悪霊退治師の美少女ここみん
それは人生で一番の悪い予感だと断言できた。
何かがうちの酒蔵に住み着いている。
夜な夜な暗くて広い酒蔵の中で、ピチャピチャと酒を舐めるような音がするのだ。
初めは泥棒だと思った。
そうであったほうが、どれたけよかったことか。
酒蔵に仕掛けてみたカメラには、人ならざるものの姿が、不鮮明ながらも確かに映し出されていた。
「それで我が悪霊退治事務所を訪ねて来られたわけですね」
イケメン俳優の誰かに似た、黒いスーツ姿の男が言った。
私はもういい歳のオッサンとはいえ、『こんな顔に産まれたかったな』と内心、その男の顔を見つめて思いながら、うなずいた。
「とりあえず動画を見てほしいのです」
イケメンとローテーブルを挟んで向かい合いながら、私は依頼をした。
「あなたのように美しい顔の人にはいかにも霊力が備わってそうだ。信頼します。お願いします」
「私は助手ですよ」
イケメンは笑うと、部屋の奥にある扉の向こうへ声を投げた。
「先生! 一緒に動画を見ましょう!」
すると扉がカチャリと開き、中から現れたのは、どう見ても頼りなさそうな、19歳ぐらいのつまようじみたいに細っちぃ少女だった。
「悪霊退治師のここみん先生です」
イケメンが紹介すると、少女は急にふんぞり返り、偉そうな態度になった。
「客かね」
オッサンみたいな喋り方で言う。
「観よう。加工動画だったらブッ殺す」
ゴスロリみたいなヒラヒラの服を着て、地味な黒髪おかっぱのここみん先生は、退魔師というよりも、いかにもユーチューバーという感じだ。それを見て急激に不安になった私は、帰ろうとした。
ぺこりと頭を下げ、持参していた荷物を持つと、ここみん先生が不機嫌になる。
「私の能力を疑っているな? 当ててみせよう。フーム……。貴様の職業は……杜氏だな? 納豆菌の匂いがまったくせず、その代わりに麹菌の匂いがプンプンしおるわ。そして年齢は49歳。息子と娘が一人ずついるであろう? どうだ?」
イケメンさんには既に自己紹介済みだった。たぶん裏で聞いてたんだろうな。杜氏が納豆禁止なことはネットの雑学ででも知ったのだろう。
「あっ。まだ信用しておらぬな?」
泣き出すかと思ったが、意外と気丈だ。
「動画を見てやると言っておるのじゃ。見せるだけならタダであろうが。早う見せんか」
まぁ、言う通りだ。
見せて、法外な除霊料を吹っかけてきたらそこで断ることにしよう。
そう思い、私は荷物の中からノートパソコンを取り出し、開いた。
うちの酒蔵に仕掛けた監視カメラの画像だ。
画質はよくはないが、それははっきりと映っている。
巨大というわけではないが、存在感が異様すぎて巨大にさえ見える。
白い女の霊みたいなものが、黒い舌を伸ばし、ブリッジの態勢で酒をピチャピチャと舐めていた。
「凄い態勢じゃな」
ここみん先生が幽霊にツッコんだ。
「逆立ちしながら飲んでるようなもんじゃないか。ふつうに飲めばいいのに……」
「この幽霊が出はじめてから、うちの蔵人が三人辞めてしまいました。出て行ってほしいのですが、なんとかできますか?」
「今、してやろうか?」
「へっ?」
「この程度の下級霊ならば、私なら今ここてチョチョイと除霊することができる。簡単だから通常30万円のところを3万円にまけておいてやろう。やろうか?」
うーむ……。
これは詐欺の手口だろうか?
