偶然目にしてしまった事
目が覚めてライアンは腕の中を見た。
セーラがスヤスヤと眠っている。
そんな様子を見ながら、数日前のケンネスとマシューとの会話を思い出す。
『セーラ様がマクヘイル伯爵領に来てからライアン様も変わりましたね?女性が苦手なライアン様が普通にしていますから。もう女性への苦手意識は無くなりましたか?』
書類仕事をしながらケンネスが聞いてきた。
『女性との会話は苦手だ。今の流行の服だったりパーティーだったりと、かなり窮屈に感じることが多いが、セーラと話しているのは楽しい』
その返事にマシューが笑った。
『一時期毎週のように行われていたライアン様のお見合いの相手は皆、恐ろしく美人でした。ただし、ご自身の見た目を飾る事に重きを置いた方ばかりでしたね』
それを聞いてケンネスが頷く。
『皆、ご友人からの紹介でしたよね?あの頃は大変でしたね』
『そうだな。お見合いは二度としたくない』
『でも、セーラ様との契約が終われば本腰を上げて結婚相手を探さねばなりませんね』
その現実を突きつけられて、仕事の手が止まる。
『このまま、契約結婚を続けたいくらいだよ。セーラは一緒にいても苦にならないし、どんな話題を振っても、ちゃんと意見を言ってくれる。そもそも彼女は博識だ』
『そんなにセーラ様が気に入っているなら、いっその事、ちゃんとプロポーズをして結婚をやり直してはいかがですか?』
マシューの言葉に慌てた。
『セーラがどう思っているかわからないから、それは無理だ』
『契約期間を延ばしてもらってはいかがですか?』
『それはいいですね。となると、セーラ様にはお金を払っているだけで、プレゼントも何もしていないとか、まさかそんな事はありませんよね?』
『ライアン様と行動を共にしていますが、お土産なども含めて、セーラ様に何か贈り物をした事はありませんよ』
マシューの質問に対して、ケンネスが呆れた顔をして答える。
『セーラ様にプレゼントをしたいかどうかは、ライアン様のお気持ちですけど。それにしても何もプレゼントを買った事がないなんて。先日、二人でアンティークショップに行ったのに』
セーラとの契約結婚は、いい事ずくめで、このまま期間を延長したいと考えている。
でも、それは私の考えであって、セーラがどう思っているのかはわからない。
それに、約束の報酬を払っているだけでは駄目なのだろうか。
セーラにプレゼントなどを贈ったことはない。
『他に何か必要なのか?』
そう聞くと、二人は必要だと言った。
『約束のお金だけを払っているならビジネスと同じではないですか。契約延長は望めませんね』
マシューが笑った。
『これは契約でビジネスだからそんなものではないのか?』
『ライアン様、そんな事言ってたら、愛想を尽かされますよ?』
『そうですそうです。約束の期間が終わったら、セーラ様はさっさと居なくなってしまいますよ』
セーラがいなくなる?まだ先の事だと思ってはいるが、一年なんてあっと言う間に過ぎてしまう。
それに最近のセーラはだんだんと美人になってきた。正直なところ、手放したくはない。
『じゃあどうすれば……』
その話の結果、ケンネスから聞いたのが、『シャイニングというサプライズプレゼントが流行っている』という事だった。
『シャイニングに魔力を流すと、その強さや種類によって、出でくるアクセサリーが違うらしい』という事だ。
昨日、そのシャイニングを買って、ケンネスに聞いた通り、魔力を流した。
すると、水色の宝石のついたネックレスが現れた。
もっと強い魔力を流したら、指輪が出てきたのだろうか?
そんな事を考えながら、セーラの首元に光るネックレスを眺めた。
私の魔力の色がセーラの首元を彩っている。
そう思うと、少し嬉しく感じる。
起こさないようにそっと起き上がって、隣の部屋に行き、いつものように着替えを済ませて馬の元にいく。
きっと私のことは兄くらいにしか思っていないだろう。
同じように、私もセーラを妹としか見ていない。
昨日のパーティーで、目を離した隙に、セーラが男性と話しているのを見てイライラした。
聞けば、セーラの従姉妹であるヘザーのご主人だった。少しホッとしたが、何故あんな気持ちになったのだろうか?
