マクヘイル伯爵領へと向かう
馬車を降りて、あらためて教会を見る。
王都に長い間住んでいるが、私の知る限り、こんなに小さな教会は他にはない。
ここが由緒ある教会だというのは、本当なのかしら?
疑問に思いながら、扉を開けた。
昼間の教会は、ステンドグラスから光が差し込み、小さな灯りだけで十分に明るい。
「こんにちは、司祭様」
大きな声で叫ぶと、奥の扉から昨日の司祭様が現れた。
「いらっしゃいませ。お嬢さん。今日はどのようなご用件ですか?」
「あの。こちらで、ライアン・マクヘイル伯爵様がお待ちだと伺っているのですが」
私の言葉に司祭様は一瞬、言葉を失った。
「もしや、君は昨日、ライアンと結婚式を挙げたセーラ嬢?」
「はい」
「誰かわからなかったよ!女性は服装や髪型で見た目が大きく違うね。あまりにも幼い雰囲気だったから別の人かと思ったよ」
笑顔の司祭様の後ろから、旦那様と、騎士団の制服を着た男性が出てきた。
年齢は旦那様と同じくらいだろうか。
つばの広い三角帽子を被り、メガネをかけている。
その格好から推測するに騎士団所属の魔導士ではないかと思う。
「彼女が、ライアンの奥方か?」
騎士団の制服を着た男性が旦那様に訪ねる。
「そうだよ」
旦那様の返事を聞いて、男性はこちらを見る。
「ライアンが、電撃婚ね」
その男性はニヤニヤしながら私を眺めた。
視線がなんだか心地悪い。ちょっと小馬鹿にされているような気がする。
「はじめまして、私はリチャード・カディクと言います。ライアンとは魔法学校の同級生でね。……へぇ、ライアンの好みってこんな子なんだ」
値踏みをされているみたいですごく嫌だ。きっとこのみすぼらしいドレスのせいかもしれない。
「はじめまして。セーラと申します」
挨拶をしたが無視されて、どうしていいかわからない。
私を無視して男性は、旦那様を見た。
「どこで拾ったんだ?お前ならいくらでも美人が寄ってくるだろうに。何故この子なんだ?……そうか……もしかして本職のオンナが良かったのか?」
カディク様の様の言葉にゾワゾワと気持ち悪さを感じる。
『本職のオンナ』って事は私を娼婦か何かと思っているのかしら?その絡みつく視線が気持ち悪い。
「私の妻に対して失礼だぞ。その態度、やめろ。妻を侮辱するならお前の隊に、魔法馬は売らない」
「それは困る。そんな事になったら私はクビだ。ごめんごめん、本当に悪かった。マクヘイル伯爵家の新妻が、元娼婦とかありえない事くらいわかっているよ」
カディク様の視線は尚も嫌なかんじがするが、旦那様の知り合いなら、我慢しなければいけない。
「セーラ、用事は済みましたか?」
旦那様はこちらを向いて優しく聞いてくれた。
「はい」
「では、行こうか」
私達はまた、魔法馬の馬車に乗った。
その中で、弁護士から言われた条件を話し、ブレスレットを見せた。
「一日のうち六時間は五メートル以内にいる事。それからこのブレスレットをつける事か。仕方ないな。亡くなった君のお祖父様はかなりの資産家だったんだね」
そう言って旦那様は苦笑いをしながらブレスレットをつけてくれた。
「本当に申し訳ありません」
「気にしなくてもいいよ。乗りかかった船だ。最後まで、この契約結婚をやり遂げよう」
「ありがとうございます!」
こんな無茶なお願いを聞いてくれるなんて!
