「エドガー様、もういいんです。お姉様が私を嫌っているのは、昔からでしたから……」
メリッサの好き勝手な声が飛ぶ。セシリアは内心でため息をついた。
「分かりました。どうぞご幸せに」
そうセシリアは言い、去っていった。
昔からこうだった。メリッサが泣けば、悪いのはセシリアになる。妹が欲しがれば譲るのが当然。妹が悲しめば姉が責められる。それがリンドベル家だった。
幼い頃から、何かを選ばれることが少なかったからだ。身体の弱い妹は家族に大切にされた。だから姉であるセシリアが我慢する。欲しい物も、予定も、時には両親の関心すら、『姉なのだから』の一言で片付けられてきた。
最初は妹のためと思っていた。だが、いつからか気づいた。誰もセシリアが我慢していること自体を気にしていないのだと。
だから期待するのをやめた。言い返しても無駄。訴えても変わらない。静かにしている方が楽だった。
少なくとも、エドガーと婚約するまでは。
そんな折、セシリアにも婚約の話が回ってきた。
相手はノルヴァン子爵家の嫡男、エドガー・ノルヴァン。家格だけを見れば侯爵家であるリンドベル家の方が上だったが、ノルヴァン家は近年、王宮の文官職で力を伸ばしている家だった。父はこの縁談を悪くないものと見たらしい。
「お前ももう十六だ。いつまでも家に置いておくわけにはいかない」
父はそう言った。セシリアは頷いた。婚約に夢を見ていたわけではない。けれど、心のどこかで少しだけ期待した。この家を出られるかもしれない。それだけで十分だった。
初めて会ったエドガーは、礼儀正しく、穏やかに見えた。セシリアの話もきちんと聞いてくれたし、妹のことばかり話題にする両親とは違い、セシリア自身にも興味を持って接してくれた。
「君は花が好きなのか」
初めて二人で庭園を歩いた時、エドガーがそう尋ねてきた。
「はい。庭師の方によく教えていただいていましたので」
セシリアは咲き始めた白薔薇へ目を向ける。
「香りの違いを見るのも好きです。同じ薔薇でも、品種によってかなり違いますから」
「香水も好きと聞いた」
「ええ。強い香りより、少し控えめな方が好みです」
エドガーはそこで小さく感心したような顔をした。流行の色や宝飾品の話ではなく、花の種類や香りの違いについて自然に話す令嬢は珍しかったのだろう。
妹のメリッサではなく、セシリアに婚約の話が回ってきた理由も、結局はそこだった。
セシリアには教養があった。
花の種類、香水の調合。どれも彼女自身は趣味の延長として触れていただけだったが、社交界ではそうした知識を自然に語れる女性は好まれる。
特に香水に関しては、顕著だった。
王都では近年、香料文化が広まりつつあり、貴婦人たちは競うように新しい香りを求めていた。だが実際には、流行している香水の名前を知っているだけの者も多い。
その中でセシリアは、香りに使われている花や香料の特徴まで理解していた。
花の開花時期を香りで言い当てることはもちろん、温度や湿度によって変化する香りの立ち方まで把握している。
香水の調合に使われた花の種類を聞き分けることなど、彼女にとっては造作もないことだった。
父もそこを評価していた。
メリッサは愛嬌があり、人に甘えるのがうまい。だが、長時間の茶会や格式ある場では会話が続かないことが多かった。体調を理由に途中で席を外すことも珍しくない。
一方のセシリアは、何時間でも失礼なく会話を続けられる。
だからこそ、ノルヴァン家へ嫁がせるならセシリアだと判断されたのだ。
もっとも、当時のセシリアはそんなことを深く考えていなかった。
ただ、自分の話を最後まで聞いてくれる相手が現れたことが、少し嬉しかっただけだった。
しかし、妹はそれをよく思わなかったのか、セシリアの婚約者を半ば強奪するという暴挙へ出たのだ。
気づけばエドガーは、セシリアよりメリッサを見るようになっていた。