自分でもよく分からずに馬の世話をして、ダイニングに向かった。
「おはようセーラ」
「おはようございます。ライアン様」
名前を呼ばれるとなんだか嬉しい。
「今日も偽馬の情報を探しに行ってくる。夕方戻るので好きにしててくれ」
「わかりました」
セーラの予定は聞かない。そう決めているから日中、何をしようと構わない。
セーラはマクヘイル領から、週に2回王都に行っているのは知っている。
送迎は契約結婚の事を知っているケンネスが行っているが、いつもケンネスは駅まで送り、夕方、駅に迎えに行くそうだ。
本当は「どこに行って何をしていたんだ?」と聞きたい気持ちもあるが、そうすると嫌がられるだろう。
タウンハウスを出て、数箇所回ったが、途中で渋滞に巻き込まれた。
「ライアン様、荷馬車が横転したらしいです」
「わかった。目的の商会はどれくらいの距離だ?」
「そうですね、徒歩30分くらいでしょうか?」
ケンネスは困った顔で懐中時計を見る。
「どうします?約束の時間は一時間後ですが、いつ動くかわかりません。手紙を書きましょうか?」
手の中に郵便鳥が見えた。
「いや、歩いて向かう」
「かしこまりました。お気をつけて」
馬車を降りて、通りを進む。
約束の時間の前に、もう一箇所寄りたかったが、諦めよう。
そういえば、ここはセーラが青いドレスに着替えて出てきた駅だ。その時の事を思い出す。
濃紺のドレスに濃い化粧は、セーラにはあまり似合っていなかった。
そう思いながら駅を過ぎた時、マントを羽織り、フードを被った女性が視界の隅に入ってきた。
ここからは50メートルほど離れていう上に、人混みの中だ。
でもすぐにわかった。
あれはセーラだ。
質素な服の上からマントを羽織っているが、間違いない。
セーラは寂れた飲食店街の入り口のバーの前で立ち止まった。
古びたバーは昼間だというのにネオンがついている。
営業しているようだ。
そのドアが開いて、中から男性が出てきた。
朱色の髪をしたその男性に、セーラは嬉しそうにハグしている。
相手もセーラを抱きしめた後、二人で中に入って行った。
体の中から何かが波打つ感覚がする。あのバーに行きたい衝動に駆られたが、なんとか思いとどまる。
セーラがどこで何をしていようが、誰を好きでいようが自由だとケンネスと話し合ったじゃないか。
自分にそう言い聞かせるが、次々と疑問が出てくる。
ポーション代として払っているお金はあの男性の物になっているのだろうか?
セーラは契約婚をしながら、あの男と結婚する方法を考えているのだろうか?
嫌。そんな事考えてはいけない。どこで散財しようが、セーラに渡したお金は好きに使えばいい。
気がつくと掌をぎゅっと握っていた。
今見た事は忘れよう。セーラには何も聞いてはいけない。
わかりきった事だ。
私は偽装結婚の相手だ。それ以外何もない。
……王都に来てからは、狭いベッドで二人で寝ていた。それがいけなかったのかもしれない。
自分も何か勘違いをしたんだ。
セーラはあくまで妹みたいな存在だ。
頭の中を色々な感情が駆け巡ったが、それを払いのけるように頭を振った。
自分の考えを正して、また歩き出す。
しかし、その足取りは重かった。
その後の事は、あまり気持ちが入らなかったが、やはり噂通り偽馬を買った被害者に辿り着いた。
ここで、何故セーラと契約結婚を選んだのか、再度思い出した。
そうだ、馬を助けるためだ。
夕方、馬を連れて邸に戻ると、セーラはまだ外出先からは戻っていなかったので、早速、ポーションを薄めた聖水を与えて様子を見る。
しばらくすると、セーラが歩いてくるのが見えた。
「遅くなってごめんなさい」
昼間見たマントを羽織っている。やはりあれはセーラだったんだ。
何か言いたい気持ちをグッと我慢して、笑顔を取り繕う。
「嫌、いいよ気にしないでくれ」
「新しい種を仕入れたので、領地に戻ったらすぐに植えますね」