30万円を3万円にするとかいって、『安い!』とか思わせといて、『だめでしたー』『でも除霊料は払ってね』とか来るのだろうか。
私が逡巡していると、また意外なことをここみん先生が言い出した。
「後払いでよいぞ」
「そ……、それなら……!」
お願いした。
するとここみん先生は、ノートパソコンを相手に除霊を始めた。
除霊といってもめっちゃ簡単なものだった。モニター画面に向かって手を差し出すと、一言放っただけだったのだ。
「散れ」
すると画面の中の幽霊が猛烈に苦しみはじめた。喉をかきむしり、白目を剥いた顔をこちらに向けたかと思うと、パアーン! と破裂音を派手に鳴らして画面から消えた。
「やっつけたぞ」
「あの……。えっと……。これ、リアルタイムの画像じゃなくて、録画なんですけど……?」
「先生は時空に干渉することが出来るのです」
イケメンが信頼感たっぷりに言った。
「除霊料は結果を確認してからで構いません。後日銀行に振り込んでくだされば」
「そ……、それじゃあ帰って本当にいなくなったかどうか、確認しますね」
「おう」
ここみん先生が偉そうに手を振った。
「困ったことがあったら、また来い。今、おまえは霊に好かれる体質になっておる。タチの悪い成人病みたいなものじゃ」
その夜から本当に、酒蔵の幽霊は出なくなった。
翌日私は3万円を銀行振り込みで送り、お礼の言葉を電話でイケメンに伝えた。
しかし私の最悪の予感は、それで終わらなかった。
それは序章に過ぎなかったのだ。
〜 〜 〜 〜
ここみん先生が言った通り、私は悪い成人病のようなものにかかってしまったようだ。
道を歩いていると、以前は見えなかったものが見えるようになってしまった。
コンクリート塀にはまってボーッとしているカビくさい老人や、廃ビルの窓から覗いて楽しそうに笑っている口の裂けた子供なんかが見えてしまう。
そして、遂にはそれと出会ってしまったのだった。
〜 〜 〜 〜
私は再び『ここみん悪霊退治師事務所』を訪れた。
今度はここみん先生はもったいつけずにすぐに出てきてくれて、イケメンと並んで座り、話を聞いてくれた。
「まじかよ……」
ここみん先生の目がキラキラと輝いた。
「伝説の悪霊『巌子』と『幾久子』が揃っておまえの酒蔵に現れただと……?」
「夜ごと喧嘩してて……うるさいんです」
私はクマの浮いた目の下をこすりながら、言った。
「とても眠れたもんじゃありません。蔵人も全員欠勤してしまうし……。なんとかしてください」
「とりあえずおまえは何もするな」
ここみん先生が忠告をくれる。
「巌子は『呪いのスマホ』を使って人を呪い殺す。幾久子は目を合わせただけで相手を呪い殺す。ともに最強にして最凶の悪霊に違いない」
「そんなのに勝てますか?」
「やってみないとわからん。……腕が鳴るな」
私はここみん先生とイケメンに私の酒蔵へ来てもらうこととなった。
〜 〜 〜 〜
酒蔵に入るなり、ここみん先生のキャラが変わった。
「わぁ……。いい匂いがしますね。ここではどんなお酒を造ってらっしゃるんですか?」
丁寧なことば遣いのここみん先生をキモく思いながらも、私は宣伝した。
「うちの人気商品として『大歩厨』があります。モンドセレクションで金賞をいただいた自信作です」
「一口……飲ませていただくこととか……できますかぁ?」
「先生はまだ未成年でしょう」
イケメンが隣でたしなめた。
「19歳がお酒なんか飲んではだめです」
「ああっ……。永遠の19歳なんて、あれ嘘だから! しまったそんな設定やめておけばよかった」
本当に19歳ぐらいだと思っていたのだが、相当若作りしていたのだろうか。
「何より仕事中ですよ」
イケメンが先生をたしなめながら、綺麗な顔でにっこり笑う。
「お仕事しましょ」
「とにかくウチの酒は相当うまいですので、幽霊からも人気があります」
そう言いながら醸造現場に入ると、既に真っ昼間から十数体の幽霊たちが、樹液に吸いつくカブトムシのように、酒をピチャピチャとやっていた。
「散れ」
ここみん先生が一言そう唱えただけで、幽霊たちがすべて断末魔をあげてかき消えた。
「これはひどい有様じゃな。っていうか本当に、めっちゃ美味しそうな匂いがしてますね。ひ……、一口でいいから……」
ピキン──と、耳に聞こえない音がした。
一般人の私にでもそれはわかる。凄まじい霊気が、この酒蔵にやってくるのが──
「来おったか……」
ここみん先生がイケメンに命じる。
「タケル! 大規模除霊の準備を!」
「はい、先生!」
イケメンが持っていたスーツケースを開く。
「久々の大仕事になりますね!」
カランカランと音を立てて床をスマートフォンが転がってきた。その画面には古井戸が映っている。
井戸からゆっくりと姿を現した長い黒髪の女が、スマホの画面からズゴゴゴと音を立てて立ち上がった。巌子だ!
