今日中に行う事
馬の足音が聞こえてきた。
空を駆けていた馬が、地上に降りたのだろう。
「到着いたしました」
ケンネスさんが馬車の扉を開けてくれた。
外に出るとそこは教会ではなく、街中だった。
「ケンネス、ここは?」
「ライアン様、たとえ契約結婚でも、なし崩しに式だけ挙げるのは間違っておりますよ。今こそ、伯爵家の力を誇示する時ですよ」
ケンネスさんが指を指していたのは、『ドネリー商会』という看板のかかった街の商店だった。
遅い時間なので、もちろん施錠されている。
しかし、中の灯りがともり、ドアが開いた。
「マクヘイル伯爵様、ようこそいらっしゃいました」
白髪混じりの紳士が、閉店しているお店をわざわざ開けてくれたようだ。
「遅い時間に申し訳ない。では、せっかく店を開けてくれたのだから中に入ろう」
エスコートされて店内に足を踏み入れる。
外観は普通の商店だが、店内は高い天井に豪華なシャンデリアがあり、調度品が置かれている。
雰囲気はサロンのようだが、ソファーも何も無く、代わりにドアがあるだけだった。
白髪混じりの紳士はそのドアを開ける。
後に続いて入り、びっくりした。
そこには、細かなレースの施された純白のドレスや、宝石が縫い付けられた煌びやかなドレスが飾られていた。
そのドレスを見渡せるようにソファーが置かれており、私達はそちらに座った。
「先ほど、ケンネス様から魔法便を頂きました。ご結婚の運びとなったと伺いました。この度はおめでとうございます。急遽取り揃えましたので、お好きなデザインがあるかはわかりませんが、どれでも試着可能でございます」
紳士がそう言い終わらないうちに、扉が現れた。
「こちらが試着室でございます。中は美容室になっておりまして、男子禁制のため、お嬢様がドアに触れないと開かないようになっております」
「ほう!そんな部屋があるのだな。初めて知ったよ」
「マクヘイル伯爵様は、いつもご自身のお買い物しかいたしませんから、ご存じなくて当然でございます」
紳士の言葉をききながら、私はドアの方に向かった。
いらないとは言えない雰囲気だ。
せっかく店を開けてくれたのだ。
何か買わないと、伯爵様の評判にも関わるだろう。
「沢山のドレスを準備してもらったのですが、私にはよくわからないので、おすすめの一着を試着したいです」
自分の意思を告げてからドアノブに手が触れた。
すると、魔法で引っ張られるような感覚がして、空間が変わった。
目の前に大きな姿見のある部屋になっていた。
そこに、可愛らしい背の小さい女性が1人立っている。
「お嬢様、この度はおめでとうございます。では、準備を始めさせていただきます」
にっこりと笑った次の瞬間、私に向かって魔法をかけた!
その魔法は光のベールのように、全体を包んだ。不思議と怖くはない。むしろ心地がいい。
ベールが顔や髪に当たる感覚がするだけで、心地いい空間に身を委ねた。
このままこの中にいると寝てしまうかも、と思った時、体を包む魔法の波が消えた。
「お嬢様、終わりましたよ」
声をかけられて目を開ける。
目の前の鏡に映る自分を見て驚いた。
この部屋に入った時は、濃いメイクと巻き髪に、濃紺のドレスだったはずだ。
しかし、今見えている自分は、上品なメイクを施され、髪はアップスタイルになっていた。
服装も変わっており、クリーム色のドレスを纏っている。
プリンセスラインのそのドレスは、肌触りの良いオーガンジーの布が幾重にも重ねられており、少し動くたびに光の加減でスカートの雰囲気が変わる。
「お似合いですわ」
その言葉に笑みが溢れる。
ここ数年、濃いメイクをするか、またはノーメイクかのどちらかしかしていなかったが、上品なメイクを施された自分の顔は少しだけ大人びていた。
鏡に映った自分が、10代の頃とは顔が変わってきた事に気がついた。
最後に自分の顔をまじまじと見たのはいつなのだろう?
