殿下に「お前のような無能が」と言われたので「はい、その通りです」と返したら、毎日褒められるようになりました。
幼少の頃。
私は公爵家の長女として第一王子、アーヴィン様と婚約しました。
この頃の彼は、周囲からの期待や品定めされるような視線、そして第一王子という立場に対する重圧に苦しみ、周囲にきつく当たるようになっていました。
そんな中で決まった婚約。
大人達ならばまだしも、相手は自分と同い年と幼子。
日頃厳しい教育に耐えてきている自負のあったアーヴィン様は同年代の少女であれば突けばいくらでもボロが出ると思ったのでしょう。
初めてお会いした日、両親や使用人が気を聞かせて私達を二人きりにした途端、彼は私を鼻で笑いました。
「どうせ、家の地位だけできめられた婚約だ。これは君の力じゃない。君のような無能が俺の隣に並ぶなんて、本来ならばあり得ないということを理解しておけ」
子供とは思えない流ちょうな言葉遣いには、日頃の勉学の積み重ねが感じられます。
しかし彼の口から出た言葉は罵倒に近しいものでした。
この、私を突き放すような言葉は、きっと自分自身に向けた嫌悪のようなものだったのでしょう。
王族に生まれただけで、自分には何もない。
そうご自身の事を考えたからこそ、彼は自分が一番謂われたくないと思う言葉を武器として扱ってしまったのでしょう。
しかし私は彼のその厳しい言葉に怒りや悲しみといった負の感情を抱く事はありませんでした。
少しの間きょとんとしてから、私は頷きます。
「はい。その通りです」
「な……っ」
ご自身から仰った言葉ではありましたが、アーヴィン様は驚きを顔に出しました。
私が自分の言葉を大人しく受け入れるとは思わなかったのかもしれません。
「お、俺の言っている意味が分かっているのか!」
「はい。日頃から家族や家庭教師にも同様のご指摘を頂いております」
私の言葉を聞いたアーヴィン様の顔が強張る。
「私は公爵家の地位以外何も持たず何もできない、愚鈍で無能な出来損ないだと」
アーヴィン様のサファイアのように美しい瞳が揺れます。
それを見て私は、きっとこの方の本質は優しさなのだろうと思いました。
だって私のような者へ同情してくださるのですから。
「君……っ、それを聞いて何も思わないのか」
「事実だな、と」
私は淡々と答えました。
「私がお父様のような教養も、お母様の様な品性も持ち合わせていない事は理解しておりますし、テストだって満点を取れない日が僅かに在ります。お父様やお母様が当然だと仰る事――高貴な血筋の者であるならば当然できる事が、私には出来ないのですから」
「そ、そのような事――」
そこでアーヴィン様はハッとしました。
彼は顔を歪め、それから俯きます。
「……いや、俺にそれを言う資格はないか」
長い溜息の後、アーヴィン様は小さな声でこう言いました。
「す、すまなかった。……俺は、自分がされて嫌な事を君にしてしまったに過ぎない」
「いいえ……?」
事実なのだから指摘したところで責められるような事ではないだろう。
そう思っていた私が不思議に思って首を傾ければ、その様子を見たアーヴィン様は困った様な顔をするのでした。
そしてこれが、アーヴィン様に罵られた最初で最後の日となりました。
***
あれから十年の月日が経ち。
私達は王立学園へと入学しました。
アーヴィン様は毎日のように私の家まで馬車を走らせてやって来るので、私達は共に学園へ向かうことが日課になりつつありました。
そこからさらに一年が経ち、すっかり学園での生活も板についた頃。
私はアーヴィン様の馬車に乗りながら呟きます。
「わざわざ我が家までお越し頂かずともよろしいのに」
「俺が一刻でも早く会いたいだけだよ」
「学園でも会えるでしょう。王太子ともあろうお方が貴重な朝の時間を削る程の価値、私には到底……」
「――エイミー」
アーヴィン様が私の頬に触れます。
「何度も言っているが、君は自分が思っているような不出来な人間ではない」
私はどういう顔をすればよいのかわからず、目を伏せます。
「しかし王太子であるアーヴィン様の隣に立つには、まだ」
「君以上に相応しい者など、いるはずもないだろう。既に君の学力は公爵を唸らせるものであるはずだし、淑女教育で培われた品格だって公爵夫人を上回るものであるはずだ」
「しかし、家族は皆まだ足りないと仰いますし、私自身も至らない点を自覚しておりますから」
