第1話 悪魔との契約
「――え?」
気がつくと、そこは私の部屋でした。
いつもの天井。
皺ひとつない純白のシーツ。
枕元にはウサギのぬいぐるみ。
間違いなく就寝用のベッドで私は寝ています。
「…………」
ゆっくりと起き上がって、部屋にある鏡へと近づきます。
眼鏡をかけた三つ編みの女の子。まん丸なレンズからのぞく鋭い眼差し。服装は国立魔法少女学院指定のセーラー服。いつもの私がそこにいました。
ただ奇妙なのは、お腹の痛みも血痕も、まったくない状態だったのです。
ありえない。そんな驚きです。さっきまで小学校にいたはず。
「何が、起きてるの……?」
「何が、起きてると思う?」
「ひゃあ!?」
私は悲鳴を上げました。男の人の声が耳元で響いたからです。
すっかり腰を抜かして、その場にへたり込みます。
「あ、あ、あ……!?」
「いやー失敬失敬。驚かせちゃったかな?」
声の主は、洒落た紫のスーツを着た青年でした。私よりも遥かに長身で、男性とは思えないほどにスリムな体形。ビジネスマンというより、成金か芸術家みたいな恰好です。
手に持った銀柄のT字杖。シルクハットから伸びる雪のような白髪。滑らかな肌は艶がありすぎて、マネキンかと錯覚してしまうほどの美しさ。
何もかも派手な美青年。英国紳士風な装いは魅力的にも見えるでしょう。
ただし、ある一点――目元を覆う怪しい仮面さえなければですが。
いや、たとえ仮面のあるなしに関係なく、彼に好感は持てません。
「変身、〝Ex‐magia〟ッ!」
私は激しい怒りとともに変身アイテムの宝石を構えました。が、
「……くっ!?」
空を切った手元の感覚に、宝石が破壊された事を思い出します。
必然、その場から逃げようとしました。
「おっと」
ですが仮面の青年に腕を掴まれ、背中から羽交い締めにされます。
「は、放して!」
「落ち着けよ」
「いや!」
自分の身体に触れる大きな手が怖くて、私は必死になって暴れます。ですが大人と子供では体格差があるので、当然勝ち目はありません。
「誰か助けてぇ!」
「だから落ち着けって。話をしよう♪」
「誰がお前なんかと! 私たちを嵌めたくせに!」
「なにを言ってるー??????」
「とぼけないで、ジェスターッ! お前は魔法少女の敵『マレフィシア』の幹部でしょ!?」
マレフィシア。
数年前、異世界から来た闇の勢力。影の怪物〝カゲヤミー〟を使って、この世界を攻撃してきた侵略者。私たち魔法少女の敵であり、倒すべき悪の存在。
なかでも、仮面の青年は幹部の一人――闇の道化師〝ジェスター〟なのです。
ジェスターは四人いる幹部のうち、最も邪悪かつ狡猾なことで有名でした。今回の事件も、きっとコイツが仕掛けたに違いありません。
「あんな卑怯な真似、絶対許さない! 智代ちゃんを傷つけて、あの子のクレイドルソフィアまで奪って、お次は私の魔法少女まで奪うわけ!?」
「クレイドルソフィアって、あの引退した魔法少女かな?」
「そうよ! 私の相棒――なにそれ、どういうこと……?」
耳を疑う言葉に茫然とします。クレイドルソフィアが引退?
「さっきテレビでやってたよ。引退会見☆」
ジェスターがリモコンを手に取り、テレビに電源を入れました。その勝手知ったる行動に私は面食らいましたが、すぐに画面の映像へと目を引かれます。
『――先ほど、衝撃の引退会見を終えた魔法少女クレイドルソフィア。そんな彼女の後を引き継ぐように、シェイプシスターが魔法少女ランキング第五位に躍り出ました』
『応援、どうもありがとう! みなさんにも神のご加護がありますように!』
豪華な照明でライトアップされたステージ上で、お淑やかに手を振る魔法少女。
シェイプシスター。そんな彼女の瞳が金色に光った瞬間、寒気を覚えました。
間違いない。あの瞳は私を殺そうと際、偽物が見せたおぞましい眼光……。
「ひどい……こんなのって……ない……っ!」
シェイプシスターの涼しげな顔を見ているうち、私は悔しくなりました。
大切なお友だち、籠目智代ちゃん。
純粋で心優しく、明るく素直で前向きな性格。
だけど前向き過ぎて「きっと大丈夫だよ」と大事なことを後回しにする、ちょっぴり困った可愛い子。
そんな彼女に救われた人は多くいて、悪人ですら改心させる真情に溢れて、だからこそ信頼された智代ちゃんは、ランキング五位にまで上り詰めたのに……。
シェイプシスター。アイツは――智代ちゃんのすべてを奪った!