長い間、自分に手をかけてこなかったし、自分のために何かをしてこなかったんだ。
少しは美人に見えるかしら?
変身を手伝ってくれた女性を見て、少しはにかむ。
「マクヘイル伯爵様に見てもらいたいのだけど」
「かしこまりました。では、そのまま鏡をご覧になってください。先ほどの部屋に繋がります」
先ほどの部屋に繋がるってどういう事だろう?
意味がわからずにいたが、突然鏡が消えて、目の前にソファーに座った伯爵様が現れた。
驚く私と同じように、伯爵も驚いていた。
「そのドレスが似合うのではないかと思って、一着目をこれにしてほしいとお願いしたんだが、すごく似合っているよ。綺麗だ」
マクヘイル伯爵の言葉に少し恥ずかしくなる。
男性から容姿を褒められた事がなかったので、戸惑ってしまった。
「私はそれがいいと思うが、他のドレスも試着してみるかい?」
マクヘイル伯爵様が選んでくれたドレスなんだと知って、嬉しくて頬が赤くなった。
「このドレスがいいです」
男性にドレスを選んでもらうだなんて、こんな事初めてで心が浮き立つ。
「ドレスが決まりましたから、マクヘイル伯爵様もこのドレスに合わせた式服にいたしましょう」
白髪混じりの紳士がパチンと指を鳴らすと、私のドレスと同じ色の式服になった。
マクヘイル伯爵は鏡を見て、そこに映る姿を確認して頷く。
「マクヘイル伯爵様のご結婚のお手伝いができて光栄でございます。これは、ささやかではございますが、お祝いでございます」
そう言って、ミニブーケを頂いた。
契約結婚、というか偽装結婚というか、そんなにお祝いしてもらえるような立場ではないが、でも純粋に嬉しくて花束をそっと撫でた。
そして、馬車に乗った。
せっかくヘアメイクまでしてもらったが、夜も遅い。
教会も閉まっているので、もう帰るのだろうと思ったのだが、次に連れてこられたのは騎士団庁舎の側だった。
「これからどうするのですか?」
「教会に行くんだよ」
そう言って小さな建物を指差した。
目の前には、小さな教会がある。こんなに小さな教会、見たことがない。
「こんな夜遅くにどうするんですか?」
びっくりして、中に入ろうとするマクヘイル伯爵様に聞いた。
「今から結婚の手続きを取るのですよ。神様は24時間営業でしょ?」
何を言っているんだと思ったが、当然のように教会の扉を開けて中に入っていったので、その後に続く。
中は、綺麗に手入れがされていた。燭台の蝋燭には火が灯っており、その光がなんとも幻想的に見えた。
「こんばんは、ヨーク司祭!」
マクヘイル伯爵様の大きな声が高い天井の室内に響き渡った。
「どうした?こんな時間に来るという事は、懺悔か?それとも、酒の誘いか?」
楽しそうな声で話しながら奥から出てきたのは、30歳前後の男性だった。
「ライアン1人で来たのかと思ったが、女性連れか! お前が女性を連れているのを初めて見たぞ!結婚でもするのか?ハハハ。まさか、そんなはずないか」
「嫌。そのまさかだ。すぐに結婚の手続きをとってくれ」
マクヘイル伯爵の言葉に、司祭様は驚いて目を丸くした。
「お前が結婚??確かに、大騒ぎになるから、夜中に式を挙げてしまいたい気持ちはわかる。お前の婚約者ともなれば、あの猛獣のような女どもに、どんな酷い呪いをかけられるのかわかったもんじゃないからな」
司祭様は、何かを思い出しているようだ。
「今回はケンネスが死にかけたよ」
その言葉を聞いた私の後ろにいるケンネスさんが、バツが悪そうに笑う。
「それは大変だったな。確かに、結婚してしまうのが一番かもしれんな。妻の座を狙う猛獣達に嗅ぎつけられる前に、式を挙げてしまおう」
司祭様が祭壇に立つと、誰もいないのにオルガンが鳴り出した。