婚約者として隣に立つべき場面でも、彼の視線はメリッサへ向く。
王都ではいつしか、『ノルヴァン子爵家嫡男とリンドベル家の愛らしい妹君』という噂の方が広まりつつあった。
セシリアにおける前途多難の大半は、自身の不運さと、妹であるメリッサの存在によって構成されていた。
だから婚約破棄を告げられたあの瞬間も、そこまで驚かなかったのである。
結局、また奪われただけだ。
もっとも、そんなセシリアにも唯一と言っていい幸運はあった。友人にだけは恵まれていたのである。
元公爵令嬢のアリス・ウェールズ。
侯爵家の令嬢、リーザロッテ・ヴァルナー。
快活で思ったことをすぐ口にするセシル・ハインズ。
そして幼い頃からの付き合いであるエレノア・フェルト。
身分も立場も性格もばらばらだったが、今では月に一度ほど集まってお茶を楽しむ仲になっていた。
◇
そんな中、婚約破棄をされてから数日後、一同は会う約束をしていた。
待ち合わせ場所は、王都中心部から少し離れた場所にある小ぢんまりとした喫茶店だった。
表通りの賑わいから一歩外れた場所にあり、店先には店主が手入れしている季節の花々が並んでいる。紅茶の種類が豊富で、焼き菓子も美味しい。何より、長居をしても嫌な顔をされないため、五人のお気に入りの店になっていた。
扉を開けると、からん、と軽やかな鐘の音が鳴る。窓際の席には、すでにアリスとエレノアの姿があった。
最初にセシリアに気づいたのはアリスだった。
明るい白金の髪を揺らしながら、ぱっと表情を輝かせる。
「あら、セシリアじゃない!元気にしていた?」
「えぇ、お陰様で。アリスは?」
「もちろん元気よ。でも、あなたのことが気になって仕方なかったわ」
そう言って、アリスは席を立ち、セシリアの手をぎゅっと握った。
白金の髪に、澄んだ青い瞳。華やかな容姿に目を引かれるが、その笑顔は昔から少しも変わらない。
現在はロイド家の長男と婚約しており、結婚式も間近に控えている。ロイド家は貴族ではなく、王都で暮らすごく普通の家だ。
もっとも、「普通」といっても、堅実で評判の良い家庭であることは間違いない。アリスが嬉しそうに婚約者の話をするたびに、きっと優しい人なのだろうとセシリアは思っていた。
「顔色もいいみたいで安心したわ。私はずっとアリスの惚気ばかり聞いていたんだから」
「もう、エレノアったら」
アリスは頬をほんのり赤く染めながら、困ったように笑った。
「この前もね、街を歩いていた時に、私が店先の花を見ていたら『アリスに似合いそうだ』って言って、小さな花束を買ってくださったの」
「まあ、素敵ね」
セシリアが感心したように目を丸くする。
婚約者の話をする時のアリスは、いつもよりずっと表情が柔らかい。その幸せそうな様子を見ると、聞いているこちらまで自然と頬が緩んでしまう。
店の扉が開き、からん、と鐘の音が鳴った。
振り向くと、セシルとリーザロッテが連れ立って入ってくるところだった。
セシルは栗色の髪を高い位置でまとめた快活な女性で、歩くだけで周囲の空気が明るくなるような存在だ。その隣を歩くリーザロッテは、淡い金髪を丁寧に結い上げ、いつも通り隙のない優雅さをまとっている。
その隣を歩くリーザロッテは、淡い金髪を丁寧に結い上げ、いつも通り隙のない優雅さをまとっている。
「はーい、皆。もう来ていたかしら?」
セシルが片手を上げながら、にこやかに声をかけた。
「私たちが最後みたいですわね」
リーザロッテが微笑みながら席へ向かう。
淡い金髪を丁寧に結い上げた彼女は、今日も隙のない上品さをまとっていた。
その隣のセシルは、いつものように明るい笑みを浮かべている。
五人全員が揃うと、それだけで場の空気が一気に華やいだ。
「そうだ、今日はこれを持ってきたの」
セシリアは籠から小さな香水瓶を取り出した。
