リスクを承知の上で向かう場所
次の日、王都に行くために馬車の準備をケンネスさんにお願いした。
なんて言い訳をしようか迷った挙句、普通に「種が欲しい」と伝えた。もしかしたら、理由なんて言わなくてもよかったのかもしれない。
「今日は私ではなく、騎士団の方が連れて行ってくれますよ。いつもの通り、エントランスでお待ちください」
そう言われてエントランスで待っていると、昨日から滞在しているサザーランドさんという私より少し年上ではないかと思われる真面目そうな騎士団の方がやって来た。
この方が同行してくれるようだ。
「今日はお供させてくださいね。しかし伯爵夫人、その格好は何ですか?」
洗いざらしたマントを羽織っている私を見て驚いている。
これで驚くなんて、やはり貴族出身なのね。
目的地では、マントを脱ぐ予定をしている。
このマントでは、今からいく所では、平民でも中流家庭以上だと思われてしまう。それでは、バザールのある通りにすら入るのが難しい。
そのため、現地では着古したドレスで動き回る予定だが、今は流石にライアン様の立場があるため、マントで隠していた。
とはいっても、伯爵夫人の格好としてはあまりにもみすぼらしいため、サザーランドさんはかなり驚いている様子だ。
もしかしたら庶民的なメイクにも原因があるのかもしれない。
「今から王都のバザールに行くのですよ?普通の服装では、『カモが来た』と思われて、ぼったくりとスリにあってしまいますわ」
何故この格好なのかを説明すると、納得したような顔をした。
でも、このマントを脱いだ後の格好を見ると、あまりにも見窄らしくて絶句してしまうかもしれない。
とはいえ、契約結婚をする前は、普段着だった服だ。
「確かに、そうですね。しかし、どこからどう見ても貴族の奥様には見えません。では私も変装しましょう」
サザーランドさんが指をパチンと鳴らすと、貴族のお屋敷に勤める庭師のような服装になった。
汚れても大丈夫な服装だが、生地も仕立てもいいのが一目瞭然だ。
やはり騎士団員は貴族の出が多いからわかっていない。
それなりに使い込んだ古い服を着ていればいいと思っているようだが、庶民はアイロンをあてたパリッとした服は着ていない。
でも、離れて歩いて欲しいので指摘はしない。
「まあ別人のような格好ですが、みる人が見ればわかってしまいますわね。オーラが消えておりませんもの。やはり騎士団に所属している方の威厳のあるオーラは格別ですわ」
褒めておけば、その奥の本音は隠せる。
その言葉を聞いて気をよくしたようだ。
「わかりました。行きも帰りもお好きなタイミングで発動させてください」
手渡されたのは移動魔法粉だった。
それを頭上から振りかける。使うのは2回目だから、何とか気持ち悪さは緩和できた。
目を開けるとそこは西の時計台の前だった。
ここから大通り沿いにお店が広がり、その先はバザールだ。
少し離れたところにサザーランドさんがいるのが見える。
サザーランドさんが、こちらに近づいてくる前に、すぐそばのお店を覗くことにした。
いつも買う店は決まっているけど、あまりそれを知られたくはないので、普段は足を踏み入れない高価な種を扱うお店に入る。
「これ、いくらなの?」
店の人に質問してもそっけない返事しか返ってこない。
「アンタには買えないよ」
そう言われて店をあとにする。
普段は大通りの店は覗かない。
ここはお屋敷のメイドや、お忍びの貴族、それから裕福な平民が買い物をする地域だ。当然、庶民には何も売ってもらえない。
それを知っていて、わざと大通りの店をのぞいた。
しかも何店舗も。
この様子をサザーランドさんは見ているだろう。
きっと、『どこに行っても売ってもらえない』と感じたはずだ。
これで少し治安の良くない通りに入っても怪しまれない。
目的の店はあまり治安の良くない地域にある。庶民でも、中流以上の方々は近づかないところにあるのだ。
大通りから横道に入り、先に進む。
周りの建物が急に薄汚れた感じになった。
更に角を曲がると同時にマントを脱いだ。
ここがバザールの入り口だ。
このマントすら、ここでは高級品にあたる。
そんな服装だと、この先には進めない。
皆、お金持ちの人を毛嫌いしているので、それっぽく思われるとバザールにすら入れてもらえない。
目の前の通りは人で溢れかえっていた。
お店の人の売り込みの声や、値引き交渉する客の声、それから流しの音楽家の楽器の音など沢山の音が聞こえてくる。
古い煉瓦造りの建物が道の両サイドに並んでおり、真っ直ぐな路地は人で溢れかっていて、どこまで続いているか見えない。
私は、バザールの奥までは進んだ事がない。
奥に行けば行くほど治安が悪いし、それに行く店はいつも同じだから。
いつもの光景を眺める。
店員の声が威勢がいい。
歩いている人もエネルギーに溢れている。
ただ、サザーランドさんみたいな服装の人は誰一人いない。
あれでは、貴族のお忍びだという事が一目瞭然である。
ちらっと振り返ると、サザーランドさんは通りの入り口で絡まれている。
「何見てんだよ!ここにはお前に売るものはねーよ」
そう言って、腕っぷしの強そうな男性がサザーランドさんを追い返そうとしているのが見えた。
あれは誰かがなだめに入っても最低10分はかかるわ。
それを横目にフフフっと笑うと、人混みに紛れて目的の場所に向かう。
目に入った食べ物を適当に購入しながら、いつもの鉱物屋に向かった。
そこは更に横道を入った所にある。
店の前に立つと店主がこちらを見て笑いかけてくれた。