楽しそうに話すセーラを見て、これでいいという気がしてきた、
いつもポーションを作る事を優先してもらっているのだから、それでいいじゃないか。
今日見た事は胸の奥にしまった。
「ちょっと書類を仕上げないといけないから、先に休んでいて欲しい。悪いが、今日はディナーも一人で食べてくれないだろうか?」
セーラと共同生活を始めてから、距離を置こうと思ったのは初めてだった。
このまま一緒に過ごしていくと、距離感が崩れてしまうかもしれない。
自分にはやらないといけない事があるんだ。
これ以上、犠牲となる馬を減らす事だ。それに専念しないといけない。
そう思って、今まで聞いた詐欺事件の手口を見返していた。
「ライアン様、今日はお一人でディナーを召し上がるのですか?」
ケンネスが質問してきた。
「ああ。こんなに注意喚起しているのに、それでも偽馬を買う人がいるとは。何故、詐欺行為が無くならないか理由を探さないと。これ以上、被害者を増やすわけにはいかないだろ?」
騎士団や憲兵を通じて、国中に注意喚起の文章を配布してもらっている。
にも関わらず、被害は減らない。
「確かにそうですね」
「今日、とある貿易商の男に話を聞いた。その男の話によると、王都西のカジノのVIPルームでブラックジャックをしている時に私の偽物に会ったそうだ」
「ライアン様の偽物って事は、マシュー似の男ですか?」
「マシューの似顔絵を見せたらそっくりだと言っていたから間違いない。その偽マシューは、大金を賭けている金持ちに声をかけていたそうだ」
「声をかけられた方が、本物のマクヘイル伯爵を知っていたらどうするつもりなんでしょうか」
「確かに。何か私とは繋がりがないという確信があって声をかけているのだろうか?」
「今までの被害者を見る限り、爵位のない金持ち、それから男爵籍など、社交界でライアン様と繋がりがないであろう人物が中心ですが、にしてもおかしいです。ライアン様の交友関係を知っている人物に思い当たる人はいますか?」
「うーん。私と交友関係がほぼ同じなのは、魔法学校時代の同期生達の中で、騎士団に行った数人だろうか」
「そもそも疑問なのですが。その詐欺集団は顔を変える魔道具を使っているはずですが、何故ライアン様の顔を真似なかったんでしょうか?もしや真似できない理由があるのでしょうか」
二人で色々な可能性を考えたがわからなかった。
結局、遅くまで作業をして主寝室に向かう。
そっと入ると、セーラはすでに眠っていた。時計を見ると深夜0時だ。ここから六時間はこの部屋にいないといけない。
その約束を破るわけにはいかないが、極力、セーラと二人でいる時間を減らそう。
音を立てないようにソファーをベッドの横に持ってきた。これで五メートル以内になるだろう。
ため息を吐くと私はソファーに寝転んだ。
私は誤解していた点がある。
それは、『結婚する相手がいない』からといって、恋人がいないわけではないのだ。
相手は既婚者のケースがあるだろう。または、相手の親に反対されているのかもしれない。
様々なケースがあるだろう。
ちゃんとセーラを尊重してあげないといけない。今日見た相手が、本当の恋人なのだろう。
昨日のパーティー会場で、従姉妹のヘザーの夫であるバログ子爵と話ているのを見た時も、胸の奥がザラザラした。
他の男達のセーラを見る視線にもイライラした。
セーラは私をどう思っているのだろうか?
ふと、そんな疑問が湧いてくる。
……契約結婚のビジネスパートナーとしか思っていないだろう。
渋るセーラを説き伏せて契約結婚をしたのは私だ。
契約結婚は最短で一年だ。
一年経過すれば、セーラに相続権が発生する。
そうなれば、セーラが契約結婚を続ける意味はない。
だから、期限が来たらすみやかに結婚を解消しよう。
それがセーラのためだ。
これからは距離感に気をつけよう。これはあくまで契約結婚なのだから。