旦那様は本当にお優しいから、きっと社交界ではかなりの女性に狙われていたんでしょう。
だから、毒入りチョコレートか…。
やってはいけない事だけど、どんな手を使ってでも、旦那様を手に入れたいと思う女性が沢山いても驚かない。
「領地に戻る前に、君の服を揃えないといけないな。領主の妻になるのだから、それに見合った格好でいてもらいたい」
「わかりました。それなら、メインストリートから一本入ったところにあるブティックに連れて行ってください。素敵なドレスが安価で買えるお店があります」
お手当をいただけると言う約束だったから、それを前借りしてドレスを買う事にしようと思って窓の外を眺める。
先ほどは、このみすぼらしいドレスのせいで、旦那様に恥をかかせてしまった。
ちゃんと服装に気を使わないと、マクヘイル伯爵家の品位に関ってしまう。
気落ちしたまま外を眺めていると、何故か到着したのは『ドネリー商会』だった。
ここでは値段の張るドレスしか無いはずだ。
昨日見せてもらったドレスは、どれも最高級品だったもの。
「あの……」と言いかけた時、ドアが開いた。
「マクヘイル伯爵様。昨日同様、ご来店頂きありがとうございます。昨日、ご依頼頂きました、お品物を揃えております」
昨日の老紳士がそう言って昨日とは違う、部屋に案内してくれた。
東向きに大きな窓があり、そこからは綺麗な夜空が見える。
魔法の窓だ。
天井が高く豪華な室内には、靴やドレス、鞄に宝石など、色々なものがセンス良く飾られている。
「どれでも試着可能でございます。なんなりとお申し付けくださいませ。では、新婚のお二人の邪魔を致しませんように、一旦は退出いたします」
老紳士がそう言って、指をパチンと鳴らした。
「試着室は右の扉でございます」
そう言われて右を向くと扉が現れた。
「ご用の際には、こちらのベルでお呼びくださいませ。では、ごゆっくりお過ごしくださいませ」
老紳士が消えるのと同時に手元にハンドベルが現れた。
この豪華な部屋に旦那様と2人きりになったので、本音を伝える事にする。
「お約束のお手当を前借りしてドレスを揃えようと思いますが、ここでは高くて……」
「気にすることはないよ、これは必要経費だ。結婚後に言うのは卑怯かもしれないけど、我家は馬の商談に来た客が宿泊する事がある。その時に、もてなして欲しいんだ。君も、乗りかかった船だろ?」
「あの……来客されるお客様は主に貴族の方ですか?」
心配になったので質問をした。貴族の方には会いたくない。
「貴族の客人は宿泊をお断りしている。大体において、貴族の客人は、娘を連れてやってくる。つまり、娘と見合いをさせたいのだよ。だから、お断りさ」
困った顔をする旦那様を見て、安堵する。
「君は貴族が苦手なのだろう? だって、貴族に気に入られたいのなら、ホテルの清掃員ではなく、コンシェルジュを希望するはずだ」
確かに、コンシェルジュをしていた子達は、平民にも関わらず、いいポストに転職していく。それは、貴族の後ろ盾を得たからなのだろう。
「だから、社交界に出て欲しいとは言わないが、客人のもてなしだけでもお願いしたい」
「わかりました」
覚悟を決めて、領主の妻として相応しい服装と、来客に応対するためのドレスや小物を選ぶ。
流行に則った服だと、数ヶ月後には着られなくなる。
最大で2年間は、マクヘイル伯爵領にいなければいけないのだ。
だから、流行に関係のないデザインで、上質な品物を選んでいった。
「驚いたな。君は、何が必要になるかわかっているらしい」
そう言われて、ぎくっとする。
「客室清掃員として、お泊まりになる貴族の方がどのような物をご愛用しているか見てきましたから」
そう答えると、旦那様は納得してくれた。
今購入した服のうち、華美ではないが、少し華やかなドレスに着替えてお店を後にする。
次に向かったのは、種苗店だった。
自分で薬草を育てると約束したから、ここで種や肥料などを揃える。
それからやっと領地に向かった。
魔法馬の空を飛ぶ速度は、ハヤブサくらいだと、お祖父様が言っていたのを思い出した。
だからこそ、騎士団や遠方に領地のある貴族に人気らしい。
そんな事を考えながら外を眺めていると、馬車がだんだんと高度を下げはじめた。
眼下には、大きな街が見える。
沈みかけの太陽の、柔らかなオレンジ色の光が、密集して建っている煉瓦の屋根をさらに赤く照らしている。
その中に一際高い建物が見える。あれは教会かしら?
その奥には、広大な放牧場が広がっていた。小さな点は、馬だ。
馬が放し飼いになっているのがみえる!