透明なガラス瓶の中で、淡い琥珀色の液体が静かに揺れる。
「あら、新作?」
アリスがすぐに目を輝かせた。
「ええ。ラベンダーを中心に、少しだけジャスミンを加えてみたの」
栓を開けると、爽やかな香りのあとに、やわらかな甘さがふわりと広がる。
「素敵……!」
一同が感嘆の声を漏らす。
アリスは嬉しそうに瓶を覗き込み、リーザロッテは目を細めながら香りを確かめていた。セシルに至っては「これ絶対売れるわよ」と好き勝手なことを言っている。
そんな穏やかな空気の中、エレノアがふと紅茶のカップを置いた。
「セシリア、聞いたわよ。例の彼とのいざこざ」
空気が少しだけ静まる。セシリアは苦笑した。
「もう王都中に広まっているみたいね」
「そりゃそうでしょうよ。夜会の真ん中で婚約破棄なんて、貴族の大好物だもの」
セシルが呆れたように肩を竦める。
「しかも妹と並んで堂々と、でしょう?あの男、本当に頭大丈夫?」
「本当に困っているのよ。その事について報告と相談をしようと思って」
セシリアはそう言って、小さく息を吐いた。
そして、夜会の後に起きたことを洗いざらい話した。
家へ戻った後、両親が真っ先に気にかけたのはメリッサだったこと。
メリッサは部屋へ籠もり、「お姉様に嫌われたくなかっただけなのに」と泣き続けていたらしい。
エドガーと親しくしていたのも、自分ばかり家に閉じ込められて寂しかったから。
姉の婚約者と話すのが楽しくて、つい甘えてしまっただけ。自分は悪気などなかった。
そう言って涙を流していたという。
そして両親は、その言葉を疑いもしなかった。
母は「あなたがもう少し配慮できなかったのか」と言い、父は「今は余計なことをするな。大人しくしていろ」としか言わなかった。
婚約破棄をされたのはセシリアの方であるにもかかわらず、家の中ではいつの間にか“妹を追い詰めた姉”として扱われていたのだ。
「もう絶縁した方がいいんじゃない?」
最初にそう言ったのは、意外にもアリスだった。普段は柔らかな物腰の彼女にしては珍しく、はっきりとした口調だった。
セシリアは思わず瞬きをする。
「アリスがそこまで言うなんて珍しいわね」
「だって、酷すぎるもの。婚約者を妹に取られて、その上悪者扱いされるなんて、そんなのおかしいわ」
「それは私も同感」
セシルが即座に頷く。
「むしろ今までよく耐えたわよね」
リーザロッテも静かにカップを置いた。
「正直、私も似たようなことを考えていましたわ。このまま同じ環境にいても、またセシリアだけが我慢を強いられる気がしますもの」
「そうそう、私みたいに家出をしてさ!」
アリスがぱっと明るい調子で言った。
その場にいた全員が微妙な顔になる。
「……あなたの場合、わりと洒落にならないのよね」
エレノアが呆れたように言う。
アリスはえへへ、と誤魔化すように笑った。
元々、アリスと現在の婚約者であるロイド家長男との婚約には、ウェールズ家が大反対していた。
ウェールズ家は、代々続く由緒ある公爵家だった。それも王国西端の広大な領地を持つ名家であり、王都から遥か離れた辺境を治めている。
一方、ロイド家は王都で暮らすごく普通の家だった。貴族ですらない。
商会を営む堅実な家庭ではあるが、公爵家と比べれば身分差は歴然だった。
当然、ウェールズ家からすれば認められる相手ではなかったのである。
アリスは元々、王都への留学という形でこちらへ来ていた。王都の社交や文化を学ぶためだったが、そこで偶然ロイド家の長男と出会った。
しかし意外にも、最初に恋へ落ちたのはアリスの方だったらしい。
その話を初めて聞いた時、セシリアたちは揃って驚いた。何しろ当時のアリスは、恋愛とは無縁そうな顔をしていたのだ。
誰に対しても優しく穏やかで、異性の話題を振られても「そういうものなのねぇ」とふわふわ笑っているような女性だった。