「おう、嬢ちゃん。今日もいつものか?」
騎士よりも筋肉質で強面の店主は、その見かけによらず気さくで軽妙な口ぶりの人だ。
「こんにちは。ねえ、料金は2倍払うから配達までお願いできる?今日はもう帰らないといけないの。仕事が忙しくて」
「嬢ちゃんのお願いだからな。仕方ねえな」
「じゃあ、いつもの通り、全種類の浄化用のクリスタルをお願いしたいのだけど、2回分、お願いできるかしら?」
また3日後に来れるか確信がなかったので、2回分お願いする事にした。
おじさんにお金を払い、先ほど購入した食料品を一緒に配達してもらえるようにお願いする。
「嬢ちゃん、配達先は?」
「この『導きの石』に従ってください。いつも配達先が変わるので、どこに持っていけばいいのかわからないんです。石はまた、必ず取りにきます。それと、もしも、一週間後、私が石を取りに来なかったら、また、この導きの石を使って同じ鉱物を配達してもらえますか?」
こっそり持ってきたアイテムボックスから導きの石を出した。
アイテムボックスを利用する時も少量の魔力を使うので、これも領地では開くことができなかったのだ。
導きの石を誰かに預ける事は本当はしたくない。
でも、自らの手で持っていけないのだから仕方がない。
「わかったよ。嬢ちゃんは、ここ数年ずっとウチを使ってくれるからな」
「ありがとう!次回のお金も今払っていくわ。それと、この手紙も渡してください」
中には『当面いけないかもしれない。手紙もダメ』とだけ書いた。
これできっと伝わるだろうと考えながら、おじさんにお金を払った。
「ねえ、これもお願い。でも、これは持ち帰るわ」
「この子供騙しが欲しいのか?」
私が手に取ったのは真っ黒でスベスベした小さな石がいつくか入った小袋だった。
「ええ。イタズラ用でしょ?」
「そうだよ、使い方は知ってるな?」
「ええ当然よ。1つ頂くわ」
私は1センチほどの小さな石が入った袋をポケットに入れるとその代金も支払った。
これで10分経った。
急がないとサザーランドさんに見つかってしまう。
「じゃあ行くわ」
おじさんに手を振って、急いで店を出る。
そして、斜め向かいの種を扱うお店に飛び込んで、棚に並んでいる種を選びもせずに適当に手に取って購入した。
それから、目につく苗を購入して、手持ちの籠には苗と種でいっぱいであるように見せる。
適当に手に取った苗と種は、お屋敷に戻ってから調べれば良い。
何食わぬ顔で元の道に戻る。
そして、露天で売っているジュースと、食べ歩き用の串に刺したお肉を買い、マントをまた羽織ると、サザーランドさんが絡まれていた場所に戻った。
まだ絡まれている。
しかも、先ほど絡んでいた人とは違う、20歳にも満たないような血の気の多そうな若者だった。
サザーランドさんが絡まれるのは、明らかに金持ちの貴族のお忍びの服装だからだ。
絡まれた方は、喧嘩を売られても買うわけにはいかず、かと言って公務執行妨害で逮捕するわけにもいかず。
たまったものではないはずだ。
「お兄さん達、この人あまりお金持ってなさそうよ?だって、ほら。貴族なら護衛がいるはずじゃない?でも、この人にはいないもの。それよりも、奥の見世物小屋に、見た事ない美人がいたわ」
私の言葉に、若者達はサザーランドさんに護衛がついていない現実に気がつき、舌打ちをすると、見世物小屋へと向かって行った。
「大変でしたわね」
サザーランドさんに声をかけて近くのベンチに座るように促す。
「これを飲んで、これでも食べて落ち着いてくださいませ」
「すいません。気を使わせてしまいましたね」
私からジュースと、串に刺したお肉を受け取ると、ホッとしたような表情でそれを食べた。
「途中でサザーランドさんがいない事に気がつきまして引き返してきましたの。そしたら、入り口で絡まれているではありませんか!」
「いやあ。大人しくしていたら穏便に通してもらえるかと思いましたが、どんどん人が増えてきてしまって……」
困った顔でそう答えたが、あのバザールの人は『お忍びの貴族』を通さない。
大体、面倒ごとをおこすからだ。
もしも、バザールについてくる格好が私と同じくらいくたびれた服装だったなら、先ほどの通りの中程にあるドレスショップに入って、『何でも屋』を兼業している店員に、鉱物屋の買い物をお願いしただろう。
ただし、それで鉱物屋のおじさんが、欲しい品物を売ってくれるかは定かではない。
なんとか目的は達成したので、私は安堵してこれから先の事を考える。
こんな事が続いたら、いずれバレてしまう。
「買い物を続けたいのですが、また先ほどの道に入っても大丈夫ですか?」
その言葉にサザーランドさんは困った顔をした。
「じゃあ今日は諦めて帰ります」
「申し訳ありません」
サザーランドさんは、自分は先には進めないと悟ったようだ。
「いえ。また近いうちに来ますから大丈夫ですわ」
結局、中身を確認せずに購入した10種類の種と、何の植物だかわからない苗を持って帰った。また移動魔法粉を使い、マクヘイル伯爵領に戻る。
「マクヘイル伯爵夫人、今日は買い物を邪魔してしまい、申し訳ありませんでした」
「いえ。植物の種は買えましたから大丈夫ですわ。でも、もう少し苗を買いたかったので、また今度バザールに向かいます」
サザーランドさんは、きっと私の行動を報告しているだろう。目を離したのは10分程度で、その間に種と苗と、食べ物を買っていた、と。
私がこの伯爵領にくる前から、馬の詐欺事件は起きていたから、10分間の出来事なら私の行動を怪しむ事はないだろう。