百の水子の物語
※ 地蔵菩薩という女神。語源は大地と胎内・子宮。釈迦が入滅した(約2500年前)から弥勒菩薩が出現するまで(56億7000万年後)の間、「無仏時代」に六道(地獄、餓鬼、畜生、修羅、人間、天)の全ての界で衆生を救済する役割を担う。平安時代に中国から地蔵が日本に伝来し、貴族の間で広まり、後に民衆にも浸透する。「お地蔵さん」として子の守り神として信仰される。道端などで見かける六地蔵は六道それぞれを守るよう対応している。例外→親より先に亡くなった罪を償うために三途の川を渡れずに賽の河原で石を積み上げ続けるも鬼により崩される。そのような子を救うのが墓石の近くある水子地蔵である。
都は遷り行く。陰陽師たちが星を仰ぎ、水を見て方角を定める。
都はもちろんの事、街や道、家を建てる場所でさえ、
怨霊と疫病を避けるために国家機関である陰陽寮により決められる。
大陸から伝わった文化を独自にアレンジした天文・暦・呪術・風水によって、
当時の日本の舵取りが行われていた。
大陸の唐と交易を断ち、独自の文化が栄え始めていた。
平安時代に暮らす民にとって、
怨霊や悪霊・疫病とは最も忌むべき存在。
霊媒師や医師・薬師の領分では無く、
貴族は高名な陰陽師を呼び祓わせたり、
占いによってとる行動でそれらは鎮められていた。
朱雀大路に雅楽の響きが満ちる一方で、
夜ごと女房たちは祟りの噂を囁きあっていた。
右大臣殿が暮らす中宮。その北の方(后・姫君)が、
我が子を亡くしてから狂ってしまったからだ。
「我が愛しの吾子はどこに行ったのじゃ…?」
北の方の子はすでに流産してしまっている。
体内でかなり大きくなってからの死産であったため、
北の方も生死を彷徨った。
出血多量の上、感染症にかかり、
3日程は熱にうなされた。
意識が戻ると全てを失っていた。
輝かしいはずの世継ぎの男児は既に腹を出て
死産しており穢れに。
亡骸は北の方が寝込んでいる内に、
夜間、近所の川に流されたのだという。
嫁いだ私は産み損ないと宮中で噂され、
北の方の立場は一気に悪くなった。
しかし北の方の関心は亡き我が子にのみ注がれ続けた。
「陰陽師を呼べ!吾子をこの世に復活させるのじゃ!」
「いや、姫様、ご勘弁を…」
この時代には水子の供養の概念はまだ存在しない。
むしろ悪霊・怨霊を呼ぶ恐怖の根源。
死んだ子の魂は親を求め迷い、誰彼構わずに祟りを呼ぶ。
陰陽師としても立場を危うくした北の方の暴走であると考える。
陰陽師に頼れなかった北の方は独自に陰陽道を学び始める。
本来は姫君という立場であれば、
中宮から出ずに屋敷の奥に籠ることが一般的なのだが、
庶民の水干(平安時代の一般的な服装)を纏い、
夜な夜な我が子を流されたという川に向かい、
水面に浮かぶ我が子を眺めているのだという。
お付きの女中達にはその子は見えないが、
北の方には赤子の顔が水面に映って見えているらしい。
「宮中の北の方がまたおかしなことを始めたらしい。」
そしてまた一つ新たな噂が市井に流れる。
北の方が近隣の村から若い娘を買い漁っているのだそうだ。
女童・雑仕といった下級の女中は、
宮中に十分足りているはずだ。
右大臣殿(北の方の旦那)も妻の奇行に頭を悩ますが、
北の方は世継ぎとなる男児を亡くしたばかり。
気持ちは十分に分かった。
さらに買い漁った若い娘達を、自由にお手付きにしてよいと、
北の方からは何故だか勧められている。
自らの子でなくても子供が欲しいのかと納得し、
右大臣殿はどんどんと若い女中をお手付きにしていく。
「宮中で夜な夜な北の方が人を集めて怪談会を催しているらしい。」
怪談は陰陽師ではタブーとされている悪霊や怨霊を呼ぶ行為。
北の方は夜な夜な川に行く前にそれらを行うことで、
川にて我が子の顔が水面にくっきりと映るのだという。
共に付き合わされている女中達の話によれば、
怪談話を市井や文献から集める仕事が追加され、
女中の数は増えたのだが、仕事は忙しくなったそうだ。
「妊娠した宮中の女子が消えているらしい。」
宮中の女中の何人かの妊娠が判明したことが分かり、
北の方は大喜び。休養や滋養のつく食事を与えられ、
とても手厚く扱われた。
しかし、そのような生活が1週程続いた後に行方不明になる。
北の方は何も語らない。
傍に使えている女中でさえ、本当に心当たりが無いのだそうだ。
北の方はそれを予期していたかのように、
また近隣の町から女童・雑仕として若い女子を迎え、
下級の女中として教育を始める。
古くから仕える女中は判っている。
北の方がきっと何かをしている。
しかし妙齢から外れた私達にはきっと被害が及ばない。
対岸の火事には手や口を出さないことが一番であることを。
2年後…
消えた女中は20人を越えている。
北の方が夜な夜な人を集めての怪談話の後、
川に行く習慣も途絶えていない。
川での奇行はどんどん激しくなっている。
しかし最近では女中達にも視ることが出来る。
川面の子の数が異常に多い。
北の川が会話をしている相手をくっきり視られる。
きっと、消えた女中達は腹に子を抱えたまま、
この川で溺死させられているのであろう。
夜にしかこの川に来ない北の方がどのようにして、
女中達を殺しているのかは分からない。
右大臣殿が急死する。
北の方はショックを受けて伏せってしまった。
右大臣の死因は性病であろう。
村から引っ張ってきた女中に、