そんな彼女が、一目惚れだったというのである。
アリス曰く、迷って困っていた自分へ、ごく自然に声をかけてくれたのが嬉しかったのだという。 公爵家の娘として扱われるのではなく、一人の女性として接してくれた。
それが妙に印象に残ったらしい。
その後、本を拾ってもらったり、偶然街で再会したりするうちに、少しずつ会話をするようになった。
最初は本当に他愛もない内容ばかりだったという。
王都のおすすめの店。最近流行している菓子。
けれどアリスは、その時間が楽しくて仕方なかったらしい。だからこそ、実家から反対されても譲れなかったのだろう。
セシリアはそんなアリスを見ながら、小さく笑う。
恋愛というものは、案外そういう些細なことから始まるのかもしれなかった。
もっとも、セシリアにはあまり縁のない話でもある。少なくとも、エドガーとの婚約にそんな甘い空気はなかった。
だからこそ、アリスの話を聞いていると少しだけ眩しく感じるのだろう。
エレノアが小さく咳払いをする。
「それはそうと、セシリアは家出した後の当てはあるのかしら?」
「ない訳ではないわ。お金はそこまで使って来なかったし、それなりに溜まっているわ」
元々、セシリアはあまり浪費をする性格ではなかった。
流行の宝飾品にもそこまで興味はないし、毎回新しいドレスを欲しがることもない。
趣味と言えば花と香水くらいのものだ。
香料や本へ金を使うことはあっても、貴族令嬢らしく派手に遊ぶことは少なかった。宝飾品に強い興味があるわけでもないし、流行のドレスを毎回新調するタイプでもなかった。
そのせいか、気づけばかなりの額が残っていたのである。
セシルが感心したように眉を上げる。
「えらいわねぇ。私だったら絶対使い切ってる」
「あなたはまず衝動買いを減らすべきですわ」
リーザロッテが即座に言う。セシルはその後、何も言えずにいた。
「困っていたら私の事を頼って頂戴!」
アリスが勢いよく身を乗り出した。
「部屋くらいなら用意できると思うし、ロイドさんにも相談してみるわ」
「えぇ、ありがとう。機会があればそうさせて貰うわ」
「機会があれば、じゃなくて。本当に困ったらすぐ来てね?」
こういう時、彼女は決して社交辞令を言わない。だからこそ、その優しさがありがたかった。
「分かったわ。その時は頼らせてもらう」
「約束よ」
アリスがようやく満足そうに頷く。
すると、エレノアが静かに紅茶を置いた。
「じゃあ、絶縁って事で良いのかしら?」
あまりに淡々とした言い方だったため、セシリアは一瞬返事に詰まった。
「……いきなりそこまで行くの?」
「だって、家を出るのでしょう?」
「出るつもりではあるけれど」
「なら、曖昧にしない方がいいわ」
「それこそアリスみたいに吹っ切る心を持つべきだわ」
セシルが紅茶を飲みながら言う。
「この子、見た目ふわふわしてるくせに、変なところで肝が据わってるもの」
「変なところって何よ!」
アリスがむっと頬を膨らませる。
「ロイドさんは平民でも素敵な方だもの」
「はいはい惚気惚気」
セシルが適当に流す。
「そうねぇ。確かに家を頼らなくても何とかなりそうだし、実家は王都からも比較的離れているし、絶縁するなら良い距離感ね」
リンドベル領はウェールズ家程ではないが、王都から馬車で数日かかる場所にある。だから距離を置こうと思えば、案外どうにでもなる気もする。
「そうですわ。たまには自分勝手、というのも悪くないと思います」
リーザロッテが言う。
その言葉に、セシリアは少しだけ考え込んだ。
自分勝手、昔の自分ならきっと抵抗を覚えていただろう。
幼い頃から、“姉なのだから譲りなさい”と言われ続けてきたのだ。欲しい物も、予定も、最後にはメリッサが優先だった。
だから、自分を優先するという発想自体が薄れていたのである。