「全く、君は相変わらず、わからずやだ」
長い婚約関係を築く中で、アーヴィン様に対する不満は殆どありませんでした。
ただ、困ることが一つだけ。
……彼だけは、毎日のようにこうして私を称賛するのです。
家では否定しかされないような私に、彼だけが綺麗な言葉をくれます。
その言葉に偽りがないことは、長年の付き合いのお陰でよくわかっております。
しかし……自分の至らなさを自覚している分、どうしても彼の言葉を素直に受け取ることが出来ずにいました。
「毎日言っているだろう。君は貴族の中で群を抜いて優秀だ。君が俺の婚約者に選ばれたのだって、当時から聡明さが評価されていたからだと、俺はすぐに気が付いたよ」
「買いかぶり過ぎです」
「いいや。これは譲らない。君が君自身を信じられないのは構わないが、王太子である俺の目を疑うことは許さないからな」
「……横暴です」
「王太子の座に就いたからには、この権威も多少は好きに利用させてもらわなければな?」
アーヴィン様はそう言うと、私の頬にキスを落とした。
丁度その時、学園についた馬車が停まります。
「さぁ、行こうか。我が愛しの婚約者?」
本当に、言葉が上手くなったものだと私は内心で思います。
だって彼のこの一言だけで、私は酷く浮かれてしまうのですから。
その日のお昼の事でした。
私は大勢が行き交うエントランスである男子生徒に怒鳴りつけられます。
「オレは見ていた! 貴方が実の妹であるジャニスを突き飛ばすところを!」
男子生徒の傍では、転んだ姿勢のまま涙を流す女子生徒――私の妹、ジャニスがいます。
彼女の代わりに怒りを見せる男性は侯爵子息のグレッグ様。
ジャニスは私へ近づいたかと思えば突然一人で崩れ落ちてしまったので、グレッグ様の仰るようなことはなかったのですが、彼は怒りを顔に浮かべながらこちらを睨んでおりました。
「ジャニスや二人のご両親から話は聞いている! 貴女はご自身の地位に見合う才を持たない、無能な出来損ないだと!」
騒ぎを見守っている周囲の方々がざわめきだしました。
その通りだとでも思われているのかもしれません。
困った、と私は思いました。
王太子の婚約者である私が出来損ないである事が露呈したり、妹を虐めるような醜い姉だという噂が流れれば、アーヴィン様にもご迷惑が掛かってしまいます。
「グレッグ様、私は――」
「貴女は、優秀で家族からももてはやされるジャニスに嫉妬しているんだろう! しかし、こんなことは到底許されない! まずは正々堂々! ご自身の能力を磨くべきだろう!」
私が口を挟もうともお構いなし。
グレッグ様は大きな声で私の言葉を遮って声高らかに言います。
その時でした。
「待て」
良く通った声がエントランスに響きます。
人だかりの中から姿を見せたのはアーヴィン様です。
彼は普段浮かべている穏やかな笑みとよく似た表情をされていらっしゃいましたが、その瞳には冷たさが宿っていて、私は彼が怒っているのだとすぐに気が付きました。
「口出し失礼する、グレッグ殿。だが――我が自慢の婚約者が事実無根の批判を浴び続ける事は許容できなくてね」
「な、アーヴィン殿下……ッ!」
グレッグ様は王太子の乱中に驚きますが、それでもご自身の意見を曲げようとはしませんでした。
「婚約者を庇いたいお気持ちは理解できますが、しかし彼女は――」
「そもそも、何故彼女より地位の低い君が講釈垂れることが出来ると?」
「……っ、地位に左右されて過ちを正すことが出来ない等という社会は間違っているでしょう!」
「その通りだろうね。しかしその講釈が――全くの見当はずれだったのならば? 勿論それは不敬に値する」
「勿論、そんな事はあり得ません!」
「……さて、地位に左右されて言葉を呑む者と淡い恋心に左右され過ちを擦り付ける者――一体どちらが利口だというのだろうな」
アーヴィン様はそう言うと私を見て、一瞬だけ優しい笑みを浮かべました。
「時にジャニス嬢? 古代魔法学術論第七版の第二部第七章十二節の冒頭の文書は暗唱できるだろうか?」
「は、はい……!?」
「と、突然何を仰るのですかアーヴィン殿下! 古代魔法は学園の先、魔法大学院に進む者が初めて教わる科目――」
「では君達は二人とも言えないのだね?」
「と、当然です!」
「私も……!」
アーヴィン様は二人の返答にやれやれと肩を竦めます。
それから私へ目配せをして
「エイミー? 君はどうだ」
「暗唱すればよろしいのですね」