我慢できなくなり、私は部屋のドアへと駆け出しました。
「はいダメーッ!」
けど無意味でした。おそらくジェスターの魔法でしょう。私が部屋のドアノブに手を掛けた瞬間、彼が指で鳴らしたと思われるスナップ音が、ドアを固く閉ざしたのです。
「邪魔しないで!」
「邪魔じゃない。助けたんだ」
「どの口が言うの! 私を部屋に閉じ込めて!」
「真実を打ち明けても無駄だ。今のキミは魔法少女の資格を失っている」
ジェスターがスーツの懐からスマートフォンを取り出しました。そして画面に映るネットのニュース記事を見せてきます。
それを目にした瞬間、震える自分の声を聞きました。
「――魔法少女ランキング第五〇〇位。ナイトニクス。引退……?」
そんな大きなフォントの文字が見出しにありました。さらに私の変身した姿。夜空のような紺色の長髪。寒色系のお姫様衣装。宣材用に撮った凛々しいポーズ。
疑いようのない私自身――魔法少女ナイト二クスが映っています。
「な、なんで……私……引退なんかしてない!」
「おそらくあの魔法少女……あーなんて言ったかな(笑)とにかく、彼女の仕業だろうね。たしか相手に化ける擬態魔法の使い手だっけ? それでキミの引退も偽装したんだろ。いやー災難だね。けどま、仕方ないと思うよ? お友達のクレイドルソフィアに化けられたら、たとえキミが強くても不意打ちには敵わない♪」
「――は?」
聞き捨てならない道化師の言葉に、私は息が詰まりました。
不意打ち。私とシェイプシスターでなければ、知りようもない事実。
ジェスターは、私が襲われ致命傷を負うまでの顛末を、ずっと陰で見ていた。
「やっぱり――お前――ッ!」
手の平に力、次いでお腹の底から沸き上がる怒りが、私に拳を打たせました。
直後、全身が光り輝くと同時に鳴り響く轟音。閉め切った屋内では、決してありえないほどの風と衝撃とが窓ガラスを揺らします。気がつけば、ジェスターへと突き出した拳が、彼の手に受け止められる形で変化していました。
「な――っ!?」
拳は、その先端から二の腕まで、漆黒のオペラグローブに包まれて――
「いいパンチだ! まだ戦う意志はあるようだね!」
ジェスターの感心に耳を貸す間もなく、私はすぐさま自身を見下ろします。
シースルーの胸元に紫の宝石が飾られた、シフォンパニエがふわりと広がる漆黒のドレス。ミニスカートから伸びる両足には、これまた黒いニーハイブーツ。
急ぎ姿見で自分を確認します。やはり首から上も変化していました。
三つ編みは解かれて長髪となり、黒かった地毛も銀髪へと。
さらに頭部には大きなリボン。
瞳の色も紫に染まり、縦長の瞳孔が私を見ています。
「これって……魔法少女……ッ!?」
自分の口から出た言葉に、脳が現実を拒否します。
だって今の私は、まるで闇落ちしたみたいな外見だからです。
いえ、その感想は正しいのでしょう。
魔法少女と魔法使い。
契約によって結ばれた者同士であれば自覚できる〝繋がり〟を、私はジェスターから感じていたのです。
瞬間、絶望するよりも早く、視界に現れた――青いホログラフィックの画面。 それを、私は既視感とともに眺めました。
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魔法少女ローグシャドウ
レベル:1
HP:100
MP:30
筋力:10
耐久:10
敏捷:10
知性:10
感覚:10
幸運:10
固有魔法:『混沌不正の遊戯者』
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「これは……」
「キミを救った魔法だよ」
私の当惑などお構いなしに、ジェスターがハイテンションで叫びます。
「おめでとう、魔法少女ローグシャドウ! キミは僕が作った固有魔法『混沌不正の遊戯者』に選ばれた! 聞いて驚け、見て喜べ! この魔法は――キミを最強にする!」
最強。その言葉に半信半疑ながらも、青い画面に手を伸ばします。
ヴッ。触れると同時にノイズが発生し、次いで数枚に分かれる青い矩形。
それら画面に映る数々の情報を見て、私はたちどころにある確信へと至ります。
これはゲームだ。
ステータス。スキル。アイテム。インベントリ。クラフト。
どれも見覚えのある項目ばかり。以前、智代ちゃんが遊んでいたものとまったく同じ。
これがゲームならレベルが上がる。
レベルが上がれば強くなれる。
それこそ――あのシェイプシスターにだって勝てるはず!
「お気に召したかな?」
ジェスターの声。見れば、三日月に笑う顔がそこに。
「僕の目的はただひとつ。そのために僕は『マレフィシア』を裏切り、キミと魔法少女の契約を交わした。おかげで明日の命も知れないけどね」
「目的ってなに」
「今はノーコメント★ いずれ明かそう――っておいおい、そう怖い顔するなよ。信用とはいかないまでも、互いに利用するべきだと思うけど?」
かつて敵だった者の提案を前に、押し黙る私の迷いを愉しんでいるのか、ジェスターの目はぞっとするほどに青く冷たく、無気味に濡れ光っていました。
「求めるところを成すといい。冥夜宵。キミは誰よりも強くなれるんだ」
差し出された手。その意味するところを酌めば、血も凍るほどに怖い誘い。
これは悪魔の契約。魂を売る所業。行けば戻れない修羅の道。
――構わない。智代ちゃんの笑顔を取り戻せるなら……。
一瞬の躊躇に似た間を置き、私は言いました。
「裏切ったら許さない」
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