けれど今回ばかりは、流石に疲れてしまった。
婚約者を妹へ取られ、その上で悪者扱いまでされる。そこまでされてなお、家族のために我慢し続ける気力はもう残っていなかった。
「分かったわ。皆の言う通り、そうさせて貰うわ」
セシリアがそう言うと、アリスがぱっと顔を輝かせた。
「よく言ったわ!」
勢いよく身を乗り出し、そのままセシリアの手を取る。
「大丈夫よ!何とかなるわ!」
「随分勢いだけで言うのね……」
「でも、私が暮らして行けるんだからやっていけるわよ!」
アリスは胸を張って言った。
確かに説得力はある。
公爵家を飛び出し、王都で平民の婚約者と暮らしているのだ。普通に考えればかなり無茶なことをしている。
その様子を見ていると、セシリアも少しだけ肩の力が抜ける。
案外、本当に何とかなるのかもしれない。
少なくとも今の家に居続けるよりは、ずっと気
楽に生きられそうだった。
そんな空気の中、エレノアが紅茶のカップを置いた。
「それで、貴方の所のエドガーとメリッサにはどう落とし前を付けようかしら?」
妙に物騒な言い方だった。
セシリアは思わず瞬きをする。
「落とし前って……」
「だって、やられっぱなしは癪でしょう?」
エレノアは当然のように言った。
「うん……まぁ、確かにそうかも?」
昔から彼女はこういう性格だった。
普段は穏やかなのに、友人が不当に扱われると妙に容赦がない。
セシルも面白そうに身を乗り出す。
「確かに。婚約破棄だけならまだしも、悪者扱いまでされてるんだから、一回くらい痛い目見せても罰当たらないわよ」
「物騒な話になってきましたわね……」
リーザロッテは呆れたようにため息を吐いていたが、否定はしなかった。
そしてアリスはというと完全に乗り気である。
「じゃあ、何かアイデアのある人はいる?」
セシリアは思わず苦笑する。
少し前まで家を出るかどうかの話をしていたはずなのに、いつの間にか報復会議みたいになっていた。
こうして乙女たちの大作戦が始まったのだった。
◇
エドガー・ノルヴァンは、ここ数日の社交界の空気に違和感を覚えていた。
婚約破棄は成功したはずだった。
セシリアとは縁を切れたし、今はメリッサが隣にいる。あの夜会でも、自分の判断を支持する声は少なくなかった。
メリッサは可憐で愛らしい。
守ってあげたくなるような儚さがあり、セシリアのように理屈っぽくもない。
だからエドガーは、自分の選択は間違っていないと思っていた。
少なくとも、あの場ではそうだったはずだ。
だが実際には、妙に視線を感じるのである。
ひそひそと何かと囁かれる。
特に年配貴族の反応が良くなく、それが地味に気に障っていた。
「エドガー様?」
隣のメリッサが不安そうに見上げてくる。
今日は王城で開かれている舞踏会の日だった。
淡い桃色のドレスを身に纏ったメリッサは、確かに愛らしい。少なくとも、冷たく理屈っぽいセシリアよりは、ずっと女性らしいと思う。
「大丈夫だ。気にする必要はない」
そう言ってエドガーは彼女の肩を抱いた。周囲へ見せつけるように。
すると、その時だった。
「随分と仲が良さそうだな」
エドガーは反射的に振り返り、顔色を変えた。
「へ、陛下……!」
そこに立っていたのは、この国の国王その人だった。
年齢こそ六十を越えているが、鋭い目つきには未だ威圧感がある。周囲の貴族たちも慌てて頭を下げていた。
エドガーとメリッサも慌てて礼を取る。
王は二人を見下ろし、ふむ、と小さく鼻を鳴らした。
「確か、お前は最近婚約破棄をしたそうだな」
「……は、はい」
「しかも婚約者の妹と懇意になったとか」
逃げ場のない言い方だった。エドガーは嫌な汗が流れるのを感じた。
「事情がありまして……セシリアには以前から問題行動が――」
「だから妹へ乗り換えたと?」
王はぴしゃりと言った。
その一言だけで、場の空気が凍る。