私は一つ呼吸を置いてから、さらさらと長文を――かつて目を通した学術書の指定箇所の文書を暗唱します。
アーヴィン様は冒頭文書と仰ったけれど、冒頭の文書を深く掘り下げた重要な関連事項が文書の後半に記されているので、そこまでを淡々と述べました。
そして私が暗唱を終えて口を閉ざした時。
ジャニスにグレッグ様、そして周囲の生徒が一応に目を見張り、息を呑んでいる事に気が付きました。
「じゃ、ジャニス……」
何故か焦りだしたグレッグ様が助けを求めるようにジャニスを見ます。
するとジャニスは顔を青くさせたままふるふると首を横に振りました。
「う、嘘よ……だって、お父様もお母様も、お姉様は不出来で仕方のない娘だって……っ! お姉様自身だっていつもそう言われて認めていらっしゃったもの!」
声を荒げるジャニスの言葉に私は首を傾げます。
「確かに私はアーヴィン様のお傍に立つものとしてまだ相応しくありません。不出来と言えるでしょう。しかしそれは――未来で王太子妃となる者として、のお話しに過ぎません」
私が目指すのは愛するお方の隣だけ。
人格に優れ、文武両道で、未来で国を背負う立場を任せられた器の大きな私の婚約者様。
彼に釣り合う事を目的として日々励んでいるのです。
「ですから、全ての分野において――ジャニスやグレッグ様、お父様やお母様以上のものを備えているのは当然の事です」
ジャニスが引き攣った声を漏らしました。
かと思えば、その顔は真っ赤に染まり、肩が小刻みに震えます。
グレッグ様も同様でした。
少々言葉が厳しいものとなってしまったかもしれないと思い、アーヴィン様が私に呆れていたりはしないかと彼の顔色を窺います。
するとアーヴィン様は満足そうに頷いてから、困ったように眉尻を下げました。
「……君こそ、俺の事を買い被り過ぎではあるのだけれどね」
そう囁き、私の頭を撫でてから、彼は周囲を見回します。
「――因みに、彼女がジャニス嬢を突き飛ばすところを見た者は?」
その言葉に応える生徒はいません。
「では、ジャニス嬢が独りでに転ぶ瞬間を目撃した者は?」
今度はぱらぱらと手が上がります。
私の冤罪が完全に晴れた瞬間でした。
これでアーヴィン様の顔に泥を塗ることもないでしょう。
そう安心したのも束の間。
アーヴィン様は私の肩を抱き寄せながら更にこう聞きました。
「では――我が未来の妻エイミーこそ、王太子妃に相応しい素質を持つ女性であると思う者は!」
瞬間。
私達を取り囲んでいた生徒が一斉に手を上げました。
彼らは皆、微笑ましそうに私達を見ております。
「エイミー、これが世間の君に対する評価だ」
「そ、そんな……恐れ多いです」
「君の家族や君自身が何と言おうとも、俺や世間は既に君を王太子妃の器として認めている。――それだけは、努々忘れないように」
何故だか目頭が熱くなる私の様子を見て、アーヴィン様は優しく微笑むのでした。
***
騒ぎから逃れ、私とアーヴィン様は裏庭で二人きりになります。
未だに先程の光景に半信半疑となっている私が言葉を失っていると、アーヴィン様が私を抱き寄せます。
「君が努力家で、自分に厳しいことはわかっているからな。俺や皆がどれだけ言おうと、結局は納得できない部分が気になって来るんだろう」
図星でした。
皆様の評価を嬉しいと思う反面、その期待に沿えるよう気を引き締めなければと思っておりましたから。
「だから……そんな仕方のない君が、大勢に認められているという事実を何度でも思い出せるよう、俺はこれからも君を正しく評価していこう」
アーヴィン様が私の顔を覗き込みます。
とろけてしまいそうな程に甘い微笑がそこにはありました。
「君は俺の自慢の人だ。俺が最も尊敬する人で――そして、最も愛する人」
鼓動が早鳴ります。
幸せで胸が満たされ、逆に苦しくなりそうでした。
「愛してるよ、エイミー」
「わ……っ、……私も、お慕いしております……アーヴィン様」
恥ずかしくなってしまい、顔を赤らめる私の唇を、アーヴィン様の唇が塞ぎます。
――不出来という自己評価をどうしても曲げることが出来ない私が分からされるまで離しはしない。
まるでそう言うように、アーヴィン様による甘く深い口づけは、――何度も繰り返されるのでした。
最後までお読みいただきありがとうございました!
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