見た事のない景色にワクワクしていると、青い屋根の大きなお屋敷が近づいてきた。
3階建ての大きな建物だ。
馬は地面にゆっくりと降り、マクヘイル伯爵領の領主館前に停まった。
「セーラ、この契約結婚をやり遂げよう。そのためには、電撃婚した私達は、恋愛結婚に見えるように振る舞わなければ。できるね?」
「はい。旦那様」
2人で強い約束を交わし、馬車を降りた。
領主館は想像以上に大きかった。
馬車を降りた入口には、たくさんの使用人達が並んでおり、お出迎えをしてくれた。
その人数に圧倒される。お祖父様のところの使用人もかなりの人数がいたが、比ではないくらい多い。
それはきっと、広大な敷地に、葡萄畑や、馬の放牧場などが併設されているからではないかと思う。
「奥様、はじめまして。私は、奥様付きの侍女となるアンナでございます」
私より少し年上の、人懐っこい顔の女性だった。一緒にホテルの清掃員をしていたエマに、どことなく似ている。
「よろしくお願いします。アンナ」
そうやって順番に私に関わるであろう使用人達が挨拶をしてくれた。
屋敷内の事を取り仕切っているのは、旦那様の乳母だったメリーさんだそうで、結構パワフルなおばあちゃんだった。
「新婚さんが屋敷の敷居を跨ぐ時の決まりを、ぼっちゃまはご存じですか?」
自己紹介後にそう言うと、旦那様は楽しそうに笑った。
「もちろん知ってるよ」
すると、突然、私を横抱きに抱き上げた。
いわゆるお姫様抱っこだ。
「セーラ、落ちないように私の首に手を回して」
旦那様の整った顔がすぐ側にある。
キスされそうな距離でドキドキするし、脇腹にあたる大きな掌から体温が伝わってきて、体が熱くなる。
ちょっと赤くなった私の顔を見て、旦那様は微笑んだ。
それから、ゆっくりと屋敷の中に入る。
敷居を跨いだ瞬間、小さな花火が沢山上がった。
皆が祝福の魔法をかけてくれていたのだ。旦那様が敷居を跨いだ瞬間に発動するように設定してあったようだ。
カラフルな花火の余韻が幸せな気持ちにさせる。
旦那様はエントランスホールで私を下ろすと、プライベートルームに案内してくれた。
「ここはセーラのプライベートルームだ。必要なものがあれば何でも言ってくれ」
「今日結婚をした妻のために、こんなに急に準備できるだなんて驚きです」
私のために準備してくれたプライベートルームは、グランドピアノがおいてあり、窓際には猫足のテーブルと、綺麗な布ばりのソファーが置かれていた。
しかも、大きな窓の向こうには、広いバルコニーが付いている。
「本当は寝室も分けるつもりだったんだが、一日六時間は半径五メートル以内に居ないといけないんだよね?そうなると、寝室を同じにしないといけないから、そこは我慢して欲しい」
考えてもいなかったけど、半径5メートル以内ってそうなるのね。
急に恥ずかしくなってきた。
昨日、初めて会った男性と、結婚をして、今夜から同じベッドで寝ないといけないんだ。
何にも考えてなかった自分が馬鹿みたいだ。
とりあえず結婚さえすればいいものだと思っていたが、現実はそれだけではなかった。
旦那様が部屋から出ていくと、入れ違いに侍女達が入ってきた。
そして、バスルームに案内された後は、エステを施された。
今から寝るだけなのに、首筋などにコロンをつけられる。
そして、アンナはプライベートルームの奥にある扉を開けた。
そこは主寝室だった。
広い部屋には大きなベッドがあり、ムードを演出するためであろうが、キャンドルが焚かれていた。
急に現実を突きつけられたような気持ちになる。
息を呑んでゆっくりと部屋に入った。
「奥様、お綺麗ですよ。では、おやすみなさいませ」
アンナは、にっこりと笑って、扉を閉めた。
私が入ってきた扉以外にももう一つ扉がある。
きっと旦那様の部屋に続く扉だ。
緊張して、しばらく眺めていたが、開くことはなかった。
少しホッとする。
旦那様はまだ来ない。
一人で、大きなベッドの前に立つ。
四人は寝られそう。
ベッド脇には、イチゴとスパークリングワインが置かれていおり、窓には魔法がかけられていて、綺麗な星空が魔法で再現されていた。
こんなにムードを作ってもらって悪いけど、今日を含め、これから先も何も起きないのだ。
私と旦那様は契約結婚であって、白い結婚だ。
だから、それ以上の事を期待されても困るけれど、そんな事誰にも言えるはずない。
同じベッドで寝ることに不安はあったけど、こんなに大きいなら、端っこで寝れば大丈夫。
そう考えて、ベッドに腰掛けると、ふわっと沈んだ。
すごいいいマットレスだ。
リバートンホテルのスイートのマットレスよりも高級品だわ。