「夫婦となる2人よ、こちらに立ちなさい」
指示された台の上に2人で乗った。
すると、ステンドグラスから光がさし、虹色の光に包ままれた。
「今日この良き日に、2人は結ばれ夫婦となる。2人にいかなる困難が訪れようとも、死が2人を別つまで夫婦として過ごし、やがて神の元に旅立つだろう。ここに神のご加護を受け、2人は晴れて夫婦となる」
司祭様の言葉が終わると、ふわりと婚姻届が現れた。
そこにそれぞれ署名をすると、文字が金色に光り、婚姻届が消えた。
すると、虹色の光が花びらとなって降り注いできた。
ハラハラと落ちる花びらはなんとも幻想的で、オーガンジーのスカートの上に乗ると、金色の粉となってふわりと消えた。
私達は契約結婚で、愛で結ばれたわけではない。だから、死が2人を別つまで添い遂げるつもりはない。
契約期間は最低1年、最大で2年だ。
契約で結ばれたはずなのに、今見た光景に感動してして顔が綻ぶ。
「では、ここに誓いを」
司祭様の言葉に息をのむ。
過去に一度だけ結婚式に出たことがあるが、誓いのキスがある。
今からマクヘイル伯爵様とキスをしないといけない……。
心臓がうるさく自己主張してくる。
ドキドキと激しい鼓動の音がする。
伯爵様は私が好きでキスしてくれるわけではない。
それはわかっている。
でも、今から起きる事を想像してして、期待してしまう自分がいる。
もしかしたら、少しでも好意を持ってくれているかもしれない。
私を好きだと思ってくれるかもしれない。
この綺麗な顔が近づいてくる事に、恥ずかしさを抑えていられるのだろうか。
唇の感触ってどんなのだろうか。
そんな妄想でドキドキする。
どうすればいいかわからずにマクヘイル伯爵様を見ると、目があった。
どんな顔をしていいのかわからずに、思わず下を向く。
すると、マクヘイル伯爵様は、優しく私の左手を取り、跪くと、薬指にゆっくりと指輪をはめてくれた。
いつの間に指輪を用意したのかしら?
驚いていると、そのまま手の甲にキスを落としてくれる。優しく唇が触れる感触が全身に伝わり、自分の心臓の音しか聞こえなくなった。
胸がギュッとなって、頬がピンク色に染まる。
伯爵様は立ち上がるとそんな私の顔を見て、幸せそうに微笑んだ。
これではまるで本物の結婚のようだわ。
勘違いしないようにと自分に言い聞かせる。
マクヘイル伯爵様は、司祭様に本当の結婚のように思わせるために演技をしているだけだ。
微笑むだけなら簡単だもの。
そんな事を考えながら指輪を見ていると、サイズがあっていない大きなダイヤモンドがあしらわれた指輪は、ゆっくりとサイズが変わっていき、まるであつらえたようにピッタリになった。
その瞬間、指輪が眩しく光り、目が開けられないくらいの強い光が放射状に広がった。
その光は空中に文字を描きながら一本に紡がれてゆき、そのままマクヘイル伯爵の薬指に巻き付くと、まるでホタルがヒカリを消すように、輝きがなくなっていき、最後には結婚指輪へと変わっていた。
ダイヤモンドじゃなくて魔法石だったんだ!
こんなに光輝く魔法石は見たことがない。
きっと高価なものに違いない。
これが誓いだったんだ。
以前に見た結婚式とは違い、高価な魔法石を使った誓いを立てたのは、やはり潤沢な資金力のある伯爵家だから出来る事なんだわ。
きっと、先ほどドレスを購入した際に、一緒に買い求めたのだろう。
今晩一晩だけで、マクヘイル伯爵様はどれだけ散財したのだろうか。想像するのが怖い。
全てを終え、馬車に乗り外を眺める。
瞬く星が自分を笑っているようで心地悪い。
本当にこれでよかったのだろうか?
そんな事を考えていると、緊張の糸が切れたのだろうか。疲れがどっと押し寄せてきて、目を閉じた。