1章 砂嵐の落とし子
砂嵐は、すべてを覆い隠す。
槍の穂先の煌めきも、復讐者たちの姿も。
砂塵に包まれた闇の中を、十騎の騎馬兵が、矢のように駆けていく。
アーディラは、スカーフを目の下まで引き上げ、腰に佩いた曲刀を抜き放った。
彼女の率いる兵たちもまた、各々に槍を構え、剣を抜く。
疾駆する彼らの前に、幽かに、巨大な檻が浮かび上がった。
徐々に砂塵が晴れていく。
アーディラは曲刀を振りかざし、叫んだ。
「突撃!」
十騎の影が、先を争って砂嵐を飛び出す。
目の前に、人が満載に詰め込まれた檻付きのラクダ車が現れた。
ラクダ車の側面を、敵の騎馬兵が守っている。
その背を、瞬間、槍が小札甲ごと食い破った。
さらに、剣が容赦なく敵の鎧の隙間に襲いかかる。
敵兵のうち、奇襲に気づいた者たちは、馬首をめぐらせ、襲撃者たちに向かって突進した。
そのうちの一騎が、アーディラの胸をめがけて槍を突き出した。
穂先がその細身に吸い込まれる━━その刹那、アーディラはひらりと鞍から降り、疾走する愛馬の横身にぶら下がった。
敵の槍が宙を貫く。
アーディラは風のように鞍に飛び戻り、振り向きざまに敵の背を一閃、横薙ぎにした。
悲鳴と血が、砂漠の砂に染み込んでいく。
敵の最後の一騎が、兵たちの刃を鮮やかに弾き、異国の言葉で鬨の声を上げながら、猛然とアーディラに襲いかかった。
「シムヌ・アーディラ! ここで死ね!」
アーディラは堅く黙したまま、馬の腹を蹴った。曲刀を構える。
志半ばで無残に散った、我が父の愛刀。
仇の血をこの刃に吸わせるその日まで、父の代わりに戦い抜いてみせる。
敵の片手刀が、アーディラの首を横一文字に狙う。
アーディラは、獲物を蹴り落とす隼の如く、片手刀ごと腕を両断した。
血に濡れた刃が、再び、白く閃く。
腕と首を失った敵が、声もなく、馬上からどさりと落ちた。
アーディラは、戦いの間詰めていた息を、ゆっくりと吐いた。
「アーディラ様!」
配下の兵の一人が、砂を蹴立てて駆け寄ってきた。
「奴隷商人どもが口を割りました」
「よくやった。先に掴んだ情報のとおりだったか?」
「はい。檻の中の者たちは、太守へ献上する奴隷だと。……いずれも、我らの都の民です」
アーディラは静かに頷き、馬から降りると、ラクダ車の檻へ歩んだ。
曲刀は納めなかった。
檻の中にも敵兵が潜んでいるかもしれない。
アーディラの歩みは、一歩ごとに力強さを増し、怒りのままに砂を踏み抜いた。
太守バハトゥル。あの憎き男。
都を蹂躙し、我らの王を処刑した外道。
それだけに飽き足らず、わずかに生き延びた民たちまでも、奴隷の身分に落とそうとは!
部下たちが、檻から人々を出している。
どの顔も、奴隷にされかけた恐怖か、救われた安堵を浮かべている。
周囲に目を巡らせていると、アーディラは、檻付きの車の前に、さらにもう一台、小ぶりな車が付いていることに気がついた。
車の四方は、刺繍が施された厚い帷に囲まれている。
中が見えない。
アーディラは、車の中に向かって叫んだ。
「誰ぞ、居るか。安心なさい、私たちは野盗ではない。都の武家の生き残り、アーディラだ。さあ、降りてきなさい」
曲刀を握る手が強張る。
太守バハトゥルは狡猾だ。
何か恐ろしい仕掛けを隠しているかもしれない。
しかし、布の間から現れたのは、刃ではなく、ほっそりとした白い手だった。
「アーディラ、様……? そ……その名、存じております。お助けください! 片手が縄で車に繋がれていて、動けないのです」
艶やかで甘美な、蜜のような声が響いた。
アーディラが帷をばさりと取り払うと、そこには、真珠のような肌の美女が、力なく座していた。
色鮮やかな装束を身にまとい、その頬は磨き抜かれ、汚れひとつない。
アーディラは、自分の顔をスカーフで慌ただしく拭った。
輝くような女の姿を見て、自分の顔が砂塵と返り血で汚れていることを思い出し、恥ずかしくなったのだ。
女が繋がれている車の中へ乗り込むと、花のような濃密な香りが鼻先をくすぐった。
アーディラは自分の身体を伝う汗の匂いを思うと、ますます恥ずかしく思った。
耳がさらに赤くなる。
それでも、彼女は逃げ出さず、女の手首を縛っている縄に曲刀を当てた。
「ひっ……!」
女の大きな緑の瞳の先には、刃から血が生々しく滴っていた。
「す、すまない。すぐに仕舞うから……」
アーディラは慌てて刃についた血を袖で拭った。
女を驚かせないようにと、手の内で器用にくるりと回し、ゆっくりと鞘に納める。
鬼神のような戦いぶりからは想像もできないほど、眉尻を下げ、優しい微笑みを浮かべた。
「恐ろしい物を見せてしまったね。すまなかった。ほら、こっちの小さい方で縄を切るよ。……いいかな?」
アーディラは、革帯に差したままだった短刀を抜いて、女に見せた。
女はまだ怯えが残っている様子で、声もなくこくりと頷いた。
アーディラもまた、こんなに綺麗な女の前では、口を開くことさえ恥ずかしかった。
だが、縄を切る音だけの沈黙に耐えかねて、珍しくもごもごとした口ぶりで話しかけた。
「……あの……あなた、名前は」
「な、名前ですか? わたしは……ジュマーナと申します」
「ジュマーナ。『真珠』か。良い名だ。……その、縄が切れた」
アーディラは短刀をしまうと、車からふわりと飛び降り、女に手を差し出した。
「降りられるか? 足元に気をつけて」
その手のひらは、大きく、肉厚で、剣だこが硬く盛り上がっている。
ジュマーナは、おずおずと、細く柔らかな指を這わせた。
アーディラは、これほどまでに頼りなく壊れてしまいそうなものに触れたのは、実に数年ぶりだった。
力を入れると折ってしまいそうで、恐る恐る握った。
ジュマーナもまた、こんなにも純真な手に触れたのは、生まれて初めてのことであった。
互いの手が、初めて愛を知り、やがて炎の地獄を招くことになるなど、この時はまだ知る由も無い。