シーツのキメも細かくて肌触りがいい。
掌でゆっくりと、その質感を楽しむ。
その時、ドアが開く音がしたので、急いで立ち上がる。
一気に緊張してきた。
扉の方を向くと、バスローブを纏った旦那様がこちらに向かってきた。
その姿は、金色の髪を無造作に下ろしており、まるで魔法馬が人間になったような美しい姿だった。
あまりの美しさにドキドキしてきた。
旦那様の方を向けなくて、下を向いていると、旦那様が私とは対極の位置のベッドに腰掛けた。
私も腰掛ける。
「一番大きなベッドを用意した。これなら私と寝ることを受け入れてくれるか?」
「はい。5メートル以内にいないといけないのは私の事情ですから、お気遣いいただきありがとうございます」
「寝る前に、皆が用意してくれたワインとイチゴを食べよう。手付かずだと、申し訳ない」
「そうですね」
旦那様は、スパークリングワインを開けると、グラスに注いで手渡してくれた。
そしてイチゴの入った銀のお盆をベッドの真ん中に置く。
「これからのそれぞれの未来に」
旦那様はグラスを差し出してくれた。
「それぞれの未来に」
私はそれに応じて、グラスを軽く当てて鳴らす。
その音を合図にして、スパークリングワインに口をつけた。
すごい、口当たりが良くて飲みやすい。
イチゴをかじりながら、どうやって出会ったのかなどを聞かれた時の口裏合わせをした。
それが終わると、キャンドルを消して眠りについた。
大きなベッドだったのでお互いの存在は気にならず眠る事ができた。
朝方、衣擦れの音で目が覚めた。
うっすらと目を開けると、隣で旦那様が起き上がるところだった。
本当はこのタイミングで一緒に起きたらいいのかもしれないけど、気まずくて寝返りを打ち、背中を向けて寝たふりをする。
しばらくすると、扉が開く音がした。
旦那様は主寝室から出ていったようだ。
もう一度寝返りを打って、周りを確認した。やっぱりいない。
一人の空間になったので改めて考える。
しばらくじっと考えていたけど、これからの事など思い浮かばない。
とりあえず、最低1年間、平穏に過ごすために、旦那様とは友達くらいにならないと気まずいわ。
そ
んな事を考えていたから、うつらうつらとしてきて、もう一度目を閉じた。
それから目を開けると、かなりの時間が経過していた。
まずい。
かなり日が高くなっている。多分10時くらいかしら?
起きて、自室に行くと、アンナが掃除をしていた。
「おっおはようございます」
おずおずと言うと、アンナは笑顔でこちらを向いた。
「新婚さんですから、朝はゆっくりで大丈夫でございますよ。奥様」
新婚と、遅くまで寝ている事の因果関係がわからないので、とりあえず、反応しないでおこう。
着替えを済ませてから、朝食を頂く。
食後の紅茶を飲みながら、何気なく窓から外を見た。
すると、旦那様がお屋敷に併設された厩舎に入っていくのが見えた。
それから、一頭の馬を連れて出てきた。
その馬は、毛が抜けて、地肌が見え、鬣も艶がなく、弱っているのがわかる。
そんな馬に声をかけながら、背中を撫で、ゆっくりと小さな放牧場に向かっている。
もしかしてアレが偽物の魔法馬かしら?
馬の様子が明らかにおかしい。
何だか気になって、立ち上がりドアの方へと歩き出した。
「奥様?どうされました?」
侍女に声をかけられて立ち止まる。
「あの。外で旦那様が馬のお世話をしているのが見えたので……」
その言葉に侍女のアンナは少し悲しそうに笑った。
「あの馬達は、あまり長くは生きられないのですわ」
「では、旦那様が言っていた詐欺に使われた馬ですか?」
「さようでございます。馬の飼育を生業とするマクヘイル伯爵領では、家財道具や家よりも、馬が大切なのです。だから、皆、胸を痛めておりますわ」
誰があんな酷い事を!
「厩舎まで案内してくれるかしら?」
「ご案内したいのはやまやまなのですが、馬達は臆病になっておりますので……」
「着替えても怖がらせるかしら?例えば旦那様が今お召しになっている厩務員の方々と同じ服装とか。どうしても行きたいの」
「どうしてもですか?」
「ええ」
もしかしたらすぐにでもポーション作りを始めないといけないかもしれない。状態はかなり深刻そうだ。
「厩務員の服は奥様のサイズがございませんので……」
「じゃあ、アンナと同じ、お仕着せを貸してもらえないかしら?このお屋敷のお仕着せなら馬も怖がらないかもしれないわ」
私の提案にアンナはうーんと悩んだ。
「少々お待ちください」
そう言って、アンナは部屋を出て行ったが、すぐに戻ってきた。手にはお仕着せを持っている。
それに着替えて、すぐに厩舎に向かった。