「い、いえ……私はメリッサを守ろうと……」
「婚約者ではなく、その妹をか?」
エドガーは言葉に詰まる。
すると王は小さくため息を吐いた。
「若いな」
その言葉は呆れ半分だった。
「女に現を抜かすのは勝手だ。だが、貴族には順序と体裁というものがある」
王の視線がメリッサへ向く。
メリッサは怯えたように肩を震わせていた。
「姉の婚約者へ近づき、結果として婚約を壊した。私から見たら十分に醜聞でしかない」
「……っ」
「しかも夜会の場で婚約破棄を宣言したそうだな。随分派手な真似をしたものだ」
完全に説教だった。周囲の貴族たちも、気まずそうに視線を逸らしている。
エドガーは顔から火が出そうになる。たが反論などできるはずもない。
相手は国王なのだから。
◇
数週間後、セシリアたちは再びいつもの喫茶店へ集まっていた。
婚約破棄騒動からしばらく経ち、王都では新しい噂が飛び交っている。もっとも、その中心には未だエドガーとメリッサの名前があった。
「――っ、ふふ……あはははっ!」
喫茶店の中に、アリスの笑い声が響いた。
「アリス、実は性格悪かったりする?」
エレノアが呆れ半分で言う。
今回の件で“落とし前”をどう付けるか考えたのは、実はアリスだったのである。そして実行へ移したのは、アリスに加えてリーザロッテもだった。
セシリアとしては、そこが一番驚きだった。
「でも、リーザロッテも参加したのは意外だったわ」
セシルがそう言うと、リーザロッテは涼しい顔で紅茶を口へ運ぶ。
「私も私で思う事ありましたから。やっぱりセシリアの話を聞いていると、許せなくなってしまって」
彼女にしては珍しく、感情が表に出ていた。
元々アリスもリーザロッテも、貴族社会ではかなり顔が広い。
アリスは元公爵令嬢であり、王都でも知名度が高い。リーザロッテも侯爵家の令嬢として社交界との繋がりが深い。なので、今回の件も自然と王城側へ話が流れていったのである。
セシリアはそんな友人たちを見回し、小さく笑った。
「今回は本当にありがとう。四人とも」
その言葉に、アリスがぱっと表情を明るくする。
「いいのよ!親友の為だもの、一肌脱いで見せるわよ」
リーザロッテも頷いた。
「少しでも気が晴れたなら何よりですわ」
もっとも、あの一件以降、エドガーとメリッサの立場はかなり悪くなっていた。
元々、婚約破棄自体は貴族社会でも珍しくない。
だが問題だったのは、“婚約者の妹へ乗り換えた”という部分である。
しかも夜会の真ん中で堂々と宣言したせいで、余計に悪目立ちしてしまったのた。特に年配貴族からの印象は特に悪い。
加えて、国王本人から説教を受けた件が決定打だった。
社交界では既に笑い話のように扱われ始めている。
エドガーは最近、以前ほど舞踏会へ顔を出さなくなったという話だった。
一方のメリッサも、かなり肩身が狭くなっているらしい。
元々、“愛らしく儚い妹”として同情を集めていたが、流石に今回ばかりはやりすぎたと見る者も増えたのだ。
特に夫人層からの評判が悪い。
婚約中の男性へ近づく行為そのものを嫌う者は多いのである。
まあ、自業自得ですわね」
リーザロッテがあっさり言った。
セシリアは苦笑する。
少し前までなら、こんな話を聞けば胸が痛んでいたかもしれない。
だが今は、不思議とそこまで何も感じなかった。
むしろ、ようやく自分の人生へ報いが返ってきたような気さえしていたのである。
これからは王都での一人暮らしも待っている。彼女はそれを少し楽しみにしていた。
もちろん、これからも前途多難な人生なのだろう。
けれど、親友たちがいれば何とかなる気がする。
セシリアはそんなことを思いながら、紅茶へ口をつけるのだった。
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