性病を持っているものがおり、
宮中で蔓延した。
女性であれば感染しても痒みが出る程度であるが、
男性では悪化すると死に至ることがあるようだ。
宮中で6人の男が亡くなった。
北の方がショックを受けていることはおそらく、
妊娠した女性を新たに宮中で生むことができなくなったからだろう。
川で我が子と会話する北の方のつぶやきを聞いた事がある。
「百人は友達が欲しいのね?」
女中達はゾッとした。
その方法とは…
「町中で妊娠した女子が行方不明になる事件が起こってるんだとよ。」
北の方が近隣の町から女中を雇う事を辞め、
しばらく経ってから、
想像通りの出来事が起こり始める。
噂が広まるにつれ、妊娠が発覚した女はその事実を隠し、
外に出ないようになる。
しかし、そのような対策をあざ笑うかのように、
いつの間にか家から居なくなってしまうのだ。
旦那が鍵を閉めて妻を出られないようにしても、
忽然と妻は部屋から消えてしまう。
失踪した同時刻、北の方は中宮の奥にいる。
これは北の方の仕業ではなく悪霊・祟りの仕業なのか。
陰陽寮が本格的にその神隠しの調査を始める。
妊娠した女性の失踪は止まらない。止められない。
中宮内における女中の失踪は民衆には大きな影響が無かった。
しかし市井の妊娠した女性が失踪するという事件、
その噂が広まってしまう事は非常に深刻である。
この地域の人口が急速に減り、いずれ廃都と化してしまう。
中宮で25人、市井で74人の計99人の行方不明者が出る中で、
北の方が過去最大の怪談の催しを開いた。
酉の刻は半ば(夕方6時頃)に差し掛かり御殿に灯火がともる頃。
陽・陽から闇・陰へと移り変わる黎明の時刻。
人と死者の境目が曖昧になる。
そんな時刻に怪談会は開催された。
その怪談会はやけに細かい作法が北の方から言伝えられていた。
・1つ怪談を終えたならば100を灯した火から1つを吹き消していくこと
・北の方の指定した川辺で行うこと
・丑三つ時(夜2時)に100話目を終えること
陰陽師も同席して警戒する中でその怪談会は進む。
3,4話と怪談が進む中で、参加者は皆が異常を感じ取る。
あちこちで子供の声がする。
赤ん坊の泣き声、子供の笑い声、会話する声、喧嘩する声…
当然参加者には子供や赤子はいない。
恐怖で逃げ出すものがいたが、
北の方の私兵に捕らえられて連れ戻されていた。
怪談話が進んでいき、恐怖が渦巻く中で、
北の方はご機嫌な様子でニコニコと笑っている。
その顔は明らかに北の方ではない。
一歩も動いていない、同じ水干を着ている、
なので北の方なのは間違いないのだが、
どう見ても別人なのだ。
話が半ば程に差し掛かる。
月明かりは完全に隠れ、灯火が減り闇が濃くなる。
陰陽師が北の方の前に立ちはだかり、
「汝の気配、穢土より来たりしものと知る!虚を捨て、実を答えよ!北の方はどこへやった!」
北の方は答えず、虚ろに笑う。その笑い声につられて子供達も一斉に笑い出す。
「黙すか。川に沈められし魂が此度の元凶か!怨みを流れにせよ、さもなくば封ず!」
陰陽師達が一斉に紙片を宙に投げ、呪いを唱える。
すると川辺が高く波打ち、北の方は悲鳴を上げた。子供達の悲鳴もあちこちで聞こえる。
「その呪いをやめんかぁぁ!」
北の方…の声ではない。別の性別不明の声が聞こえる。
数分は続いただろうか。辺りは陰陽師の呪いだけが重なって聞こえ、
それは現世の存在のみになったという安心感があった。
川はせせらぎを取り戻しており、あれだけ強かった子供達の気配も消えている。
北の方には意識が無いようでぐったりと倒れている。
陰陽師の頭領が語る。
「この日のために準備していた形代・符・幣帛が全て焼け焦げておる。本当にぎりぎりの戦いであった。だがもう安心だ。皆のものよ。
北の方は自らの水子に操られておったようだ。この川に別の水子を呼び込み力を付けていく。そして、母である北の方を通じて、この場に妊娠した女性を呼び込んでいたのであろう。行方不明となっていた母子の生存は絶望的であろうが、二度とこのような事はおこるまい。」
と言い終わる頃に、北の方が体を起こす。
長年仕えてきた女中である私は、北の方に駆け寄る。
すると北の方は脚を引きづりながら、川の方へと向かう。
「姫様!危のうございます!」
(今までずっとありがとうね)
北の方は口を開けていない。
しかし私には彼女の声が脳内にはっきりと聞こえた。
私は姫様から手を離し、その背中を見送った。
彼女は川に入っていく。
そこの30名程の人がいるが、誰も声も出さず動かない。
そのまま北の方の姿は川に飲み込まれ見えなくなった。
(あ、母上。これから一緒にいられますね。こっち、こっち♪)
皆の脳内に子供の声が聞こえた。
私はこの物語を随筆にして書き記しておく。
日常の何でもない日記とは別に、
姫様とのこの一連の出来事を
後世に伝えることがきっと私の使命なのだ。
流産・早逝した子を供養するため、
仏の力を六道以外に用意し、水子地蔵を作ること。
百の物語を全て完遂してはならない。
陰陽道からすると全てが裏に当たる。
あのまま完遂してしまっていたら、
あの場の30人は全滅していたらしい。
結末は悲惨なものとなってしまったが、
姫様と一緒に聞いた色々な怪談話は娯楽として楽しむには良い。
後の世が不幸にならないために、
この随筆ともいえる日記を後世に伝え残そうと思う。