階段から何かが降りてくる。
背面歩きする蜘蛛のように、ざざざざと音を立てながら、血だらけの女が凄い形相で降りてくる。幾久子だ!
「よし! 除霊を開始するぞいっ」
ここみん先生が舌なめずりをする。
「こんな大物を相手に──しかも二体同時に除霊する機会が訪れるとは……武者ぷるいが止まらぬわっ!」
「あの……」
私は忘れていたことを聞いた。
「除霊料のことを聞き忘れていました。やはり……相当お高いんでしょうか」
「3万円にまけておきましょう」
イケメンが言った。
「これを倒せば先生の知名度がぐっと上がります。モンド・セレクションで金賞をいただくよりも、ずっと」
「散れ!」
先生が今までの3倍ぐらいの大声で唱えた。
巌子はものともせず、四つん這いで歩きながら、長い黒髪のあいだからサザエの蓋みたいな眼球で酒甕をガン見している。
幾久子にも効いていない。髪の毛を床や壁いっぱいに這わせながら、さかさまの蜘蛛みたいな歩き方で、お腹に白い子供を乗せながら、酒甕に近づいていく。
「タケル! アレを!」
「はい! 先生!」
イケメンがスーツケースから取り出したのは、化粧品の入ったポーチだった。
「わしは美しくなればなるほど霊力を発揮できる!」
ここみん先生が神速の動きで化粧水をパシパシ自分の顔に浴びせ、ファンデーションをぱふぱふとつけていく。
「美少女悪霊退治師ここみん、メイクアーップ!」
そんなら最初から化粧しとけよと思ったが、黙っておいた。
巌子が酒甕に近づく。
幾久子も遅れて近づいた。
「散れーいっ!」
ここみん先生の大声が酒甕の酒を揺らす。
しかし二体ともびくともせず、遂に酒甕を挟んで対峙した。
「依頼人っ!」
ここみん先生が私に向かって叫ぶ。
「言ってくれ! 約束してくれ! コイツらを退治した暁には──あの酒甕の中の酒を、酒甕ごとわしにくれると……っ!」
「すごい霊気だ!」
イケメンが絶叫するように言った。
「巌子も……、幾久子も……! そして先生も、いまだかつて体験したこともないほどの霊気を放っているっ!」
「約束しましょう!」
私がうなずくと、ここみん先生は悪魔のように笑い、酒蔵がブッ壊れるかと思うほどの声で、喉から血を吐きながら、唱えた。
「散れいーーーーッ!!!」
巌子も幾久子もそれでも止まらなかった。さすがは伝説の悪霊たちだ。
先生のことは完全に無視して、酒甕の酒を奪い合うように、互いを睨み合った。
「ぎゃあああああ!!!」
断末魔をあげたのはここみん先生だった。
伝説の悪霊二体がぶつかり合う音が、酒蔵を揺らした。
巌子が吠える。
幾久子も吠え返す。
屋根が崩れ落ちる。
炎が柱を舐めながら、やがてすべてを燃やしていく。
「に……、人間に叶う相手じゃなかったんだ……!」
イケメンのそんな言葉を聞いたのが、私の最後の記憶だった。
映画『貞子 vs 伽椰子』のパクリ要素があります